第九話・こんな状況は理不尽としか言えない
「……で、これがアルマの発情期だって?」
「ええ、どうやらそのようです」
その後、渋々ながらテリオスとアプロスに縄をほどいてもらったラフィンは部屋の床に腰を落ち着かせて話を聞いていた。
神々は、アルマのこの状態が発情期だと言う。一体どういうことなのか、説明を求めた。
ちなみに現在アルマは、ラフィンの隣に座り込んで彼の腕を掴んで揺らしたり引っ張ったりしてくる。依然として「ちゅーしよう」などと言いながら。正直勘弁してほしいとラフィンは内心で思った。
「ジジイとババアの魔力が拮抗し、アポステルに何らかの余計な変化を起こしたものと思われる」
「本人を前に人をババア呼ばわりするとは、良い度胸をしているわねシン……」
「まあまあ……ジジイはアプロスが与えた魔力のことを全く考えていなかったのでしょう。両者の魔力が混ざったことでジジイも考えていなかった変化が起きたのだと思います」
「じゃあ、つまり……」
神々から語られる言葉にラフィンは頭の中で情報を整理すると、傍らに座り込むアルマを横目に見遣る。アルマは本来ジジイの魔力で三ヶ月もすれば身も心も完全な少女になるはずだったが、アプロスの魔力が混ざってしまったことでその通りにはならず、彼の中で何かしらの変化が起こったのだろう。
そのため、ごく普通の少女ではなく妙に肉食系に近い女子になりつつある。身体は依然として女性らしい成長を見せず、未だに絶壁なのもその所為だと思われた。
ラフィンがどのような想いでいるかも露知らず、アルマ本人はとぼけた顔でキスをねだって首を捻るばかり。
「……一ヶ月に一度、アルマはこうなるってこと、か……?」
「うむ」
「ですね」
「そのようです」
「冗談じゃねええぇ!!」
相手になるとは言ったが、ラフィンが想像していた発情期と現在の状況は全く異なる。それこそ、真逆と言っても過言ではないレベルだ。
それもなぜか、不特定多数ではなくアルマが求めるのはあくまでもラフィンのみ。誰彼構わず求めるよりはいいのかもしれないが、ラフィンの理性がもたない。
神々と話している今もラフィンの意識が自分に向いていないことがお気に召さないのか、ぐりぐりと腕に頭を擦りつけてくる。
「……普段のアルマとほぼ真逆に近いんですけど」
「ふむ、全てはジジイとババアの所為だ。何とかしようにも、俺たち個人の魔力をぶつけたら余計におかしな変化が起きるかもしれん。例えば体毛が異常に濃くなるとか……」
「なんで例えにそんなモンを出すんだよ!!」
体毛が異常に濃くなった可愛らしい親友など見たいはずがない。ラフィンはシンメトリアの言葉を遮るように声を上げると嫌々と頭を左右に振った。シンメトリアはそんな彼の様子を確認した末に、座していた床から静かに立ち上がる。
「そうだろう、アポステルの発情期をなんとかする方法は引き続きアプロスが調べる。それまでお前が相手をしてやれ」
「シンは一緒に調べないんですね……」
確かに、アルマがこれ以上おかしくなることだけは避けたい。今のこの状態でさえ戸惑いっぱなしだというのに。
テリオスはシンメトリアに一つ小さくツッコミを入れながら、軽く辺りを見回す。アプロスとシンメトリアの姿は見えるが、真っ先に飛び出していったジジイ神の行方が知れないからだ。
「そういえば、ジジイはどこです?」
「下で死んでいるのでは? 今の内に回収していきましょう、起きたらまた騒ぎますからね」
「では、またな」
確かに、ジジイ神はアルマに叩き落されて以来、この場に顔を出していない。恐らくアルマのあまりの変貌ぶりにショックを起こしているのだろう。それか単純に気を失っているのかもしれない。
――尤も、その変化を引き起こしたのはジジイ神と言わざるを得ないのだが。
自分たちの要件を済ませるなり、さっさと窓から出ていく神々を見送るとラフィンは片手で己の顔面を押さえ深い深い溜息を吐き出す。
アルマの異変の理由は分かったが、一ヶ月に一度このような状態になるという恐ろしい事実を知ってしまった。ラフィンの胃はこれでもかというほどに深刻なダメージを負い続けている。
ちらりと横目にアルマを見遣れば、ほんのりと顔を赤らめながら依然としてラフィンの片腕を引っ張っていた。早く早く、とでも言うように。
「ねぇねぇ、ラフィン。早くちゅーしようよ」
「お前なぁ……」
「リリスさんとはしたのに……」
「あれは不可抗力ってやつで……」
リリスとは別にしたかった訳じゃない、不意を突かれただけで謂わばラフィンはただの被害者だ。それに先程アルマとも強引にしたではないか――そう言いたかったのだが、唇を軽く尖らせる不貞腐れたような顔を見ればそんな文句も口には出来なかった。
発情期の所為なのか赤らんだ顔と、潤んだ双眸。こちらを見上げてくる仕種、早く早くとねだる甘えた声。
それらの全てが合わさった今のアルマを見て、冗談じゃないと軽く流せるだろうか。
アルマは可愛い、とても可愛い。元々可愛らしい顔立ちだが、少女になっている時は特に可愛いのだ。そんな可愛い少女にキスしようとねだられて甘えられて、迫られて――その上で平常心を保つなど健全な青少年であるラフィンには難しかった。
「……一回だけだぞ」
「うん! 早く早く!」
一回だけ。
そう口にすると、行動は驚くほどすんなりだった。先程アルマに仕掛けられた所為もあるのかもしれないが。
隣に座るアルマに身体ごと向き直り、片手をその頬へと触れさせる。心音が嫌になるほど耳について、それが妙にラフィンの神経を逆撫でする。意味も分からぬまま微かな苛立ちを感じるのは、アルマをこんな風にしたジジイ神に対してか、それとも自制の利かない己に対してか。
嬉しそうに表情を綻ばせて目を伏せるアルマを確認して、ラフィンはそっと顔を寄せる。互いの口唇が触れるまであと数センチ――と、そんな時。
「――ひわわわわッ!?」
不意に、アルマが今まで聞いたこともないような悲鳴を上げるなり、凄まじい勢いで後退したのだ。一体何事かと、それには流石のラフィンも目を丸くさせてそんな親友を呆然と見つめた。
勢い良く後退した際に壁に後頭部を打っていたようだが、今のアルマは痛みも気にならないらしく、耳まで真っ赤になりながらラフィンを見つめ返してくる。けれども、程なくして気恥ずかしそうに両手で顔面を覆ってしまうと顔を伏せて身を縮めた。
そこでラフィンは、ハッと部屋の壁掛け時計を見上げる。針が指し示す現在の時刻は――零時きっかり。新しい日を迎えて数十秒といったところだ。
それを確認して、一つの仮説が彼の中に浮かび上がる。
アルマの発情期は一日だけのもので、日付が変わった今――ちょうどその発情期が終わってしまったのではないかと。
つまり、ラフィンは普段ののほほんとしているアルマにキスしようとした訳で。
そこまで考えると、ラフィンは顔面から血の気が引いていくのを感じた。同時に世界がひっくり返るような強烈な眩暈も。
しかし、まずはアルマの誤解を解くのが先だ。
「ち……違う違う違う! 違うんだアルマ、でっかい誤解だ!!」
大体、ちゅーしようと迫ってきたのはアルマで、実際にされたのもラフィンだ。彼は被害者なのだ。
だが、真っ赤になった顔面を両手で覆って俯くアルマにそのような言い訳をしても聞いてもらえるかどうか。あまりにも理不尽な状況に、ラフィンは時間も忘れて思わず叫んでいた。




