或いは現人の神
時が過ぎ去るのは早い物で、今年も何時の間にか年の瀬。
今迄の一年が終わり、新しい一年に移ろうとしている。
さて年が始まって最初にする事と言えば初詣…人によっては全く違うだろうが、大体の人は此れを思い浮かべるだろう。
しかし此の行動、考えてみれば不可解な物だ。普段は宗教の『し』の字すら見当たらない生活を送っているのに、何故に元日ばかりは神に抱負を述べたり、御神籤を引くのか?
人が何となく参拝する不思議。其処には遥か昔、奈良時代より綿々と受け継がれてきた或る人物の意志を感じる。
鑑真。
恐らくは大多数の人が存在を知ってはいる歴史上の人物。
歴史の授業で必ず目にする名であろう彼の、されど教科書には書かれる事の無い熱血漢振りについて記そうと思う。
「有為転変」
鑑真は688年に中国、当時は唐と呼ばれた国で産まれた人物で在る。彼は若い頃より仏教について学び、僧として大成。
自身の欲望を制御する事を誓う『戒』と、宗教内で定められた規則たる『律』を研究し続けた鑑真は、己の深い知識を以て多数の僧侶を育成した。其の数は何と四万人程にも登る。
押しも押されぬ大人物と成り、時の皇帝からも一目置かれる存在だった鑑真。そんな彼が如何して日本に来たのか?
其処には当時の日本が抱えた『問題』を語らねばならない。
奈良時代、国土を統一して間も無い頃の日本では治安が依然として不安定なままで、全国で小競り合いが頻発していた。
大きく組織された叛乱は起きなかったので支配層の朝廷が揺らぐ事は無かったが、反して民衆からの税収は度重なる混乱で激減。国を管理・運営しようにも先立つ物が無い事態に。
此の状況を重く観た朝廷上層部は解決を画策、仏教を国教と定めて国中に拡め、荒んだ民心の安定を図った。
宗教とは読んで字の如く、様々な『宗』を『教』える事を目的とした物だ。説法を聞く事で道徳や倫理を培い、また生きる上での疑問や不安を解消させる。社会を成立させる為の教育として、宗教は無くてはならぬ物と言えるだろう。
其の絶大な力での安心を朝廷は期待したのだ。が、しかし。此の政策は彼等にとって思わぬ問題を発生させた。
生活に困窮した庶民の中から幾人か、納税の義務から逃れようとして自らを僧侶と騙る者が現れ始めたのだ。
朝廷は仏教を国内で早急に拡めるべく、僧侶に対して様々な特権を認める事にした。納税免除も其の一つであったのだが、特に調査もせずにあろう事か自己申告でも僧職に成れたので、目敏い者に悪用されてしまったのである。
当然ながら彼等は税から逃れたくて僧を名乗ったに過ぎず、仏教の教えを拡める気も無ければ学ぶ気も無い。
朝廷側も此れ等の俄か僧侶を排斥しようとするが、いかんせん政治が安定したのが最近で仏教の研究まで手が回らなかった事も有り、本物と偽物を区別する方法を持ち合わせておらず、如何にすべきかと頭を悩ますばかりであった。
其処で白羽の矢が立ったのが鑑真…が研究をしていた戒律。
自他に規律を設ける此の行為は謂わば僧侶と成る為の試験、彼等が求めていた真偽を区別する方法其の物だったからだ。
画して朝廷は仏教が盛んな中国へと渡り、戒律を識る僧侶を連れて来るよう自国の仏僧二人に命令を下したのである。
「灯心、山を動かす」
さて上記の経緯で中国へと向かった仏僧二人は、真っ先に戒律の本家たる鑑真の元へと向かった…訳でも無い。
そもそもが戒律を用いて俄か僧侶を一網打尽にするのが目的なので、詳しい人物を連れて来る必要が無かったからだ。
ある程度を勉強している者ならば誰でも良かった…のだが、其の条件を満たす者を探す彼等の旅路は難航を極めていく。
別段、条件に合う僧侶が居なかったと言う訳では無い。
問題は移動手段たる船。日本への航海が危険だった故にだ。
当時の船舶は当然ながら現代の物と比べて非常に脆く、一度荒波に曝されでもしたら沈没は必至。更に病気や食糧難が付き纏う遠方への船旅なぞ正しく命懸けの事であった。
そんな事情も有り、日本へと来てくれる者は正しく皆無。
名の有る僧の元へ行っては断られ、別人の所へ行っては断られを繰り返し。遂には捜す当てすら居なくなってしまう。
二進も三進も行かなくなった日本僧の二人は、もはや仕方無しと鑑真の所へと向かった。戒律の第一人者にして中国仏教界の頂点に居る人物。増して時の皇帝にすら慕われる人格者である彼を船旅には連れて行けぬと重々承知しつつも。
それでも、もしかしたら弟子の内から一人くらいはと極めて低い可能性に賭けた彼等。そんな二人に待ち受けていたのは、天上の人・鑑真からの信じられない一言だった。
『それならば老体の身なれど、私自らが赴きましょう。』
目的の地へと辿り着き、されど弟子達にも渡航を拒否された日本僧達。意気消沈した彼等への鑑真の言葉は、如何な教典よりも深く心に響いたのは間違い無いだろう。
「一蓮托生の半身」
紆余曲折の果てに漸くと協力者、しかも最上級の人物の力を借りる事に成功した日本僧達。これで故国の問題は即座に解決する…とは当然ながら成らなかった。
そう。一番の問題たる船旅が依然として残っていたからだ。
彼等が乗ってきた船、世に言う遣唐使は何処かの地上に辿り着く可能性すら極めて低く、往復すれば奇跡の出来事。
となれば方法は一つ。中国側から自分で船を出し、日本へと向かうしか無い。そして其の方法は茨の道も同然だった。
以下に、鑑真と日本僧の苦難続きの旅について記そう。
渡航1回目。此の際は船に乗れてすらいない。鑑真の弟子の一人が船旅に怖気付き、日本僧達を海賊と騙ったからだ。
ほとぼりが冷めてからの渡航2回目。修理用の大工に十分な食糧を蓄えての万全な航海は大嵐によって敢え無く頓挫。
散々な目に遭って、それでも行う渡航3回目。前回の嵐も有り、鑑真の命を危うんだ者から密告が行われ再度失敗。
出航すら出来なかったばかりか、日本僧の一人が危険人物と看做されて牢獄へと囚われる最悪の結果に。
最早これまでか、と諦めかけた所で件の日本僧が死体に成り済ます奇策で牢獄から脱出。其の勢いで渡航4回目に至る。
が、今回も駄目ッ…!やはり鑑真の身を案じる者から密告が有り、出航する直前で官吏に船を停められてしまう。
そして。渡航を決意してから10年程度経ってからの5回目。
出航までには漕ぎ着けたものの、暴風雨に曝されて一行は遭難。餓えと、渇きと、そして環境の変化が次第に彼等の身体を蝕み、軈て病に罹った日本僧の一人が其の命を落とす。
悲劇は未だ終わらない。蓄積された疲労は鑑真の身体にも異常を齎し、彼の双眸から光を永遠に奪い去ってしまう。
友は志半ばで息を引き取り、己が眼は二度と風景を映す事は無い。渡航を思い立ってからは10年もの時が経ち、されど成果を見出す事は出来ないままの賽の河原状態。
しかし。幾ら苦難に遭おうとも鑑真は決して諦めなかった。
痛ましい犠牲を得てからの2年後。鑑真、第6回目の渡航。
此の際は以前までの渡航と違い、遣唐使の船が運良く到着していた。航海にすら辿り着けない事が度々有った鑑真達にとって、彼等が乗る船は千載一遇の好機だった。
機を逃してはならぬと即座に交渉を始める鑑真一行、だが件の遣唐使達は難色を示す。唐の王から自国の人物を外に連れて行く事を咎められていたからだ。
まして鑑真は国宝級の人物、発覚すれば己の首が飛ぶのは目に見えている。故に彼等は鑑真の搭乗を拒否した。
最早これまでか…望みを絶たれて俯く一行だったが、今回は其処で終わりを迎えなかった。上役の意向に逆らい、鑑真達を船に乗せてくれる協力者が現れたのである。
余りにも永い時間を費やし、それでもなお目的を果たせずに無念の内に死した日本僧。そんな彼の想いを少しでも汲みたいと、厳罰を覚悟の上での命令違反だった。
其の様な経緯を経て、漸くと鑑真一行は大海原へと旅立った。時間にして十数年、凡ゆる物を喪い実現した航海。
其の渡航は驚く程に順調で、そして幸運に恵まれた。他の船が破損や迷走をする中で、不思議な事に彼等の乗る船だけは様々な災禍を耐え切り、日本へと到着する。
往復なぞ夢のまた夢の話だった当時。その偉業を成し遂げた今回の渡航は正しく『奇跡』と呼ぶ他無かった。
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さて。画して鑑真は日本に戒律を授けて民心を安定させたのだが、熱き魂を持つ彼の話には実はまだ続きが有る。
彼は仏教を拡める手助けをしたのだが、その途中で鑑真を読んだ筈の朝廷との関係が拗れて役職を解かれてしまう。
人々の安寧を想い布教を続ける鑑真の行動は、税収の安定化を図る為に仏教を推進した朝廷の思惑と異なったからだ。
特権を持つ僧侶を増やすまいと無情にも追放された鑑真。
はるばる中国から向かい、故郷へと帰る術も持たぬ彼の胸中に失望の念が湧いて出てきたで有ろう事は想像に難くない。
とは言え世の安寧と幸福の為に全霊を懸けた彼を神仏が見捨てる筈も無く、其れ以上に民衆が放って置く訳も無かった。
心有る者の厚意により寺を寄贈された鑑真。彼が其処で細々と生活をしていると、高名を何処かで聞き付けた人々が仏の教えを乞おうと続々と集まり始める。
鑑真の元で幾ら勉強しようとも正式に僧侶と成る事は無い。
それでも彼等が集まったのは仏教の道に、延いては其の講師たる鑑真に只ならぬ魅力を感じたからで在ろう。
彼の教えた人生を往く上で大事な宗は人々の生活に根差し、軈て習慣と変わって後世の人々に伝えられていく。
今日の、我々が常日頃に何となく行う行為と化して。
挨拶、掃除、感謝。人の営みで意識せずとも行われる是等の行動の元には、国の為を想い命を燃やした鑑真達の努力が有った事を意識するのも時には良いかも知れない。




