第三話・アポステルさま争奪戦
セラピアの祈りは本当にすごい。
ラフィンは幼い頃に、その祈りを目の当たりにして、そう思った。
それまで苦しそうな様子だった母が、次の瞬間には目を覚まして起きあがることさえできたのだ。もう何日も、食事どころか水だって受けつけなくなっていたというのに。
夜も遅い時間、来訪するのは気が引けたのだろうアルマがラフィンの家の屋根に登って、歌うように祈ってくれた。そのお陰で、母は助かったのだ。
セラピアの祈りは、アルマはすごい。
そして、それを――改めて実感した。
「お……おお、おおぉ……!」
村人に案内されて集会場にやってきたラフィンたちは、そこに集まる者たちを見て再び言葉を失った。村の中に出てきていた者たちは、よい方だったのだ。
集会場で苦しそうに呻く者たちは顔だけでなく、全身が焼けただれ、骨が見えている者さえいた。固い床に転がり救いを求める姿を見て、プリムは堪え切れなかったのか震えて涙を流してさえいたくらいだ。哀れで、苦しそうで。
けれども、そんな彼らの苦しみはアルマが一度セラピアの祈りを天に捧げるだけで治まってしまったのである。
焼けただれて真っ赤になった皮膚は見る見るうちに通常のものへと修復され、溶け落ちてしまった肉さえも徐々に再生されていった。
それらが完全に治癒する頃には、村人たちも自分たちの身に起きた奇跡としか言いようのない現象を頭で理解し、そうして諸手を挙げて歓喜に湧いたのだ。
「奇跡だ……奇跡だっ!」
「どういうことなの!? 本当に治ってるわ! 神さま、ありがとうございます!」
ラフィンたちは村人たちが、今度は喜びのあまり涙を流す様を見守って各々表情を和らげる。毒キノコが原因だと教えてくれた銀髪の少年はなにが起きたのかわからず、ポカンと口を半開きにさせてその光景を見つめていた。
しかし、アルマはそんな村人たちを確認したあと、集会場を出るべく静かに踵を返す。そんな親友の姿にラフィンは緩く双眸を丸くさせると、早足に彼の背中を追いかけた。
「アルマ、どうした?」
「まだ、終わってない。ちゃんとしないと」
集会場からは、村人たちの嬉しそうな声が洩れ聞こえてくる。それを聞いて、アルマはそっと表情を和らげてから外へと足を踏み出した。
そして村の中央にある広場で歩みを止めると、空を見上げて両手を胸の前辺りで合わせる。目を伏せれば、つい今し方見た村人たちの――涙を流して喜ぶ様が目蓋の裏にありありと浮かび上がってきた。
すると、次の瞬間。アルマの身からは白い光が溢れ出し、瞬く間に村全体を優しく包み込んでいく。彼を追いかけてきたラフィンたちはそれを見て一度足を止め、辺りを見回した。
「ファヴールの祈りで、この村をベネノダケの脅威から守ろうというのですね……」
「確か、その場その場で最適な効果をもたらしてくれるってテリオス様が言うとったもんな」
ラフィンたちがアルマを追いかけて集会場を出て行くのを見た少年は、一歩遅れて彼らのあとをついてきたのだが――そのやり取りを聞くなり、大きく目を見開いた。
ファヴールの祈り、デュークが口にしたその言葉を聞いたためだ。次に少年の目は広場で祈りを捧げるアルマへと向く。
「(ファヴールの祈り、だって……? じゃあ、まさかあの子がアポステル……なのか?)」
そうこうしているうちに、祈りが終わったらしい。アルマはそっと疲れたように小さく息を吐き出してからラフィンたちを振り返り――そこでようやく花が咲いたように笑う。
それを見て、少年の胸は思わずひとつ高鳴った。不自然なほどに顔面に熱が募る。
「(か……かわいい……)」
お祈りが終わっただろうアルマに駆け寄るラフィンたちなど、既に少年の視界には入ってこない。――否、入ってはいるのだが、彼の意識が一ミリも向かないのだ。
それだけではない、今の彼の目には村の景色だって映っていなかった。その目が捉えるのはアルマと、自分とアルマとを包むなにやら広大な花畑のみ。もっとも、その花畑は幻覚でしかないのだが。
綺麗な花畑に自分とアルマだけ、そんな乙女チックな妄想の世界に全身どっぷりと浸かっている少年は生唾を飲み、引き寄せられるかのようにそちらに足を向けた。
するとラフィンは、どこか惚けた様子でこちらに歩いてくる少年に気づいたらしく、怪訝そうな面持ちで彼を見遣る。けれども、眼中にないとばかりに押し退けられてしまえば彼の表情は思わず歪んだ。なにするんだ、とばかりに。
だが仕方ない、少年の目にラフィンの姿は映っていないのだから。
「おい、お前……」
「――アポステル」
ラフィンは少年に声をかけようとはしたのだが、それよりも先に彼はアルマの目の前に片膝をついて屈むとその手を取り、どこか恍惚とした様子で表情を破顔させた。
プリムとデュークは突然の行動に目を丸くさせてはいたものの、まるで王子さまがお姫さまにでもするように、彼の口唇がアルマの手の甲に触れると途端に蒼褪めて後退る。それはもう、シュババッと効果音がつきそうなほどの猛烈な勢いで。
そうして二人の視線は、恐る恐るといった様子でラフィンへ向いた。
「アポステル、やっと出逢えた……どんな悪党からも、僕がキミを守るからね。でもまさか、こんなに可愛い子だったなんて……」
更にはそんなことを言い出すのだから、デュークは恐ろしくて見ていられないと咄嗟に顔を背けてしまった。
アルマは困惑したような表情を浮かべながら頻りに疑問符を滲ませ、当のラフィンはと言うと――プリムやデュークが予想した通り、静かに激昂していた。地獄園にあった般若を彷彿とさせる憎悪の表情を浮かべ、不穏なオーラを辺りにまき散らしながら目の前の少年を見下ろす。
その刹那、ラフィンの片手は少年の肩を掴んだ。力加減も上手くできないのか、はたまたわざとかは定かではないものの、それと共に少年は激痛を覚えて跳び上がる。
「おい、このガキ」
「な、なんだ貴様っ! なにをする!」
「アルマの守護者は俺だ。寝ぼけたこと言ってんな」
「貴様が? 貴様のような奴が彼女のガーディアンだって? ハッ、貴様こそ、寝言は寝てから言うんだな」
ちなみに、現在のアルマは少女の姿だ。そのため、少年はアルマが女の子だと勘違いしているのだろう。
先ほどセラピアの祈りを捧げた時に一度少年に戻ってはいたものの、その祈りが起こした奇跡のせいでよく見ていなかったのだと思われる。
ラフィンは完全に戦闘モードで両手を胸の前辺りに引き上げると、片手を逆手の平に押し当てて指の骨を鳴らし、少年は腰から剣を引き抜いた。逆の手はアルマを庇うように彼――否、彼女の前に添えるのだが、忘れてはいけない。
アルマのガーディアンはラフィンであって、この少年ではないのだと。
両者共に睨み合い、そうしてほぼ同時に攻撃を叩き込んだ。
「「ぶっ飛ばすッ!!」」
憎々しげに、そう吐き捨てながら。




