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歴史人物浅評  作者: 張任
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火蓋を切る

革新的な技術、それは何時の時代でも誕生する物である。

火薬・羅針盤・活版印刷の世界三大発明を始め、今では欠かす事の出来ない電気、水道、ガス等のインフラ、娯楽に製造にと至る所で新しい発想は生まれている。

しかし発明品は世に遍く存在し普遍の物と化しても、その親とも言える発明者の名が有名になる事は中々無い。

発明と同じく、その開発もまた…若しくはそれ以上に大切で、そして劇的な物であるにも関わらず、だ。


種子島時尭。


今回は戦国時代に突如として到来した未知の兵器、それに魅せられ、開発・運用・製造・流通、全てに於いて尽力し続けた御仁について記そうと想う。


 _______________


1.

種子島時尭は戦国時代、九州で強大な勢力を誇った島津氏に仕えた、文字通り種子島を治めていた領主の一人である。

戦国時代の種子島と来ればご想像の通り、彼はかの有名な出来事である『鉄砲伝来』に居合わせた当事者。

異国より訪れた武器を手に入れ、そこから日本各地に鉄砲技術を送り届けた功績は、歴史の教科書にも記される程。

___だが、その様な大業を成し遂げたにも関わらず、時尭の名はあまり世に知れ渡っていない。辛うじて記憶に有る人とて『あぁ鉄砲の人か』程度で終わってしまうだろう。

しかし世に激震を起こす発明が平々凡々に始まる事は極めて稀、当然、戦国の常識を一変させた銃火器の発明とて例外などでは無い。無論、その発明者とて同じ事。


時尭は1528年、各種離島を支配した種子島氏14代当主として世に生を受ける。


種子島氏は鎌倉時代より続く由緒有る家柄ではあったが、離島だらけの都合上、領地が非常に少なかった。

にも関わらず、領主・領民共に裕福であったらしい。

これは彼等に発達した航海技術、それに加えて異国との貿易という強みが存在した為で、中央から遠く離れた小規模な勢力にも関わらず、権力者から大変重用されていたと云う。

そんな特異な家に生まれたからなのだろうか、時尭は幼い頃から何事にも物怖じせず、新しい物を見れば興味津々で調べたがる、戦国時代には珍しい開放的な人物であった。


さて、時尭に転機が訪れたは1543年、15歳の頃であった。

突如として領内に一隻、見た事の無い大船が現れたのだ。


これは隣国・中国(当時は明)の商人が拵え運用した、対異国用の密貿易船であり、監視から逃れようと慣れない海路を選んだ結果、期せずして種子島に漂着したのであった。

この奇妙な来客に対し時尭は領主としての責任が半分、何やら物珍しいと好奇が半分で事に当たる。そして、船に『偶然』乗り合わせていたポルトガル商人の手により、運命的な出逢いを果たす事となるのだ。


2.

貿易が失敗に終わったばかりか、航海に失敗して海を彷徨い、見ず知らずの土地へと流れ着いた異国の商人。

何事も上手くいかず意気消沈していた彼等には、よもやこの地で商談が起こるとは、思いも寄らなかった事だろう。

時尭はこの偶然を元に鉄砲の存在を知り、その威力の程を間近で見、この武器に新たなる戦場の姿を垣間見た。

通説だと彼は鉄砲の凄まじい破壊力を見た事で鉄砲に魅せられたとあるが、これは実際の所、正確とは言えない。

時尭が鉄砲に惚れ込んだ理由…それは破壊力以上に『手軽』に『誰でも』扱える遠距離兵器という点にあった。


武器にとって扱い易さとは、時に威力より重要な物だ。


一例としてロングボウとクロスボウ、これらが挙げられる。

西洋に於いては一時期、遠距離武器と言えばロングボウ一択の時代が存在した。それは新兵器としてクロスボウが登場しても変わらず、寧ろ益々と勢力を強めていく始末。

これは機構の複雑さから製造コストが嵩み、更に装填速度が極めて遅いクロスボウでは、主流であるロングボウに太刀打ち出来ないと考えられたからだ。

そして、それは実際その通りだった。単体の性能だけを見れば、クロスボウは威力こそ比肩すれど、それ以外の部分では全て負けていると言っても過言では無い。


しかし、それはあくまでも単体で扱った際の話である。


何故、クロスボウは態々複雑な機構を取り入れたのか?

それは、どんな人間でも使い方さえ知れば威力の高い矢を放てる、誰にでも弓術が扱えるという利点が存在したからだ。

弓とは矢を番え、弦を引けば敵に当たる代物では無い。

目標へ正確に飛ばし、装甲を貫くには相応の訓練が要る。

その訓練の時間を補うべく、工作の技術が用いられたのだ。

クロスボウは登場してから数年後、その扱い易さから弓士を爆発的に増やす事に成功、ロングボウとの性能差を圧倒的な人数差で覆し、遠距離の花形となっていくのである。


時尭が鉄砲に感じた可能性もまた、これと似た様なもの。

その機構に新たなる時代を予見したからこそ、彼はこの兵器に並々ならぬ興味を惹かれ、魅せられたのだ。


1543年。偶然訪れた商人から鉄砲を二丁、現代の資産価値で計算すると二億円という大金で購入した時尭は、これ以降の殆どの人生を鉄砲開発と運用に費やす事となる。

それは彼が如何に同兵器に注力していたかを如実に示しており、そして同時に、鉄砲を開発する行為が如何に困難を極めたかをも表していると言えよう。


3.

さて、二丁の現物を手に入れた事で構造を解明し、ゆくゆくは鉄砲の国産化を目論んだ時尭であったが、その道は初っ端からして蹴躓く程に凄まじく困難な物であった。

なにせ自国には全く存在しなかった代物である、その機構の意味を理解する所から始めなければならない。

照準の役割を果たす『先目当』『前目当』に、弾丸を弾き飛ばす火薬を置く『火皿』と保護役を務める『火蓋』や、加えて火薬に火を灯す『火縄』を挟む『火挟』と多岐に渡るカラクリの数々。

これらの意味・関係を情報が一つも無いまま、しかも資料になりそうなのが実物だけという悪条件の中、どうにか推察する必要が有る。幸い、時尭の領地には有能な刀鍛冶が存在し、彼らのお陰で如何にか仕組みを解する事は出来た。


だが、製造段階に至った所で、またしても問題発生。

機能を理解し、元と同じ様に製造した筈なのに、何度やっても発射の際に暴発、若しくは本体の破裂が起きてしまう。


材料も同じ物を揃え、金具の位置や木目の繋ぎ目まで精密に擬えたというに、出来上がる鉄砲は何故か不良品ばかり。

どこを間違えたのか?なにを見落としたのか?

度重なる失敗と精査を重ねても、その答えが見つからない。

しかし、それは或る意味致し方無い事でもあった。

なにせ問題の原因はほんの小さな一部品…底を絞める役割の『ネジ』に存在したからである。

たかがネジ一つと侮るなかれ、当時この技術は最先端も最先端、僅か30年程前に考案された代物であった。

情報伝達の速度が現代と比べて極めて遅い事を鑑みれば、情報を持たない時尭達が困惑するのも至極当然。

更に言えばネジは一見だけでは役割が分り辛い、にも関わらず、特異な形状故に十全に機能を発揮するには、その性質を完全に理解しなければならない厄介な代物でもあった。


この問題は時尭や配下の鍛治職人を大いに悩ませた。


なにせ技術がどうのこうの、の話では無い。

頭を抱えているのはそれ以前、発想の部分なのだから。

増して最先端の技術故に資料に著しく乏しい状況。

そんな中でネジを理解するのは雲を掴むような話、冗談では無く天啓に頼るしかない。しかし、それが容易く起きれば苦労はしない。

試行錯誤を繰り返し、資料たる鉄砲を舐める様に観察し。

それでもなお埒が明かぬ現状を見、時尭は或る決心をする。


即ち、異国の商人との婚姻関係。

彼等を自らの一族に加え入れる事で、鉄砲の情報を得ようと画策したのである。


これは非常に危険な賭けであった。

商人との取引程度ならば気にしなかったであろう主家も、婚姻を結ぶ程に深い関係となったとあらば話は別。

異国の力を借りて下剋上を目論んでいる___そう考えても何ら不思議では無い。

仮に主家が時尭を信じたとしても、今度は幕府や朝廷の目が光る。もしも彼等が種子島氏に叛意有りと見做せば、実際がどうであろうと朝敵として日本国内総てが敵に回る。

国内だけでは無い、問題は国外にも存在する。明だ。

そも、この商人は犯罪たる密貿易を行なっていた輩。

一族に加え入れた所で自分達の取引だけで終わらせる筈も無く、そのまま明との密貿易にも向かうだろう。

もしかしたら丁度良い拠点が出来た事で頻度も増え、時には貿易品を自分達の港やらに置く事さえ有るかも知れない。

そんな現場を、もしも明の官吏に見つかりでもしたら。

どう足掻こうと族滅は免れぬであろう事は間違いない。


だが時尭は、この蛮行を敢えて実行に移した。

それだけの価値が有ると、本当に惚れ込んでいたのだ。


1545年。苦悩苦心苦闘の果て、遂に鉄砲の国産化に成功。

その出来栄えは見事な物で、異国より購入した物と比べても遜色の無い、正に瓜二つの傑作銃であった。


 _______________


種子島時尭が執念で造り上げた国産銃、通称『種子島筒』は完成の後、瞬く間に全国へと普及されていった。

当初こそ製造に時間や金銭が掛かると軽んじられていたが、織田信長を始めとする複数大名が大量導入を行うと、その威力に見合わぬ手軽さが世に知れ渡る事となる。

これ以降の戦場は如何に鉄砲や兵員の数を揃えられるか、謂わば経済力の差が勝敗に繋がる様になり、従来の戦法や城塞は重要性を失い始めていく。

時尭の種子島筒は戦場の姿を一変させ、そればかりか時代すらも変貌させる転換点と化したのである。


それだけでは無い。彼が創り出したのは鉄砲だけで無く、もっと違う物をも生み出していた。技術の促進である。


異国より齎された革新的な発想、それが各地に形となって送られた事で、製造及び改善を行う機会が爆発的に増え、職人の能力向上に大いに貢献した。

この一件が有ったからこそ日本は当時、世界でも一、ニを争う鉄砲保有国となり、同時に設備投資や経験の蓄積も行え、後の技術大国の礎を築く事が出来たのである。

その事を考えれば時尭の行った行為は戦国時代のみならず、遠い未来すらも変えてしまう程の、極めて重大な事績であったと言えよう。


また、彼が鉄砲の可能性を信じ抜き、危険な賭けだとしても、その可能性に殉じようとした事を忘れてはならない。


当時、鉄砲そのものは確かに存在はしなかったものの、似た様な代物は幾つか国内で確認されている。

遥か昔、蒙古の軍が使ったとされる『てつはう』…これは手榴弾の様な代物であったし、爆発を利用したものとして『臼砲』と呼ばれる拠点攻略兵器が中国より伝わっていた。

更に昔には同じく中国より『火箭』と呼ばれる火薬兵器の元とも言える代物が記録として残されていたが、土地的な問題から扱い辛い、若しくは虚仮威し程度にしか扱えないと軽んじられ続けていた。

そんな火薬兵器を軽んじる逆風の中にも関わらず、見た目だけではそれまでのと大して変わらない様に思える鉄砲に可能性を感じ、剰え一族の命運すらも託す並外れた度胸と先見の明は、戦国の世で名高き武将・軍師と比べても何ら遜色の無い、稀有な才能であったと言うより他に無い。


武働きで無双の活躍をし、戦国の歴史に名を刻んだ勇士。

策を用い、兵を率い、縦横無尽に戦場を操る稀代の軍師。

戦国時代と言えば彼等の逸話や活躍がよく取り沙汰されるものだが、その活躍を支えた縁の下、技術や交易等の場で活躍した者もまた、その時代を象徴する傑物が数多く存在した事を、種子島時尭の生涯は雄弁に物語っている。

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