表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歴史人物浅評  作者: 張任
33/160

亜之心

悪と言う言葉が有る。悪党と称される人が居る。

現代に於いて此の言葉は良い意味を持たず、もっぱら反社会的な存在を説明する際に用いられる事が殆どだ。

確かに漢字の形を観れば異なると言う意味を持つ『亜』に心が併されており、其れは世の大義から逸脱した者達を表す。

しかし、だからと言って『悪』の字に負の側面ばかり付与されるのは違うのではないかと個人的には想う。

日の本で最も初めに悪党と称された人物は、少なくとも現代での悪とは異なる意味合いで呼ばれていたからだ。


楠木正成。


大義に沿ぐわなぬ、世間から逸脱した者と迫害されながらも、其れでもなお世の為、人の為に闘い続けた漢について、今回は記そうと想う。


「天下に背く」


楠木正成は鎌倉時代末期に活躍した武将の一人だ。

当時の日本は暗黒期の真っ只中。永年統治する内に幕府は腐敗し、自身の幸福のみを追い求める様に成っていた。

世を統べる者としての矜持はとうの昔に喪われ、庇護すべき民草の生活はおろか生命にすら意を介する事も無く。

貧困や災害から来たる飢餓で悶え苦しむ者の屍が上で、時の権力者は豪奢で刹那的な享楽にばかり耽り続けた。

此の様な状況で真面目に働くなぞ、余りにも馬鹿馬鹿しい。

苛烈な貢納の責務に嫌気が指した人々の中には上記の如き考えに至り、幕府の支配下から脱け出して独立した生活を行おうとする者も現れ始める。大義から離れ個人で動く彼等の事を、幕府は異なる思考をする者達…通称『悪党』と呼んだ。


各地で乱暴狼藉を働く盗賊を取り締まる公職に就いていた正成も、堕落し切った政権に叛旗を翻した悪党の一人で在る。


治安維持の為に職務を遂行し続けていた彼は、幾度鎮圧しても湧いて出てくる反乱分子に辟易し、だのに貢納の量を更に上げて血の一滴まで搾り取ろうとする幕府に酷く失望。

根の腐れた大樹と心中するつもりは無いと上役に三行半を叩き付け離反、一族郎党を率いて山中に引き籠もった。

無論、面目を潰された幕府は激昂して討伐軍を差し向けはしたのだが、正成の卓越した指揮に加えて奇襲を主としたゲリラ的戦術、士気・人物・地形を考慮した見事な戦略に大苦戦し、寧ろ敵の名声を高める結果に終わっている。

そんな彼の人生に転機が訪れるのは此れより少し後、幕府の悪政に堪忍袋の緒が切れた者達が各地で決起した頃。

溜まりに溜まった鬱屈の感情が日本を揺るがす中、武勇に優れた中心人物の一人として渦中の只中に存在した。


凄まじく大量の幕府軍に、居城を全面包囲されながらだが。


「御山の総大将」


上述した通り、討幕の為に各地で反抗勢力が決起したのは歴史的事実だ。だが此の行動は幕府は元より、起ち上がった反乱軍に於いても予期せぬ物で在った。

事の発端が討幕首謀者の側近が幕府へと密告したが為で、早期に計画が暴露された反乱軍は準備も儘ならぬ状態で闘わざるを得ず、次々と攻め潰されては勢力を喪っていく。

其れは当時既に名を馳せていた正成とて例外では無く、彼もまた兵力が整わぬ内に敵から襲撃を受けてしまう。

如何にか城に籠りは出来はしたのだが、城は急拵えの代物。

更に向かってくる幕府軍は優に万を超える大軍だったのに対し、正成が持っていた手勢は千程度しか居ない寡勢。

誰の眼から見ても圧倒的な大差から、彼も他の者達同様に直ぐに叩き潰されると…天下の者は敵味方問わず信じて疑わなかった。だが、情勢は誰も思いも寄らぬ方向へと向かう。


数で大いに勝る幕府側が、正成の城相手に大苦戦したのだ。


見窄らしい城だと侮り攻め込めば予想外の被害を出し、ならば準備をして挑まんと城壁に群がれば待ってましたと偽物の壁が倒れ、中から大岩が転がり来て圧死する者が多数出現。

作戦を決めねばと静観すると其の隙を突いて奇襲を受けて大損害を被り、完全に防備を固めて進軍すると熱湯を浴びせ掛けられ、鎧兜の隙間から逃れられぬ火傷を負う始末。

軈て圧倒的有利な立場に居た筈の幕府軍は攻城にも及び腰と成り、兵糧切れを狙う作戦に出る。其れは現状、正成の城を力押しでは崩せぬと暗に認めた事を意味していた。

とは言え急も急な籠城戦。準備も碌に出来ていないのは事実なので、早晩にも兵糧切れを起こし餓えるのは必定。

其処で正成は一計を案じた。足掻いた所で万に一つも勝てぬのならば、相手方に負けない様に立ち回れば良い、と。


後日。彼の居城から突然火の手が上がり、城は消滅した。


狐につままれた気分の幕府軍が焼跡を観ると、中央部に幾人かの焼死体を発見。自刃した形跡が見受けられた為、生き恥を晒すよりも潔く死を選んだのだと判断した。

自分達を苦しめた強敵は死んだ…其れは間違い無く朗報の筈なのだが、しかし、勝利した筈の幕府軍は芳しくない。

全てに於いて優位に立っていた自分達を翻弄し、剰え敗北すらも自らで決行した正成に勝利したと思えなかったからだ。

寧ろ彼等の胸中に去来するのは拭い去れぬ敗北感と、何処か憧れにも似た畏敬の念。そして、眼前の恐怖が漸くと去った事に依る安心感だけで在った。

時は流れ、翌年。正成の居城はすっかり幕府の管理下に置かれ、前の籠城時の様な見窄らしい風態では無く、実に立派な山城として監視用拠点の任を務めていた。

先の大反乱以降は目立った動きが無いとは言え、油断すれば手痛い目に会うと正成との籠城戦で学んだ幕府軍は気を緩める事無く、唯一の懸念で在る兵糧の準備も抜かりなく行う。


全てが万全、何もかも完璧。付け入る隙は有りはしない。

だからこそ付け込まれた。完全なる余裕と言う間隙を。


同年4月。幕府側が力を入れて警護していた正成の居城は、何ともあっさりと陥落する。戦闘らしい戦闘も起きずに。

兵糧を運び入れる輜重隊に敵方が偽装し、堂々と正門から侵入した所で内部から襲撃。抵抗する間も無く、司令官及び主だった将が捕縛されたのが要因だった。

余りにも突然で、余りにも華麗な攻城戦に舌を巻いた幕府の諸将は、相手方の大将に何処の名の有る人物かと問う。

相手の男は少し黙り…兜をゆるりと脱いでから一言呟いた。


『此の城の主人』と。


「悪を貫きし者」


楠木正成が生きていた…此の驚くべき情報は瞬く間に全国へと拡がり、各地で反乱の炎を再度燃え上がらせる事と成る。

寡勢で大多数の敵を打ちのめした彼の勇名は味方にとって此の上無い心強さを、敵方にとっては冥府より悪鬼羅刹が舞い戻ったかの様な際限無き恐怖を与えた。

其れに加えて昨年の騒動から反省せずに圧政を続けた幕府を見限る有力御家人も多く、反乱軍は破竹の勢いで勝ち進む。

進撃は止まる事無く続き、とうとう時の政権を討ち倒す程までに至った。此処に圧政を敷いた幕府は斃れ、希望に満ちた新しい時代が始まる…筈だった。


しかし。戦乱と暴政が招いた被害は思いの外に大きく。

求める理想と襲い来る現実に、政権内部で軋轢が生じる。

其れは倒幕の立役者たる正成に於いても例外では無い。


疲弊し切った国内を立て直す為に正成以下、倒幕派の者達は尽力していたのだが、軈て愚痴を漏らす者が現れ始めた。

反乱に協力した武士や豪族を主とした彼等は、軍資金に領地、兵士や武将を提供した事に対して十分な恩賞を与えられなかったので、不平不満を溜め込んでいたのである。

新政権に余力が無かったと言えば其れ迄の話なのだが、かと言って『はい、そうですか』と納得して事を済ますには彼等は余りに様々な物を喪い過ぎていた。

財産も親族も投げ出して一命を賭す覚悟で闘ったのに、与えられた褒賞は欠片程度。残るは遅かれ早かれ御家断絶の未来のみとなれば、彼等が怒りに打ち震えるのも無理からぬ話。

当然だが正成も同様の立場に置かれており、先の大戦にて多大なる活躍をしたにも関わらず、以降も馬車馬の様に働き詰めの毎日。寧ろ激務に一層磨きが掛かった状況だった。

…それでも彼は黙々と任務を遂行し、日の本の平穏が一刻でも早く訪れる様に努力し続けた。世の人々の幸福が為に。

だが、時代は無情にも正成の夢を打ち砕いていく。


1335年。新政権に溜められていた不平不満が遂に爆発。

各地で大規模な反乱が起き、国は再び戦火に晒されていく。


折角と積み重ねてきた泰平への準備を崩してはならないと、正成は相手との講和を必死で主君に訴えかけるも聞く耳を持たず、過熱した世の情勢は彼が考えていた最悪の事態、国を二分する大戦乱に向けて突き進む。

事此処に至っては致し方無し…覚悟を決め戦に臨もうとした正成だったが、彼の耳にまたも信じられない言葉が届く。

なんと上役は自らの体面の為に戦術や戦法をかなぐり捨てて、真っ向勝負で相手と戦おうとしていたのである。其れは、誰が見ても無謀な考えに他ならなかった。

無論、軍事に長けた正成は此れを諌めて持久戦を唱えたが、如何に理を説こうとも彼等は決して首を縦に振らずに頑として考えを譲らず、更には先鋒に正成を任命する行為に出た。

兵力・士気に劣り、得意とした奇襲すら卑怯として封印された八方塞がりの状況に於いての大将任命は、どう贔屓目に見ても死刑宣告以外の何物でも無い。

最早、万に一つも勝機が存在せぬ戦…それでも正成は叛旗を翻す事無く、絶望的な闘いに臨んだ。自らが理想とする、民草が平穏に過ごす為の道筋を戦『如き』で滞らせぬが故に。


1336年、7月。数多の大軍を幾度も翻弄し、己の生死すら計略に組み込んだ稀代の軍略家・楠木正成は戦場に斃れた。

其の最期は如何に傷付こうとも怯む事無く、果敢に敵陣へと攻め込む勇猛で、しかし何処か儚げな物だったと言う。


_____________________


楠木正成は其の類稀な軍才、及び清廉な人柄を味方のみならず敵方にまで評価された、非常に珍しい人物で在る。

上述の通り、彼は敵方に倒され其の首を天下に晒されはしたものの、必要以上に死体を貶められる事無く、寧ろ立場を同情されて丁重に扱われている節すらも有った。

此の様に様々な人から評価を受けた正成では在るが、彼の半生を振り返ると何時も大義の側からは懸け離れた…謂わば『悪』の立場に就いている事が多いのに気付く。

国を統治する政府に幾度と無く背き、新政権樹立後も過半数の意見に従わずに己の信ずる意見を何度も唱え続けた。

彼が附和雷同を善しとせず、大志を抱き自分自身を確立した強き人間で在る事が歴史からは読み取れる。しかし其の強さが仇と成ったが故に世に迎合出来ず、一人で闘い抜く道を選ばざるを得なくなったのかも知れない。


暴政を働く者達には其の実力を憎まれ、実利よりも体面を気にする者達からは疎まれ、軈て居場所を喪い孤独と化す。


結果的に正成は平穏を乱し、終ぞ我が身まで亡ぼした存在、世間一般に言われる悪党と同様の推移を辿っている。

しかし忘れてはならない。彼が其の行動に走ったのは自身の信ずる志、他の者と形を違えた正義の為で在った事を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ