I have the Power
力。この世には様々な力が存在する。
知力、権力、組織力。言葉だけでも無数に有るが、力と聞いて人々が真っ先に思い浮かべるのはやはり体力だろう。
重い物体を軽々と持ち、群がる障害を跳ね除け、敵対する者はぶちのめす。見た目からして実に分かり易い。
だからこそなのだろう、力を追い求める者は世界中に時や人種、年齢や性別を問わず極めて多かったりする。
そしてそれは創作の世界でも同じ事なのだ。
ヒーマン。
今回は米国玩具業界にパワーの旋風、いやさ台風を巻き起こした稀代のヒーロー。その傑物を創り出した者達について記そうと想う。
_______________
1.
ヒーマンは1980年代に米国で爆発的な人気を博した人形、否、アクションフィギュアシリーズの主人公である。
彼の特徴、それは何と言っても凄まじい肉体美。
実物大に置き換えると身長2m弱、体重が300kgを超えるという筋骨隆々の身体を持つ戦士・ヒーマンは80年代の玩具業界では異物も異物、衝撃的な姿格好をしていた。
顔も厳つく猛々しい表情をしており、その力溢れるストロングスタイルが米国の男の子に大好評。
『パワーこそ力』を地で行く超特大ヒットを飛ばし、歴史に名を刻む伝説的なキャラクターとなった。
現代でも新しいコンテンツが創られている息の長いコンテンツであり、今もなお新しいファンを獲得している。
しかしそんな完全無欠の豪傑たるヒーマンも、最初から順風満帆な作品だった訳では無い。
1976年。アメリカの玩具会社の一つ、マテルは苦境に立たされていた。自社商品が全くと言って売れないのだ。
原因は他社の売り出していた『STAR WARS』の人形。
公開された直後から大ヒットを飛ばした同作品、その名を冠した商品は発売されるや否や瞬く間に子供達の人気を掻っ攫い、玩具業界を文字通り席巻する。
これは販売会社からすれば実に嬉しい事なのだが、他社にすれば自分のシェアを根刮ぎ奪われる憂慮すべき事態。
マテルもまたその一社、この商品のせいで利益を殆ど出す事が出来ず危機的な状況に追い込まれていた。
かと言って既存の商品では太刀打ち出来ないのは明白、進退窮まった上層部は新商品に全てを賭ける決断を下す。
だが判断を下しただけで明確な計画は無きに等しかった。
当時はSTAR WARSの成功を見、各社から似た様な宇宙物の玩具が無数と開発・販売されており、流行に今更乗った所で見入りが少ないのは確実。
そもマテルは前年に流行っている玩具の後追い商品を作り、それが鳴かず飛ばずの散々な成績を出した事も有って売れ線商品のコピーにはかなり消極的だった。
偽物を作った所で本物には遠く及ばない。ならば自分達で本物を創るしか無い。そう考えた同社は商品開発を一旦止め、何故STAR WARSの人形が売れたのかを再度研究する。
そして彼等はこの人形はキャラクター性が強く、更に映画という媒体が存在していた点が子供の興味を惹いたと理解。
圧倒的な『個性』と確かな『物語』こそが成功の鍵である事を突き止めたのである。これは重要な発見だった。
が、ここでマテルの面々は頭を抱える事になってしまう。
個性、物語などとは一言だが、その実は複雑怪奇な代物。
増して子供が好む作品となると、制作は極めて難しい。
実際この結論に至って以降、開発は暗礁へと乗り上げる。
なにせ子供に好きな物は?と聞いてもスターウォーズとしか返ってこないのだ。リサーチのしようがない。
結局は自分達の力に頼るしか無いが、いかんせん相手は無軌道な子供。時が経つに連れ理性が強まり、常識が備わった大人では彼等が好む自由奔放な設定を構築するのは困難な仕事だった。結果も出せず、徒に時間だけが過ぎていく。
そんな或る日の事だった。いつもの如く行き詰まり、アイデアも浮かばず二進も三進も行かなくなった社員が気分転換にと新聞を開いた。
内容は政治やスポーツ、芸能関係の話。特別面白い物も無く投げ捨てようかと思った時、一つの広告が目に付いた。
『貧弱な身体をトレーニング器具でマッチョに仕上げよう』
そんな宣伝文句を見、その社員は不意に笑ってしまう。
こんなの自分が子供の頃にも有ったな。広告に写っていたボディビルダーが格好良く見えて商品をねだったっけ___
その時。彼の脳裏に稲妻が疾った。
鋼の肉体を纏い悪を挫く、武闘派のスーパーヒーロー。
かつての幼き自分が夢見た存在が今、大人になった彼の元に商品の天啓として再び訪れたのである。
2.
『力』を体現したかの様な、圧倒的なヒーロー像。
そのコンセプトはマテル社内に旋風を巻き起こした。
当時の主流が中肉中背の人形だった中、膨れ上がった筋肉は強烈な存在感を放ち、野獣の様に獰猛な表情は子供のみならず大人の眼をも釘付けにした。
社長をして「パワーが有る」とまで言わしめた人形は、男の中の男という意味で『ヒーマン』と名付けられる。
宇宙最強の力を持つという基本設定を得た彼は徐々に仲間、悪役、そして宿敵たる骸骨魔神『スケルター』を獲得し、無敵のヒーローへと変貌を遂げていく。
途中コミックを商品にくっ付けるというアイデアが産まれ、物語を子供達に理解して貰う下準備も出来た。
そうして準備が万端となり商戦に打って出ようかと思った矢先、意外な所から待ったの声が掛かる。
商品の販売先、小売店のオーナー達からだ。
「血生臭い話過ぎてバッシングの対象になってしまう」
「子供向けとして今の描写では売る事が出来ない」
この意見を聞いたマテルは仰天。
なにせヒーマンは剣を振るい、力のままに敵を倒すも基本は善人として徹頭徹尾描いていたからだ。
描写としても出血や切断が無いように気を付け、非道な行為に及ばない様に何度も会社で確認したのに、それでもなお配慮が足りないと言われるとは思わなかった。
しかし会社としても最早退けぬ場所にまで来てしまっており、今更『ヒーマン』を無しにする事も不可能。
どうにかして一発逆転の策を打ち立て、小売店に販売を決意させなければならない。しかも極々短時間の間で。
悩みに悩んだ末…社内の営業担当がアイデアを思い付く。
「そうだ、特番で自社アニメを放送して害の無い世界だと親に認識して貰おう」と。
先ず主人公を傍目からは臆病で弱々しい青年とし。
野生溢れる剛力の勇者『ヒーマン』は変身後の姿とした。
力を持って勇猛果敢に敵を倒すのでは無く、あくまでも会話を通じて非暴力に徹し、暴力は最後の手段として使用。
寡黙で実直な性格は形を潜め、軟派で軽口を叩く様に。
そして物語の最後には教訓を視聴者に向けて語るのだ。
もはや初期の設定はどこにも無い状態だったが、逆を言えばこれ程の事をしなければ納得されない程マテルの作り上げたヒーローにはパワーが存在した事の証拠とも言えよう。
兎も角。このアニメで親達から安全のお墨付きを貰った『ヒーマン』は、漸くと子供達の元へと届けられる事となった。
苦心の甲斐有って商品は発売後、瞬く間に大評判に。
当初の利益目標を大幅に越す数字を打ち出し、日陰の位置にいたマテル社を一躍時の存在にする活躍を見せる。
外に出れば子供達は口々に『I have the power!!』(力は我に在り!!)と主人公の台詞を真似、アニメは人気を博して何クールも放送される事と相成った。
業績は落ち込むどころか年々鰻登り、商品は出せば出す程飛ぶ様に売れ、遂には実写映画の企画まで舞い込んでくる。
正に此の世の春を謳歌するヒーマン御一行。
が、しかし。山を駆け登り頂上まで辿り着けば、後は降るのが世の常。彼等もその宿命からは逃れられなかった。
3.
ヒーマンの爆発的人気が始まってから数年後、或る異変が彼等に襲い掛かる。玩具が全く売れなくなったのだ。
人気が無くなった訳ではない。前年は過去最大利益を叩き出し、スピンオフとしてヒーマンの女性版とも言える『シーラ』が放送開始されたばかり。
これから更に躍進する筈だったのに何故、どうしてとマテルの社員は疑問に思わずにはいられなかった。
結論から言えば売上が急落したのは人気の急過ぎる上昇、それに伴う商品不足が原因と言える。但し、ここで言う商品不足とは単に種類の問題では無い。
核となるキャラクター、主役級の不足が問題だったのだ。
当時玩具屋で最も売れていたのは主役のヒーマンと宿敵・スケルター、次いで初期から登場している仲間達。
彼等は安定して売れており、売り切れる事もしょっちゅう。
それは良かった。人気有る物が売れるのは常なのだから。
だが、その商品だけが売れるのは会社として頂けない。
同じ物を二個も三個も買う人間は数少ない。
だからこそ新しく買って貰う為に新キャラが必要となる。
その原理に則り、ヒーマンのフィギュアは驚くべき数が排出された。それもたった数年の間にだ。
それ自体は名実共に凄い事なのだが___問題なのはそうして作ったキャラに人気が出るのかどうか。
最初は良かった。何時でも人気の主役達が売れていた事で遊び相手として次いでに買って貰い、複数集めた事でもっと欲しくなるという好循環に至っていたのだから。
だが人気が白熱して主役が売り切れ始めると話が違う。
次いでに買って貰う需要は無くなってしまい、元の魅力だけが露わとなる。そこに在るのは変な人形、それだけだ。
悪貨が良貨を駆逐すると言うべきか、ATARIショックの再来と言うべきか。
ヒーマンに掛けられていた無敵の魔法は解けてしまい、子供達は新商品を買わなくなってしまった。
新しい物への興味を失えばやがて記憶からは薄れていき、遂には忘れ去られる。好循環から一転、悪循環へと急落。
この流れは凄まじく強く、マテル社の方策も虚しくヒーマンは凋落の一途を辿る。
こんな時の為に兄妹番組『シーラ』の力が必要なのだが…いかんせん急速な人気向上が災いして企画に時間が取れず、二番煎じどころか殆ど全て丸被りの作品を放映してしまう。
同じ物が放映されるなら、より良いヒーマンの方を選ぶ。
そしてそのヒーマンの人気は下がっていく一方。当然シーラも同じ様に沈没していく。
ではリメイクはどうだ。そう考えてデザインを一新したアニメを放映。復活を強調すべく、OPテーマで『彼等が帰ってきた!』との歌詞を何度も連呼する念の入り様。
が、それが逆に仇となった。
悪いイメージを払拭しようとデザインを一新した事とカムバックを狙った戦略がものの見事に不一致。
顧客はかつてのヒーマンとは似ても似つかぬキャラに対し、顧客である子供達が興味を持つ事は無かった。
復活の初っ端からこんな大失敗をかましたのだ、当然の事だがヒーマンの規模は瞬く間に萎み、社内での立ち位置も日に日に危うい物となっていく。
最早状況を打開するには生半可な代物では足らず、博打と言えども大逆転級の成果が必要となっていた。
そこで彼等は以前から進められていた企画に目を付ける。
実写映画化___巨大なスクリーンで往年のパワーを再現し、人気の再燃を目論んだのだ。
映画の力を『STAR WARS』関連商品で理解していたマテルは映画会社に多額の援助を行うなど助力を惜しまず、広告も自社持ちで実施するなど凄まじい熱の入り様だった。
そして遂に努力が実り映画が完成、晴れて全国で公開されるに至ったのである!
結果、作品は大ゴケした。
実写映画はデザインは似ても似つかず、脚本はアニメ版どころか漫画版すら参考にしていないオリジナル。
極め付けに主人公の決まり文句「I have the power」すら劇中に登場しないという体たらく、原作のげの字すら存在しない作品がファンに受け入れられる筈も無く、製作費すら回収出来ない歴史的大失敗を遂げてしまう。
そして、それはヒーマンの商品展開が終わりを迎えた事も意味していた。ブランドを底の底まで落としてしまった玩具は会社からの興味すらも失せ、歴史の闇へと葬られてしまったのである___
_______________
ヒーマンが失敗した理由。それは彼等が初期に突き止めた様に『個性』と『物語』が失せたのが原因だろう。
あまりに急激なヒット故に次弾を用意する時間が取れず、矢継ぎ早に商品を展開した結果、大して設定も無い上にデザインも微妙なフィギュアが大量生産されてしまった。
結果、彼等の在庫が棚を圧迫してしまい店側が困窮し、更には子供達から『人気』という幻想が失われてしまう。
売る人・買う人両方からそっぽを向かれたヒーマンは努力も虚しく飽きられてしまった、という訳だ。
___しかし、彼等の話が終わった訳では無かったりする。
販売停止してから十数年。もはや誰も知らない存在と化していた筈のヒーマンは、突如として新作3Dアニメとして復活を遂げた。この誰も予想だにしない新作発表の陰には往年の顧客、その昔に玩具を買っていた子供達の尽力が有った。
そう。ヒーマンは販売が終了して以降も根強い人気を持っていたのである。
誰も彼を忘れてはいなかった。彼の力強い個性は忘却する事を許さなかったのだ。
その強烈な個性、そして力を際立たせた物語は当時の子供心を掴んで離さず、幼い脳に強烈に焼き付けられた。
その記憶は大人になっても消える物でも無く、やがてインターネットの発達と共に交流という形で爆発する事となる。
コミコンならぬパワコン___ヒーマンを愛する者達が集う大会は長年開催され、かつての熱狂を再現していた。
そこには昔の子供さながらに遊び回る子供の姿、冷静に作品を語り時には自分なりの考えや物語を話す大人の姿の両方が存在しており、皆が皆楽しみ、語らい、そして探究する事が出来た。何年も何年も、熱意を失う事無く。
彼等・彼女等の存在が良く言えば単純明快、敢えて悪く言うと単調な物語だったヒーマンに複雑な感情や関係性を構築させ、現代でも通じる設定を創り出す原動力となり、新作を作る燃料となったのは間違いない事実だろう。
マテル社が創り上げたヒーマンという作品は紆余曲折有りながらも、ファンという最高の製作者の手に届けられた。
各々の『個性』が寄り添う事で復活までの『物語』が用意され、無敵のヒーローは転生を遂げた…というのは少し言い過ぎだろうか。




