第十話・祈りの理由
デュークは屋敷の一室に立っていた。
自分は確か、病院にいたはずではないだろうか――そう思って、不思議そうに辺りを見回す。もしや自分はあのまま死んでしまったのか、そんな考えも一瞬だが頭を過ぎった。
しかし、焦りは全く感じなかった。
どうせ、自分が死んでも誰もなんとも思わない。
周囲の者は「ああ、そんな奴もいたな」程度にしか思わないだろうし、肉親は逆に清々するだろう。
そこまで考えて、やめた。あまりにも不毛だ。
『……? あれは……』
ふと、部屋の扉が開いた。部屋に入ってきたのは、車椅子に乗った一人の男性だ。
その姿を視認するなり、デュークは泣きたくなった。
『……父上……』
その男性は、実の父親だった。
デュークと同じ紺色の髪を持つ、厳つい風貌の中年と言ったところである。
父は元は立派な騎士だった。騎士団の団長として君臨し、民が困っていれば極力自らが赴いて手を差し伸べる。そんな人であった。
だが、ある日。近隣の街や村を荒らす賊の討伐に向かった際、父は街の子供を庇い負傷。その傷が原因で下半身不随となり、引退を余儀なくされたのである。
デュークの身体が弱くとも、父だけはいつも優しかった。
身体が弱くて剣を持つどころか、体力作りさえままならない彼に「ならば祈りを覚えるのはどうか」と提案してくれたのも彼だ。
大切なのは形ではない、力のない者を守りたいという気持ちだと――父は幼いデュークにそう教えてくれた。
だからだ、だからデュークは必死になって祈りの勉強をし続けた。誰に褒めてもらえなくても、父が病気でこの世を去ってからも。
『父上、私は……私は……』
自分の学んできたものは、なんだったか。デュークはそう考える、思い出す。
父に言われて、祈りを覚えて、その力を身に付けた。それはなんのためだったか。
『母上や姉上たちに認めてもらうためではない、例え父上のように最前線には出れなくとも……誰かを守るためだ……』
そうだ、自分が祈りの力を身に付けたのは肉親に認められたいからじゃない。母に見てもらいたいと言う気持ちがなかったとは言わないが、それでも――根底にあったのは承認欲求ではなく。
『父上、ありがとうございます……』
父は車椅子に乗ったまま机上の書類を見ていて、デュークには全く気付いていない。恐らく、これは死ぬ間際に見るものではない。懐かしくも切ない、ただの夢だ。
だが、徐々に夢が終わり始めた頃――ふと、父が振り返って笑った気がした。
* * *
「……ニイちゃん! 起きたか、大丈夫か!?」
「デュークさん、よか……よかった……!」
デュークが目を開けると、視界にはいくつもの顔。いずれも見覚えがある。
酸素が足りていないのか、横になっていると言うのに強い眩暈を感じた。デュークは視線だけを動かして、その場に居合わせる面々を確認する。
「……すみません、ご迷惑をお掛けして……」
「何を言うてんねん、別に迷惑なんて思ってへんて!」
プリム、アルマ、あとは医者と看護師が数人。彼らが寝台を囲んでいた。
デュークは静かに身を起こすと、これまでに感じた覚えのない奇妙な感覚に包まれる。形容し難い、不可解な感覚だ。妙に身体が軽いような。
医者や看護師には「まだ横になっていないと」と慌てて制されたが、いつも決まって感じていた息苦しさは全くない。それどころか、鉛のように重かった身体はそれらが外れてしまったかの如く、どこまでも軽い。
生まれてこの方、こんな身体の軽さは経験したことがなかった。
「デュ、デューク様ッ!?」
「せ、先生、私に何を……? 身体が、軽い……それに息苦しさも……」
「な、なんですと!?」
そんなやり取りを見守りながら、プリムはアルマに視線を向けると言葉もなく片目を伏せて親指をグッと立ててみせる。それを見てアルマは嬉しそうに、そして安堵したように笑った。若干のフラつきは感じるが、ここで眠ってしまう訳にはいかない。
アルマはすぐに表情を引き締めると、一度デュークを見遣る。
先程まで蒼白かった顔には血色が戻り、具合も良さそうだ。彼はもう心配ないだろう。
「アルマちゃん、どこ行くん?」
「ラフィンの迎えに。きっと大暴れしてるだろうから」
最初はプリムも不思議そうに目を丸くさせて首を捻っていたが、程なくして大体の予想は出来たらしい。彼女の頭の中では、きっと全く以て愉快ではない想像が巡っているに違いなかった。「まさか」と恐る恐る呟く彼女に、アルマは言葉もなく頷いてみせる。
静かに踵を返し、そっと病室を出ようとしたのだが――デュークはそれを見逃さなかった。
「どちらへ行かれるのですか?」
「え、ええと……」
「……彼の迎えに?」
ラフィンはデュークの母に怒りを感じて、殴り込みに行ったのだ。彼にそれを話して良いとは思えなかった。
だが、デュークもプリム同様なんとなく理解はしたのか、棚に置かれたままのカバンを手に取ると早足にアルマやプリムの元へ歩み寄る。
「私もお連れください、やることがあります」
棚にあるカバンを手に取ったと言うことは、アルマとプリムがどこへ行こうとしているのかは分かっているのだろう。それならば、下手な誤魔化しは通用しない。
何より、これまでとは異なり明確な意志が宿った真っ直ぐな眼差しを見ると、誤魔化したいなどとは微塵も思えなかった。
プリムは困惑していたが、アルマはしっかりと頷くとラフィンを迎えに行くべく病室を後にした。




