第三話・挑発するなって言ってたのに
「――荒れ狂う風よ、全てを薙ぎ払え! テンペスト!」
デュークの口唇が祝詞を紡ぎ、片手に携える剣を振るった瞬間に突風が巻き起こる。真横からプリムに襲い掛かろうとしていたガーゴイルをいくつもの風の刃で斬り刻み、その身を叩き落した。
プリムは片足を軸にそちらに向き直ると、その勢いを加えて愛用の得物でガーゴイルの身を叩き払う。すると、程なくして敵の身は風に溶けるかのように消えてしまった。それが、倒したという合図だ。
「ふうぅ、これで全部か?」
「ああ、そうみたいだな。お疲れさん」
神殿内部には、神々が用意したと思われる敵が徘徊していた。これらの敵を倒して進むのも試練なのだろう。
それらはいずれもガーゴイルと呼ばれる生き物で、大きさは人の子供程度のもの。その背には悪魔のような翼が生えており、飛翔して襲い掛かってくるタイプだ。
だが、魔物と異なり倒してもその身が残ることはなく、空気に溶けて消えてしまうのが特徴と言える。恐らくはこうした試練だけでなく、盗掘者や神殿荒らし対策も兼ねているのだろう。
プリムは疲れたように片手の甲で額の汗を拭うと、他に敵はいないかと辺りに視線を巡らせた。
「みんな大丈夫?」
「いちおー大丈夫やけど、ウチ結構フラフラ……」
「んじゃ、この辺で少し休むか。結構戦い通しだからな。デュークもずっと祈り使いっぱなしで疲れただろ」
近くの壁に寄り掛かりながら項垂れるプリムは、その言葉通り見るからに疲れている。デュークも戦闘になる度に様々な祈りを駆使しているため、疲れていないはずがなかった。
正直、彼の祈りの力は非常に大きな助けになっている。戦闘はラフィン一人でも何とかなるにはなるが、全て片付くまでには今の倍以上の時間が掛かるのは明白。
共に前線で奮闘してくれるプリムと、祈りで加勢してくれるデュークがいるからこそ進行もスムーズなのだ。ここらで少しくらい休んだとしても問題はないだろう。
ラフィンは通路よりは広いフロアの中央に歩み寄ると、いつものように宙に指先を滑らせて一つの陣を展開する。すると、床にはやや大きめの魔法陣が出現した。
「ラフィン、それは?」
「休養って言うんだ、この中に入ってりゃ外からはこっちの姿が見えなくなる。腹ごしらえしたり、少し寝るにはちょうどいいだろ」
「はー、守護者って便利やなぁ。一家に一人はほしいわ」
「便利アイテム扱いかよ」
「なんにしても、助かります」
プリムはラフィンの言葉に表情をだらしなく弛めると、我先にと魔法陣の中に飛び込んだ。陣の中と外で特に変化は見られないが、未だ外にいるラフィンたちには既にプリムの姿は見えなくなっていた。彼らの目に映るのは、床に展開された魔法陣のみ。
アルマは「わあ」と嬉しそうな声を洩らし、デュークは先に飛び込んだプリムの後に続いてのそのそと陣の中に足を踏み入れる。
「アルマ、お前も……」
続いてラフィンはアルマに向き直ると彼にも中に入るよう促そうとしたのだが、ふと傍らまで歩み寄ってきたアルマに手を取られれば続きの言葉は自然と喉の奥に引っ込んでいく。
どうやらアルマの意識は、ラフィンの肩付近に刻まれた傷に向いているようだ。ラフィンの両腕は肘手前まで武器兼防具の手甲に覆われている、けれどもその他は防具らしい防具を全く身に付けていないのだ。
ガーゴイルの爪が先程肩の辺りを軽くかすめたのを思い返して、ラフィンは思わず眉尻を下げる。
「ジッとしててね」
「……おう」
アルマはラフィンの肩に利き手をかざすと、そっと目を伏せる。そうして短く祝詞を紡げば、その身が白い煙に包まれると共に傷が癒え始めた。
――何度見ても、不思議なものだと思う。
つい先程まで確かに刻まれていた傷が瞬く間に塞がっていくのだ。まるで最初から、そこには傷痕などなかったかのように。
しかし、セラピアの祈りは一度の使用でかなりの精神力を使う。最深部に到達する前に多用させる訳にはいかないのも事実だった。
「アルマ、身体は大丈夫なのか?」
「うん、問題ないよ」
「その……あれだ、発情期とかの……変化は?」
「う、う~ん……それはよく分からない。でも、別にいつもと違いはないと思うんだけどなぁ……」
アルマから返る返答にラフィンは一度肩越しにプリムたちの方を見遣り、複雑そうに眉を寄せる。しかし、数拍の間を要した後に親友へ向き直れば、やや抑えた声量で改めて口を開いた。
その顔には、僅かにも赤みが差している。
「あ……あのさ」
「どうしたの?」
「お前、本当に発情期がきたら……どうするんだ?」
それは、ずっと気になっていたことだ。
もしもジジイ神の言うように本当に発情期がきたら、アルマはどうするのだろうか、と。
「(そもそもコイツ、発情期ってなにか知ってんのかな……)」
色々と気になることはあるのだが、まずはアルマがどうするのかが知りたい、知っておきたい。
元々が少年であるためか、アルマはどこか抜けている。危機感が足りていない。もしも発情期がきたら、そこらの男を誰か引っ掛けてさっさと解消してしまうのではないかと――そんなラフィンにとって恐ろしい想像さえ出来てしまうほど。
恐らくは普通の女性のように、ハジメテだとかに拘っている部分もないだろう。
「……分かんない。どう、したらいいのかな……」
「……」
だが、ラフィンの予想に反してアルマは数度目を瞬かせた末に、文字通り困ったように笑った。「なんとかなるよ」だとか「大丈夫だよ」だの、そんな言葉が返るのではと思っていたラフィンとしては、聊か意外だったが。
う~ん、と視線を落として唸るアルマを暫し無言のままに見つめると、ラフィンは片手で己の横髪を緩く掻き乱しながら顔ごと背ける。
「お、お前がイヤじゃなかったら」
「え? うん」
「俺が……その、アレだ。……相手になってやるよ」
その言葉を口にするなり、ラフィンの顔は耳まで真っ赤に染まった。ぼふ、と効果音まで付きそうなほどに。
アルマはそんな親友の様子と言葉に改めて双眸をまん丸くさせると、数度瞬きを繰り返してから物珍しそうにラフィンの顔を下から覗き込む。
「(……挑発するなって言ってたのはラフィンなのに)」
ラフィンと旅に出てまだ間もない頃、可愛いところもあると言った時にそう言われたはずだ。
だと言うのに、彼本人はまるで誘っているかのような言動。
ラフィンはどう思っているのかは分からないが、アルマとて元々は男。可愛いと思えば純粋に突っつきたくもなる。また怒られるかもしれないと思えば、自然とその言葉は奥に引っ込んでいくのだが。
「……へへへ、じゃあ本当にきたらお願いするね」
「え……あ、ああ……」
アルマが答えると、ラフィンは驚いたように親友に向き直り、ややぎこちなく頷いた。
他の誰かに任せたいとは思わないが、かと言って自分がその相手になる――と言うのは恐ろしい反面、ほのかな期待も確かに存在する。
踏み込んではいけない領域なのに、ダメだと思えば思うだけ意識はその領域の中に向いてしまう。人間とはそういうものだ。ダメと言われれば――思ってしまえばその分、入り込みたくなる。
緊張でカラカラに乾いた喉を意識しながら、ラフィンは片手で己の目元を覆った。




