燃える金
金と言うのは勿論大事な物であるが、かと言って大事にし過ぎるのも、それはそれで考え物である。
金という物は結局は物や経験を得る為の対価に過ぎず、それ自体には然程の価値は無いのだ。
故に金の事ばかり考えて動くのは人生の為にならず、もっと別の事に注力すべきだと人は言う。
それ自体は正論だし、特に喧しく異論を唱える物でも無いと思う。
しかし。
世の中には人命よりも金銭の方を重んじる人も存在する。
その様な人達は如何にして、上記の思考に至ったのか。それを解明する為、或る人物の人生について調べる事にした。
横井秀樹。
今回は金を追い求めて成功を収め、しかし、その金によって破滅を迎えた一人の経営者の事を記そうと想う。
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1.
横井秀樹は日本の昭和時代に名を馳せた実業家であり、また、或る事故で悪名を轟かせた人物でもある。
或る事故とは何なのか…それを説明するには先ず、彼の人となりを知る必要があるだろう。
大正の時代、愛知県の貧農の家に産まれた横井は、幼少期の殆どを勉学に費やしていた。
父親は昼間っから酒浸りで、道の真ん中で大の字に寝たかと思えば通行人に金をせびる碌でなしであり、挙げ句の果ては家庭内暴力も頻繁に行う救いようの無い人物であった。
そんな父の姿を見ていたからか、はたまた、か細い腕で家庭を支える母親の姿を見ていたからか、横井少年は同学年の子供が遊んでいる中、黙々と教科書を熟読し、学力を高める事だけに注力していく。
途中、父親が『こんな物は俺の子供に必要無い』と教科書やノートを引き裂く暴挙に出るものの、彼は決してめげずに学校へと通い続け、その甲斐もあってか、成績は上位に入る程の優秀な物であったと云う。
一方で暴力や高圧的な態度で同級生を従わせる側面も度々見受けられており、ここからも父親の影響が色濃く出ているのが分かる。
父親から受ける多大なるストレスの解消も兼ねているだろうが、如何にして人を従わせるかを身を以て学んだのだろう。
そうして学業に励む傍ら、母親の助けになればと小学生の頃から働いていた横井は、15歳の頃に一念発起して上京。
繊維関連の問屋に就職すると、2年も経たない内に独立を果たし、自分の店を構える事に成功する。正に努力と執念の結果だと言えるだろう。
だが横井は現状に満足せず、上にいく機会を窺っていた。そして、その機会は30歳になる手前に訪れる事となる。
第二次世界大戦。日本の全てを引っくり返す戦争と共に。
2.
戦争が始まる直前、横井は世間の情勢を読み、ある海軍中将とパイプを繋ぎ始める。言わずもがな、軍需産業へと参画する為だ。
横井のこの読みは見事的中し、海軍の陸戦用防暑服を一手に担うという大仕事を獲得し、それまでの商売で得た利益など米粒程に見える、莫大な利権を得るに至った。
こうして一気に金持ちとなった彼は物資の乏しい戦時下でも豪遊出来る程の財を成し、日本の敗戦後もGHQに商売相手を鞍替えし、その地位を守り続けた。この事からも横井自身には相当の商才が有った事は疑い様は無いだろう。
それまで自分の財を担ってきた紡績関係の仕事も、発展性が無いと見るや即座に廃業し、復興による需要を見込んで不動産業に転向。
この予測はピシャリと当たり、横井の財は何倍にも膨れ上がり、日本でも有数の資産家として名を馳せるようになった。
高価な外車を乗り回し、金の詰まった鞄を幾つも所有する彼の暮らしぶりは、まるで夢の様に豪華な物であったと云う。
しかし、横井はそんな人生の上がりとも言える状況に満足する事は無かった。寧ろ益々と金を欲するようになり、そればかりか歴史有る企業の乗っ取りにまで手を染めるようになっていく。
彼がこの様な行為に出始めたのは、政財界が自分の事をあまり評価していなかった事に起因する。
如何に大金を持っていようとも、所詮は戦争で成り上がっただけの成金、信頼には値しないと周囲には思われていたようで、この評価に不満を持った横井は自分を認めさせたいが為、乗っ取りという手に出たという訳だ。
大金によって多数の株を買い占め、重役となって会社を掌握する。それは名実共に歴史有る企業の一員と化す事で、成り上がり者という侮蔑を払拭したいという考えで行われていたのかも知れない。
横井の乗っ取りには正攻法以外にも悪どい行為も平然と実行されており、堪忍袋が切れた相手の中には襲撃を計画し、実際に拳銃を撃ってしまった者も居たという。
こうして財産と共に悪名をも膨れ上がらせていった横井であったが、本人は大して気にもせず、益々と金儲けに専念するようになっていった。人の情などに関心無く、ただ只管に金だけを。
だから、それは必然として起きた事だったのだろう。
彼の人生を大きく揺るがす、忌まわしき事件は。
3.
1970年。横井は歴史ある企業の一つ、ホテル・ニュージャパンを買収し、ホテル業にも乗り出し始める。
乗り出し始める、などと書きはしたが、横井本人はホテルに関してはズブの素人であり、現場を知らない人間が下す命令で従業員などが疲弊していたにも関わらず、利益第一を掲げキャパを大きく超えた宿泊客を強引に取らせていたと云う。
金の入る客は入れるだけ入れて、金を払う従業員は減らすだけ減らす。なるほど、それならば利益は増えるだろうという話だが、当たり前の話でこの手の方法には欠陥が存在する。
トラブルが発生した際、一気に機能が麻痺してしまうのだ。
1982年、午前3時頃。その災害は静かに始まった。
ホテル・ニュージャパンの9Fの或る個室で、小さな火事が発生したのだ。
原因は寝タバコ。どうと言う事も無い、ありふれた物。
本来ならこの火の不始末、小火程度で済む筈だった。
何故ならばホテルという物は災害が有った場合を想定しており、この場合ならばスプリンクラーなどの防火設備や従業員による避難誘導、非常ベルに加え、建物自体が屋外などに逃げられるように設計されているからである。
しかし、横井は上記の通り利益だけを追求したような経営方針を取っており、災害の際に誘導や連絡をするべき人員や訓練・教育の時間をも徹底的に削減し、そればかりか『安い』というだけで防火性の低い絨毯やカーテンを使用していた。
見栄えをよくする為だけに建物の構造を歪な形に改造もしており、非常設備の定期点検すら怠って、非常ベルなどは機能不備のまま放置されている始末。
こんな状況で真っ当な初期消火なぞ出来る筈も無く、そればかりか安い燃焼し易い素材ばかりがホテル内に充満していたが為に、異常な勢いで火は強くなっていく。
避難誘導するにも人手が足りず、そればかりか、外国語を話せるスタッフが極小数だったにも関わらず、やはり金になるからと外国客を多数泊めさせていた為、状況は混乱を増すばかり。
結果。
死者数32名、負傷者34名を出す大惨事(死者の中には熱さに耐え切れず飛び降りた者もいた)と化したこの火事により、莫大な賠償金を横井は払う事になる。
加えて杜撰な管理体制により被害が悪化した事から、禁錮3年の実刑判決が与えられ、成功者から一転、罪人となって晩年を過ごす事となってしまう。
金に飢え、金の為に働き、金を得、金で人生を謳歌していた横井は、その金によって道を誤り、破滅を迎えたのである。
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横井秀樹は金を只管に求め、そして破滅した金の亡者である…そう断ずるのは容易い事だが、しかし、それは果たして真実なのだろうか。
確かに横井は金を第一に考え、従業員の過重労働も厭わず、そればかりか客の安全すら投げ出す様な有様ではあった。
ホテル・ニュージャパンの火災は発端こそタバコの不始末ではあったにせよ、被害がここまで大きくなった原因はどう考えても彼の経営方針から来る歪みの部分が大きく、これは災害では無く人災であるという巷の評も頷ける物である。
だが、その部分だけを捉え、横井を単なる金の亡者程度の存在にするのも、少し乱暴な話の気もする。
そも、彼がこんなに金に対して執着する様になったのは、間違いなく幼少期の経験から来る物なのは明らかであろう。
赤貧の生活で日々苦しみ、女手一つで苦労しながら金を稼ぐ母の姿を見、何時かは大金持ちになり、こんな生活からはおさらばしてやるという、それだけを見れば普通の考えが彼の原動力であった筈だ。
それが歪んでしまったのは、やはり父親の姿、並びに行動が影響を与えたのは疑いようが無いだろう。
家庭内で暴力を振るい、全てを支配する姿を見せるばかりで他者との真っ当な交流方法を教えもせず、努力して勉強している子供を褒めるどころか冷笑し、罵倒する事で自己肯定感や価値観をも破壊し尽くす。
人間性を構築する上で最も重要な幼少期を上記の様な環境で過ごせば、それこそ普通に真面目な人間になどなりよう筈も無い。
それを鑑みると金を人よりも上に置く者というのは、金が何よりも大事だからというよりも、金でしか人と繋がれない・交流出来ないから大事にしてしまうというのが本当の所なのかも知れない。
横井の場合は加えて幼少期に自己肯定されなかった、する機会に恵まれなかった事から、子供の頃に決して与えられる事の無かった名誉や羨望の眼差し、人から褒められる経験を渇望するようになり。
故に他者から認められている・価値があるとされている老舗の看板に固執し、乗っ取り屋として悪名を轟かせたのではないか、という考えは、少し穿った物の見方であろうか。




