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第八話・頭に来たらすることは他にない


 デュークの具合も随分と良くなってきた、そろそろ退院出来る頃だろう。

 彼は騎士として――守護者(ガーディアン)として生きられない代わりに、祈りを覚えたのだと言っていた。例え守護者になれなくとも、それでも彼はライツェント家の人間なのだ。その志だけはしっかりと継いでいる。

 ――守護者でなくても良いから、自分の力で誰かを守れるようになりたい。そんな彼があのように言われるのは、やはりラフィンにも納得出来ないものであった。


 デュークはその志で祈りの力を身に付け、その能力でアルマを助けてくれた恩人なのだから。


「あのニイちゃん、そろそろ退院やな」

「そうだね、でも悪いことしちゃったな……祈りの力を使ったら身体に負担が掛かるって言ってたから、デュークさんが倒れたのは僕の所為だ」

「ま……そう言うなよ、お前一人の責任じゃねーさ」


 今日も今日とて、ラフィンたちは病院に足を運んでいた。彼らの手には、いくつもの見舞いの品が抱えられている。

 果物に菓子、花など本当に様々なものが。

 彼の病室はもう目と鼻の先。しかし、ラフィンはそこで足を止めると、周囲に人の気配がないかを確認した末に声量を落としてアルマに問い掛けた。


「なぁ、アルマ。セラピアの祈りでデュークの身体を治してやることは出来ないのか?」

「せや、ルネやママの時みたいにぱーっと出来れば、あのニイちゃん元気になれるで!」


 セラピアの祈りはあらゆる怪我や病を癒してしまう奇跡の祈りだ。もしかしたらデュークの身体も治してやれるのではないか、ラフィンはそう思ったのである。

 プリムも今気付いたと言わんばかりの様子で表情に笑みを乗せると、彼の言葉に賛同するように何度も頷いた。

 しかし、肝心のアルマは眉尻を下げて困り顔だ。


「う、う~ん……レーグルさんに聞いた話だと、デュークさんの身体は病気じゃなくて生まれつきらしいから、難しいかも……症状を軽くすることは出来るかもしれないけど……」

「あ……そっか、生まれつき身体が弱いってだけなんやったな……」

「そうか……」

「で、でも、試してみるよ!」


 アルマがセラピアの祈りを使えることを、出来ればあまり知られたくはない。

 だが、デュークは決して悪い男ではない。それはラフィンだけでなく、プリムも理解していた。それに、もしもアルマに祈ってもらうことで彼が快復するのであれば――なんとか治したいと思う。


「(それでアルマが危ない目に遭うかもしれねーけど、上等だ。もう二度と傷なんか付けさせるか)」


 ラフィンの気持ちは、ルネを治療する時と全く変わっていない。

 アルマがそうしたいのならば、自分はそれに従う。それによって彼に危険が迫ったとしても、どのようなことをしてでもアルマを守る――それだけだ。

 とにかく、試してみないことには効果があるか否かも分からない。ラフィンは思考を切り替えるとデュークの病室に入るべく、扉に手を掛けた。

 ――が、その時。ふと室内から微かに話し声が聞こえてきたのである。


 * * *


「デューク、具合はどう?」

「……はい、母上。もう随分良くなりました」

「そう」


 デュークは寝台に身を起こした形で、傍らに立つ母――シェリアンヌに返答を向けた。その視線は彼女を捉えることはなく、常に己の手元に降りている。

 そして母もまた、そんなデュークに興味もないとばかりにどこまでも冷たい眼差しを以て息子を見下ろしていた。

 具合を尋ねたのには理由がある。息子から返る言葉を聞くなり、彼女は片手に提げていた大きめのカバンを傍らの棚へと置いた。


「……?」

「しばらくは生活に困らない程度の金が入っているわ」

「そ、それはどういう……」


 突然の母の言葉に、流石のデュークも下げていた視線を上げて彼女を見上げるが――自分を見下す氷のような冷たい双眸に射抜かれれば、即座に勢いを失い、再びその視線は自らの手元に落ちた。


「デューク、お前を本日限りでライツェント家から追放する。今後はその名を捨てなさい」

「……」

「本当は世に出ぬよう処刑しろとの声もあったが、弱者の命を刈り取るのは騎士の道から外れる行為故、それは免れたのだ。この街を出て、あとは好きに生きて好きに死になさい」


 優しさなど欠片も宿らぬ言葉に、デュークは内心で笑った。

 自分は実の母から、実の姉と兄から見放されて捨てられたのだ。生まれた時から家族のお荷物で足手まとい、こうやって度々入院しては迷惑ばかり掛けてきたと思う。

 しかし――こんなにも疎まれていたのかと、そう思えば彼の目には自然と涙が浮かんだ。

 泣き声と反論を洩らさぬ代わりに、布団を両手で固く握り締める。その指先は力を入れ過ぎて白くなった。


「――待ってください!!」

「……!?」


 その時、病室の扉が不意に開かれアルマが飛び込んできた。その後ろには憤りを隠せずにいるラフィンとプリムの姿も見える。

 シェリアンヌは突然の訪問者に怪訝そうに眉を顰め、不愉快そうにその風貌を歪めた。まるで威圧でもするかのように。

 けれども、今のアルマがその程度で怯むことはない。彼にしては非常に珍しく、その心は怒りで満たされていた。


「それは、デュークさんを捨てるってことですか?」

「貴様らは何者だ? 無礼であろう」

「無礼はどっちやねん、このお方はアポステル様やで!」


 普段は温厚なアルマでさえ怒りを覚えるほどだ、ラフィンとプリムの怒りのボルテージは最高潮に達している。プリムは彼女の吐き捨てるような物言いに、間髪入れずに言葉を返した。

 するとシェリアンヌは一度こそ驚いたように切れ長の目を丸くさせたが、それも一瞬のこと。すぐにつまらないものを見るようにアルマを一瞥した後、彼らの脇をすり抜けて素通りしていく。

 文字通り、興味がないと言わんばかりに。


「待て! あなたはそれでも母親かッ!」


 アルマはそれでも彼女に食って掛かろうとしたが、そこでシェリアンヌが動いた。

 素早く腰から細身の剣を引き抜き、煩わしい虫でも払うかのように彼の身を斬り付けようとしたのだ。

 デュークは双眸を見開き、思わず声を上げそうになった。アルマは、彼が助けた少女――否、少年。それを目の前で傷付けられることは我慢ならなかったのだ。

 しかし、彼女が振るった剣がアルマの身に届くことはない。


「……病院内で、しかもアポステルに剣向けるなよ――オバさん」

「(速い……この小僧、守護者か……?)」


 シェリアンヌが振るった刃を止めたのは、当然ラフィンだ。己の手が傷付くことなど構わず、むき出しの刀身を片手で掴んで止めてしまったのである。

 互いに睨み合って、数秒。シェリアンヌが双眸を僅かに細めると、ラフィンはそこでようやく彼女の剣を解放した。

 するとシェリアンヌは無言のまま剣を鞘に収めて、静かに踵を返し――今度こそ病室を後にする。その間、彼女の双眸がデュークを捉えることはただの一度もなかった。


「ラフィン、手……!」

「これくらいなんともねーから心配すんな、それよりデュークを診てやれ」


 アルマはやや蒼褪めながらラフィンの怪我の具合を窺おうとしたが、当のラフィンはその手を軽く振った末にズボンのポケットに入れてしまった。こういうところは変に頑固だ。

 それでもアルマは暫し何か言いたそうにしていたが、やがてデュークの傍らに歩み寄った。彼の顔色は非常に悪い。せっかく良くなってきたと言うのに、シェリアンヌの言葉や仕打ちは彼の精神に大打撃を与えたようだ。


 当然である。どのような境遇にあろうと、母に捨てられると言うことが子供にとってどれほどの痛みになることか。

 アルマはデュークの容態を窺い、プリムは反対側から彼の背中を優しく摩っている。そんな光景を確認した後、ラフィンは言葉もなく踵を返した。


「ラフィン」


 そのまま病室を出て行こうとしたのだが、それはアルマの声に阻まれる。

 だが、優しく語り掛けるような声色から察するに「行くな」という意味ではないようだ。


「……無理はしたら駄目だよ、怒るからね」

「うん」

「あと、ほどほどにね」

「うん」


 プリムはそんなやり取りを聞いて、デュークの背中を摩りながら不思議そうに首を捻っていたが。

 アルマのその言葉にラフィンは病室を後にすると、思わず苦笑した。


「(ほんと、お前には敵わねーな、アルマ)」


 自分がこれから何をしようとしているのか、どこへ行こうとしているのか――アルマには既にバレているのだ。普段は何かと泣いて喚いてうるさいと言うのに、それでも止めないと言うことは今回ばかりは流石の彼も腹に据えかねたのだろう。

 更に言うのなら、それだけラフィンを信頼してくれているのだ。ラフィンなら大丈夫だと。


「さぁて……久々に思いっ切り、暴れてやりますか!」


 ライツェント家がどれだけ自分の騎士団に自信を持っているのかは分からない。

 だが、自分の子供を捨ててまで愛する騎士団がどれほどのものか興味はある。悪い意味で。

 固く拳を握り締めると、ラフィンは薄く笑みを滲ませて足を踏み出す。だが、その目は決して笑ってなどいなかった。


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