第三十八話・夜の集落
ヘルシャフトを鎮める騒動での疲労が抜けきらないラフィンたちは、今日はそのまま集落で一晩を過ごすことになった。
集落には時計という存在がないため、現在の正確な時刻は分からない。一度は仲間たちと共に寝床に就いたものの、どうにも寝付けずにラフィンは一人起き上がると、集落の中をのんびりと散策することにした。夜風にでもあたっていれば、いずれ自然と睡魔がやってくるだろう。
この集落は、大昔から成長が止まっているような印象を受ける。時計もそうだが、日常生活の中に当たり前のように存在する便利なものがほとんど見受けられないのだ。衣服だって葉っぱなどを用いて局部を隠しているだけの簡素過ぎるものばかり。女性は麻でできたものを着用しているものの、男性はほぼ裸に近い。
自然と共に生きるような姿勢はラフィンにとっても好ましいが、そういう点を考えると自分には無理だなと瞬時に悟った。
「(……あ)」
特に行き先も決めずに集落の中を歩いていると、昼間も訪れた洞穴に辿り着いた。
勝手に足を踏み入れてもいいものかと迷ったが、輝光石を持ち出す許可は得ているのだ。おかしな真似さえしなければ大丈夫だろうと、その中へ足を進めた。
昼間は緊張しながら訪れた場所だが、気分が変われば景色も変わる。夜という時間帯もあってか、ほんのりと淡い光を抱く洞穴の中は非常に美しかった。地面に落ちている輝光石の破片そのものが光を湛えているのだ、これならば明かりなどなくても充分過ぎるほど視界が利く。
下へと通じる階段をゆっくりと降りていきながら、ラフィンは辺りの景色を楽しんだ。
「……ん、あれ?」
やがて最下層に行き着くと、一際強い光を湛える輝光石の結晶が見えてきた。そして、その正面に佇むすっかり見慣れた黒衣も。
それを見て、ラフィンは歩調を早めると、その背中に声を掛けながら傍へと寄った。
「シンさま、何やってんだ?」
「……お前か。眠れぬのか?」
「ああ、まあ、そんなとこ」
それは、シンメトリアだった。相変わらず無表情だが、振り返ったその顔には僅かに疲労の色が見て取れる。
ラフィンたちを背に乗せてここまで運んできた上に、この洞穴の中で延々とヘルシャフトの攻撃を防ぎ守ってくれていたのだ。疲れが出るのは当然だろう。ましてや、その後に部族の者たちとの話し合いもあったのだから。大丈夫なのかと、言葉もなくラフィンは横目にその様子を窺う。
だが、当の本人は特に気にしたような様子もなく、また結晶へと向き直った。
「……? 御神体がどうかしたのか?」
「どうもしない、ただ……始末すべきか悩んでいた」
「どうもしてるじゃねーか、どういうことだ物騒だな」
何か気になることがあるのだろうと、ラフィンはそう思っていたのだが、シンメトリアの口から出た物騒すぎる返答に思わず表情が歪む。結晶の中の御神体と彼とを何度か交互に眺めた末に、小さく溜息を洩らした。
「ヤバいやつなのか?」
「この者が有している力は限りなく神に近しいもの、使い方を誤れば世界のひとつやふたつは簡単に吹き飛ぶだろう。……なぜ人の身でこのような力を秘めているのかは知らんが、もしも目覚めた時に危険な思想を持っていたら、マリスと同じくらい厄介だ」
「マジかよ……」
ラフィンには当然ながら何も感じることはできないが、神であるシンメトリアには御神体が持つ力を感じ取れるのだろう。ラフィンの目に映る御神体は、どこまでもただただ美しい一人の人間にしか見えない。この身体の一体どこにそれほどの力が秘められているのか、まったく理解できなかった。
そこで、シンメトリアは僅かばかり困ったように眉尻を下げる。
「……だが、そうではない可能性もある」
「そりゃそうだ」
確かに、それほどの力を持っている者が危険な考えを持っていたら世界を脅かす脅威になるだろう。ただでさえ、現在はマリスのことで頭を悩ませているのに。
しかし、杞憂という可能性もある。もしかしたら、危険な思想の持ち主ではなく、ラフィンやシンメトリアに同調してくれるような人間かもしれない。実際に対話をすることができないため、どちらの可能性も否定はできないのだ。
「まあまあ、そんなに心配なら全部終わった後にでも俺がこうやって頻繁に様子を見にくるさ」
「ほう、アポステルというものがありながら、随分とこの者に執心しているようだな」
「ば……ッ、馬鹿野郎! そんなんじゃねぇ!!」
シンメトリアの言うように、確かにラフィンとて御神体に興味はある。だが、それはあくまでも恋愛だとか、そういったものではないのだ。
御神体がシンメトリアも警鐘を鳴らすほどの力を持っているのであれば、その興味は刺激されるばかり。ただ、一体どれだけ強いのだろうかと、純粋な強さへの興味と憧れのようなものだ。
そして、そこで思い出す。デュークが誘拐された今回の騒動ですっかり忘れていたが――――
「(……そういや、アルマのこと。ちゃんと考えないとな……)」
ここに来る前、アルマから告白されたのだ。それも、みんなが見ている前で。
あれは、これまで通り友達として好きという流れではなかった。ならば、その告白に対する返事を考えなければならない。
――アルマを好きだという自覚はある。それも、決して友達だとか仲間のような意味合いではなく。
まさかアルマも同じような感情を抱いているとは思っていなかったが、多分両想いというものなのだろう。そこまで考えて、ラフィンは思わず眉根を寄せた。
アルマのことはもちろん好きだし、その気持ちは嬉しい。
だが、ラフィンは男で、アルマも元々は男。ジジイ神に掛けられた忌まわしい魔法が解ければ、アルマは当然ながら男に戻るのだ。
そもそも、ラフィンの旅の目的のひとつはそれなのだ。受け入れてしまうのは躊躇われた。
返事はしなければならない。
しかし、どう応えるべきなのか――その答えが見つからずにいた。
「……ん? うわッ!?」
そっと溜息を洩らしかけたところで、ふと衣擦れの音が聞こえたかと思いきや、視界の片隅に黒翼が映り込む。言わずもがな、隣にいるシンメトリアのものだ。黒衣の中から突き出たそれは、ラフィンの背中を覆うように広がる。
何事かと口を開きかけたものの、それよりも先に広がったばかりのその翼が裂けた。それと同時に鮮血が宙を舞い、ラフィンの髪や衣服にまでかかる。
「な……っ、え……?」
何が起きたのか、一瞬のうちに頭が真っ白になるような錯覚を覚えて、ラフィンは思わず背後を振り返った。そして、その表情は次の瞬間には確かに歪む。
「きゃ、は……キャハハハっ、シンメ、トリア、だあぁ……」
いつの間に洞穴の中に入ってきたのか。ラフィンが振り返った先には、できるなら会いたくはないけれど、決して避けては通れない相手――マリスが微笑みを湛えて立っていたのだ。




