赤帝ノ火臣
暑い日が続く、今日此の頃を如何にお過ごしだろうか。
人によっては耐えられぬと滝の様に汗を流しながら、或る人にとっては何も感じぬと涼しい顔で答えるかも知れない。
人間の感覚は其々違うので、温度の差は当然ながら現れる。
それは肉体的にも、そして、精神的にもだ。
冷静な思考の人も居れば、熱血で周囲を焦がす人も居よう。
人の心に火が灯る時、放出される熱は周囲の温度を上げ、時に伝播して他人の心情までも燃やし出す。
そして其れは歴史をも動かす燃料に成り得るのだ。
そんな前口上で紹介するのは熱気溢れる戦国時代に於いて、其の中でも最も熱い心意気を持っていた人物。
戸次統常、とその一家についてで在る。
「一死報国の者共」
戸次統常の一家が活躍、と言って良いのかどうかは分からないが存在したのは戦国時代真っ只中の九州の地。
当時の九州を制覇しつつ在った島津家に敵対し、大幅に軍事力を削ぐ結果になってしまった勢力の一武将である。
度重なる敗北での領地縮小、対して回生の策が皆無な点、率いていた大将が問題行動の多い人物だった事が原因で、統常の仕える勢力には島津への寝返りの嵐が吹き荒れてしまう。
統常の父親もまた寝返ろうとした人物の一人、と目された。
目された、と奇妙な言い方をするのは実際には父親が寝返ろうとした証拠がまるで無かったからである。
つまり寝返りをしていない可能性すら有った。
此の時、続々と離れていく家臣に危機感を覚えていた統常方の大将は悪い流れを止めるべく、少しでも疑わしい人物を次々に処刑している。
が、此れが全くの逆効果。
そもそも厳しい罰則を以って規律を取り戻すのは問題が起こる前、皆が逃亡の旨味を知る前でなければ意味が無い。
実際に事が起きてからでは既に遅く、寧ろ不信感や不安を徒らに煽るだけで脱走者を更に増やす結果に終わってしまう。
諺の如く『泣いて馬謖を斬る』とは行かなかった訳だ。
さて、話を統常へと戻そう。調査も議論も碌にせずに父親を殺した主君に怒り心頭の統常。
家に戻ると母が泣いていた。当然だ、夫が死んだのだから。
思わず慰めの言葉を掛ける彼だったが、其れに対しての母親の返答は予想だにしていない物だった。
「上様から死を賜るとは、我が夫ながら何と情け無い。」
「武士ならば疑われた段階で潔白を示す為に自死せねば。」
「若しくはいっそ、潔く裏切り敵対すれば良かったのだ。」
…とまぁ凄まじい主張、もとい武士道を語る言葉で在る。
裏切るもクソも、証拠も無いのに無理矢理殺されたのだが。
自分的には若干引くぐらいに熱い、と言うか当時の他の武将にとっても大分やり過ぎな発言に思えるのだが、息子である統常は母親の様子を見て大感激。
真の武士とは母の言う通りの者だ、とまで語ったとか。
…此の母にして此の息子在り、と言う事だろう。
「眼光炯々の一族」
先の母親の言葉で、父の受けた不名誉を濯ぐ為に島津と戦い討ち亡ぼすしか無いと考える様になった統常。
そして其の機会は直ぐ訪れる、自軍の城が包囲された事で。
彼は援軍を求める声を聞くと、己の双眸に焔を灯す。
此れが我が命を燃やす時ぞ、と母親に天機を伝える統常。
最後の一兵と成ろうとも戦い抜き、城を枕にして討死する所存と熱い覚悟を話す彼だったが、此の言葉に母親は大激怒。
夫を亡くし、今また息子もが戦死せんとするのを止める親心、でも無く単に心意気の軟弱さを怒っていた。
「城を枕にとは貴様は野戦で負けて逃げ帰るつもりか。」
「武士の仔たる者、敵を全て斬り棄てるつもりで殺れ。」
「帰る処が有ると想うな。死ぬか、死なすかの二択のみ。」
最早、武士の心構えどころか悪役の掟の如き母親の発言だが、此れに対しても統常は大感動。
我も武士にならんと戦意を燃え上がらせるのだった。
だが、其れでも息子の態度に不信を持った母親は『言葉だけでは如何とでも言える、此処で不退転の覚悟を決めねばならん』と言い、屋敷の奥へと向かう。
…暫くして母親は傍らに子供を二人連れて来る。
其れは彼女の下の息子、つまりは統常の弟達で在った。
はて何する物ぞと周りの者が首を傾げていると、突然、彼女は刀を取り出して二人の息子の前へと進み。
其の白刃を、幼い我が子の元へと振り下ろし絶命させた。
突然に過ぎる凶行に驚く他無い家臣一同。
たが母親の行動は此れだけでは終わらない。
愛する息子を叩っ斬った剣を片手に、敵方の元へと特攻。
夜営の準備をしていた島津軍は突然の襲撃に混乱、しかも相手は狂気、否、狂鬼に囚われた尋常ならざる者。
勇猛で鳴らした薩摩隼人と言えども此の気迫には圧倒され、恐怖から同士討ちすら起こす程だった。
此の突然の奇襲で母親が斬った敵兵は、なんと十数名。
剣豪もかくやとばかりの活躍を見せた後、最後の憂いを絶たんと自らの胸に剣を突き刺し果てる、壮絶な最期を遂げた。
統常の母は、自らの命を以って完全に退路を絶ったのだ。
護るべき父母も未来を託す弟達すら喪い、文字通りに帰る処を無くした統常からは全ての不安、恐怖、怯弱が消え去り、己の持つ武勇のみが残される。
遺された完全なる背水の状況は、彼の心炎に油を注ぎ切り、天に昇る程まで燃え盛らせるのだった。
「雄心勃勃の武士」
衝撃の事件から数日後、遂に島津との決戦の日が来た。
統常の軍勢は同盟を結んだ日輪の申し子、豊臣秀吉からの援軍と供に本拠地の城を出発。
此の時に彼は己の財産、先祖からの家宝諸々を焼き尽くす。
万に一つも心残りを持たない、決死の行動だった。
名声も実利も、双方を消し去った統常軍の眼には鬼が宿る。
一戦、二戦、幾度かの交戦に於いて彼の軍勢は圧倒的な強さを誇り、精強な島津軍を相手に圧倒し続けた。
例え死を覚悟して果敢に攻めようとも、既に死人と化した兵士達にはまるで敵わなかったのだ。
其れまでの好調が嘘の様に敗北を重ねる相手方の島津、しかし、だからと言って統常の一団が勝利した訳では無い。
そもそも勝利とは何か。敵を下し、領地を得て利益を奪う事。若しくは攻撃から身を護り、拠点を死守する事だ。
憤怒で動く統常には最早、護る奪うの意味が無い。
心休める領地は既に失せ、享受すべき利益も棄て去った。
彼が戦うのは偏に復讐の為、真の武士に成るが為で在る。
打開策を考えていた島津の将兵は此の事実に気付き、戦略を変化させた。戦闘を避ける様になったのだ。
力と力では精神に劣る自分達が不利、ならば策を用いて戦力差を埋めようと考えたのである。
そんな事なぞ露知らず、統常を含めた豊臣軍は勢いのままに猛進、敵領地の奥深くまで進んでしまう。
ふと軍を率いていた者達が異変を感じるも、時既に遅し。
周囲は島津軍によって包囲され、絶体絶命の危機に陥る。
目の前の餌に連れられ、伏兵の元へと誘導される『釣り野伏』に引っ掛かった彼等は此処で歴史的大敗を喫した。
楽勝の余裕が瓦解し、死ぬか生きるかの戦と化す時の衝撃は勇者を俗人に、将軍を無能に、陣形を崩壊に至らしめる。
敵を雑魚と侮っていた豊臣軍は此の包囲によって無様な敗走をする事になるが、其の中に一つ覇気を持つ軍が有った。
言わずもがな、統常の軍勢で在る。
彼等は一目散に逃げ出す同盟軍を尻目に、追撃を行う島津の軍勢に対して迎撃をし続けた。
何人もの刃を躰に受け、無数の矢が我が身を貫き、倒しても倒しても無尽蔵に現れる敵兵にも心折れずに闘い続ける。
軈て一人、また一人と命を散らし、大将たる統常も其の命を落とした時、彼が連れて来た将兵三百は皆、戦場に散る一握の灰と化していた。
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戸次統常の生涯は当時の武士の考え方、先ずは生き残りを考え、家の為に主に仕える現実的な思考とは真逆の道を疾る。
己が理想に何処までも殉じようとする其の姿は滑稽にすら映り、当時の武士の間でも理解されなかった。
現代から見ても彼の行動は破滅以外に考えられない事ばかりを行う。正直、異常としか思えない。
しかし。過去の人間ならば統常の思考は理解されるだろう。
時代は遡り南北朝の時代。名誉を重んじた鎌倉武士ならば。
個人の名声が戦場の全てを決めた時代、武士にとって名誉は何よりも重視すべき要素だった。
退かず、媚びず、畏れず、他の誰よりも勇気を示すのは当然だと考えていた時代が在った。
此の考え方は時代が進むに連れて中央から次第に緩和されていくが、端に位置する九州には其の波は来なかった。
特に統常が居た地域は鎌倉武士の親玉と言える人物が居た場所で、特に影響が強かった可能性が極めて高い。
其の事を鑑みれば、傍目から見れば狂気とも思える統常一族の言動は、戦国と言う時代に抗う古き者達の哀しき徒花とも言えるのかも知れない。