枯れた花
山から敵陣を見下ろす形で、隊列を組んでいた。百騎の騎馬隊である。
敵陣から声が上がり始める。敵襲、夜襲、正面から二百騎が攻めかかっていた。
敵に夜襲に対する備えはあったのだろう。まず敵に見張りが矢を放って食い止め、次に起きだした兵が敵に責めかかる。混乱は少しだった。しかし、こちらはそれで十分だった。
静かに山を駆け下り、敵陣後方から攻めかかる。敵の殆どが、正面に釘付けだった。夜襲のため数を正確につかんではいないのだ。
「敵には目をくれるな、兵糧だけを狙え」
俺の言葉に百騎の騎馬隊が三隊に分かれる。すでに斥候と山からの見下ろした情報で大まかな兵糧の位置はつかめていた。
まず先頭の数騎が皮袋に入れた油を振りまき、次の数騎が火矢か松明を放つ、あとの騎兵は威嚇用の矢を放つ、その間はけっして止まらない、駆け続ける。
敵は大混乱を起こしていた。陣は燃え盛り、敵兵の悲鳴が木霊する。
敵陣を駆け抜け、百騎は一つになりながら撤退する。後方で爆発が起きていた、陣の中にある油に引火したようだった。
「しっかり駆けろよ、ロイ」
言って俺は、ロイと呼んだ少年の背を叩いた。恐ろしかったのだろう、ロイは涙と鼻水を啜りながら、はい、と叫んだ。
「よくやった」
将軍の声はその言葉と裏腹に硬く冷たかった。指揮者のテントである。
当然だと、俺、ゼルは思った。
レバリア軍が二万の軍を率い、リンディアの領土を侵犯、リンディアも直ちに二万八千(傭兵三千含む)を出動させる。レバリアは先鋒五千を急進させ、陣を作り、本隊を待っていた。その先鋒を崩すため、リンディアも傭兵二千を含む六千を急進させる。その六千の指揮官であるバラパ将軍は勢いを駆って奇襲をしかけるも敵の備えの前に敗走。六千は四千弱(傭兵千九百)となっていた。バラパは焦った。ただ敵を足止めしておけばよかったのに、副官の進言に従って奇襲をしかけた結果(例えそうだとしてもこれは指揮官の責任以外のなにものでもない)、千以上の兵を死なせてしまったのだ。
どうするか、このまま待機していれば、本隊はリンディアの方が近いから合流して、レバリアの先鋒を打ち破る事は出来る。しかし、自分は責を免れられない。ならばと、バラパは、ゼルを呼びつけた。
ゼルは傭兵部隊の隊長である。
果たしてバラパは言った。傭兵部隊のみで敵陣を攻めよと。バラパは無論傭兵部隊のみで勝てるとは思っていない。つまり責任の押し付けである。傭兵が責める、そして負ける自分は傭兵部隊のせいで敗北したのだと、バラパは本隊に言うのである。
(戦争の犬には相応しかろう)
そう思い、彼は厳粛な顔のまま、心で嘲笑った。しかし、ゼルは意外、否、バラパから見れば、狂人としか思えぬ発言を返した。
「ならば、三百で攻めましょう」
「三百だと、何をふざけた事を、貴様、戦う前から負けるつもりか」
負けてもらわねば困るバラパだが、憤慨したような声で叫ぶ。しかし、ゼルは束ねた髪を左右に揺らして、あっさりと言いのけた。
「三百で勝てますよ」
「隊長、どうでした」
二百の騎馬隊を率いていた、ファリアンが、陽気な声でゼルを出迎える。褐色の肌、長身の偉丈夫で、ゼルとは三年近い付き合いである。
「どうもこうも、想像どおりだな、まぁ追加報酬はもらった。あとで分配する」
「なんせ、あのおっさん。俺らを悪魔でも見るような目で見ていましたからね」
「でも、本当に勝てるなんて思いませんでした」
ファリアンの隣で、ゼルの鎧の手入れをしていたロイが、興奮した感じで喋る。ロイは今年で十六の少年だった。リンディアの端の小さな村の出身で、靴屋を営んでいた父が死に、残されたのは、病気がちな母と妹に弟、そして長男の自分だった。家族に蓄えは殆どなく、父の手伝いで靴職人としての腕前はそこそこにあったが、父が死んでから靴はやはり自分の腕前同様に、少ししか売れなかった。とても家族を養い、母に薬を買ってやるような稼ぎは得られなかった。当時まだ十五の自分には他の稼ぎ口も見つからなかった。
故にロイは傭兵をやる事となった。傭兵は上手くやれば、普通の仕事の数倍の稼ぎが手に入った。もっとも代償は己の命である。
ゼルはロイを従者のように使っていた。その分ロイに報酬は上乗せしている。
興奮した目で自分を見るロイに、ゼルは子供を戦わせているという事に、僅かに表情を浮かべる。
それは自嘲だった。
「ゼルさ〜ん。おかえりなさい」
元気な声がかけられたのは、商店や露店が立ち並んでいる大通りからだった。
見知った少女が、駆け寄ってくる。ゼルの手前で少女が転びそうになる。ゼルは軽く駆けて少女を支えた。
「リア、お前はこけるから走るな」
「はい、すみません」
謝りながらも、リアと呼ばれた少女は嬉しそうに笑っている。
リアと出会ったのはゼルがリンディアに来てすぐだった。入国審査が終わって管理局の外に出て、傭兵宿舎に向かう時である。リアはどの国にでもいるチンピラに襲われそうになっていた。そこをゼルは助けた。理由は簡単だ。単純にそういう奴らがゼルは嫌いだった。チンピラは三人組みだったため、ゼルに下卑だ笑みを浮かべて襲い掛かって来たが、その表情は瞬く間に、恐怖へと変わった。
チンピラを追い返した(正確には一人は眼底骨折、もう一人は鼻骨骨折、最後の一人は玉を潰して泡を吹かせた)後に、ゼルはリアにも説教をした。
リアは花売りをしていたようだが、そこは港近くで、人通りも少なく、パッと見で治安の悪い場所だとゼルには判った(どこの国にも似たような場所はある)。そんな所で花売りをしていれば、勘違いをして寄って来る客もいるし(こういう場所での花売りには別の意味が含まれる場合がある)、さっきのようなチンピラに絡まれる事も当然あるからだ。
話を聞くと、花売りは最近し始めた仕事で、そんな意味は知らないようだった。
ともかくゼルは花売りをするなら夜には絶対せず、大通りなどの広く人の多い所でしろと言った。名前はお礼をするからと、必死に言われたので職業と共に教えていた。傭兵と聞けばもう、関わろうとはしないと思っていたが、リアはゼルを見かける度に元気な声と嬉しそうな笑顔で駆け寄って来るのだった。
「今回の戦は早かったんですね、怪我も無いみたいで」
「敵が早々と撤退してくれたからな」
ゼルがしたのは先鋒の兵糧を燃やして、先鋒を壊走させるつもりだけだったが、敵の兵糧は予想よりも多く、おそらく本隊の分も先にいくらか、陣に持ち込んでいたようだった。おまけに、明かりや、飯炊きに使うための油にまで、引火して大火災を起こし、二千程の敵兵が焼死したようだった。先鋒が敗走し、かなりの兵糧を失ったレバリア本隊はこちらの追撃を恐れ、早々と撤退していた。
元より、意味の無い争いだ、国境線の僅かな領土の取り合いなど、ゼルはそう思う。リンディアとレバリアの更に東の東方諸国は大皇帝に統一され、後数年で西方に進軍する勢いだった。リンディアやレバリア他数国の西方諸国はくだらない国境の争いなどに時間を費やさず、外交をし一致団結して、大皇帝に立ち向かわなければ、飲み込まれるのは必至だった。大皇帝は自分の民族が至上という主義を持っていた。東方ではそれで虐げられているものも多いと聞く、つまり西方の民族などは、彼にとっては蛮族であり、扱いの過酷さは想像できない。だが一方で、大皇帝は、世界を統一し平和へと導く救世主かもしれなかった。
「ゼルさん?」
リアの声で、ゼルは思考の渦から目を放す。彼女は相変わらず春の光というような笑顔のままだった。栗毛の髪が光で黄金に輝いた。
「ああ、まぁ楽な仕事だったよ……今日は花売りか」
笑顔から目をそらし、腕にかけた籠に目を向ける。中には色とりどりの花が輝いていた。
リアは複数の仕事を掛け持ちしていた。更に彼女は今年十八でまだ学生だ。彼女は没落した貴族の家柄だった。父は王国騎士だったが、三年前の戦で片足が不随になっており騎士を辞めざるを得なかった。まだ四十になる前の身での引退でプライドをズタズタにされたのだろう、父は酒と博打におぼれ、借金まで作ってしまった。しばらくは国からの俸給でなんとかなったが、それも目減りし、借金の返済まである。彼女はまだ初等部に上がったばかりの弟とあまり体の強くない母の変わりに、いくつもの仕事を掛け持ちして働くしかなかった。
「買っていただけます?」
「俺に花が似合うと思うか?」
「花は誰にだって似合うものですよ、癒しにもなります」
「……一束くれ」
言って、彼女が言った額の倍額を払う。
「多いですよ」
「チップだ。たまには自分のために使え」
「…でも」
恐縮する彼女の頭に手を置いて、クシャクシャにする。
「ひゃあ」
「いいから使え、命令だ」
有無言わさぬ口調でゼルは言う。
「命令ですか」
リアは髪を直しながら上目遣い。
「命令だ」
ゼルは憮然とし見下ろすように言う。彼女はそれを見てクスリと笑った。
「分かりました。命令承ります」
わざとらしく、彼女は敬礼までして見せた。もっとも顔は、ゼルの苦手な春の光の笑顔だった。
ゼルは、フンッと言って目をそらした。
彼がリンディアに来て一年が過ぎようとしていた。
「ゼル、一杯やろうぜ」
ファリアンがグラスと酒瓶を片手に陽気な声で部屋に入る。ファリアンは二人のときはゼルを名前で呼ぶ。
グラスをテーブルに置いてからファリアンは、ゼルの部屋のある一点を見て目を丸くした。
「おい、なんだ、この異文化は」
「失礼なやつだな」
普段ゼルの部屋は、備え付けのテーブルと、数冊の本そして、傍らの剣以外なにもない。しかし、今日は寝台の傍に鮮やかな花が置かれていた。
「まぁいいけどよ、似合わなくないか」
「俺もそう思うが、リアに言わすと花は誰にでも似合うんだそうだ」
「なるほど、なかなか商売上手だな」
ファリアンが皮肉な笑みを見せながら、グラスをゼルに渡す。
「そうだな」
グラスを受け取りながらも、ゼルは花を眺めていた。
「まぁいいさ、それより飲めよ、今日はいいのだ。十年物だぜ」
ゼルを見て、肩をすくめながら、ファリアンはグラスに酒を注いだ。好い香りが微かに立ち上る。その言葉を聞いて、ゼルは一口舐める。
「本物みたいだな」
「お前も大概失礼だな」
言って、お互いに軽く笑った。
戦況や、上官の批判などで酒を半分ほど空けた時だった。
「そう言えば、リアちゃんだけどな、噂で、婚約者がいるって聞いたが」
「…そうなのか」
ゼルが示したのは僅かな沈黙。表情もなにも動かしていない。しかし、ファリアンはそれを見て、口元をニヤリと引き上げる。
「詳しく調べようか」
「何でだ。関係なかろう」
ゼルは表情を動かさない。しかし、ファリアンはそれを無視して話を続ける。
「二十年物のいい酒が欲しいな」
「・・・チッ、好きにしろ」
それは、了承の台詞だった。
「まいどあり、じゃあさっそく調べるかな」
言って、ファリアンは部屋を出る。酔った様子は微塵もない。
「婚約者……か」
ゼルはゴロンと横になって天井を見上げる。思ったのは政略結婚という言葉だった。
ゼルが、初めて人を殺したのは、十六の時だった。相手は父親だった。
ゼルは東方と接する西方の端の小さな国の出身だった。父は、騎士の従者をしていた。ゼルが十三の時、父が、片足を失う怪我をした。小さな紛争で、主人である、騎士を庇ってであった。しかし、その騎士が父にしたのは、僅かな金を渡しただけだった。むろん従者の職は取り上げられている。
それからだ、父がゼルや、母に暴力を振るうようになったのは、三年たっても、父が変わる事はなかった。母は、見る見る内にやつれ、それでも健気に父を支えていた。ゼルもよく殴られた。目つきが悪いというのが、理由だった。
殺すのは簡単だった。酒を飲んで眠ったところを、農具の鎌で刺し殺した。ゼルは笑っていた。これで母を救える。ただそう思った。しかし、母は、血濡れの自分と父を見て、号泣した。
その数日後、母は寝室で自決した。
死体の近くには、ほとんどない家財を始末して作った僅かな金と、ごめんなさい、貴方は生きて。と書かれた一文があった。
何故なのか、分からなかった。解りたくなかった。あとで見つけた母の手記をみて、どんな目にあっても父を愛していた事が分かった。そして、自分の事も、責任をとる。それが手記の最後の一文であった。
リアに対して少し、感情移入しているのは、自分の過去のせいなのか、家族のために自分を犠牲にするその姿に、母に似たものを感じるからなのか、ゼルには判らなかった。
「休憩だ」
ゼルの言葉に全員が思い思いの声を上げた。訓練場である。
ゼルの率いる、第二傭兵部隊三千の訓練は中々に過酷である。
通常は朝の八時から午後三時で、他の部隊と同じだが、月に一度、一週間外で殆ど寝る暇の無い実戦さながらの訓練をする。その後二日休みを入れて、また通常に戻るのである。
訓練での怪我人に、上層部は目くじらを立てていたが、その評価は、実戦後、すぐに変わった。何故か。少ないのだ。実戦での死者が。ゼルの傭兵部隊の死傷率は、他の傭兵部隊二部隊と比べると遥かに少ないのだった。任務危険率が違うのではない。むしろ、ゼルの部隊の方が高い位である。それが分かっているのだろう、ゼルの下の傭兵達は文句を言う者は少ない。
しかし、どんなに訓練をつんでも、実戦である。実戦こそがもっとも、兵を鍛える。そう考えれば、無意味と言える国境線の争いにも意味が見えてくる。騎士団の中にも精鋭が出来始めていた。傭兵部隊が強くても、意味がないのである。騎士団が強くなければ国を守ることはできない。今騎士団で最も精鋭なのは、リンディア筆頭三家の一つである、ラデナント家の白豹騎士団だろうとゼルは思った。その騎士団を率いているのは、ラデナント家の次男だそうで、傑物だと言う話だった。
そんな事を考えていると、ロイが、紙を取り出して、何か書いていた。覗き込んで見ると、靴の設計図の様だ。
「新作を考えているんです」
見ると、踵の部分に小さな空洞が書かれている。
「ココがポイントなんです。これで、衝撃を吸収させて、足の負担をなくすんです」
中々に面白い。他にも、爪先には薄い鉄板を入れるつもりのようだった。
「軍靴を参考にしているんです。普通の人だって、土木作業とか他にも危ない作業がありますから、後は、重くなりすぎないように出来れば、完成です」
いい発想である。上手く出来れば軍靴としても使えそうだった。戦をするものにとって靴は剣よりも重要な代物だと言えるのだ。
「いいのが出来たら、隊長にお渡しします」
言ってロイは楽しそうに笑った。本当にこういう事が好きなのだと、その顔で分かる。
ゼルは、少しそっぽを向きながら、金貨をロイに放る。
「隊長?」
「開発費用だ。軍靴にも使えるようにな」
言って、ゼルは、自分の足元を指した。ロイは嬉しそうに頷いた。
「お優しいこって」
「ファリアンか」
振り向くと、ファリアンが陽気な笑みを浮かべていた。なんとなくその笑みで話の内容が分かった。ゼルは目で、人のいない木陰を示した。
「でっ、どうだった」
「モノは?」
そっちが重要と、ファリアンは笑みを見せる。ゼルは軽く舌打ちして答えた。
「三十一年物だ。高かったんだからな」
見合わなければ、飲まさんっと、目でゼルは威嚇する。
「本物?」
「本物だ」
言ってお互いなんとなく軽く笑った。
「さて、本題なんだが」
「どうした」
「いや、予想外に大物だったんでな」
言いながら、ファリアンは軽く頭を掻く。ゼルはオウム返しに問いかける。
「……いやなに、彼女のお相手だが、ラデナント家の次男坊だ」
リアの婚約者は、現在リンディア最強の騎士団団長、ディアス・ラデナントであった。
ディアス・ラデナント、二十五歳、リンディア筆頭三家ラデナント家次男。長男であるリウイ・ラデナントが政界に進出したため、父の後見を持って、二十四で白豹騎士団団長に任命、就任する。リンディアには五つの騎士団があるが、その中でも歴代最年少の団長就任であった。その後、レバリアとの国境争いにおいて、白豹騎士団を精鋭へと育て上げる。その手腕、名声、家柄に、若い騎士達にシンパも多く、次世代のリンディアを間違いなく背負う事になるであろう、逸材であった。
「おまけに、物腰は穏やかで、紳士的っと、いや、これは、結婚相手としては文句無しのお相手だな」
ファリアンは首筋をボリボリと掻き毟った。自分で言いながら、むずがゆくなったようだった。
訓練の帰りに、出会ったのは、噂をすればなんとやら、というやつなのか、それとも、嫌いな言葉だが、神様のいたずらというやつなのかもしれない。
馬車が止まる。紋章は白い豹。ラデナント家の紋であった。金色の髪を綺麗にまとめ、上等なタキシードに身を包んだ、美青年が降りる。ディアス・ラデナント、瞳が、二十五歳とは思えぬ落ち着きと穏やかさを表していた。次にディアスに手を引かれて降りてきたのは、普段見たこともない、豪奢なドレスを身にまとった、リア・ベルカネントだった。
貴族なんだな、と思った。リアは僅かに表情が硬いが、それが豪奢なドレスとあいまって、リアをより美しく見せていた。自然と周りの注目を浴びる、お似合いのカップルだった。
ゼルは、それを数瞬眺めて、足早に立ち去ろうと思った。しかし、リアに目が合った。僅かに声が上がる。表情は更に硬くなった。ディアスにも気づかれる。
挨拶をせずに去るのが逆に怪しいような雰囲気となった。
「貴方は?」
ディアスの声は瞳同様に、穏やかだった。
「初めまして、第二傭兵部隊、指揮官、ゼルといいます」
リアが何かを言うような、隙を与えず。ディアスに敬礼する。ディアスは僅かに数度瞬きをして、要領を得たように頷く。
「第二傭兵部隊、知っています。先の戦でも活躍されましたね」
「活躍したのはバラパ将軍ですよ」
軍本部では、手柄を金で売っているのでそういう事になっている。しかし、ディアスは軽く首を振る。小さな事でも絵になる男だった。
「私は、若い騎士たちと繋がりがあります。まぁ、その件に関しては、あなた方が、己の意思でしている事なので私は何も言うつもりはありません。他にもいくつか似たような話を聞いていますが、どれも賞賛に値します」
ディアスのその言葉には、相手が傭兵だからと、見下す部分は一切無く、純粋に相手を敬意し賞賛していた。本物の紳士という奴だった。
「それでは、自分は急ぎますので、これで」
ゼルは適当にいいぬけて去ろうと思った。これ以上ここにいてもしょうがない。
「……あの」
「それでは」
何か言おうと口を開いた、リアに自分の出来る最大の作った笑みを見せて立ち去る。
この笑顔の意味が解らぬほど彼女は愚かではない。それは決別。
部屋の花は、殆どがしおれ始めているが、ゼルは捨てる気になれなかった。全部が枯れれば捨てようと思っている。枯れた時はまた考えが変わっているかも知れない。
外に出ると、戦の気配が濃厚だった。レバリアが、また国境線沿いに軍を送り込んでいた。 数は六万を超えている。近いうちに、こちらも出陣するだろう。数はこちらも六万近い数を揃えている。この一年で一番大きい戦になるだろう。そしておそらく最後の戦。どのみちリンディアとレバリアの戦は国を滅ぼす云々の戦ではない。どちらがいかに有利な立場になるかの外交としての戦なのである。どちらが勝つにせよ、この後は、西方諸国は嫌でも一般外交に移る。大皇帝の足音が近づいているのだ。レバリアにとってはこの後の外交のためにも、負けられない戦、そしてそれは、有利を守るリンディアも同じである。
ゼルが訓練場を通る時に通る近道の脇道で、彼女は立っていた。
「待って下さい」
素通りしようとしたゼルの背にリアの声がかかる。振り向く必要はないと思ったが、ゼルは振り向いてしまった。リアの顔は固く、唇は僅かに震えていた。
「何か?」
「黙っていたのは謝ります。だから……」
「貴方が謝る必要は無いんですよ、リアさん」
ゼルは笑みを顔に貼り付ける。リアは激しく頭を振り、ゼルに駆け寄る。
「そんな言い方は止めて、私は」
言うな、ただゼルはそう思った。しかし、リアはゼルの目を見て、言った。
「私は、貴方が好きです。だから貴方にだけは誤解されたくない」
「だからと言って、どうなる、君の結婚は君と君の家族にとって必要な事だ。俺にそれを求められても困るな」
あきれたような馬鹿にしたような声で、ゼルは答える。
(俺は出来ているか?演技を)
「それでも私は貴方が……」
「好きか・・・いいぜ、せっかくだからな、結婚して世話するなんてのはごめんだか、一夜妻としてなら買ってやるよ、いくらだ?」
ゼルは下卑た笑みを浮かべてみせる。
音が弾けた。
ゼルの頬にもみじが浮かぶ。
「……馬鹿にしないで」
リアは涙を浮かべていた。走り去る。
これでいい。ゼルはただそう思った。
泣いたのは、自分の部屋に戻ってからだった。家に戻った後、母や、使用人には、一切態度で分からせはしない。どんなに苦しくても、泣くのは、部屋で枕に顔を埋めてだ。心配をかけさせたくない。それはいつしか習慣になり、呪縛のようなモノになっていた。
使用人は、ラデナント家が付けてくれたものだ。父の借金も、いつのまにか肩代わりしてくれていた。
何故ディアスが、自分を選んだのかリアは知らない。知っているのは、ディアスに結婚の話が持ち上がった時に、本人がリアの名前をいったのだ。引く手数多のディアスだから、色々と反対があったが、曲げなかったらしい。父は喜んでその話に飛びついた。渡りに船どころではない、相手は、筆頭三家の一つ、国家中枢に位置する、大貴族だった。
自分の知らない所で話は父が勝手に進め、気付いた時には、何もかも決まっていた。
それでも、家族の前では自分は笑っていた。
ゼルが好きだった。思いを受け止めてもらえるとは思ってはいない。ただ好きだった。それは感情で、理屈では説明できるものではない。彼が取った態度の真意も言葉の意味も解っている。ディアスはいい人だった。どんな思いも時が流す。彼と結婚すれば、自分は幸せになれるのだろう。
全てを捨ててもゼルが好きだというこの思いも、時は優しく、そして残酷に押し流してゆくのだ。
「どうぞ」
穏やかで、丁寧な口調を聞いて、ゼルは部屋に入った。椅子に腰掛けたディアスがこちらを見る。手で目の前の椅子を指し示す。
「今回はこちらに組み込まれる事になるそうで」
ゼルは椅子に腰かけながら、いい椅子だなと思った。ディアスは頷く。
「我が白豹も、ほぼ全軍の二万を出します。第二傭兵部隊は、そこに組み込まれますが、遊軍といった形です。今回の戦に必要だと思ったものは、言ってください。手配いたします」
力を認めているということだった。
「後で、文章で提出します。少々変わった注文をしますが?」
「お好きにしてください、疑問ははさみませんよ。では、仕事の話はこのくらいでいいでしょう」
言って、ディアスはキャビネットにある酒とグラスを取り出す。透明な液体がグラスに満たされる。
「東方の蒸留酒です。お互い腹を割るには、酒でも飲まないと、傭兵は何年ほどに?」
グラスを受け取り、一口付ける。きりっとした味わいで、後口が良い酒だった。
「八年になります、いつもこのように?」
ゼルの言葉にディアスは首を振って曖昧な笑みを浮かべる。それは自虐のようだった。
「私は、ずるい男なのですよ、弱みに付け込むような真似をして、彼女を手に入れようとしているのですから」
リアの事だというのは分かったが、何故自分にそういうことを言うのか判別がつかず、ゼルは沈黙する。
「知っていたのですよ、貴方とリアさんのことを」
ゼルは顔を上げる。ディアスは一息にグラスを飲み干す。
「私が、彼女を知ったのは、ちょっとした噂話からでした。没落した貴族の娘が外で働いていると、ちょっとした同情心で見に行ったのです」
言い、ディアスはグラスに酒を注ぐ。
「痺れるようなものを感じました。私は今まで、貴族らしい貴族の娘しか知りませんでしたから、毎日のように働く彼女を見て、気付けば、彼女の身辺から家の事情まで調べるようになっていました。結婚という言葉が出た時、私には彼女しか思い浮かばなかった」
ゼルも、グラスを飲み干す。妙にのどが渇いた。ディアスは、自然にゼルに酒を注ぐ。
「ちゃんと彼女と会話して、話を進めようと思いましたが、私はそれを選択出来ませんでした。貴方がいたから」
「俺が?」
「ええ、彼女は貴方以外には、あんな自然な笑みは浮かべません。こちらが痛くなるような笑みばかり。正攻法では駄目だと、思いました」
だから外堀を埋めた。攻城戦の作法というやつだ。
「卑怯な手を使いました。しかし、私は自分の手で彼女を幸せにしたい、そのためには手段を選びません」
「……それで、いいんですよ、間違いなく、リアとリアの家族を幸せにするのは、貴方が適任でしょう」
「思いは変わるでしょうか」
「変わりますよ、貴方が一途に思えば」
ゼルの言葉に、ディアスは、軽く笑い、それにはいささか自信があると応えた。
しばらく、無言でお互い酒を飲んだ。
「最後に、一発アンタをぶん殴っていいかな」
「それなら私も貴方を一発殴りたい」
「ならお互いに、一発」
「ええ」
その日、お互いに奥歯が欠けた。
「先鋒、壊走。敵、重騎兵です」
「鉄牛騎士団か」
ディアスは歯噛みする。先鋒の二万が蹴散らされた。将軍はバラパだ。
鉄牛騎士団。平均体重が一tの馬にフルメイルとランスで武装した、一万の騎兵騎士団だ。速度はさほどないが、圧倒的な突撃力があった。
「自分の部隊を先行させて下さい」
言ったのはゼルだ。白豹騎士団の幕僚の視線が集まる。出すぎた真似をするなと言う声がちらほらと聞こえる。
「策があるか」
ディアスの言葉に辺りが静まる。ゼルは頷く。
「本隊は後詰として来ていただきたい、そして・・・」
ゼルの語った策にディアスは目を見開く。
「たしかに、それが嵌まれば、鉄牛は潰せる。しかし、三千で止められるのか?」
「必要な物は頂いています。必ずや」
「わかった」
「なぁんだ、あの貧弱な部隊は」
眼前に見える、三千の部隊に、鉄牛騎士団長、バスク・スタインは嘲笑した。
「あれで、我が、鉄牛重騎兵の突撃を止めるつもりか」
「装備がまちまちです。傭兵だと思われます」
隣の副官が冷静な言葉で、分析する。その言葉にバスクは更に嘲笑を濃くする。
「傭兵だろうがなんだろうが、三千、しかも殆どが歩兵ではないか、何も出来ぬわ」
その言葉に副官も沈黙して考える。しかし、結果はバスクと同じであった。
「斥候を出して、伏兵の有無を確認しましょう」
「いらぬ、あれを蹴散らし、本隊まで勢いを駆って突っ込むのだ。伏兵など出す暇を与えぬわ」
副官も考えるが、沈黙する。バスクの言うとおり、勢いは大事だった。
「全軍。突撃」
雄たけびが、天を蔽った。
三千を横隊に構えた。兵法なら無意味と言ったところか。眼前の一万の重騎兵を見ながら、ゼルはなんとなく可笑しくなり笑った。周りはそれを見て、隊長どのが笑っている。自信があるのだ、勝てると、信じた。
「用意させろ」
ゼルの言葉に、ロイがはいっ、と応える。全員が弓を用意する。矢の先端に袋が付いていた。
雄たけびが天を蔽った。鉄牛騎兵が、向かい風をものともせずに迫ってくる。
「まずは俺だな」
ファリアンが、五百の騎兵を横隊のまま先行させる。弓をつがえた。
「馬鹿め、たかだか、五百で何ができる」
フルメイルを装備した騎兵に弓など効かぬと、鉄牛騎兵は突撃する。
「狙うは馬だ。いいな、放て」
ファリアンの言葉に五百の弓が舞う。それは、一万に比べるとあまりに少ないが。
「なんだ、何が起きた」
バスクは目を疑った。前衛が崩れていた。馬が暴れている。一度前方で軽い爆発が起きた。おそらく火薬だ、だがそれだけじゃない、色がおかしかった。矢が次々と降る。袋が破れ赤い粉が撒き散らされる。矢は更に増える。残りの歩兵も何か、小袋を投げ始めていた。向かい風に乗りこちらにまで赤い粉が霧のように、鉄牛重騎兵を蓋った。
バスクは叫び声を上げた、従順な愛馬がいななき、バスクを振り落とした。落ちた衝撃で全身に激痛が走る。フルメイルのせいだ。粉が目に入り、激痛と共に涙が溢れる。これは、刺激の強い香辛料か、愛馬がこちらに狂って突っ込んでくる。一tを超える馬の太い足が、蹄が顔面を覆う、それがバスクの最後の光景であった。
混乱の極みに達した、鉄牛重騎兵を潜行していた、白豹騎兵六千が左右から、攻め立てた。それに傭兵部隊も加わる。退却する鉄牛重騎兵騎士団一万のうち、九千以上を討ち取る。(こちらの先鋒二万が壊走したが、死者は五千ほどである)大戦果であった。
「敵本隊、鉄牛全滅で、退却を始めました。我らの勝利です」
斥候の興奮した声に、全員が勝鬨を上げた。
戦から帰った時。花は枯れていた。
時は流れ、ゼルの想像どおり、レバリアとの休戦が締結され、一般外交へと移行し始めていた。一時的ではあるが戦の季節は終わりを告げた。
当然、戦商売の傭兵も雇用は打ち切られ、部隊は解散させられた。
「もう、用済みだな」
言いながら、ゼルは少ない荷物を整理していた。枯れた花は結局捨てられず、布に来るんで、鞄に詰めた。空きは十分あった。
ロイには、混戦のなか敵将の首を手に入れて渡した。鉄牛騎士団長バスクの首である。相当な報酬になったはずだ。それを元手に靴屋をやるように言っておいた。
そろそろ出よう。軽く片付いた、自分の部屋を眺めて、思ったときだった。
扉が開く。リアだった。
「お別れを言いに来ました」
彼女の目には色々な感情が混じっているようだった。自分も同じだろう。
「そうか、卒業は来週だったな……幸せにな」
ディアスとの結婚は彼女の卒業と同時だった。ゼルの言葉を聞いて、彼女は笑った。ゼルの苦手な、春の光の笑顔だ。
「……ゼルさん、貴方のことは今でも好きです。でもやっぱり私は家族を捨てることは出来ないし、貴方と一緒に剣を使うことも出来ません。こんなことも分からず、思いだけを、貴方にぶつけてしまった」
「……それが、感情ってものさ」
どうしようもなく切なくなった。鞄から、ゼルは枯れた花を取り出し、リアに渡す。
「これは……」
自分から買った花だと、リアは気付く。泣き笑いのような顔になった。
「自分じゃ、捨てられそうにない」
リアは頷いて、布に巻かれた花を、胸に抱いた。そして、ゼルの名を呼び、顎を僅かに上げ、目をつむった。
これが分からないほど、ゼルも無粋ではない。唇を奪うくらい、いいかとも思ったが、結局口付けは、額にした。唇を奪えば、それだけでは、我慢できなくなりそうだった。
背を向けて部屋を出る。ゼルにリアは、元気に寂しさが入り混じった声で言った。
「さようなら、私、幸せになってみせます」
エピローグ
ゼルは、船の上で、靴を履き替えていた。ロイの作った靴だ。履き心地は素直にいいと思った。
「さて、これからどうするよ」
後ろから声がかけられる。腐れ縁の相手だ。ゼルはファリアンに不敵に笑って見せる。
「大皇帝の西方遠征を阻止してやろうと思ってる」
「ほう、そいつはまたでかくでたな」
「面白そうだろ」
「面白そうだ」
ファリアンもニヤリと笑みを浮かべる。
「そうなりゃ、俺達は歴史にのるな」
陽気なファリアンの言葉は潮風に溶けていった。
数年後。大皇帝の西方遠征は失敗に終わる。色々な説が囁かれるなか、失敗の要因の中心には、いつもある傭兵団の名があった。
その傭兵団の名は、枯れた花。
枯れた花 完。
未熟な文ですが、読んでくださったら感謝の極みです。これから、少しづつ色々書いていこうと思います。




