岐上の九龍
世に才能溢れる人材は文字通り腐る程に居る物だ。で無ければ緻密に計算され莫大な労力を以って創られた現文明が維持される事も、まして進化を遂げる事も有り得ない。
先人からのバトンを確かに受け取り、後任の為に繋ぐ意志が絶えなかったからこそ世界は未だ存在しているのだ。
なんと奇跡的で感動的な話だろうか…と口では云えども。
全てが全て、万事上手く行く筈も無く。時には繋ぐ事を失敗して喪失、場合によっては大惨事を招く事も儘有る。
趙括。
今回は将来を嘱望されながらも期待に応えられず、寧ろ史上最悪の戦果を齎した武将たる彼の話を記そうと想う。
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「常なる賢者は皆無也」
趙括は紀元前の中国、趙と言う国に存在した武将の一人だ。
彼の父親は国家の英雄と讃えられる程の傑物で在り、政治の指揮を執れば貴賎を問わず公正明大に法を照らし合わせ、自らの財産をも投じて国力の増大に努める姿勢を貫き通す。
戦争の指揮を執れば巧みに情報を操作して敵軍を欺き、油断を誘い一転して撃退し尽くす大戦果を挙げる謀将ぶり。
その実力たるや当時の最大国家の王をして、趙にかの御仁が居る内は攻め込む事なぞ出来ぬと思わせる程だったと言う。
さて。そんな誰もが認める英雄の彼には一人の息子が居た。
その子供は堂々たる体躯と秀麗な容姿を備え、戦に於いて他を圧倒した父親を戦術論で打ち負かす程の頭脳の持ち主。
血統・逸話共に紛れも無く一国を背負う器ッ!と思えそうな物なのだが、実際の父親の反応は実に冷ややかな物だった。
『趙括は紙上の事の様に兵を談ずる、未だ将の器では無い』
英傑の口から漏れたのは周囲の評価と裏腹なる言葉。
趙括の父は自身の言を覆す事は生涯無く、息子を突然と大役に任じる采配は下さずに下積みを黙々と続けさせた。
それこそ自身の寿命が尽き、現世から去る時まで変わらず。
親としては息子の為にと行った行為だったのだろう。
しかし趙括には気持ちは伝わらず、寧ろ自分の能力を一向に評価しない父に対して不満を抱く要因となってしまう。
結果、溜めた不満は父親の死後に最悪の形で爆発をする。
国と国との一大決戦、然も勝敗を別ける分水嶺に於いて。
「光明の暗路」
惨劇の発端は他国の侵攻、並びにその守備戦からで在った。
趙括の父と言う厄介な人物が世を去った事を好機と捉え、此処ぞとばかりに攻勢を仕掛けて来た大国の軍勢に対し、攻め込まれた側で在る趙の将軍は消極的とも見える戦法を取り続けていた。兵数では圧倒的に勝っていたにも関わらず。
この事実に対して趙国の王は幾許かの不満を抱いていた。
何故に兵数で圧倒しているのに籠城しなければならぬのか。
此の儘では臆病者と謗られ、国の財政も戦争に費やされる。
そんな悶々とした気分でいる最中、王の耳に或る報告が齎される。それは何とも甘美で、耳に優しい言葉だった。
『趙の将軍は臆病で、兵の損耗も少なく非常に助かる。』
『将が趙括で在れば、酷く苦戦をしたろうに愚かな事だ。』
臣下より伝えられた敵国の将が言葉を聞いた王は、それ見た事かと籠城を続ける現将軍を直ぐ様に更迭。代わりに相手から畏れられた趙括に権限を与えようとする…が。
此処で思いも寄らぬ所から反対の意見が届く。趙を永年に渡り守護してきた宿将、国の為に尽くし病で死の淵に居た賢臣、そして他でも無い趙括の母親からの物がだ。
宿将は説いた。現将軍が籠城戦を行うのは戦略で在ると。
敵は大勢を率いた遠征軍の為、野戦を行えば被害は必定。
しかし大軍故に物資を著しく消費する上、遠征ともなれば補給も心許無い。長期戦なら本拠に居る自軍が圧倒的有利。
なればこそ将軍は反撃の機を待っているのです、と。
賢臣は諭した。趙括は未だ大軍を以ての戦を識らぬ身。
数多の兵法を誦じても兵士を解さぬ者に任すべきでは無い。
国家の存亡が懸かる大戦ならば尚更、現状を維持すべきと。
母親は嘆いた。息子は夫の様な将軍では御座いませぬと。
夫は自身の褒賞を部下の為に用い続け、身分に驕る事も無く大勢の人々と縁を結び、いざ戦となれば己の財産を放出しようとも毛程も気にせず国家の為にと尽力した。
息子はと言うと与えられた褒賞は独占して他者に別け与えず、自身の知識と地位をひけらかして部下に威張り散らし、暇が有れば高騰しそうな物件を見繕っては買い叩く性分をしており、とても人を率いる器足り得ないと。
周囲の者、増して肉親からもすら反対された趙括の将軍化。
しかし王はその言葉を聞いても考えを改めず、将軍の交代を強行した。曰く、国家の危機に於いて消極策を取る者が信用に足るのかと。機会を与えられずに能力の如何を測る事など出来ようかと。息子の晴れ舞台に苦言を呈すとは何事かと。
各々の言葉にそう反論をして、無理矢理に行われた交代劇。
王は識らなかった。自身の耳に齎された敵将の言葉が、攻めあぐねていた大国側が仕掛けた流言で在る事を。
紀元前260年。中華、否、世界史最大の地獄が今、始まる。
「智一失 一殺痴」
王からの勅命に依り、若輩の身で在りながら総大将と成った趙括。そんな彼が前線に赴任して先ず行った事は持久戦を唱える配下の更迭と、軍団の陣容を兵法書通りに配置変更。
そして前任の将軍からの籠城戦の指針を一転し、大軍に依る攻勢を仕掛けて一気に撃退を図る決戦への方針転換だった。
国内の凡ゆる有力者から疑問視されていた趙括の用兵。
しかし現実では此の時から不思議と朗報が続々届き始めた。
戦略を変更してから直ぐに前線から勝利の報が続々と届き、これまで防戦一方だった趙軍の士気を大いに高め、大国の軍勢を逆に押し返して敗走させる程の武威を発揮する。
将軍が交代しただけで、こうも戦局が好転する物か。
能力を訝しんでいた趙軍の者達も戦果の前には態度を翻し、趙括の事を『英雄の再来』と持て囃し軍神と祭り上げた。
この攻勢自体が罠だったと解る、ほんの僅かな間だけは。
総大将が趙括に変更される情報を得た敵軍の大将は、かの『英雄』が性分を十二分に利用する策略を弄し始めていた。
先ず最初の戦闘で敢えて敗走を偽装し、後方へと撤退。
兵法の『敗走した軍は追討して撃滅すべし』の文言を趙括ならば間違い無く実行するので、追い縋る趙軍を逃走に見せ掛けながら誘導。大軍に不利な細長い隘路に誘い込む。
間延びして大軍の利を喪った頃合を見て、敵軍の最後方を伏兵を用いて急襲。補給路を絶つと同時に攻勢に転じると言う…奇しくも趙側が行おうとしていた筈の物資量を鑑みた戦略を実行されたのである。その効果は絶大の一言。
追撃が為に突き進んで伸び切った趙軍には数的優位なぞ既に無く、兵数で格段に劣る相手に行く手を阻まれる…ばかりか後方からの奇襲された事で挟撃された事で大混乱すら招く。
如何に大軍と言えども、御せなければ単なる烏合の衆。
実戦経験に乏しかった趙括はその事実に気付かず。
故に現場を収拾する指揮系統の構築をしておらず。
右往左往する自軍を纏め切れず各個撃破され続け。
甚大な被害を出した頃に漸く近隣の拠点へと駆け込んだ。
戦闘を継続する用の物資も無く、本国からの補給と連絡用の路も制圧され、周囲を包囲された正しく最悪の状況の中。
打開しようにも自軍の兵糧が底を尽き、士気も冷え切った中では、そも行動する事自体が既に不可能となっており。
日に日に痩せ衰え止める手立ても無い中では、味方が味方の屍体を喰らう餓鬼地獄と化すのも至極当然の事で。
緩やかなれども苛烈に過ぎる籠城から逃げ出すが如く、趙括は大軍を用いての包囲突破を試みるも敢え無く失敗。
万全の状態で待ち伏せていた敵の矢雨に晒され、その命を無情に散らした。大将を喪い降伏した趙軍の兵、数十万。
膨大な捕虜の兵糧は賄えぬと、そのまま拠点に生き埋めにされて圧死した彼等の魂と自身の武名を地に堕としながら。
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趙括の今日での評価、と言うより古来からの評価は以上の様な経緯も有った為か、諺の机上の空論を実際に体現した人物とされており、戒めの例と出される程度に芳しく無い。
勿論、後世の人物に依って記録が捻じ曲げられている可能性は大いに有る。特に人間性に関しては寓話に用いようとして『多少』は変更されていても何ら不思議では無い。
が、これが能力面についてとなると或る程度は信用が置けると個人的には思う。何故なら残された資料の多くが、趙括の能力を評する際に才能自体は有ったと記しているからだ。
基本、歴史上の情報を後世の者が編纂しようとする場合、善くする為には悪要素(劉備の地方官吏への暴力など)を、悪くする際には善要素(紂王の版図拡大など)を排する物。
しかし趙括は国家を揺るがす大失態を犯したにも関わらず普通に評価されており、更に言えば彼の母親は何の処罰を下される事も無く、後世にまでその血を遺している。
本来なら連座して罰が下されても不思議では無いと言うのに、何ら変化が無かったと言う事は任命した王側には強く言えない弱みが有り、逆に親族には誹りを受ける謂れが無い事を意味している。となればだ、王の前で母親が息子の事を襤褸糞に扱き下ろしたのも強ち空想とも言えまい。
…そんな状況を鑑みるにだ、少なくとも大将の就任には否定的なのは確かなのだろう。親族が後世まで生き残っている筈なのに良い逸話の一つも出てこない辺り、若しかしたら性格も伝聞通りだったのではと邪推をしてしまう。
そして。善かれ悪しかれ公平に評価されたと言う事はだ。
趙括が為した失策が殆ど脚色が無いのを暗に示している。
その事を踏まえ能力を改めて評価した時、どうなるのか。
先ず自身の知識にばかり拘泥し、戦場の状況について関心を持たない欠点が目に付く。兵法書の事ばかりに気を掛けて実際の兵士の行軍速度なぞは眼中にも入れず、故に軍勢が伸び切った事にも気付かずに弱点を突かれた。
父親にも指摘されているが兵士を紙上の駒程度にしか認識していない節が有り、故に理想と現実の乖離が激しい。
また相対する将軍の事も然程気にしている様子も無い。思考を見透かされて逆に罠を仕掛けられる、戦法を看破して戦線が瓦解する可能性が有るにも関わらずだ。
以上の事を考慮するとだ、やはり趙括の受けている評価は正しいと言わざるを得ない。机上の空論その物だからだ。
更に言えば遺された資料が親類が残っているのにも関わらず悪評だらけ、当時の地層に夥しい白骨が遺されていた事実も後押しして、評価が好転する可能性も正直ゼロに近い。
とは言え。彼の評価については多少擁護も出来なくは無い。
彼が大きな失策を犯したのは事実だが、その前に重臣一同に反対されながらも任命をした王側の責任が大きい。(趙括が猛烈にアピールした可能性も有るには有るが)
戦争が長引く事で領内に被害が出、国民から突き上げを喰らっていたにせよだ。理を説かれたにも関わらず、成就した際の結果にだけ囚われたのは批判されても仕方が無かろう。
また趙括自身も大軍を率いての戦闘は初めてだった事も留意すべきだ。如何なる才人と言えども未知の行為をする場合、絶対に成功するとは限らない。寧ろ失敗して当然、ならば彼の失敗も当人の無能を証左する物とは必ずしも言えないだろう。どんなに疑わしい詭弁に近くとも。
まぁ…初戦で戦死しなければ分からなかったと言うだけの話ではあるし、そも『たられば』の話をするのならば、歴史上にはそれこそ無数の才人が現れるのだから詮無き事だが。




