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第二十四話・ラフィンのお願い


 ラフィンたちが海から戻って早二日、戻ってすぐに発つのは疲労と体力面を考えて一日休んだ今日――ようやく祈りの旅を再開することとなった。

 そんな中、当のラフィンは単身騎士団領へと足を運んでいたのだが――


「おい、これは一体どういう状況だ」


 今、彼の目の前にはデュークの兄ハンニバルがいる。

 ここは騎士団領なのだから彼がいるのは別におかしくはないのだが、問題は状況だ。

 現在彼らがいるのは、以前ラフィンが殴り込んだ際に大暴れをした訓練所。だというのに、ラフィンはその訓練所の固い床に仰向けに転がされている。あろうことか、そんな彼の上にはハンニバルがいた。

 所謂「押し倒されている」という状態だ。当然ながらラフィンの顔は不愉快そうに歪んでいる。周囲で訓練中の騎士から向けられる視線が猛烈に痛い。


「だってだって、ラフィンくんこのまま旅に出ちゃうんだろおおぉ! ラフィンくんに、ひっく、会えなくなるのは寂しいからせめて、身体だけでも――ぐふッ!?」


 ボロボロと涙を零しながら善からぬことを口走りかけたハンニバルの左頬に、ラフィンは右手の拳を叩きつける。このように多くの騎士がいる中で、なにを言い出すのかと。

 するとハンニバルの身は見事に真横に吹き飛び、それを確認してラフィンは静かに身を起こした。

 しかし、ハンニバルは即座に体勢を立て直すと、縋るように駆け寄ってくる。ラフィンにしてみれば、これ以上ないほどに鬱陶しい。


「ラフィンくんに会えないなんて寂しいよおおぉ!」

「おい、アンタの部下連中みんな見てんぞ」

「ボクがラフィンくんにお熱なのはみんな知ってるからいいんだよ!」

「よくねぇ!」


 至極当然のことのように返る言葉を聞いて、ラフィンは内心で彼の部下に同情した。このような上司を持ってなんと不幸なことかと。

 けれども、そんなハンニバルを引きはがしてくれたのは――団長であるシェリアンヌを呼びに行っていたエリシャだった。真後ろからハンニバルのマントを力任せに引っ張ることで、ラフィンから強引に離させたのである。


「ハンニバル、貴様……この私もラフィンくんとの別れを惜しんでいるというのに、抜け駆けとはいい度胸だな……!」

「あ、姉上えぇ、だってええぇ!」

「ラフィンくんにはアポステル様をお守りするという重要な使命があるのだ、邪魔をするなッ!」


 どうやら、エリシャはハンニバルよりも理解があるらしい。その言葉を聞いて、ラフィンの口からは知らずのうちに安堵が洩れた。

 そんなやり取りを見守ってから、エリシャに連れられてきたシェリアンヌは緩慢な足取りでラフィンの傍らへと歩み寄る。


「私に用があると聞いたが?」


 そうなのだ。ラフィンがこの騎士団領にやって来たのは、団長であるシェリアンヌに話があったから。

 ちょうど鉢合わせたエリシャが彼女を呼びに行ってくれている間に、ハンニバルに絡まれて先の騒動である。

 ようやく解放されたラフィンは、姉弟に気づかれぬうちにとシェリアンヌと共にその場をあとにした。


 * * *


「えっと、これは?」

「……デュークに渡してくれ。特別に用意させた、祈りの力を高めるペンダントだ」

「マジかよ、あいつただでさえとんでもない威力の祈りを使うってのに、もっと強くなるのか……」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるエリシャとハンニバルを残し、ラフィンはシェリアンヌに連れられて応接室へと案内された。部屋に入るなり無言で渡された長方形の箱を見て、彼の目は不思議そうに丸くなる。

 その中身を問うと、シェリアンヌからは多少なりとも言い難そうに返答が返った。一度はデュークを捨てようとした身、気まずさがあるのだろう。

 それを知ってか知らずか、ラフィンは努めて明るい口調で呟く。 


「それで、お前の用事とはなんだ?」

「ああ、忙しいとこ悪いんだけど……例の賊のことで、ちょっと」

「お前たちがこの街に来た直後にアポステルを襲った連中は既に牢にぶち込んである、祭りの際の二人組は未だ黙秘を貫いている状態だ」


 彼女の返答に、ラフィンは一度情報を頭の中で整理する。

 彼らがこのオリーヴァにやって来た日の夜――アルマは一人で夜の街に飛び出して暴漢に襲われかけたが、その際の連中はどうやら相応の処罰を受けたようだ。しかし、カネルに騙された例の二人組はまだ罰を受けるまでには至っていないのだろう。

 それを聞いて、ラフィンはそっと小さく息を吐いて己の胸を軽く撫で下ろした。


「ああ、ええと……その二人組のことなんだけどさ、できれば話を聞いてやってほしいんだ」

「なに? ……アポステルの命を狙った連中を助けろと?」

「いや、そこまでは言わねーよ、俺だって不満ではあるんだから。……ただ、アルマの奴がうるせーんだ。しょんぼりしてて、ずーっとあいつらの心配してる」


 今のままでは、アポステルを殺そうとした者として厳罰は避けられないだろう。アルマはそれを心配しているのだ。

 あの二人組はカネルにそそのかされてアルマを襲いに来た――それを考えれば、ラフィンの中にもわずかに同情の念は浮かぶ。だからといって助けてほしいとは思わないのだが。

 それでも、彼らの事情や話をしっかりと聞くことで裏に潜む者をあぶり出すことができるはずだ。アルマの暗殺を企んだのはカネル個人なのか、それとも彼女だけでなく他にも組織めいた存在があるのか否か。


 ラフィンの言葉にシェリアンヌは暫し無言のまま彼を見つめていたが、やがて小さく溜息を吐き出すと座していた椅子から立ち上がった。


「甘い男だな、そのようなことでアポステルを守りきれるのか?」

「アルマに剣を向けたアンタには言われたくねぇけどよ……身の安全だけ考えてたって駄目なんだ。俺は、あいつが笑っていられるように心もちゃんと守ってやりたい」

「…………約束はできんが、それでもいいなら善処はしよう。だが、あまり期待はするなよ」

「無茶言ってんだからそれで充分だ、ありがとな団長」


 シェリアンヌは改めてひとつ吐息を洩らすものの、それ以上とやかく言うことはなかった。代わりにラフィンのすぐ目の前まで歩いてくると、普段は仏頂面や無表情ばかりのその顔にうっすらと笑みなど浮かべてみせる。

 そうして片手をラフィンの頬に触れさせたところで、静かに口を開いた。


「初めてお前を見た時はただの単細胞だと思ったが……不思議なものだな、人の認識はこうまで変わるものなのか」

「いやあの、近いんですけど」

「妙だ、私はヨソから嫁いだ身……子供たちのようにライツェント家特有の遺伝子は入っていないはずなのだが……」

「いやいやいやいや」


 互いの吐息がかかりそうなほど近い距離に、ラフィンは両手を己の胸辺りに引き上げると数歩後退するのだが、シェリアンヌはその度に開いた距離を詰めてくる。怖い、とても怖い。

 しかし、壁際に追い込まれそうになった時、不意に部屋の扉が蹴破られるように開かれた。


「母上えぇ! それ以上はなりません!」

「そうですよ! 子持ちなんですから自重してくださいお母様ッ!」


 先ほど訓練所に置いてきたエリシャとハンニバルだ。

 入室するなり大股で母に歩み寄ると、今度は親子でなにやら騒ぎ始めてしまった。姉弟の乱入でなんとか事なきを得ることができたらしい。

 ラフィンは小さく溜息を洩らすと、彼らの注意が逸れている間に部屋から――否、騎士団領から逃げ出した。


 * * *


「おっそいなぁ、ラフィンの奴……あいつ、まさか襲われとるんちゃうやろな」


 一方、オリーヴァの西側出口付近ではプリムが痺れを切らしたようにブツブツと独り言を呟いていた。彼女の視線は街中に続く道へと向けられては、外れということを既に何度も繰り返し、騎士団領からラフィンが戻ってくるのを待っているのだ。まさか何気なく呟いた通りになっているなどとは露知らず。


 ちょっと団長さんと話してくる、と。ラフィンがそう告げて飛び出して行ったのが一時間ほど前。距離的には妥当な時間なのだが、待つ側にとっては長く感じられるものである。

 そんな彼女の呟きに答えてくれたのは、その父レーグルだ。彼は旅に出る彼らを見送りに来ていた。


「ま、まさかそんなはずはないと思うが……ああプリム、デューク様を頼んだぞ」

「へ?」

「へ? ではない、お前がデューク様をしっかりお守りするんだ」

「あ、ああ、そっちか……だ、大丈夫やて、ちゃ~んとわかっとる」


 そっち? と、娘の言葉にレーグルは大層不思議そうにしていたが、そんな彼の追及を阻むかのように傍らにいたデュークが咳払いをひとつ。アルマはそんなプリムとデュークを目を丸くさせて交互に見遣る。

 なんとなく、二人の顔が赤らんでいるように見えたのだ。


「それはそうと、ワガママを通してしまってすみません、レーグル」

「なにを仰います、私はデューク様がお元気になられたことが嬉しいのです。後のことは心配されず、これまでできなかったことをなさってください。そしてご満足されたら……この街にお戻りくださいませ、皆さまもそれを望まれるはずです」

「……」


 レーグルの言葉に、デュークはやや反応に困ったように眉尻を下げた。

 シェリアンヌは――母はどう思うか、本当にそれを望むのか。彼にはわからなかったのだ。アルマはそんなデュークを心配そうに見つめていたが、その時――プリムが明るい声を洩らした。


「あ、ラフィンの奴やっと来たわ」


 彼女の視線の先には逃げ出したのがバレたのか、はたまたそれを口実にデュークの見送りに来たのか――どちらかは定かではないが、エリシャやハンニバルに追い回されるラフィンの姿。そんな様を目の当たりにしてプリムは思わず苦笑いを浮かべる。

 オリーヴァの街に滞在して随分と経つ。そのため、この場を離れるのは純粋な寂しさがあった。

 しかし、彼らには祈りの旅という重要な役割がある。そんなことも言っていられない。


「ラフィン遅いやんか、さっさと行くで!」

「わ、わかってる、今行く!」


 プリムとアルマはそんなラフィンを見て愉快そうに声を立てて笑っている。

 デュークはその光景を暫し見つめた後、レーグルに静かに向き直った。


「……この旅の間に、色々と考えてみます。ありがとうございます、レーグル」

「いえ、とんでもございません。お気をつけて、デューク様。ウチの娘をどうかお願いします」


 そう告げるデュークの表情には複雑な色は既に滲んでいない。どこまでも優しい表情でラフィンたちを見守り、そして笑った。


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