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歴史人物浅評  作者: 張任
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幻想智嚢

歴史上では屡々、権力者の傍に立って導く者が現れる。

彼等は『軍師』の名で呼ばれ、大望を抱く主君の為に道筋を組み立て、夢想を現実へと変貌させる役割を持つ。

彼等は其の性質から他人の心理を読む力に長け、道理と弁術を以て異論を論破、問題や戦争が生じた時には己が全身全霊を用いてでも解決しなければならない。

兵が集い将が率いる軍、此れの師と書いて軍師と呼ぶ。

圧倒的な責任と絶大なる才覚を求められる彼等は、其れ故に重宝され、極めて高い地位と権力を与えられる物だ。

だが軍師とて人で在る以上、間違いを犯さない保証は無い。

そして自身の影響力が強すぎるが為に、一度の失敗は国にとって凄まじい損害を与える可能性も十二分に存在する。

此の様な前口上から紹介を始める歴史人物の名は馬謖。

其の才覚を臥龍・孔明に愛されながら、唯一の失策から己の立場のみならず、国家を亡ぼす遠因を創り出した漢だ。


「山は高きを厭わず」


馬謖は三国時代、劉備を主君として仕えた人物で在る。

彼が歴史の表舞台に姿を現わすのは連合軍が赤壁の戦いで勝利を収めた後の事、先の戦で劉備に対して主君の資格を認めた地方の有力者が助力を開始、此の際に文官不足に喘いでいた主に自分の息子達を推挙したのが切掛とされる。

当時の人材獲得の手法は上の様な配下、若しくは名士からの推挙か世間での風聞くらいで、国家運営に於ける内政部分の人材に乏しい劉備軍には彼等の存在は非常に有難かった。

馬謖を含めた此の息子達は『馬氏の五常』と謳われており、其の才覚を世間に認められていた。とは言え上に記した通り、当時は評判の価値が現在よりも非常に高かった為、名声を上げようと誇大広告を打ち上げた可能性は高い。

後の功績を見る限りでは其の名に恥じぬ能力は持ち合わせていたのは確かだが、此の名声が馬謖の人格形成に大きく影響を与えた可能性は十分に有るだろう。


そんな彼の人間性を表す出来事を一つ話そう。件の馬謖が太守に任ぜられ、地方の都市を統治していた際の逸話だ。


劉備が蜀を漸く領地とした頃、混乱に乗じて異民族が叛乱を起こした。僻地から起きた戦火は次第に全国に広まり行く。

軈て叛乱は馬謖の治める都市でも起こり、彼は此の問題を対処する事と成る。城壁付近で警備兵が叛乱軍を喰い止めているとの報が入り、太守へと防衛を願う声が伝えられる。

此の火急の事態に対し、馬謖は直ぐ様と現場に直行した訳では無く、先ず最初に軍議を開いて戦略を練ったのだ。

結果としては叛乱を鎮圧したのだが、現場に向かうよりも軍議を優先させた彼に対し、主君で在る劉備は不信感を抱く。

『拙速は巧遅に勝る』とは古今東西、如何なる場所でも言われた言葉だ。此れは戦場に於いては一時として確かな物は無く、熟慮を重ねる必要など存在しないと言う事を意味する。


馬謖は確かに叛乱を鎮圧した。だが其れは結果に過ぎない。


彼は伝令等から齎された一部の情報を元に絵図を定め、其の後に行動を開始した。不確かな敵に対して熟慮し、今も必死で防衛している将兵を救援しに行くのが遅れてしまった。

もし、想定の範囲外の要素が存在した場合はどうするのか。今も戦う兵士が後詰に期待を持たなければ、如何なる結果に陥るのか。其の点を鑑みて劉備は不安に想ったのだろう。

人間を想わぬ戦略と人格を備え、己の能力にだけは絶対の自信を持つ馬謖は使うべきでは無いと考える程に。


「落花情有れど」


上記の事件も有り、主君の劉備には冷遇された馬謖だったが、もう一人の国政の担い手たる諸葛亮には厚遇された。

魏延の項でも記したが、諸葛亮の人物眼は兎に角と能力を重視している。主君には不信感を抱かせる彼の軍略も、成果を見て判断する孔明には単なる功績の一つに過ぎない。

其の様な事情も有り、諸葛亮は馬謖の才覚を認めて愛弟子とし、馬謖は己を認めてくれた孔明を敬愛する様になる。

画して良好な関係を構築するに至った両者だが、思わぬ形で双方の間に楔が打ち込まれる。原因は君主の遺言。

呉に敗れ、志半ばで倒れた劉備の口から出た一言だった。


『馬謖を重用するのは止めよ。何れ災禍を招く。』


劉備が今際の際に発した批判は、其の場に居た重臣一同を心底驚かせた。馬謖の批判を行う事は即ち、彼を腹心とした人物、後事を託した筈の諸葛亮の批判と同義だったからだ。

如何に劉備が馬謖に危機感を抱いていたかが分かるだろう。

しかし結局の所、此の遺言が叶う事は無かった。

主君の死後、次代の王として劉禅が擁立された後も馬謖は諸葛亮に重用され、自身の位を着々と高めていく。

亡き主人の遺言を思い切り無視している状況だが、此れには理由が有る。単純に人材が蜀内に存在しなかったのだ。


歴戦の猛者たる武将を幾人も喪失、経済面での生命線で在った領地の奪還失敗、主君の死に依る国内の混乱に見舞われた蜀では解決すべき問題が積み上がり、人の手は何処も足りず、此の様な状況で有能な者を放逐する余裕も無い。


情勢が馬謖を使う事を求めたが故に、無視された遺言。

此れが悲劇の預言と化すとは、蜀の誰も識る由も無かった。

時は進み、蜀が異民族の調略を終えて魏領内に攻め込む、所謂『北伐』が開始した頃。馬謖の命運を決める戦が彼の許へ死神の足音と供に訪れようとしていた。


「豎子与に謀るに足らず」


街亭の戦い。後の世で其の様に呼ばれた馬謖の戦は、蜀軍が完全敗北する結果に終わり、延いては諸葛亮の考えた『北伐』と言う戦略を崩壊させる決定的な要因と成った。

現代に伝えられる情報では大将たる馬謖が包囲の危険性も考慮せずに山頂に布陣、其の状況下で魏軍にまんまと包囲され、碌に戦闘も行えずに士気の低下を招き、結果としてまともに対峙せぬまま敗北したと言われている。

脳内の戦術に拘る余り、現実を見失った悪例として良く取り上げられる此の戦。しかし、其れは事実なので在ろうか。

先の項でも述べた通り、馬謖には確かに机上の空論を実施した経歴が存在する。だからと言って、短絡的に本戦に於ける敗因を『浅はかさ』で片付けるのも如何な物と想う。


人が行動するからには何かしらの理由が存在する。其れが幾ら理解し難く、道理の及ばぬ思考で在ったとしても、必ず。


街亭の戦いが起きる直前、馬謖は或る理由から焦りを感じていた。自身の立場で在る筈の諸葛亮の後継者、其れが他人に取って代わられようとしていたからだ。

孔明は彼の才覚を認めて愛弟子として育ててはいたが、だからと言って個人的な感情で国内の官職を定める事は無く、自身の後継者も単に能力を以って判断するスタンスを取った。

此の際に求められた能力とは、即ち実績の有無。蜀にとって如何に有益で有効な事象を行ったのかを指す。

諸葛亮の此の方針も有り、宮中に居る後継者と目された人物達は様々な方面で努力を続け、三国の中でも取り分け弱国寄りで在った蜀を強化する為に奔走している。

其の中には無論として馬謖も存在したが、当時の彼には他の後継者には存在しない、最大の弱点が存在した。


何も難しい話では無い。彼の最たる弱点とは年齢、台頭する新世代の者達とは一回りも違う、老いた躰の事だからだ。


仕官当初は幼ささえ残る年齢で在った彼も、北伐の開始時には四十も手前、もう暫く経つと衰えを実感し始める年齢に。

もし後継者に指名されなければ、最早、栄達に至るまでの時間は残されては無い。此の事情が馬謖の心中で焦りを生み、後々に歪んだ判断をする遠因と成ってしまう。

話は少し遡り、彼が任地とされた街亭の地へ赴く際の事。

現地へ向かおうとする馬謖の元に、副将として武将の一人が付けられる事に成った。此れは彼の任地が戦略的に重要な拠点で在った為、万が一にも失敗が起きない様に遣わされた孔明の采配、謂わば期待の裏返しだった訳だが、此の行為が馬謖の心へと昏い陰を落す。


ー私を信用していないのだろうか。


不安定な立場に居た事から、馬謖の思考からは余裕が無くなりつつあった。其の様な状況で在ったが故に、彼は孔明の親心を自身への期待の無さと見做してしまったのだ。

駄目だ。此の儘では後継者なぞ、夢のまた夢。もしも我が大願叶う事無くば、私は何の為に此の世に生を受けたのか。

一つの疑念から生じた不安は彼の躰を駆け巡り、爆発的な勢いで焦りを増幅させていく。子供の頃より培われた自意識の高さも災いし、挫折への恐怖は高まる一方。

実績。何か実績を出さなければならない。兎に角、早く。

…其の様な事を当時の馬謖が考えたとしても、私は不思議では無いと想う。そして、其れ故に無謀を実行する事も。


228年。馬謖は街亭にて街道を守備する任から逸脱し、攻撃の機会を探るべく敵の動向を観ようとして山へと向かう。


先にも記した通り、此の行為は敵方の魏軍に直ぐに察知され、彼の居る山は瞬く間に包囲。水源と退路を絶たれた蜀軍の士気は著しく低下、決死の覚悟で攻撃を仕掛けるも一蹴されて軍は瓦解。本拠地に繋がる拠点を落とされた孔明率いる本軍は撤退を余儀無くされ、北伐は失敗を遂げる事に成る。


_____________________


自身の立場を挽回する為に、より大きな物事を行い成果を得ようとしようとして、結果、より大きな傷跡を自らに残す羽目に陥るのは古今東西、現代でも通じる話で在る。

馬謖は己の優秀さから失敗を識らず、名声を高めようと喧伝された事が仇と成り、高い自尊心を構築してしまった事が悲劇の原因と成る。挫折を恐れる心が、破滅を招いたのだ。

劉備が彼に対して不信感を抱いたのも、現場の人間の事を考えない、何処か独り善がりな性格を見抜いたからだろう。

大元たる人間の事を識らずに、人の塊たる軍、延いては国を任せられようか。故に劉備は馬謖の重用を止めようとしたのかも知れない。其れが如何に不可能な事柄だとしても。


人間の心理を識らぬが為に、己の混乱に気付かずに大失態を犯した馬謖。そんな彼が成長し、他人の事を想う様に成ったのは皮肉にも自身が死ぬ間際の事だった。


彼は敗戦の責を取って処刑される際、此度の敗因の原因が全て己に有る事を述べ、自身の率いた配下及び一族には何の責任も存在しない事を遺書に記した。

他人を大して気にも掛けず、己の栄達のみを望んだ漢とは思えない、目下の者に寛大な処置を求める大将としての行動に蜀内部では彼の生命を惜しむ声も挙がり始める。

諸葛亮もまた愛弟子の彼を、何より優秀で在る事を識る馬謖を処刑する事に抵抗は有った。しかし、国を預かる身として個人的感情で動く事は内部に混乱を招く温床と成り得る。孔明は私人としてでは無く、公人として動くしか無かった。


処刑当日。刑場へと向かう馬謖の姿を見た孔明は、ふと主君で在る劉備の重用すべきでは無いと言う言葉を想い出す。


そう。確かに用いるべきでは無かった。しかし其れは馬謖本人にでは無く、ただ才覚のみを求めた自身に原因が在る。

己に幾許かの人間味が有れば、悲劇は起きずに済んだのに。

孔明は此の時、産まれて初めて後悔をし、挫折を経験した。

…処刑が終了した後、其の場に居た臣の一人が諸葛亮の眼に涙が溜まっている事に気付く。親しき者を喪う事はやはり辛いのだろうと慰めると、彼はこう答えたと言う。


『哀しくて涙を流しているのでは無い。先帝の言葉を信じなかった、愚かな自分が不甲斐無くて泣いているのだ。』

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