第七話・両刀神降臨
「はあぁ……これで全部やろか、どやラフィン?」
「あー……と、そうだな。どのくらい必要なのかは分からねぇけど、取り敢えずこのくらいあれば足りるだろ」
オリーヴァの街を遥か南に南下した先、そこにはラルジュ山と言う場所がある。
ギルドの受付嬢の話では、このラルジュ山で必要なものが手に入る――と言うことでラフィンたちは遠路遥々、この山へとやって来ていた。
しかし、問題は街と山との距離だ。プリムは集めた材料を持ちながら疲れたように片手の甲で額を拭う、じっとりと滲む汗が肌に衣服を貼り付かせてなんとも気持ちが悪い。早く街に帰って宿でシャワーを浴びたいところではあるのだが、今日は下手をするとその願いは叶わないかもしれなかった。
「ったく、あのねーちゃん……パッと行ってパッと帰ってこれますよーとか言ってたクセに遠すぎやろ!」
「まぁ……片道に半日掛かるとは流石に思わなかったぜ。アルマ、デュークは大丈夫か?」
「う、うん、さっきよりは落ち着いたみたい……はい、お水飲んでください」
元々身体が弱く、外にほとんど出ることのなかったデュークにとっては過酷としか言えない。彼は少し前まで病院のベッドで寝込んでいたほどなのだから、長い時間歩き続けられるような体力は当然付いていないのだ。
だと言うのに、旅自体に慣れる前にこれほどの距離。大丈夫だろうかと、ラフィンもプリムも心配になった。
近くの岩に寄り掛かって座り込む彼の傍らに屈むアルマは、その息遣いが先程よりも落ち着いてきたのを見て小さく安堵を洩らすと、カバンから水筒を取り出してデュークに差し出す。
「す、すみません……ご迷惑をお掛けして……」
「気にすんなって、のんびりやろうぜ」
デュークは渡された水筒を開けて中の水を呷ると、そこでようやく深く息を吐き出す。水で喉を潤したことで随分と落ち着いてきたのだろう。
それを見てラフィンは軽く辺りに視線を巡らせる。太陽はもう随分と低い位置まで傾き、周囲は徐々に橙色に染まり始めていた。必要な材料は手に入ったものの、今から戻れば街に着くのは完全に夜になるだろう。
デュークだけでなく、当然だがラフィンたちにも肉体的な疲労が蓄積されている。それを考えれば来た時よりも進みは遅くなるはずだ。
「どっか、野宿出来そうな場所探すか」
「う……今日はやっぱ野宿になるんやなぁ……せやけど、こんなに距離あるとは思うてへんかったから、メシ買うてきてへんで」
「その辺にリンゴの木でもなんでもあるだろ」
「イヤやああぁ! リンゴじゃ腹いっぱいならんやろ!」
ラフィンはあちらこちらに見える木を見て提案したのだが、プリムはそれでは満足しないらしい。尤も、彼女の言うことも分からないではないが。
この山は随分と自然が豊かなようだ、探せば山菜なども見つかるだろう。仕方ないとラフィンは片手で己の横髪を掻き乱すと、材料の入った袋をアルマとデュークの傍に放った。
「仕方ねーな……んじゃ、何か探してくるよ」
「ラフィン、僕も行くよ。プリムは休んでて」
普段であればアルマにも「ここにいろ」とは言うのだが、やはり街での一件は気になるし心配でもある。アルマ自身の疲労も気に掛かったものの、ラフィンはとやかく言うことはせずに小さく頷いた。
恐らく、プリムが女性だと言うことも気にしているのだろう。依然として元気ではあるが、やはりプリムの顔にも疲労の色が見える。
アルマが彼女と入れ替わる形でラフィンの隣に歩み寄ると、プリムはやや申し訳なさそうな表情を浮かべながらも大人しく頷いた。
「なら、ウチはデュークと一緒に休めそうな場所探しとくわ」
「ああ、そうしてくれ」
ともかく、今日はこの山で野宿だ。一晩休んで、明日の朝にでも発てば充分昼前後には街に帰れるだろう。
ラフィンはアルマを連れて夕飯の食材を仕入れるべく、山の奥地へと足を向けた。
* * *
「って言うか、食材集めてもあいつ料理なんか出来るのかね……」
「あはは、もしプリムが出来なくても僕がやるよ」
「頼むぜ、料理関係は俺も全然だしよ」
ラフィンはこれまでずっとヴィクオンでの実家暮らしだ、料理などほとんど作ったことがない。
反して、アルマは物心ついた頃からの一人暮らし。料理の類は人並みに出来る。もしプリムが調理出来なくとも、アルマがいればそれなりに人が食べれるものは確保出来るだろう。
アルマは両手いっぱいにリンゴを抱えると、真っ赤なそれを見て嬉しそうに表情を綻ばせる。市場で売られているものよりも熟していて、とても美味しそうだ。
「あ、みてみてラフィン。湖があるよ」
「お、本当だ。釣り竿でもありゃ糸垂らすんだけどなぁ……」
「あとで水浴びでもしようよ、ベタベタのまま寝ると疲れ取れなさそうだし」
「そうだな、プリムも嫌だろうしな」
夜の山は今よりも気温が下がるだろうが、確かにアルマの言う通りだ。材料集めで随分と汗をかいた所為で、衣服が貼り付いて着心地が悪い。このまま休んでもあまり疲労は取れないだろう。
ラフィンは何度か小さく頷いたのだが、そんな時――不意に彼らの耳に互いのものではない声が一つ届いた。
「水浴びか、別に今しても構わんぞアポステル。とくとこの目に焼き付けようではないか」
「――!?」
突然聞こえてきた声にラフィンは咄嗟にそちらに向き直りながら、片手はアルマの前に添える。何者か定かではないと言うのもあるのだが、その変態的な台詞が余計にラフィンの警戒心を刺激した。
今のアルマは少女の姿だ、そのアルマが水浴びをしている姿を目に焼き付けると言うのだから変態以外のなんでもない。それに、親友がアポステルだと知っていると言うのもあった。
けれど、振り返った先にいた長い黒髪を持つ男に向き直ると、アルマは能天気な声を洩らす。
「あ、神さま」
「か、神さま? コイツ?」
「うん、ええと……」
「……俺の名はシンメトリア、両刀の神と言えば分かるだろう」
どうやらアルマは神さまの名を覚えていないらしい。
可愛い女の子が良いだの男の子が良いなど、まさにカオスとしか言えない儀式に巻き込まれたのだからその時に覚えろと言う方が無理なのかもしれないが。
シンメトリアと名乗ったこの神が、あの両刀の神らしい。神さまと言うことである程度の警戒心は薄れたものの、ラフィンは新たに親友の貞操が心配になった。
依然としてアルマを己の背中に隠したまま、ラフィンはその要件を問う。神さまがこんな場所で一体何をしていると言うのか。
「それで、なんで神さまがこんなとこにいるんだ?」
「今日はお前に用があって来た」
「ラフィンに……ですか?」
「うむ、すまんが少しよいか。大事な話がある。アポステルはこれでも食べて待っていてくれ」
両刀神――シンメトリアは羽織るマントの中から大きめの袋を取り出すと、それを傍らに放る。中身は定かではないが、その言葉から察するに食べ物だろう。
ラフィンは訝しむような視線を向けつつも、やがて彼の傍らへと足を向けた。この両刀神、敵意は全く感じられないのだが常に無表情で考えが一つも読めない。
こちらに足を向けたラフィンの姿を確認すると、シンメトリアは静かに踵を返しやや離れた場所で立ち止まる。アルマに聞かれたくない内容ではあるものの、そのアルマを完全に視界から外すことは嫌なのだろう。無論、それはラフィンも同じだが。
「それで、話って……」
「うむ」
やや潜めた声量でラフィンがその内容を問うと、シンメトリアはアルマを一瞥した末にそっとラフィンの顔横に口唇を寄せてきた。相手は両刀の神――ラフィンは眉を顰めながら身を引こうとはしたのだが、それは彼が発した言葉により止められる。
「……善からぬことを考えている者がいる」
「……へ?」
その言葉にラフィンはどういう意味かと、視線のみで意図を探る。しかし、含みの類は全く感じられない。言葉通りの意味なのだろう。
善からぬことの内容がどういったものかは分からないが。
「……善からぬこと?」
「うむ、アポステルの命を狙う者がいる。あの子を守ってほしい」
「街の中でアルマが襲われたけど……それと関係あるのか?」
「そのようだ」
わざわざ神さまがこのように言いに来るのだ、やはり街中でアルマが襲われたことは楽観出来るようなものではない。
ラフィンは彼のその言葉に一度だけしっかりと頷いた。
「けど、分かってるならなんで神さまが何とかしないんだ?」
「人の起こす問題に我々が積極的に介入すべきではない、神が至るところで手を貸せば人は甘えて堕落してしまう」
「……なるほどな」
「それに面倒くさい、俺はハァハァしたいだけだ」
「それは聞きたくなかったわ」
この神はジジイ神と違って真面目なようだ――と、一度こそラフィンはそう思ったのだが、その認識は即座に覆された。面倒くさいだけでは飽き足らず、ご丁寧に変態発言まで付け足してきたのだから。
ともかく、アルマに危険が迫っているのであればラフィンが無視など出来る筈もない。ただの通り魔程度に考えない方が良いということだけは理解出来た。
「……とにかく、アルマは必ず守る。怪しい奴がいたら――って、どこ見てんだよ」
「かわいい」
「言い出しっぺが脱線してんじゃねーよ……」
決意も新たに親友を守ることを両刀神に誓おうとしたのだが、その神の視線は既にラフィンからは外れ――袋を漁るアルマへと向いていた。そんな様子を見ればラフィンの肩からは力が抜ける。
とにもかくにも、その情報を聞けただけでも良かったのだろう。無理矢理にそう考えると、ラフィンもまた――シンメトリアと同じく親友へと視線を向けた。




