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歴史人物浅評  作者: 張任
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窓から観る景色

進化論。チャールズ・ダーウィンが提唱した人類の軌跡。

この理論は科学に革命を齎し、新世界を開く偉大な一歩となった。現代の技術を支える地盤と言っても過言では無い。

しかし。同学説を頑迷に否定する者等が居る。宗教界だ。

彼等は自らが信じる神話と進化が喰い違うと憤慨し、提唱者した人物に対して苛烈な批判を度々と繰り返している。

具体例を挙げれば猿の身体にダーウィンの頭をくっ付けた風刺画を描く等。先祖が猿なのはお前だけだと言わんばかり。

故にか世間では科学と宗教は相容れない、敵対する存在とする空気が漂う。進化論への反応を見れば致し方あるまい。

だが全てが全て、皆が同じ考えと言う訳では無い。

中には宗教界に身を置きながら、科学の道を志す者も居る。


フランシスコ・アヤラ。


今回は司祭の地位にまで登り詰めながら進化論に興味を持ち、一転して生物学者に転身を遂げた彼を記そうと想う。


 ____________________________


1.

フランシスコ・アヤラ(本名 フランシスコ・ホセ・アヤラ・ペレダ)は、現代に生きる宗教兼生物学者で在る。

1934年、スペインで産まれた彼は成長後の青年期に身を置く場所を宗教に定め、聖職者としての活動を長年続けた。

粛々と素朴に名声や利益に囚われない行動を協会は高く評価し、1960年代初頭に若くして司祭の立場にアヤラを推挙。

本人もそれを受理し、中々に珍しい若輩の司祭が誕生する予定だった。しかし同時期に彼が或る本を読んだ事が切掛で、聖職を目指すアヤラの人生は大きな変革の時を迎える。


彼が読んだ本。それが己が属していた宗教に於いて『禁書』と断ぜられた書物とは、当時は想像も出来なかったろう。


同作の著者は教会出身の学者だったが進化論に肯定的で、それを宗教にも積極的に組み入れる考えを持っていた。

しかし当時は神が全てを創り上げた『創生論』が主流の頃。

彼は他の面々、特に原理主義者から凄まじい非難を浴びる。

結局この騒動が余りにも大きくなり過ぎた為、件の本を禁書扱いにして事態を収拾せざるを得なくなってしまう。

しかし上層部の中には進化論を肯定的に捉える同作に可能性を感じた者も居た。彼等は原理主義者等の監視から逃れる為、秘密裏に原本を回収し内部資料として保管したのだ。

時勢に踏み潰された思想。それをアヤラが発見して何の気無しに読み、自らの人生をも変える発想を目の当たりにする。


偶然と言えば偶然なのかも知れない。しかし歴史上には運命としか言い様の無い、時代の唸りと言うべき瞬間が有る。

何時しか信奉する神が偶像化し、疑問や異論すらも封殺する閉鎖的な世界と化してから幾十年。黴臭く腐臭すらも漂う歴史の門が、若者の抱く新たな風に依って開き始めていく。


2.

件の本を読んで以来、アヤラの奥底では或る衝動が燻る。

進化論を代表とした、世界を構築する知識への興味がだ。

宗教と科学を組み合わせた発想、人間の新たな可能性を模索する考えに惹き寄せられた彼は、推薦された司祭の道を辞退して科学方面への進学を上申したと云う。

時が進んで幾許か反応が緩やかになってはいたが、当時の教会は依然と創造論を主軸とする者が大半を占めていた時代。

強烈な罵倒を受ける覚悟での行動だったが、意外な事に上層部の面々はアヤラの進路を容認した。上項にも記したが、凝り固まった思想は彼等とて望んでいなかったからだ。

寧ろ科学知識を深めるのは利益に繋がるとも考えていた。

となれば否定する道理は両者共に無い訳で。


1961年。科学知識を学ぶ事は宗教にとって有意義な行為と、教会側からの強い後押しも有って大学へと進む。


アヤラは此処で進化について深く学ぶに至り、その道の第一人者と謳われる程の学識を身に付けた。それだけでは無い。

風土病に関する研究でも一目置かれており、地域固有のウィルスが如何な進化と繁殖を遂げたかを調べ上げて問題解決に大きく貢献している。彼は名実共に学者となった訳だ。

80年代以降はアヤラの功績は世間に認められており、自身が執筆した書物は40冊以上を記録、多数の学者から招待され複数の学会に属し、多くの大学で博士号を得た。

能力を見込まれて米国大統領の科学顧問にも就任したのだから、如何な高位の人物と化したかが窺い知れよう。

研究者としての知識を深めていくアヤラ。その能力は遂に自らの古里、宗教界に於いても存在感を発揮する。そう。


界隈での最高位の人物、唯一無二たる法王との会合を経て。


3.

法王は神の教えを皆に届ける指導者であり、宗教に於ける象徴的存在で、かつ同組織の最高権力者とも言える。

その為か保守的な勢力からは圧倒的な信望が有るものの、一度彼等の思惑…特に原典こそ絶対正義と考える者達の思想から外れた行為をすれば、背信行為だと激烈な抵抗を受ける立場でもあった。教える者が、神を否定するとは何事かと。

そんな立場の法王が進化論に興味を持ち、剰え専門家との会合を望むなんて事は極めて異例、大事件だとも言えよう。

教会上層部としては科学知識は必要だと考えていたのは事実だが、それはあくまでも内々の話。全体的には混乱を招かない様、依然と変わらぬ方針を執っていた故に尚更。


無論、法王とて単なる好奇心から進化論に興味を抱いた訳では無い。自身の考える正義の為、死の覚悟をもしていた。


彼は当時、二度に渡り暗殺行為と言う憂き目に遭った。

一度目は宗教に依る反政権勢力を疎ましく感じていた共産主義国家からの刺客、二度目は内部の原理主義者からだ。

鉛の銃弾を撃ち込まれ、狂気の剣で突き刺され、生死の淵を彷徨いながらも法王は彼等を恨まず、祝福を施したと言う。

罪とは犯した本人に責は有れども非は無く、寧ろ罪を犯させた状況こそが真に肝要であると考えていたのだろう。

となれば、法王が進化論に興味を抱くのも合点が行く。

民衆の感情を恐れる支配には知識を以て対抗策を採り。

科学を敵と見做す者には真実を以て理を説き和を為す。

進化論は自らの信奉する宗教の理解・解釈を多様化し、内に閉じ籠る環境を打破するに十分値する代物だったからだ。


と、斯様な経緯で研究者と法王との一種異様な会見が実現。


アヤラ当人としては身に余る光栄やら尋常でない緊張やらで生きた心地はしなかっただろうが、それは兎も角と進化論についての質疑応答が両者の間で交わされていく。

進化の過程や目的について、事象が起きる原因とは、世間一般での認識との違い等、様々な議論が為された。

時も忘れる程に語らい続け、夜が明け日の昇る頃合に両者の会談は終了し、互いが互いを惜しみつつも別れを告げる。

後日。進化論についての説明を受けた法王は暫し思案を続け、徐に筆を取って自教の学術部門へと手紙を認めた。

その内容は法王…否、宗教家として驚くべき発言だった。


『進化論は最早仮説では無い、歴とした事実と肯定する』

『科学は宗教に仇なすとの考えは過去の遺物に過ぎない』

『進化と信仰は互いを否定せず、共有出来る物と宣言す』


神が人間を完全な生物として創り上げたと謳われて幾星霜。

頑迷に『完全』に固執する旧びた思考に止めを刺したのは、他でも無い象徴たる存在が放つ『進歩』の一撃だった。


 ________________________



禁書とされた思考から信仰の未来を想い、仇敵と忌み嫌われた科学に可能性を感じたアヤラの生涯は、最も保守的な象徴だとも言える法王の心を動かし宗教の未来をも変えた。

彼が開けた風穴は新たなる意志や活力を呼び込み、勢力の更なる隆盛と思想の発展を担い、新時代の嵐が吹き荒ぶ。

彼が興味を持ち追い求め続けた進化論は今現在形を変えて『ネオ・ダーウィニズム』へと進化を遂げ、生物の歴史についての新たな情報・知識を文字通りに掘り出し続けている。


無論幾ら指導者が認めたとて、頑なに否定する者も居る。

私が猿を先祖に持つ筈が無い、最初から人間だった筈だ。

進化論は人間の思い上がった戯言、神への冒涜なのだと。


彼等にアヤラは説く。科学と信仰は見方の違いに過ぎぬと。

地球誕生から46億年。今迄に様々な出来事が有った。

その出来事を調べ、真実を確認するのが科学で在り。

その出来事を想い、解答を用意するのが信仰で在る。

森羅万象には必ず原因と結果が存在し、その因果を紐解く事で事実を見つけ出す。その事実から知識を得たからこそ、人類は発展を遂げて今日の繁栄を勝ち取る事が出来た。

その一方で世界には依然として不明瞭なままの事象が存在する、死後の世界などはその典型的な例だ。知る事が出来ぬ不安に対し、人間は神と言う解答で平穏を手にした。

科学と信仰は相反する物では無い、世界と言う窓に対して『発展』か『平穏』かで視点が異なっているに過ぎない。

結局は同じ物を眺めているだけ、なら共生出来ぬ筈が無い。

己の内に神の意志を宿さば、如何な難題にも挫けまい。

形骸化した教義は、知識を以て新たな真理に蘇らせよう。


アヤラの思想を元となった禁書、進化論と宗教観を複合した著作は、自身の思想について以下の様に結論を出す。

『進化とは、我々が神域へと至る迄の過程』なのだと。


最初の生命はアメーバに似た生物だったと言われている。

本能だけの存在の中から考える個体が現れ、思考によって自らを成長させ、己の細胞を分裂させて巨体をも得た。

軈て思考は知性を持つ脳を創り上げ、巨大な細胞は各々が考える理想の姿形へと徐々に変化を遂げていく。

変化は何度も、何十回も、何万回も行われ、何時しか人と言う存在をも産み出した。彼等は自らの圧倒的な知能を使い、困難を乗り越えて生物最大の版図を築き上げる。

そして、その時の果てに今の私達が存在する。過去の人々からすれば、現代の生活は神々の楽園が如き代物だろう。

しかし、それは『人』の価値観としてだ。現代に生きる我々は思想や技術の進化を経て、神への意識も変容している。雷を用い、河川を操る能力だけが神の証左では無いのだ。

電気を手にして闇を払い、河川の整備を行う技術を得てもなお、神にしか行えない所業は未だごまんと存在する。


人類は未だ道半ばに居る。人と、神との境目の道を。

故に現代の者を指してこう呼ぶのだろう。人間と。

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