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歴史人物浅評  作者: 張任
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悪漢、世へ憚る

救いようの無い、誰からも擁護されぬ悪事を働く者が居る。

現世に於いても多々見受けられる彼等が歴史上には存在しない筈も無く、我々が今生きている世界の過去には多種多様の悪人が存在するのは言う迄も無い。

しかし。時に歴史上で悪とされた人物の中には、現代の価値観に照らし合わすと到底そうは見えない、寧ろ善行を為しているのではないかと想える者も存在する。

今回紹介する人物も其の一人。民草を根絶やし、国家を衰退させ、肥大する我欲に自らも喰われた暗君とされる権力者。


紂王。


中国史上最悪の皇帝とも言われる彼が、実際の所はどの様な人物だったのか。今回は其れを記そうと思う。


「偽りの酒池肉林」


紂王、実際の名を帝辛。紀元前1100年頃の人物で、当時の中国を支配していた王朝『殷』の最後の王として識られる。

評判は悪評で埋め尽くされ、義心を失い善行を行わぬ者を紂と呼ぶと揶揄される程、彼の評価は頗るに悪い。

歴史書に拠れば才覚は有れど高慢、贅沢を好み諫言を為す臣を誅して益々と増長し、愛妾の我儘を聞いて無理難題、時に残虐な行為を嬉々として実行した。

結果として民衆や周辺国家の信用を喪い、叛乱が勃発。

争いに敗れた紂王は処刑され、彼を最後として殷は滅びた。

以上が基本的な彼の情報で在る。実在の資料に記されている事柄なので、上記の事は事実と捉えても問題無いだろう…


そう安易に考えてはいけない。歴史書とは真実を記す物品では無いのだ。勝者の、此の場合は叛乱を成功させた側に不利益な事実を覆い隠す為、歪曲や捏造される事も屡々だ。


一例として、紂王が行った残虐行為についての記述が有る。

彼は愛妾が腹の子の性別が分かる特技を持つと聞き、実際に妊婦の腹を裂いて確かめたと言う悍ましい逸話が残されているが、此れが真実なのかは実に疑わしい。

と言うのも妊婦の腹を裂く逸話は、世界中に数多存在しているからだ。しかも、全てが非常に似通った内容で。

暴君とは『偶然』にも同行動をしてしまう物なのだろうか。

そんな訳が無い。勝利者となり支配者となった側が自らの正当性を訴える為に、嘘の情報を流したのが大半で在る。


国とは戦争をして土地を奪えば恩恵を得る物では無い。


其の地に住む農民、管理をする商人、実質的な武力の豪族、彼等の信用を勝ち取って助力を得なければ意味を持たない。

そして信用を得る為には、前任者以上の善政を敷くしか無い。でなければ忽ち不満は募り、叛乱を起こされてしまう。

となれば、前の人物の評価は低いに越した事は無い。

評価が落ちる程、統治のハードルも同じく下がるのだから。

紂王もまた、此の情報戦で評価を下げた一人だと思われる。

彼は王朝最後の人物。それはつまり、新王朝が正当性を得る為には絶対に越えなければならない人間だったからだ。


「焙烙幻想」


創作作品に於いての紂王は若人として描かれる事が多い。

才覚に溺れ、他人を省みない性分を表す為に若気の部分を強調するのは良くある事だ。しかし、実際の彼は若年どころか青年を通り越し、壮年の齢にまで至る老人の身で在った事はあまり識られていない。

紂王の在位期間は30年程。当時としては中々の長期間だ。

長く王で居たと言う事は、他者に支持され続けたとの事。

少なくとも対価としての労働を苦に思わず、与えられる恩恵に満足する程度には悪くない政を行っていた事が分かる。

紂王は異民族を征討に向かって此れを破り、殷の国力を増強させた。版図を拡げたとの意味では最大の貢献を見せた人物とも言えよう。…では何故、彼は叛乱を起こされたのか。


其処には功績たる異民族征伐を行った結果、必然として生じてしまった或る問題の対処を間違えたと言う経緯が有る。


先にも書いた通り、国とは土地を手に入れれば其れで良い訳では無い。其処に住む人々の協力を得、変化していく気候に馴染み、見慣れぬ自然現象を理解する等、様々な雑事を熟さなければ恩恵は得る事なぞ到底出来ない。

異民族の土地を勝ち取った紂王もまた、当然ながら此の問題に打ち当たった。如何に場所だけ手に入れても、其処に残る人材が反発すれば単なる宝の持ち腐れ。

彼は此の難題を解決すべく、何度も思慮を重ね続けていく。

そうして漸くと彼は策を思い付いた。異民族の反発感情を抑える一つの案を。…其の考えが軈て自らの破滅を導く事になろうとは、微塵も想像が出来なかった事だろう。

紂王が考案した策。其れは或る風習を取り止める事だった。

人身御供。誰かの命を正しく糧とする、狂乱の所業を。


「現世と言う蠆盆」


人は自らの手に余る事態に陥った時、自分以外の何者かに窮地を助けてもらえないかと祈るしか無い時が有る。

対象は神様だったり、先祖だったり。様々な存在へと頼る時、人々は決まって代償を支払う。偶像で在ったり、財宝で在ったり。方法は多種多様に渡るが、中でも多いのが労働力や神聖な存在を敢えて捧げる『生贄』行為。

紂王が生きた時代に於いても、此れは例外では無い。

先祖への感謝を示す為に生贄を捧げるのは寧ろ善行、行って当然の事と認識されており盛んに行われていた。

とは言え感謝を示す度に親族が死ぬのは考え物。其処で白羽の矢が立ったのが敵対勢力、異民族の者達で在った。

殷の者達は懸念が解消されて一安心。が、生贄の対象とされた相手方は堪った物では無い。殺されるくらいならと頑迷に抵抗するのも当然、自明の理といえよう。


故に紂王は此の現状を鑑み、人身御供を取り除こうとした。


此の思考は間違ってはいない。生命を奪われる事を不安に思っての抵抗ならば、其の原因を消せば良い。なれば文字通り必死で抗う必要も無くなり、上手く行けば懐柔まで漕ぎ着けて領土開発の大きな助けとなるかも知れない。

そう、間違ってはいない。だが、正しくも無かったのだ。

例え何の意味も持たない行為だとしても、現実に実行されるからには何らかの理由が確かに存在する。

此の場合、儀式を実行するに足る理由とされたのは必要な物を得る為。人間の力では対処出来ない事情に対する『安心』を手に入れるのに必要な行為だったのが理由。

紂王は其処を思案に含めるのを忘れていた。理の部分を考える余り、情の部分に対する考慮を疎かにしたのだ。


『安心』を奪われれば、人は数多の恐怖に脅える。

軈て其の感情は怒気と成り、叛意と化し牙を剥く。

奇しくも其れは異民族の抵抗と全く同様の理由で在った。


画して彼は領民から一気に不信感を抱かれる事と成る。

討伐の前線指揮を執る為に辺境の地に居た事も悪い方向に拍車を掛け、王無き首都周辺では混乱だけが増大していく。

更に最悪な事に此の混迷を目にした周辺国家が、殷に義既に無しと攻撃の為に大量の軍兵を差し向けてしまう。

ただでさえ巨大な中国大陸、其の中で最大勢力として君臨していた殷と言う国が此の電撃的な侵攻に即座に反応出来る訳も無く、呆気無く首都は陥落。

帰る場所を失った紂王率いる辺境の殷軍は士気を下げたままに戦意旺盛の敵軍と戦闘、結果として惨敗して指導者、即ち紂王の捕縛と言う最悪の結果を齎す。

国も既に亡く、兵も悉く喪い、民に見放された彼を救う者は誰も居らず、紂王は老体に微かに遺る命ごと処断された。

死後、彼に対する発言や文章は徹底的に編集され、中華最大の暗君とまでされる程に名声を地に堕とす事と相成る。

_____________________


紂王は間違えた事をした訳では無い。現代の価値観で言うならば寧ろ正しい行いをしたとも言える。

しかし、其れはあくまでも現代での話。

情報の共有さえも覚束無い、極々限られた情報と倫理で動く過去の時代に於いての彼の行動は蛮行に他ならない。

何か代案を出した上ならば其処まで問題も大きくならなかったろうに、ただ社会の基盤を不利益との理由で考え無しに破壊してしまい、多大なる混乱を世に引き起こしている。

此処辺りの行動については迂闊と言わざるを得ない。

後世の人物も此の点については一貫して批判している。

当時の世情的には叛乱を起こされても仕方ない、と。


とは言え、其の一点を以て紂王の悪評を肯定は出来ない。


彼の情報は不思議な事に殆ど書き遺されていない。

凡そ30年もの長き間に渡り、殷の王だったにも関わらず。

幾つか人間性を表した文章は有るものの、其れらは後世の創作で在ったり、情報戦略の一環として拡められた偽報の可能性が非常に高い。先に記した通り、若人として記されているなど実情と懸け離れている事が記されているからだ。

悪評を多量に流されていると言う事は、良き評価を後々に残す可能性もまた極めて低いと言う事も表す。

彼が王朝転換期の最期の人物だった事も鑑みれば、紂王について記した資料が改竄及び消滅の憂き目に会ったとしても何ら不思議な事では無い。


逆に過剰に悪評を撒き散らされたと言う事は、其れだけ彼の治世に対して叛乱勢力が脅威を抱いていたとも考えられる。

其処まで徹底して拡めなければ正当性が認められない程に。

所詮、資料が見当たらない現状では単なる妄想の様な物。

しかし悪魔の如く評される紂王の経歴を観ると、どうしても其の様な邪推が頭の中に浮かんでしまう物なのだ。

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