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歴史人物浅評  作者: 張任
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中華の一番星


英傑の中には泥の中から生まれる者も数多くいる。


ローマの英傑、カエサルは庶民派の雄から端を発し、主流派から遠ざけられ、政治の場から退かされてもなお市民の為に努力して、借金してまで信用を勝ち取ろうとした。


その結果、市民からの人気を獲得した彼は政治面での発言力と地盤を得るに至り、それが後々の活動・活躍の原動力となったのは言うまでも無い事だ。


日本の三英傑、豊臣秀吉もまた農民(豪農の出ではないかとの説はあるが)であり、武士階級が幅を利かし、専属軍人が主だった織田家に於いて七面六臂の活躍を見せ、その立場を確固たる物とした。


三国志の英雄、劉備は出自はともかくとして裕福な暮らしをしていた訳では無かったようだが、一族の者の尽力や周囲の者と強固な関係を結ぶコミュ力を以って、三国志の一角を担う国を築き上げる事に成功している。


斯様に決して恵まれたとは言えない環境下にありながら、その才覚を行使して好機を逃さず、天下に覇を唱える者は数多い。


それは今回紹介する人物もまた、同様のことである。


朱元璋。


洪武帝と称され、貧民の立場から一転、皇帝へと上り詰めた成り上がり者。


彼について今回は記していこうと想う。


 --------------------


1.

朱元璋の生まれは1328年、貧農の父母から生まれた八男であったとされる。


彼が生まれた際には眩いばかりの赤い光が一面を包み込み、火事かと思った近隣住民が様子を窺いに来たとの話があるが、これはおそらく皇帝になった際の権威を高める為、創造された物語だと見るのが一般的であろう。


さて、彼の人生に転機が訪れたのは17歳の頃。


干ばつや大陸渡来の伝染病、ペストや飢餓などによって家族が次々に倒れ、孤独な身となってからの話である。


先にも言った事だが、ペストというのは当時最大の脅威である。なにせ、治療法が確立されておらず、罹ったが最後、死ぬのを覚悟しなければならない重大な病気であった。


そんな病気が間近に迫っていながらも生き残る事が出来たというのは幸運、というよりは不幸中の幸いという所だろうが、悪運は良かったのかも知れない。


加えて飢餓はどの場所に於いても死因の第一位に数えられる位、ポピュラーでかつ凶悪な死因の一つである。


その飢餓の地獄からも耐え抜いた事を見るに、朱元璋の生命力は並々外れたものであったのは間違いないだろう。


その後、彼は寺に引き取られるものの、またしても飢餓が襲い、それがきっかけとなって托鉢僧として放逐される事となっている。寺とて生き残るのに必死だというのが、この描写からも良く分かる。


この時点で分かる事と言えば、国家が崩壊寸前だという事である。飢餓、干ばつはよくある事なれど、それが原因で国が荒廃するというのは、つまり汚職が蔓延し腐敗が進んでいる事を意味しているからだ。


実際、朱元璋の幼年時代は後継者争いなどによって国中が疲弊し、何人もの皇帝が生まれては消えていった混乱の時代であった。


そんな時代の中、彼はどのように生き抜いていったのか。それを次の項にて記していこう。


2.

托鉢僧とは言えど、一度は寺の厄介になった朱元璋は、貧農の時分と比べると比較にならない程の見識を得ていた。


それは国家の乱れの原因が国家の腐敗によるもの、そして、その状態に不満を持つ者が反乱を企てるであろう事を予期するには十分な代物であった。


程なくして、武将の一人が名誉を著しく傷つけられ、犯罪者呼ばわりされた事に激昂し、海運を大混乱に陥れる反乱を実行。


この機に乗じ、新興宗教が末法の世を浄化すると唱えて各地で蜂起したりもする、大混乱の時代に陥っていた。


朱元璋はこの折に自分も天下の世直しをせんと、この新興宗教の反乱に参加。


見知らぬ人間が突然訪れたことで怪しまれ、危うく殺されそうになる憂き目に遭うものの、本人の顔を事の他好んだ反乱軍重鎮の計らいにより、どうにか生き残る事が出来た。


民衆主導の反乱といえど、汚職で仕事場を追われた有能な人物達も数多く存在しており、彼等との交友を結んだ朱元璋は、この反乱軍にて大きく実力を上げる事となる。


この後、漢の太祖・劉邦の相が有りと言われた彼は、その野望を元に動き始めていく。


反乱軍に於いて確実な見識と弁論術から兵の士気を上げ、見事に指揮を執った朱元璋の評価は鰻登り。瞬く間に将軍へと駆け上り、重鎮達の覚えもめでたくなった。


その後、彼は膨れ上がった軍の動きを良くするために、本拠地の転換を提案。


今いる所よりも肥沃で裕福な土地を得る為に全力を尽くして、その土地を奪取する事に成功する。


この時期になると巨大な軍特有の内部分裂も起きるようになっており、裕福な土地を巡って戦争が起きるようになる。


この時の相手は非常に巨大な勢力であり、さしもの朱元璋もこれには弱気になったものの、軍師からの一言で奮起。


大勢力相手の決死の戦いを行う事となるのである。


3.

大戦力との決戦。この難題に対して彼等が行ったのは、幾重にも重なる策略だった。


敢えて敵軍を自分たちの懐に入れてからの包囲を考えた大戦、偽の投降を織り込んだ埋伏の計、加えて風の流れを読み切った火計を伴った謀略は見事に嵌り、大軍を散々に打ち破る事に成功する。


その後は幾度もの伏兵を配し、敵軍を撃滅する事に成功したとか。これも軍師の力といった所だろうか。


この一連の流れは三国志演義にも多大なる影響を与えたようで、あの有名な赤壁の戦いの元となったのであった。


閑話休題。


こうして大軍を倒した朱元璋は名実共に反乱軍の中でも1、2を争う将軍となるも、反乱軍の首魁が船事故により瓦解。


軍勢は残ったものの、反乱軍自体は雲散霧消する結果に終わってしまう。指針を失った軍は居場所を失ってしまった。


しかし、これで終わる朱元璋では無い。


彼はこの後、周辺の勢力を平らげて一大勢力へとのしあがり、その勢いのまま、皇帝を称したのだから。


奇しくも劉邦の相があると言われたのと同じく、農民の出から皇帝へと成り上がった朱元璋の軍団たるや凄まじく、当時の王朝とガチンコの戦いに臨み、勝利を収めるほどだったと云う。


この当時の王朝は元、モンゴルを主軸とする帝国であり、腐敗し切っていたとはいえど強力な軍隊であった事に変わりはない。


そんな軍団相手に勝利を収めるというのは、如何に彼の軍勢が律され、従順であったかの証左でもあろう。


さて、現帝国を降し、新王朝を築くに至った朱元璋は自らの思い描く統治を行うようになった。


その中でも特徴的なのは小作農に対する律法であり、これは彼が農民であった事から行われた物である事は疑いようが無い。


これらの政策は上手い事機能をし、混迷の極みにあった中国の状態を正常に戻すのに大きく貢献したという。


また堤防などの公共事業にも大きく乗り出し、国民の為に動く王として、中華の歴史に刻まれた。


その後も数々の施策を施したものの、朱元璋は1398年に死去。71歳と言う年齢にてこの世を去ったという。


 -----------------------


朱元璋は大変貧しい状態から成り上がり、皇帝となった稀有な人物である。


寺院にて最低限の見聞を得たとは言えど、それを元手に将軍となり、増して最高権力者に至ったというのは、歴史上でも極めて珍しい人だと言えるだろう。


さて。上記の文章だと綺麗な部分だけを抽出した為、とても立派な人物であるかの如く記している訳だが、現実の人間としては清濁併せ持つのが当然だと言える。


それは朱元璋とて同じ事であり、謀略で成り上がりを行っていた所があり、謀殺を敵どころか味方にも行っていた節も見受けられ、そこからは自身の利益の為には手段を選ばない非情な性格をも見る事が出来る。


そもそも彼は農民の出である事から、曲がりなりにも王朝に仕えていた者などと反りが合わないのは当然だと言えよう。


かの太祖・劉邦とて天下統一後には猜疑心に苛まれ、能臣功臣の類を粛清していっている。


朱元璋もまた自身の出自を考えて、自分が追放されるのではないかと苛まれたのだろう、天下統一後には粛清の嵐が吹き荒んだ。


担ぎやすい神輿とは天下統一までには迅速かつ強力な手段となり得るが、統一した後には立場のぐらつくトップが暴走しかねないという危険も孕んでいる事がこの事からも分かる。


朱元璋もまたこの運命からは逃れられず、斯様な行為に出てしまったのであろう。粛清の裏には自分自身の貧弱な地盤という欠点があり、それを守ろうとして傍目からは狂気的な行動に出てしまったに違いない。


結局、彼の行動は後世の人間の為にはならず、能臣を失った子供は大変苦労することになるのだが、それでも朱元璋の事を悪く思えないのは、そこに人間的弱さが垣間見えるからであろう。



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