第十二話・姉弟の戦法
「――ラフィン!」
「お、おいおい、なんやねんこれ!?」
「私にも分からん、先程は五十人ほどだったのだが……」
ようやく訓練所まで駆け付けたアルマたちは、目の前に広がる光景に唖然とした。
大勢の騎士たちが、まるで全身筋肉痛にでもなったかのように身を痙攣させたまま倒れ込んでいるのだ。レーグルはプリムの声に小さく頭を左右に振ると、その更に奥で交戦するラフィンに目を向けた。
その相手は――エリシャとハンニバル。二対一の状況だ。
「無茶だ、殺されるぞ! エリシャ様とハンニバル様の強さはハンパなものではない!」
レーグルの言葉に、アルマは慌ててラフィンを見遣る。
だが、彼のその表情を確認すると――駆け出すことはしなかった。
心配がないと言えば嘘になる。しかし、アルマは知っているのだ。ラフィンと言う男がどれほどの強さを持っているのかを。
プリムやデュークは止めに入ろうとしたが、そんな二人をアルマは制した。
「大丈夫、大丈夫です。心配は心配だけど……ラフィンは弱くない、大丈夫」
それでもプリムやデューク、レーグルは心配そうにしていたが。
アルマはラフィンを見守ったまま、その場を動こうとはしなかった。横槍を入れればラフィンは怒る、それが分からない親友ではない。
ラフィンは突撃してくるエリシャを見据えたまま、片手を己の胸の辺りに添えると素早く指先を滑らせる。それはまるで、神に祈りを捧げているように見えた。
「はッ、今更神に祈りか?」
「バカ言うな、あんなロクでもない神さま連中になんで祈らきゃならねーんだ。エロジジイ、ショタババア、ホモにレズにトドメが両刀、最悪じゃねーか」
挑発と思われるエリシャの言葉に、ラフィンは嫌々と心底――本当に嫌そうな表情を浮かべて頭を振る。改めて考えると、ただの一人もマトモな神さまがいないと思った。そんな神に戦い前の祈りなど間違っても捧げたくない。
エリシャが突き出してくるレイピアを身を翻すことで避けると、即座に反撃に移る。無防備になった彼女の背中に一発蹴りを叩き込もうと言うのだ。
しかし、振り上げたラフィンの片足は彼女の身に触れる前に見えない結界のようなものに阻まれてしまった。まるで固い岩でも蹴ったような、そんな感触だ。
「フッ……君の攻撃など、私には一発たりとも入ることはない。我が弟ハンニバルは、母上以上の防御壁を作り出せる優秀な守護者だ」
目を凝らして見てみると、エリシャの身を包むように透明な結界が張り巡らされている。彼女とハンニバルの足元には、同じ形をした魔法陣が展開されていた。
守護者の技の内の一つ、防御の陣。文字通り対象の身を守るものだ。だが、本来はある程度の防御力を上昇させる効果しか持っていない下級スキルのはず。
だと言うのに攻撃を全く寄せ付けないということは、エリシャの言葉通りハンニバルが優秀なのだろう。
「ハンニバルが盾、私が剣として戦う――これが我ら姉弟の戦法だ」
「姉上の剣の腕はお母様の次にすごいんだ、君に見切れるかなぁ?」
レーグルはエリシャとハンニバルの言葉に奥歯を噛み締める。
彼は騎士団に所属して長い、この姉弟の戦い方やその強さは痛いほどに理解していた。彼ら二人はこの騎士団に於いて非常に優れた存在。出撃となると、誰よりも先に飛び出して行き勇猛果敢に戦うのである。
それは、この戦法があるからだ。
ハンニバルがどのような攻撃も寄せ付けない無敵の防御壁を作り、それに守られたエリシャが突撃して敵を叩き伏せる。今まで彼らがこの戦法を駆使して、危うい状況に陥ったことはただの一度もない。
彼らにあの戦法がある限り勝てない――レーグルはそう思った、思ったのだが。
次の瞬間、彼は目を見開き、その相貌を驚愕一色に染めた。
「な……なにッ!?」
エリシャが勢い良く駆け出し、すごいと称される剣撃を叩き込もうとした時――ラフィンは僅かに身体の半身を引き、突きを寸前で回避すると利き手で拳を作り一撃を繰り出した。
その拳は無敵と言われるハンニバルの防御壁をいとも容易く叩き割り、鎧に覆われたエリシャの胸に重い強打を見舞ったのだ。
「ぐ……ッ! うああぁッ!」
「あ、姉上ええぇ!」
全く予想だにしていなかった一撃にエリシャもハンニバルも、状況を見守っていたシェリアンヌやレーグルまでもが瞬きも忘れたように双眸を見開いていた。
ハンニバルはこの騎士団で一番の防御壁を作り出せる男だ、その彼の守りをたった一撃でぶち破ってしまった――どうなっているのだ、と言わんばかりに。
それには手合わせをしたプリムも驚いていたが、別段意外なことだとは思わなかった。ラフィンはそれほどの男だと彼女は理解しているのだ。アルマに至っては目をキラキラと輝かせて彼を見つめている。
「……なんだ、大したことねーじゃん。あっぶねぇな、本気で殴ってたら鎧壊れて身体に刺さってたぞ」
「がはッ、ごほっ……! な、なぜ……貴様、一体……ハンニバルの守りがこれほどまでに容易く破られるはずが……!」
「なぜって、俺のオヤジが作る防御壁の方がとんでもないからなぁ。壊せるまで晩飯抜きとか言いやがるし、当時は死ぬ気で壊したっけ……」
何を思い出したのか、ラフィンは片手で己の顔面を覆うと腹の底から重苦しい溜息を吐き出した。
レーグルは、彼のその言葉で理解したのである。ラフィンの強さの理由を。
「そうか……彼はガーディアンロードの教えを受けた者……子供の頃からそんな相手と修練を積んできたのであれば、通常の守護者やハイ・ガーディアンなど――!」
「ガ、ガーディアンロードだって……!?」
レーグルの言葉にデュークは一度彼に視線を遣り、改めてラフィンを見遣る。
エリシャとハンニバルは強い、この騎士団の団長であるシェリアンヌの次の実力者と言えるだろう。
だが、ラフィンがずっとガーディアンロードの相手をしてきたのであれば――エリシャやハンニバルが勝てる相手ではない。
守護者の王と言える存在、それがガーディアンロードだ。守護者やハイ・ガーディアンが展開する技など小技でしかないだろう。
「で、どうするんだ。まだやるのか? 女の腹は殴ったらダメって言われてるからやり難いんだが」
「な……っ」
「な、殴り込んできたのは君の方じゃないかあぁ!」
「言ったろ、騎士団に興味があったって。自分の腹痛めて産んだガキを捨てる奴がどんな騎士育ててんのかってな」
エリシャはラフィンの言葉に怪訝そうな面持ちながら、反応に困ったように言葉に詰まり――ハンニバルは半泣きになりながら文句を連ねた。自分の防御壁をあっさり崩されたことが余程悔しいのだろう。
しかし、自分の母を侮辱されることはやはり許せなかったらしい。半泣きながら、それでもハンニバルは剣を構えると強く床を蹴って飛び出す。
「何がガーディアンロードだよ! そんなのハッタリに決まってる!」
「ハンニバル、よせ!」
エリシャはそんな弟を止めるべく声を上げたのだが、それは間に合わなかった。
ラフィンに飛び掛かったハンニバルは手に持つ剣を真一文字に横へと薙ぐ――しかし、その切っ先は虚空を切る。目的とした場所に、既にラフィンの姿はなかったのだ。
素早く彼の真横に滑り込んだラフィンは、がら空きのハンニバルの脇腹に照準を合わせ、思い切り片足を振り上げた。すると彼の身は容易に蹴り飛ばされ、ちょうど近場にあった壁に激突。ハンニバルの口からはカエルが潰れたような声が零れ落ちる。
顔面を打ち付けたのか、鼻先を摩りながら身を起こしたハンニバルに対しラフィンは追撃すべく飛び出し――慌てて身構える彼に薄く笑う。その顔はすっかり蒼褪めていたからだ。
ラフィンは拳を握り、ハンニバルの顔面に一発――入れるフリだけをしてその拳を彼の顔横、後方の壁にぶち当てた。元より当てる気などない、これはただの脅しだ。
けれども、ハンニバルにとっては恐ろしい瞬間であったらしい。そのまま白目を剥き、あろうことか泡を吹いて気絶してしまった。
「あ……お、おい、大丈夫か?」
「よっぽど怖かったんやろなぁ……まぁ、気持ちは分かるで……」
プリムは胸の前で両腕を組むと、神妙な面持ちで何度も頷く。彼女も前日の手合わせの際、危うく思い切り一発を叩き込まれるところだったのだ。あの時の光景は今でも鮮明に思い出せる。
しかし、その刹那――アルマはラフィンの背後に迫る影を見落とさなかった。
「――ラフィン! 後ろ!」
「……!」
ハンニバルを助け起こそうとしたラフィンの背後に、シェリアンヌが迫っていたのだ。
アルマの声にラフィンは反射的に後方を振り返るが、僅かに彼女の方が早かった。シェリアンヌの振るった剣はラフィンの左脇腹を深く抉り、それと共に鮮血が舞う。
「ふん、余裕など見せるからだ。小僧、私に文句があるのだろう? 好きに言うが良い、何を言おうと所詮は負け犬の遠吠えに過ぎぬ」
「へぇ……」
思わぬ奇襲にラフィンはその場に片膝をつきながら、シェリアンヌを見据える。斬られた脇腹に片手を添えるが、傷口は彼が思うよりも深い。その程度では止血にもならなかった。
シェリアンヌは深手を負わせることに成功した彼の傷口を見下ろし、対するラフィンは薄く笑いながら彼女を見上げる。
そして次の瞬間――シェリアンヌが駆け出し、両者は真正面から衝突した。




