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第十五話・恐ろしい怪物


「……っ、収まった……か? さっきの声みたいなやつ……」

「プリムさん、大丈夫ですか?」

「あ、ああ、ウチはなんとか……デュークは? イヤな感じやったわ……」

「私も問題ありません。……そうですね、まるで精神に訴えかけるような……」


 ケガ人の手当てや人数の把握に追われていたプリムとデュークは、街の出入り口付近に留まったままうずくまって頭を押さえていた。先ほどマリスが上げた笑い声のようなものを聞いた影響だ、あの不快な音は中央区だけではなく、オリーヴァの街全体に届いていたのである。

 そして、次の瞬間二人の目に飛び込んできたのは中央区から逃げてきたと思われる人の群れだ。


「いいぃッ!? な、なんや!?」

「……! プリムさん、行きましょう! きっとなにかあったんです!」


 その人数は非常に多い、優に二百は超えるだろう。そのいずれも顔は蒼褪めており、女子供は恐怖のせいか涙を流している者もいた。

 誰もが口々に「助けて、殺される」などと叫んでいる。デュークの言う通りなにかがあったのは明白だ。ゆえに一拍遅れはしたものの、プリムはしっかりと頷いてから彼と共に中央区の方へと駆け出した。


 そして街の出入り口にある門に隠れていたカネルはといえば、逃げ惑う者やケガをして動けない者のことは気にならないのか――どこか惚けた様子で、彼女もまた中央区の方を見つめていた。


「……聞こえなくなっちゃった……」


 その顔は、やや残念そうだ。まるで母親に子守唄をねだる子供のように不満そうな面持ちでそう呟くと、緩く唇を噛み締める。


「――なんだったのかしら……あの、とても心地好い音色(・・・・・・・・・)……」


 そう呟くカネルを――シンメトリアはふわりと空に浮かびながら睨み下ろしていた。

 ラフィンたちや、つい今し方のプリムたちが不快を感じ、頭を押さえて苦しんだマリスの叫びを――カネルは「心地好い」と感じていたのだ。


 * * *


 ハンニバルがラフィンとエリシャを守る防御壁を張り巡らせ、当の二人が休む間も与えずに攻撃を仕掛ける。腰を抜かして逃げ出せなくなった住民たちは、あとから駆けつけてくれたレーグルや団長のシェリアンヌが担当し、避難させている。

 だが、ラフィンとエリシャがどれだけ攻撃を叩き込んでも、マリスにはまったく苦痛の色が見えない。

 当然だ、マリスの身は白骨体。痛覚などあるはずもないのだから。


 そんな二人を嘲笑うかのようにマリスはゆっくりと地上へ降り立つと、死神の鎌を肩に担ぎながら一歩一歩と足を進め始めた。

 行き先は――リリスにぎゅうぅ、と大事そうに抱き込まれているアルマのところだ。

 その目的を察したラフィンは忌々しそうに舌を打ち、両手に思い切り力を込める。そしてもう一発、今度はマリスの顔面にその拳を思い切り叩きつけた。


「こんの野郎ッ! 行かせるか!」


 ラフィンの拳は、マリスの左側頭部を粉砕した。

 そこで一歩足を止めはしたが――ダメージを与えられた訳ではなかったらしい。マリスは首だけを動かしてその顔をラフィンに向けると、表情などないはずなのに小馬鹿にするように笑った気がした。

 そして、その刹那――まるで「こうやるのだ」とばかりに右手で拳を作り、それをラフィンの鳩尾にめり込ませたのである。


「――がはッ!?」

「ラフィン君!」


 エリシャにもハンニバルにも、信じられなかった。

 自分たちを、そして母を圧倒したあのラフィンでもマリスを止められぬことが。

 マリスの拳はラフィンの腹を打ち、彼の身は数十メートルほど飛ばされ、何度か地面を転がってようやく止まる。苦しげに咳き込むことから、どうやら意識を飛ばすには至らなかったようだ。


「ラフィン! ――こいつ!」


 アルマはそんな彼を見ると、思わず駆け出してしまいそうになるのをこらえるものの――その身からは、リリスがラフィンから精気を奪った時のように白く眩い光が勢いよく溢れ始めた。

 それを見てリリスはビクリと身を跳ねさせ、美しいその風貌に冷や汗を滲ませて数歩後退する。


「ア、アポステルちゃん……ラフィンさんを傷つけられて怒っちゃったんですねえぇ……」


 ラフィンは暫し空咳を繰り返していたが、視界の片隅に映る白の輝きに思わず顔を上げて目を丸くさせた。リリスに精気を奪われた時は真っ先に意識を飛ばしてしまったため、ラフィンにとってはこれが初見だ。

 アルマの身から溢れ出す光はどこまでも眩しい、瞳孔を無理矢理にこじ開けられるような鈍痛を感じた。


「ア、アルマ……どう、したんだ……!?」


 それを見て、マリスがなにを思うのかは定かではない。

 だが、怯えたような様子もなく再び歩みを再開させ始めた。他の者には興味もないとばかりに、エリシャやハンニバルには見向きもしないまま。

 しかし、それを許す騎士二人ではない。エリシャはその足の骨を粉砕してしまおうかと、利き手に携える剣の刃を思い切り右太股へと叩きつけてやった。


 すると、そこはやはり結局は「骨」か――マリスの足は容易く真っ二つに折れる。

 けれども、その矢先。


「――! うああぁッ!」

「あ、姉上えぇ!」


 マリスの足の骨を砕いた直後、邪魔だとばかりにマリスが肩に担いでいた死神の鎌を振るってきたのだ。ハンニバルの防御壁のお陰で致命傷にはならなかったが、浴衣の下に着けていた胸当てをも貫通し、鎌の切っ先は彼女の胸部を抉った。

 エリシャの身は枯れ木のように飛ばされ、溢れ出す血が衣服を鮮血で染め上げていく。

 トドメを刺そうというのか、マリスは休む暇も与えず次にその鎌を彼女目がけて投げつけたのだ。ハンニバルは咄嗟に声を上げたが、彼の援護は間に合いそうにない。


 しかし、エリシャに向けて投げつけられた鎌は、彼女の斜め後ろから勢いよく飛んできた一本の剣により見事に叩き落とされた。

 ハンニバルが大慌てでそちらを見遣ると、そこにいたのは彼らの母であるシェリアンヌだった。民の避難を手伝っていたが、見過ごせない状況だと判断したのだろう。


「お、お母様あぁ!」

「ハンニバル、無駄口を叩く暇があればもっと集中しろ!」

「はっ、はいいぃ!」


 シェリアンヌから飛ぶ怒号にハンニバルは思わず背筋をピンと伸ばしてから、再びエリシャやラフィンの身を防御壁で包み込んでいく。

 なにをしても無駄だと、そう言いたげにマリスはやや天を仰ぎカタカタと下顎を動かして笑ってみせた。確かにこのままではどうしようもない、物理的な攻撃ではマリスにダメージすら与えられないのだから。


 しかし――その時だった。

 不意にマリスの足元に複雑な紋様の白い魔法陣が展開したかと思いきや、上空にいくつもの光が出現したのだ。それはアルマの身から放たれた祈りのひとつ。

 ラフィンは知らないものだが、リリスにお仕置きをした祈りそのものだった。

 なぜアルマが敵を攻撃するような祈りを使えるのだとラフィンは思わず目を丸くさせるが、今はそんなことを気にしているような場合ではない。


「いっけえええぇ!!」


 アルマが吼えるように声を上げると、無数の光は四方八方から一斉にマリスへと襲いかかった。ビー玉ほどの小さな光は槍のような形状へと変貌を遂げ、あらゆる方向、角度から容赦なくマリスの身を貫く。

 そこへちょうどプリムとデュークが駆けつけ、まず目の当たりにしたその惨劇に思わず表情を引きつらせて足を止めた。


「げげっ! あ、あれってアルマちゃんがブチ切れた時の……!」

「え、ええ、そのようで……ラフィン君、大丈夫ですか!?」


 やや蒼褪めるプリムの隣で足を止めたデュークだったが、なにが起きたのか、なにがあったのかを把握すべく辺りを見回した。すると、すぐ近くに腹を押さえて座り込むラフィンの姿を見つけたのだ。

 そんな彼の傍らに駆け寄り、大丈夫なのかとその身を窺った。幸いにも意識はある、出血らしい出血もない。

 プリムも一拍遅れて傍らに寄ると、視線は敵と思われる不気味なガイコツへと投じる。


「あ、あいつが敵か?」

「ああ……とんでもねぇ強さだ、一発殴られただけで口から内臓出るかと思ったぜ……」


 その言葉にデュークもプリムも「信じられない」とばかりの表情を浮かべながら、一度互いに顔を見合わせた。

 あの、ゴーレムに強烈な一発をもらっても骨をやることさえなかった頑丈すぎるラフィンが、たった一発でそれほどのダメージを受けたのだと言う。自分たちの目で見ていないということもあり、どうにも信じ難いことだった。


「け、けど大丈夫や。ラフィンは知らんやろうけど、アルマちゃんのあの祈りの破壊力はほんまにとんでもないんやで。アレに耐えれるはずが――」


 プリムは胸を張ってどこか自慢げにそう告げる。なんでお前がそんな自信満々なんだとラフィンは横目でそんな彼女を見遣ったが、それも束の間。すぐにプリムやデュークの表情からはゆっくりと、だが確実に余裕というものが消え失せていった。嫌な予感を感じずにはいられない。


 ラフィンが静かに視線を戻すと――そこには、器用に下顎を動かして愉快そうに笑ってみせるマリスが立っていたのだ。


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