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歴史人物浅評  作者: 張任
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貧乏籤引

現実でも、想像でも。如何な世界に於いても一度社会が形成されれば、其処には権力の序列と言う物が出来上がる。

国の基幹にして庇護すべき領民、彼等を統率して大事を為す貴族、此れに国家として向かうべき進路を示す元首。

責任の重大さに比して権力を握ると言う訳だが、此の構造、時折として特定の部分だけに荷重が掛かる場合が在る。

上の者達から圧政を敷かれて苦しむ民衆も居れば、板挟みの環境で精神を擦り減らす貴族も居り、国の舵取りに精一杯で自分の事なぞ考える暇も無い君主も存在したりするのだ。

其の運命に逆らう事は、如何な者で在ろうと不可能な事。

賢者でも、英雄にも、神ですら此の理から外れる事は無い。

今回紹介する人物は古代ギリシアの冥府神、ハデス。

死を司る者として畏れられながらも、何処か人間味の有る純朴な性格を人々から敬われた神様の一人だ。


「流転する兄弟」


ハデスはギリシア地方の神話に登場した神様の一人で在る。

ゼウス、ポセイドンの二人の神と兄弟関係で、ハデスは三神の中で長男の立場に当初は属していた。

此処で当初は、と変な言い回しをするのは長男の身から一転、或る騒動を以って末っ子の立場に変更されたからだ。

彼等、神の三兄弟は此の世に生を受けた直後に自分の父親で在る巨人に呑み込まれ、腹の中で幼年期を過ごす。

未だ幼い我が子を呑み込むと言う蛮行は、全宇宙を支配していた父親が自らの権力を子に奪われると預言された為で在るが、後の変遷を見るに預言から逃れようと行った此の行動が結果として自身の破滅を招いているのは興味深い。


全能なる者でも預言を覆せず、寧ろ其の状況を自ら構築していく流れには、神も抗えぬ『律』の様な物を感じてしまう。


話を戻して、産まれて直ぐに父の腹へ納まった三兄弟。

が、実は一人だけ此の難を逃れた者が居た。末弟のゼウスだけが、母親の機転に依って父の眼を免れる事が出来たのだ。

隠れながらの生活は楽では無かったものの、無事に成長を遂げたゼウスは兄弟を呑み込んだ父親への復讐を決意。

神々に捧げられる酒に嘔吐薬を含ませ、巨人の腹内に閉じ込められた残りの兄弟を吐き出させる事に成功した。

其の時に出てきた順番がゼウスの身代わりだった石塊、次兄ポセイドン、長兄ハデスの順番だった事のだが、何故か此の出来事が二度目の誕生とされた事で兄弟間の順番が真逆と成り、ハデスは兄から弟へと立場を変えられてしまう。

女性じゃなくて男性、しかも口、更には吐瀉物に塗れた誕生とは如何な物かと思いはするのだが、まあ神様だから仕方が無い…のだろうか、良く分からない。

兎も角、此れで漸くと三兄弟が揃い踏みし、全宇宙の支配者たる父親の一族と地上最大の戦争、もとい壮烈な親子喧嘩を繰り広げる事と相成り、彼等兄弟は勝利を得る事が出来た。

戦も終わり相手も居なくなった事で平和になった時分、三兄弟は手に入れた世界を三等分し、誰が何処を支配するのかを籤引きで決める事にする。

三人同時に籤を引いて、ゼウスが天界、ポセイドンが現界、そして今回の主役たるハデスは冥界の籤を其々引く。


此の籤引の結果が後のハデス、苦労の人生ならぬ神生を送る切掛に成ろうとは当時の彼は識る由も無い…訳でも無い。


「過労死神」


支配地域を三つに別けて等分する際、実際の所は忌避されていた場所が一つ有った。何を隠そう、冥界で在る。

色彩に満ち溢れて美しい残り二つの世界に比べて、薄暗く黴臭い、死者が跋扈する生気無き世界に見られていたのだ。

折角と苦労して権力を握ったと言うのに、其の様な場所で生涯を過ごすのは御免だと皆が心中で思っていた。

一説では、此処でハデスが他の二人が同様の事を考えている事を勘付き、敢えて冥界の籤を選んだとも言われる。

年長者として二人の弟を慮ったのだろう。立場的に兄だが。

さて、何にせよ冥界の主として君臨する事に成ったハデスだが、彼の統治生活は激烈を極め、休む暇も無くなっていく。

彼の仕事は現世で死亡した魂魄を管理する物だったのだが、此の作業を行う頻度が異常な迄に多量だったからだ。

生物は何をせずとも死が訪れる。何時でも、何処でも、誰にでも。そして死の数だけハデスの労苦は増える一方。


ゼウスが女の尻を追っかけている間、ハデスは仕事を続け。

ポセイドンが好色を発揮する中、ハデスは魂魄達を統率し。

他の神々が宴会に興じる時、ハデスは孤独な日々を過ごす。


一見すると他神は仕事をしていない様に見えるが、彼等はそもそも人々に求められてから仕事を行う存在。

どちらかと言うとハデスの側が異常なのであり、其れだけ冥界での仕事が激務かつ重要で在る事を示している。

息を吐く間も無い作業量に日々を追われながらも、ハデスは文句一つ言わずに黙々と、真面目に仕事を続けていく。

しかし流石に其の生活が永年と続くと肉体は兎も角、精神をジリジリと擦り減らしてしまう。さて、如何にするか。

傍の地獄の番犬ケルベロスを撫でながら、己の癒しについて考えたハデス。ふとした拍子に頭上に浮かんだ此の思考は、軈て全世界を巻き込む騒動の火種と成った。


「殉愛」


今日も今日とて仕事三昧のハデス以下、冥界御一行。

取り敢えずは作業も終わり、地上世界の情勢を調べて問題等が起きていないかを確認しようとする冥王ハデス。

疫病や戦争も特に無さそうだし、死者で冥界が溢れ返る事も起きないだろうと地上の観察を止めようとした其の時。

彼の眼に一人の美しい少女の姿が映った瞬間にハデスの躰を雷の如き衝撃が駆け抜け、忽ち彼女の虜になってしまう。

寝ても覚めても考えるのは、花を愛で微笑む少女の姿。

如何ともし難い恋心で身を引き裂かれんがばかりの心持ちと成った彼は、此の恋を他人に打ち明けて助言を求める。


『攫っちゃえば良いじゃん。』


が、ハデスは相談相手を間違えた。よりにもよってゼウス、女性関係で数々の問題を起こしていた主神改め、オリンポスの種馬に此の話を通してしまったのだ。

当然ながら彼が提案したのは無茶苦茶な物。幾ら当時が男性は力強く在るべしとの考え方が主流だったとは言え、恋愛に疎い人物に授ける助言では先ず有り得ない。

と言うか単なる犯罪教唆で在る。ゼウスは似た様な事を何度も行っては、其の度に妻に激怒されていた筈なのだが、自身の助言が如何な結果を齎すのか想像しなかったのか。

世情に疎いハデスは弟の言葉を鵜呑みにし、恋い焦がれた少女の誘拐を決行してしまった。案の定、彼女は突然連れて来られた事に困惑し、家に帰りたいと泣き出してしまう。

助言に従ったら悲しませる結果に成ってしまい、慌てふためく冥王。他の神々ならば無理矢理にでも手篭めにするのだろうが、何処まで行っても常識的な感性を持つハデスは手を出す事も出来ず、彼女の哀しみを精一杯和らげる為に持て成す事しか出来なかった。


さて冥界で此の様な騒動が起きている間、地上でも同様に騒動が起きていた。誘拐された少女の母、豊穣を司る女神が娘を探してゼウスの元へと押し掛けたのだ。


此の時のゼウスは『おあしす』的発言(俺じゃない、彼奴がやった、知らない、済んだ事)を連発し、自分は関係無いと屑ムーヴを発揮していたが、女神側の『真面目なハデスが此の様な事件を起こす筈が無い、貴様が唆さない限りは考えられない』とのグウの音も出ない正論の前に遂に観念。

自身の関与を渋々認めたのだが、同時にハデスは高位の神だし結婚相手として不足は無いだろうと要らん事も口走る。

女神が激怒したのは結婚云々の前に誘拐のせいなのに、だ。

此の不遜な態度には流石の女神も完全に堪忍袋の緒が切れ、自身の仕事をボイコット。地上の作物は全く育つ事無く、神々への供物も滞ってしまう事態に。

さしもの主神も此れには慌て、ハデスに件の娘を返還する様に命ず。…大元の原因はゼウスに有るのだが。

とは言えハデスもまた、悲しむ少女の心情を想いて親元へ帰す事を考えており、彼女を現世へと続く道へ案内する。

自身の恋心としては別れたくはなかったが、世界の危機と在っては仕方が無い。所詮、冥界の者には過ぎた想い、叶わぬ恋なのだ。ハデスはそう考え、己の情を断ち切っていく。

そうこうしている内に冥界と現世の境目へ着く冥王と少女。

此れが今生の別離か…と心中で想いながらも、少女を現世へと戻そうとするハデス。が、何故か彼女は動こうとしない。

すわ何事ぞと不思議に思っていると、少女は不意にハデスの方を向き、彼が心を射止められた優しげな微笑を浮かべる。


『私に出来る事なんて、此れ位しか有りませんが…』


意味深な事を呟いた彼女は、徐ろに懐から何かを取り出す。

まじまじと見つめると、其れは冥界に有る柘榴の種だった。

何故そんな物を…と疑問を挟む間も無く、少女は手に持つ数粒の種を飲み込む。其の突然の行為にハデスは心底驚く。

黄泉竈食ひ。異なる場所、冥界に於いて現地の物を喰む事は、自身もまた冥界の住人と化す事を意味するからだ。

彼程までに現世へと戻りたいと申していたのに、如何して冥界に留まるのかと聞くと、彼女は自身の胸中を語り始める。

誘拐された当初こそ不安と恐怖ばかりだったが、ハデスの持て成しを受ける内、彼が見せる純朴さ、仕事に対しての真面目さ、少女の不安を和らげようとする優しさ、何より自分を大事に想う愛情の深さに惹かれた事を。

彼女は何時しか冥王に対して、恋愛感情を抱き始めた。

しかし現世が存亡の危機に瀕している中、此の儘、安穏と過ごして良い筈も無い。彼女自身もまた、己の胸中に蓋をして世界の為に動いていたのだ。

それでも愛する者と一緒に居たい衝動を抑えられず、少女は黄泉竈食ひを決行した。三粒の種を喰らう事で、十二の月の内、三月を冥界で過ごそうとして。


こうして天地冥を揺るがし尽くした当騒動はまさかの結末、双方が両想いと成った事で終結を迎える。


無論だが皆が皆…特に母親たる女神は此の結婚に納得した訳では無いが、冥王と少女の絆を見て仕方が無いと諦めた。

とは言え、頭で理解しても心は納得出来ないのが世の常。

娘で在る少女が冥界へと行っている間、件の女神は如何しても仕事をする気が起きず、三月の間だけ作物が全く育たない期間が出来る事に成る。

地に住む人々は此れを冬と呼び始め、時が経ち、娘と出逢う事で喜びの萌芽が芽生える春を待ち続けたと言う。


_____________________


ハデスは死の神として畏れられていたのは事実で在る。

ただ其れは後年、戦争や疫病、災害に依って人々の心に『死』が恐怖として刻み込まれた事で、逆説的に此の要素を司るハデスが恐怖の対象として観られてしまった点も考慮しなければならないだろう。

初期に描かれたハデスの人物像は何処か素朴で、神らしい威厳よりも親しげな領主としての側面が見られる。

此れは死が人生の喪失では無く、冥界の地へと向かう過程だと考えられていた為で在り、貧富出自に関わらず平等に魂魄を扱う事から考えられた設定なのだろう。

天界のゼウス、現界のポセイドンと比べ、必ず出逢う事に成る冥界のハデスは、其の性質故に人々が考える理想の領主として性格が構築されていったのかも知れない。


此の様な立派な存在が統治する処に逝けるのならば、何事も心配をする事なぞ無いと人々が想える様に。

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