剣を握る
形骸化する物がある。物品、職業、知識に倫理。
形の有無に関わらず、時代の渦に弾かれた結果。
形骸化する物がある。努力、策謀、忠義に叛逆。
時に血さえ伴い創られた概念が、見るも無惨に。
形骸化する物がある。血筋、歴史、制度に人脈。
栄華を誇った権威とて、その寿命には抗えない。
足利義輝。
今回は日の本を制した統治者なれど、時代と共に滅びいく。
戦国の徒花として生きた将軍について記そうと思う。
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1.
足利義輝。室町幕府13代将軍。通称、剣豪将軍。
勇ましい渾名だが、これは必ずしも良い意味ばかりで用いられた訳では無い。
和を尊び、国を担うべき存在が、泰平の世では無用の長物たる『剣』に長けるという不埒。そんな将軍にあるまじき存在との誹りも、この渾名の中には含まれている。
確かに剣、即ち武は読んで字の如く、矛を止めると書く。
それは戦乱が鎮まれば役割を終え、世から消える程度の代物である事を意味している。にも関わらず、象徴たる将軍が剣に長じるとは、つまり己が治世に不安を感じている___幕府が揺らいでいる___と暗に示している様な物。
仮にその疑念を払ったとて、泰平の世に似つかわしく無い代物を学ぶ姿は、あまり世評の良い行為と言えないだろう。
だからこそ歴代の足利将軍は文化を重んじ、芸術に理解を示していったのである。平和を謳歌する様を見せんとして。
しかし、義輝はその慣例を破り、恐らくは家臣達の強烈な反対を押し切ってまで、野蛮とされた剣の道を志した。
そこには如何なる感情が存在したのだろうか?
義輝は幼年より、情勢に振り回される人生を送っていた。
泰平の世になったと言えど全てが平和になる訳も無く、水面下では勢力争いが続いており、将軍の鎮座する場所は策謀渦巻く伏魔殿と化していた。
本来ならば将軍がこの手の問題を解決するべきなのだが、当時の将軍達には配下を御する力は無く、そればかりか大義名分を得ようとする奸臣らによって骨抜きにされ、傀儡化。
お飾りとして丁重な風に扱われ、良い様に使われるだけの、単なる道具と成り果ててしまう。
結果、名目上は将軍家の為と掲げた者達によって内乱が発生し、中央の混乱から端を発した戦火は全国に飛び火。
野心有る群雄がひしめく、戦国の時代へと突入する。
そんな乱世に於いては将軍なぞ有って無いような物なのだが、それでも名は有用だったようで、幾人もの有力者の手によって足利家自体は生き残る事が出来ていた。
しかし、それは使える道具を壊さないようにと扱っているだけの事で、そこに主従の義理だの忠誠だのは存在しない。
武士を纏める棟梁、日本を導く象徴、皆が寄り添う大樹だと周囲が持て囃そうと、その実、将軍家に敬意なぞ抱いていない事を義輝は肌身で感じ取っていた。
実無き名声は張子の虎に過ぎず、真に率いる者の力に屈するのみ…そんな世の習いを幼くして実感した彼はやがて自らを、足利の体制そのものを変革させるべく動き出す。
或る者は単なる夢物語だと冷笑し、或る者は現実が見えていないと侮蔑した。しかし、それでも義輝は自らの行いを改めようとは微塵も思わなかった。
混迷極める日の本を、武士を纏める一族の長たらんとして。
2.
義輝___というより足利幕府を喰い物にした人物は多種多様に渡るが、操っていた人物となると極少数となる。
古くからの家臣であり『半将軍』と謳われた細川政元。
権謀術数によって登り詰めた『日本の副王』三好長慶。
この両者が基本的に将軍家を裏で操っており、権力を一手に握ろうと互いが互いを敵と見做し、鎬を削っていた。肝心の将軍は置き去りにした状態でだ。
そんな状況だった為、幕府内の人材と言うのは基本的にどちらかの陣営に属した者ばかり。足利に忠誠を誓っている人間などは極々僅かしか存在しなかった。
これは幕府復権を目標とする義輝にとって、当然ながら良い状態とは言えない。
自らの勢力基盤が構築されていないのもさる事ながら、配下を信頼する事が出来ないのが一番の問題だからである。
どんなに準備を整えようと密告されれば水の泡、それどころか内応され更に悪化しかねない、正に最悪の状況だった。
周囲の人間なのに、否、周囲の人間だからこそ頼りに出来ない問題は義輝を大いに悩ませた。如何にすべきか___一人孤独に思案を募らせた彼は、或る時、突如妙案を閃く。
そうだ。ならば、既得権益に縛られぬ者達に助力を頼もう。
己が力のみを信じ、この乱世に名乗りを挙げた群雄達に。
義輝が編み出した策。
それは弱体著しい支配者の統治を見限り、自治を始めた地方の群雄を味方に付ける事であった。
一見すると支配者=足利幕府という事になる為、単なる戯言の様に思えるが、実際にはそうとは言えない。
上記の通り、幕府を実質的に支配していたのは細川と三好の両者で、将軍はお飾り程度の存在でしか無かった。
そこを逆手に取ったのだ。
自らの利用価値を報酬とし、地方諸将への説得を行う。
これは最上位に身を置く立場の人間としては、異例の行動だと云えよう。己が強さを見せつけるのでは無く、弱さを曝け出す事で仲間を作りだしたのだから。
群雄達にしても自治はあくまでも自治、公権力に真っ向から歯向かっているのは事実な訳で、将軍直々に錦の御旗をくれるとなれば、これほど有り難い物は無かった。
かくして両者に利が有った件の策は成功を収め、義輝は外部勢力を後楯として、次第に中央での発言力を高めていく。
無論、細川・三好の現支配者層も動きを警戒していたものの、いかんせん双方が最大の抗争相手だった事が災いし、互いが互いに相手への対応で精一杯だった為、将軍への対処が二の次となってしまっていた。
これは両者の力関係が拮抗している時期を窺い、間隙を突いて勝負に打って出た義輝の高い能力を示していよう。
名では無く実を重んじ、武力と策謀を以て敵を降す。
そこには古めかしい統治に固執する将軍の姿は無く、己が力で時代を生き抜こうとする戦国大名の姿だけが在った。
3.
義輝は生前、剣聖と謳われた人物から師事を受けている。
これは武士への理解を示すポーズの意味合いも有ったが、同時に新たな強みを得ようとする貪欲さの証左でもあろう。
義輝はこの時、単純な武力以上の物を修行から得ていた。
戦闘での駆け引き、即ち洞察力の強化である。
剣に限らず武道というのは己の技のみならず、相手の思考・技術を分析し、対抗策を導き出す事にも腐心する物。
これは個人間での諍いのみならず、国家間での戦争にも通じ、更には人間関係に於いても大いに有用となる。
将軍には無用の長物と詰られ、嘲られながらも剣の道を進んだ結果、真に『大樹』として成長を遂げた義輝。
しかし、強さが必ずしも良き方向に繋がるとは限らない。
突出した存在は往々にして、人々の耳目を集める物だ。
良くも、悪くも。
幕府の力が増大すると同時に、それまで将軍家を暗に支配していた細川・三好は衰退の一途を辿っていた。
時代の渦に呑まれた細川一派は歴史の陰に埋もれ、三好はそんな対抗相手を吸収する事で勢力を保っていたものの、家主・長慶という傑物が病死した事で大いに弱体化。
拠るべき主君を失った三好家中は精彩を欠き、天下人としての立場が揺るぎつつあった。
だから、それは起こるべくして起こった事かも知れない。
勢力拡大を危険視した三好家による、将軍の襲撃。
それは下克上と言うには無法過ぎる、正しく蛮行。
圧倒的な物量で包囲網を敷き、足利の家臣のみならず妻子に至るまで根絶やしにせんと息巻く相手を見、義輝は自らの天命が尽きた事を知る。
傀儡から脱そうと足掻き、漸く希望を見出した頃、全て根刮ぎ奪われる。その無念さたるや、計り知る事は出来ない。
___しかし。最期の時を迎えた義輝の胸中に訪れたのは、敵方への憤怒でも運命への絶望でも無く、使命感であった。
足利の、武家の棟梁たる者。その真髄を、今こそ見せんと。
1565年、6月。大量の三好勢を相手取り、足利義輝は絶命の死地へと自ら飛び込んだ。
その気迫・戦意たるや凄まじく、圧倒的物量差にも関わらず皆が死兵となって戦い、最後の一人まで抵抗を続けている。
義輝本人も剣術で磨いた己が武勇を振るい、代々受け継がれてきた名刀各種を用い、群がる敵を薙ぎ払ったと云う。
だが、所詮は多勢に無勢。
時間が経つに連れて戦況は次第に悪くなり、最終的に孤軍となった義輝は畳に刀を突き刺して『剣の結界』を創って応戦したものの、数多の雑兵を犠牲として人の壁を構築した三好勢によって攻略され、その全身を貫かれた。
享年30歳。名を体現したかの如く光り輝いた将軍は、その人生の最期、蛍の様に儚く散っていったのである。
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足利義輝の死後、棟梁を失った将軍家は本拠地を失い、後ろ盾となる勢力を求めて放浪する事となる。
結果として幕府としての発言力は更に落ち、最終的に風雲児・織田信長の手によって終焉を迎えてしまう。
一説には義輝の実力主義が遠因となり、幕府の権威が崩壊したとも考えられている。実際、この後の将軍家は厄介者と扱われる事も多い事もあり、説の否定は一概には出来ない。
足利義輝の行いは結局、何の意味も無かったのだろうか?
個人的な考えなのだが、そんな事は無いだろうと思う。
足利幕府はそも以前から、ほぼ死んでいる様な物だった。
傀儡として扱われるだけの、もはや形骸化した存在。
時代が進めば塵芥と化す代物…それを復活させる為だけに、義輝はその命の全てを燃やしたのである。
真っ当な方法で叶う事では無い。慣例に背き、苦難に耐え、孤独に苛まれようとも、彼は只管に戦い続けた。
光明すら定かならぬ道を歩み続け、そして遂に、悲願を成し遂げたのだ。
それが例え殺されるまでの一瞬の間だとしても、誰もが不可能と断じた夢を叶えた事実を功績と言わずに何と云う。
義輝が蘇らせた幕府の息吹は、その後も将軍の遺志を引き継ぐ者等の手によって、戦国の乱世を生き抜いていく。
形骸化する物はある。人も、土地も、歴史すらも。
しかし、骸と成り果てようが生命全てが失せた訳では無い。
栄光を、実力を、天意を孕んだ、時代の残り火。
それは微かに、だが確実に内に秘められているのだ。
足利幕府はその後、天下を統一せんとする織田家の前に立ちはだかり、長年に渡り信長を苦しめる事となる。
革新を阻む最後の砦。大いなる時代の象徴として。




