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歴史人物浅評  作者: 張任
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蛮武凌童

文武両道。一度は目にした事が有るであろう、この言葉。

学問のみならず鍛錬にも力を入れ、心身共に充実たれと謳うこの四字熟語を体現すべく、世の人々は努力してきた。

例えば或る作家は作品内描写のリアリティを上げるべく、一念発起して格闘家顔負けの肉体改造に乗り出し。

古くは中国の三国時代、武一辺倒だった男が努力をして軍学を修めて皆を驚かし『男子三日会わざれば』の諺を遺す。

日本は鹿児島、薩摩と呼ばれた地では無骨な木剣を矢鱈と振り回す傍ら、父子孫三代皆総出で学問に励んだと聞く。

知と力が併されば即ち無敵也、との事で皆その夢を追い求めて努力してきた訳だ。…が、中には少し違った方向に文武が逸れていった人物も歴史上には存在する。


今東光。


文芸、運動、宗教。様々な道を渡り歩き、世を騒がせ続けた昭和の怪人、その人となりについて今回は記そうと想う。


_____________________


1.


今東光は20世紀に活躍した僧侶、文藝人、政治家で在る。

1898年3月、横浜の地で海運業を営む家系に産まれた東光は幼少の砌、父親の仕事が都合で各地を転々としていた。

北は北海道の小樽・札幌、西は兵庫・神戸に大阪と長距離の道程を彼方此方と。この時に全国津々浦々を観た経験が作家業に多大なる影響を与えた…かどうかは定かでは無い。

何のかんので日本中を飛び回った後、十の時に神戸の地で腰が落ち着く事となる。幼少期から数えて幾日か、漸く訪れた交友の機会。この日を境に彼は友人と誼みを通じていく。

特に虎彦と呼ばれる人物とは父同士が仲が良い事で遭う機会が多く、文学少年の彼を通じて東光は文学に興味を持つ。


因みに東光が幼少期に読み耽た作品を端的に表すと、基本として退廃的な・男女のエロスを探求する・画一な世界から飛び出す文章が多かった。納得出来る代物と言えよう。


兎も角。文学に目覚めた東光は先ずは行動を、と当時頭角を現しつつあった詩人や小説家と文通しようと試みる。

彼の才覚はこの時から既に発揮されていたようで、無名の身で在りながら文通相手として認められる程だったと言う。

自らが好む道を着実に歩む東光だったが、如何せん人生とは思うがままには行かぬ物。当時学生だった彼は不純異性交友(と恐らく諸々の所業)が原因で退学処分を受けてしまう。

当時(現代でもだが)退学と言うのは学校側からの印象が頗る悪く、引き取ろうとする所が中々現れない事も屡々。

しかも東光の場合は漸く見つかった転校先でも問題を起こしてしまい、二度目の退学処分を言い渡される始末。

斯様な問題児振りに何処の学校も手には負えぬと匙を投げ、彼は未だ年少のままに学び舎から追放されたのだった。


はて人生の定石たる手段は潰えた訳だが如何するか。

まあ成った物は仕方無い、独学にて勉学に励もうか。

例え世界に一人となろうとも、人生絶望するなかれ。


画して真っ当な人生を送る為の道筋から脱線し、明日をも知れぬ暗闇へと流れ着いた東光。しかし彼はそんな状況なぞ気にも留めず、飄々と荒野を邁進し始めるのである。


2.


悪童の烙印を押されて世間から、そして自身の意思としても普通の枠から外れた東光。この時より己の心情や衝動を表現にて世に示さんと、本格的に文学の道を志し始めた。

同時に幼少期の交友が奇妙な縁を引き寄せ、子供の頃から憧れた文藝人と師弟関係を結ぶに至る。無論弟子になったからと言って直ぐ作家と成る筈も無く、最初の内は秘書が如き扱いだったが東光にとっては至福の時間だった事だろう。

自分が自分らしく、個性を阻害されず発揮出来る世界。

そんな場で日がな暮らしていく内、彼と言う人物は傑出した文才を以て数多の人に識られていく。と同時にもう一つの個性についても、否応も無く世間での注目を浴び始めた。


武力。当時の文学界最強とも謳われた腕っ節が、だ。


東光は文学の他、空手の使い手として名高い人物にも師事を受けており、初段を認可される程の腕前を誇っていた。

それだけならば意外な特技程度の代物なのだが、時折それを用いて騒動を引き起こすので何かと周囲の耳目を惹く。

有名な逸話として東光がわざと弱々しい文学青年の振りをし、これ幸いと恐喝に来る不届き者を自慢の空手で打ちのめして逆に『文学なめんじゃねえぞ』と説教をかますと言う、凡そ文化人として似つかわしく無い武勇伝が存在する。

その武力は作家仲間にも評され、かの芥川龍之介からは作家同士が喧嘩したならば、仲裁役には今東光が適任(刀だ鉄砲だ出そうとも制圧可能故)と太鼓判を押される豪腕振り。

挙句の果て『文壇諸家価値調査表』なるランキングにて、数多の文豪を蹴散らし一位の座に輝いた。無論、腕力面で。


三度の飯より喧嘩を好み、喧嘩の前に文学を置く。


奇妙な形で文武両道を為す性分は生涯を通して変わらず、自らの作品や人生観にこれでもかと色濃く遺されている。

とは言えど東光は調査表でも示された力任せの粗忽者との誹りには憤りを覚えていたし、古き良きばかりを尊び新たな作風を拒む文壇の空気に嫌気も差していた。

軈て不満は左翼思想を持つ作家との交流で改革の意志へと変化し左翼を担う一翼として活動するが、それはまた別の話。

あくまでも自由を追い求める東光に対して政治の変革を目指す周囲との間で軋轢が生じ、別離に至ったのも同様の事だ。


3.


文壇に漂う澱んだ空気に辟易し、政治の場でも理想とは異なると訣別を遂げた東光。この頃になると何か想う処が有ったのか一転、作家業を離れて僧侶への道を志す。

真剣に修行を続けて数年、僧侶としての認可を得た彼は多少の余裕が出来たのか幾つか作品を発表。元々の評判が評判なので注目されたとは言い難いものの『伊豆の踊子』で有名な川端康成などを含む複数の文化人からは才覚今以て衰えておらずと大いに評価されたと言う。

その後も僧侶として経験を積む傍ら宗教教義や神占学を纏めた書物を書き上げるものの、此処で思わぬ病が己を襲う。

心臓肥大。心機能低下に依る全身の不調は生死の境を彷徨うまでに至る中、畳み掛ける様に不幸は舞い込んでいく。


妻との離婚、世界大戦の勃発、戦時下での宗教組織の縮小。


生来の性分からか真っ当な学生としては生きられず、文藝家としては破天荒に過ぎる作風から旧態依然の文壇が拒み。

それならば自らの業と向き合わんと僧侶を目指すも時勢がそれを許さない。兎にも角にも東光の人生は阻まれてばかり。

____されど彼は恨み言を溢さず、何時でも笑みを崩さない。

子供の頃より抱く、人生絶望するなかれの信条が為に。

1951年。体調も安定した折、漸く住職となる事が決定。

状況が状況とは言え貧乏にも程が有る寺だったが、件の東光は特段愚痴も言わずに任地へと向かっていった。

かの悪童も遂には落ち着いたか、彼を識る者がそう思い安心したり、しかし少なくとも何処か惜別の念をも感じた頃。

廃寺同然の地へと訪れた住職の様子に近隣の者は驚いた。


田舎の沼田に似つかわしくない華やかな神職が集まり、ド派手に雅楽を鳴らして寺内に入る様子に人々は驚き尽くし。

余りの有様に村人は口々にこう噂したと言う。今度の坊さんは嫌に派手な奴ではないか、本当は詐欺師じゃないのかと。


そんな皆皆が騒めく様子をしげしげと眺める男が一人。

心の内で舌を出しながら、悪童は口を開けて笑んだ。


 _____________



晴れて僧侶となって以降も今東光は自らの性分を偽る事無く、質素倹約・道徳遵守なぞ何処吹く風と自由を謳歌。

幾人かの村人を寺に集めては喧嘩だ風俗だ博打だと、仮にも聖職が口が裂けても出さない様な物事を肴に乱痴気騒ぎ。

小説の取材だと銘打って闘鶏に興じるは、それで書いた代物が腕っ節が強くて女にモテて、凶悪なヤクザと闘っては漢気に惚れて子分にしていく痛快活劇エンタテインメント。

なんとも坊主らしからぬ行動ばかりをしている様で、手に入れた印税を用いて荒れ果てた寺社を修繕してみたり。

かと思えば毒舌説法で人々の話題を集めて、その勢いで参議院議員になったりもした。(流石に一期だけだったが)


豪放碧落、傍若無人。天上天下、唯我独尊。

そんな言葉が似合う東光だったが、私生活では極めて落ち着いた…風評とはまるで正反対の人物だったと言う。


ド派手に動き回る一方で、僧侶としての仕事も実直に熟し。

人生に惑う弟子に対しては、真摯な対応で相談に乗る。

普段の彼を識る者をして『同一人物とは到底思えない』と言わしめた、穏やかで冒頓な聖職者が其処には居た。

世間で評判の破戒僧、反して内々での模範的な僧侶。

果たして何方が本当の彼なのかと問われれば…それは何方も本当の東光で在ると答えるのが正しいのだろう。

そも東光は画一的な物の見方に窮屈さを感じ、そのまま枠を飛び出した人間だ。そんな人物に対して僧侶は『こう』だから、破戒的なら『こう』だからと定型に嵌め込んで評価した所で本来の人物を測れよう筈も無い。


平和になりすぎたら文明も文化も栄やしない。

世界は一つにとか何とか甘いこと考えるな。

そんなふざけたバカなこと考えちゃいけない。

破壊と建設、建設と破壊というものは縄をなうようにして。

人間の生活が生まれ繁栄していき、人生を形づくる物だ。


東光が遺したかの言葉には自由を愛し何よりも尊び、そして人間が総て同じならば何とも詰まらん世に成り果てると文壇で訴え続けた、本能的な人生観が如実に表現されている。

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