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第十九話・両刀神改め……


「リリスが死んだ? この子は死なないわよ。わたしの魔力で動いているんですもの」


 相も変わらず窓からではないと入れない病気にでも罹っているらしい神の来訪に、最早驚くのも疲れたのかラフィンは無言のまま二人が部屋に入ってくるのを見守っていた。

 アルマは百合神アイドースと共にやってきたリリスを見て、ほんのりと顔を赤らめている。興奮しているのは明白だ。ラフィンは痛む身を無理矢理に動かしながら寝台の上に身を起こすと、壁に背中を預けて座り込む。


「この子が死んだように見えたのは、わたしの魔力を供給する部分が壊れたせいよ。それを治してあげれば――」

「ラフィンさあぁん、元気になったら精気くださいねえぇ~」

「……この通りよ、治さない方がよかったかしら」


 ぐったりしていたのが嘘なのではないかと思うほど、今のリリスは非常に元気だ。腹部に受けたはずの傷も、痕さえ残っていない。両手を己の頬に添えてこれまでと同じように猫撫で声でラフィンに精気をねだる始末。

 アルマはそれを確認して、また涙がぶわあぁ、と溢れてくるのを感じた。それに気づいたリリスは「うふふ」と微笑むと、その傍らに歩み寄ってぎゅうぎゅうとアルマの身を抱き締める。


「心配かけちゃってごめんねぇ、アポステルちゃん。もう大丈夫ですよぉ」

「う、うう……うええぇ……」


 そんなやり取りを見て、ラフィンはそっと小さく安堵を洩らした。

 自分のせいでリリスが死んでしまった、それを気にして極限まで落ち込むのではないかと心配していたのだが――どうやら、それは避けられたようだ。彼女が無事であったことにラフィンの胸にも安堵が広がっていく。

 それでも、精気は渡したくないが。


 アイドースは暫しリリスとアルマを無言のまま見守っていたが、やがて近場にあった椅子に腰を落ち着かせると両手を胸の前で組み、ややふんぞり返った様子で口を開いた。


「それより、聞きたいことがあるのですけど」

「うん?」

「シンを見ませんでした? アプロスと三日前にケンカして出て行ったきり戻ってないんですの」

「なんでケンカなんかしたんだよ、ったく……」


 言うに事欠いてケンカときた。

 しかし、相手は神々。なにかしら地上の平和について重要な議論をしていた上での意見の食い違い、という可能性もある。呆れるにはまだ早い。

 すると、アイドースは真面目な表情を浮かべながらラフィンが向けた疑問に答えてくれた。


「シンが甘いものばかり食べるから悪いんですのよ、アプロスはお菓子だけでなくバランスよく食べなさいと言っただけですのに」

「子供かよ!!」


 両刀神シンメトリアと言えば、彼ら神々のリーダーのような存在だ。

 だというのに、なんと幼稚なことでケンカをするのか。ラフィンの淡い想いは見事に砕かれた、それはもう巨大なハンマーで粉微塵になるほど徹底的に。既にラフィンの中では「両刀神」から「甘党神」に改名されつつある。

 そこで思い出すのは、祭り会場で遭遇した彼のことだ。


「……祭りで会ったけど、リンゴあめとわたあめと……あとチョコバナナをビニールに二十本くらい持ってたぞ」

「もう……おやつの時間にも戻ってこないから心配していましたのに……」

「おやつの時間まであるのかよ……ほんとアンタら上でなにやってんだ」


 呆れてそれ以上の言葉が出てこない、ラフィンは片手で己の目元を覆うと腹の底から深い溜息を吐き出した。

 アルマはそんな彼の隣に腰を下ろし、リリスは更にその横へと座る。アイドースは一度リリスを一瞥した末に改めて言葉を続けた。


「……それで、そのあとは?」

「いや、それからは知らない。あの神さまがアルマのところに戻れって言うから俺は戻って……それ以来は見てないな」


 よくよく考えてみれば、あの時シンメトリアが「戻れ」と言ってくれなければ、アルマは殺されていた可能性が高いのだ。ラフィンが到着した時、他には誰もマリスの襲撃に気づいていなかったのだから。

 そう考えると、シンメトリアの家出も心配になってくる。例えそれが、母親と子供のケンカのようなものであったとしても。


「…………そう、わかりました。気が済んだら戻ってくるでしょう、また見かけたら早々に戻るように伝えてくださいませ」

「あ、ああ……」

「リリスから聞きましたけれど……マリスに関することも、こちらで調べて問題があれば対処しますわ。あなた方はこれまで通り、祈りの旅を続けなさい」


 ラフィンの返答にアイドースはなにかしら考えるように黙り込んでいたが、それ以上は深く問うことはせずに静かに腰を上げた。ラフィンの目には彼女が納得したようには見えなかったが、彼が与えられる情報が他にないことも事実。

 シンメトリアの姿は、あれ以来目にしていない。彼はつい今し方まで眠っていたのだから当然なのだが――アルマが口を挟まないことから、彼も見ていないのだろう。


「リリス、帰るわよ」

「はぁ~い。ラフィンさん、アポステルちゃん、また会いましょうねぇ」


 ひと通り要件を済ませると、アイドースはリリスを伴って――やはり窓から帰っていった。彼ら神々にとって窓は扉のようなものらしい。

 アルマは窓辺に駆け寄ると、暫し二人を見送るように外を見つめていたが、程なくして心配そうな面持ちでラフィンを振り返った。


「シンさま、見つかるかな?」

「まぁ……大丈夫だろ、見つからなかったら多分また来るさ」

「うん……」


 ラフィンとて心配がないと言えば嘘になる。

 面倒くさい、が口癖なのかと思うほどの面倒くさがりな神さまだが、シンメトリアはそれでも面倒見がいいのだ。


「(……そういや、ラルジュ山で会った時も大量の菓子をアルマに持ってきてたっけ。ありゃ本気で甘党神だな)」


 無表情でなにを考えているのかはまったくわからないが、決して悪い神ではない。アルマに危害を加えるどころか、過保護なまでに見守っていることからジジイ神よりも遥かに良心的だろう。

 アルマは寝台の傍まで歩み寄ってくると、なにやら考え事をしていると思われるラフィンを見て不思議そうに首を捻った。


「どうしたの? なにか気になるようなこと……」

「いや、なんでもない。それより、ほら」

「わわわッ!」


 アルマからかかる声に対し、ラフィンはその言葉通りなんでもないとばかりに頭を左右に振ると、寝台の傍らに立つ親友の手を掴んで力任せに引っ張り込んだ。

 驚いたような、慌てたような声が洩れるが身を打たないための配慮か――その腰にはサッと、当たり前のようにラフィンの逆手が回された。

 親友の身を抱き込んで、そのまま横になる。相変わらず全身には強い痛みが走ったが、先ほどよりは気にならないレベルだった。


「ラ、ラフィン、どうしたの?」

「ひっでぇ顔してるぞ、お前。寝てないだろ」

「う……」

「だから寝ろ、俺ももう少し寝るから」


 不意に抱き込まれて、アルマは目をまん丸くさせながらラフィンを見上げる。

 すると、当のラフィンは困惑気味のアルマを見下ろして片手の親指でその目元をやんわりと擦った。彼の目に映るアルマの顔はひどいものだ、やつれていて、目の下にはくっきりとクマができている。

 寝ていないことを見事に言い当てられて言葉に詰まると、そんな親友に対してラフィンは薄く笑いながら彼の背中を撫で叩いた。


 そうしてさっさと目を伏せて寝る姿勢に入ってしまったラフィンを見て、アルマは困ったように笑う。ぐい、と顔面を目の前の胸に押しつけてみると、すぐに眠気が襲ってきた。

 ラフィンがここにいる、その安心感のせいだ。


「へへへ……ラフィン、守ってくれてありがとう……」


 それだけを呟くように洩らすと、アルマはそのまま吸い込まれるようにして夢の中の住人になってしまった。規則正しい寝息が聞こえ始めた頃にラフィンはそっと目を開けて、アルマを見下ろす。

 だが、すぐに眉尻を下げてどこかくすぐったそうに笑った。


「(……守られたのはこっちの方なんだがなぁ。ったく、こんなになるまで無理しやがって……)」


 今回、マリスを倒せたのは間違いなくアルマのお陰だ。ファヴールの祈りがなければ、アルマがそれに気づかなければどうなっていたことか。

 伏せられた目の下に刻まれたクマをそっと指でなぞってから、ラフィンも改めて目を伏せて静かに意識を手放した。


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