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第十一話・巨大な黒竜


「早く避難するのだ! 急げ!」

「ですが、陛下! 俺たちだって戦えますよ!」

「そうですわ! これ、やっぱりスゴい代物(シロモノ)ですよ! 人がいなくなるなんて真っ赤な嘘だわ!」

「ボクだってドラゴンやっつけちゃうぞぉー!」



 ヴァイスは空から襲い来るドラゴンの群れを前に、住民たちの避難を急がせようと声を上げていたのだが、皇帝である彼の言葉を民は聞こうとしなかった。

 デュークが展開した結界の一部を力業で破壊したドラゴンが結界内へと雪崩れ込んでくるが、待ってましたと言わんばかりに住民たちは手を掲げ、祈りと酷似した力で次々にドラゴンの群れを撃ち落としていく。ある者は氷の刃を、またある者は風の塊や水弾を放って。

 その光景に、ヴァイスは一種の危機感を感じていた。



「(民が……半端に力を得たために我が言葉を聞かぬ……これでは……)」



 手にした力によって、住民たちは次から次へとドラゴンの群れへと攻撃を叩き込んでいく。これまで持ち得なかった力を行使する興奮からか、その顔には各々楽しそうな笑みさえ浮かべて。

 統率など取れているはずもない。嬉しそうに、楽しそうに笑いながら祈りのような力を放つ民は、まるで暴徒のようだ。

 そして、住民たちのその暴走の矛先が向けられたのはドラゴンだけではなかった。デュークが張った結界が――無残にも内部から完全に破壊されてしまったのだ。所詮は素人の集団、力のコントロールなどできようはずもない。ドラゴンへの攻撃を外し続けた流れ弾が、何度も結界にぶち当てられた結果だ。


 けれども、力を得た住民たちは望むところだと言わんばかりに意気揚々と群れを仰ぎ見る。



「陛下……!」

「……各自、展開して民を守るのだ。可能であれば避難させよ。避難が難しければ連携して敵を叩け」

「はっ!」



 指示を仰ぐべく傍に駆け寄ってきた一人の部隊長に気付くと、ヴァイスは苦虫を噛み潰したような複雑な面持ちでそれだけを呟く。

 これまで、民が皇帝であるヴァイスの言葉を聞かないなんて事態は一度もなかった。

 ヴァイスは民を大切にしてきたし、民に少しでも快適な生活を送ってもらおうと多くの意見や声を聞くことに努め、信頼を得てきたはずだ。それが今はどうか。


 ヴァイスの声を聞こうともせず、得たばかりの力を使ってドラゴンに挑みかかる姿は、悪魔のようにさえ感じられた。



「うわああぁっ! は、外れちまった!?」

「――――!」



 そんな時、ヴァイスの耳に悲鳴に近い引き攣った声が飛び込んできた。弾かれたようにそちらを見遣れば、一人の若い青年が文字通り放った祈りを外し――今まさに大口を開けて急降下してくるドラゴンに喰らいつかれそうになっている状況が視界に映り込んできた。

 ヴァイスは口内で小さく舌を打つと、咄嗟にそちらへと駆け出す。剣による防御は間に合いそうにない。

 間一髪、ドラゴンと若者の相手に身を滑り込ませ、躊躇なく左腕を掲げた。


 その刹那、左腕全体に叩き潰されたかのような激痛が走る。鋭利な牙が肩当てや手甲を容易に破壊し、肉に食い込み骨を粉砕する。それらは身を引き裂かんばかりの激痛となってヴァイスを襲ったが、歯を食いしばることで意識が持っていかれることだけは防いだ。

 脳が悲鳴を上げているのか、目の前がチカチカと光って鬱陶しい。



「ひ……ッ! ひいいぃっ、へ、陛下ああぁ!!」

「だから避難せよと言っているのだ……っ! そなたたちもこうなりたいか!」



 ヴァイスに庇われた青年は、その光景を一拍遅れてから理解したらしく、ふらりふらりと数歩後退するなり真っ青になって腰を抜かしてしまった。

 ヴァイスは右手に携える剣を己の腕に喰らいつくドラゴンの顎裏から突き刺し、脳を討つ。すると、ドラゴンの口からは力が抜け、身を痙攣させたかと思いきや地面に崩れ落ちた。

 人から見れば大きな図体をしたドラゴンに覆われて見えなかったヴァイスの左腕の負傷を見て、辺りにいた住民たちは誰もが皆、血の気が引いた真っ青な相貌へと変化を遂げる。


 もし、自分の攻撃が外れてドラゴンに噛みつかれたら、

 もし、自分の攻撃でドラゴンを倒せずに反撃されたら、

 もし、自分の攻撃がドラゴンに全く効かなかったら――――


 今になって様々な可能性を考えて、急に怖くなったのだ。

 途端に及び腰になった住民たちを見て、上空の群れは一斉に襲い掛かるべく急降下を始める。

 だが、それらは上空から降り注ぐ雷に撃たれて次々に地面へと墜落していく。



「(なんだ……? リフレ――ではないな、あいつが来たならもう散々喚き立てているはず……)」



 そこで、ヴァイスはようやく気が付いた。

 次々に群れが撃ち落とされていく中でも、空は一向に晴れない。黒く染まったままだということに。

 そして、その巨体を――あまりにも大きすぎる巨体を目で確認すると、愕然とした。帝都の空を覆う黒い親玉のような黒竜の身が、絶望的なまでの大きさだったからだ。



「ヴァイス!!」

「皇帝さま! 大丈夫か!?」



 謁見の間から慌ててやってきただろうリフレとラフィンたちの声が聞こえたが、今はそれに応えるだけの余裕はない。目の前の状況にどう対処すればいいのか全くわからなかった。

 あんな巨大な竜がもし都に降り立ったら、大きな尾を叩きつけでもしたら――都は一撃で大半が破壊されてしまう。嫌でも終わりが頭を過ぎった。


 ラフィンたちはヴァイスの傍らに駆け寄るリフレを見送ると、その手前で立ち止まり、再び上空を振り仰ぐ。唸るような羽音を立てながらゆったりと空を浮遊してこちらを見下ろす様は、世界の終末さえ予感させる。鋭利な刃物の如く輝く金色の双眸は、まるで獲物を狙っている獣のようだった。

 気が付けば都のあちらこちらには、それまで空を覆い尽くしていたドラゴンの群れの亡骸が転がっている。



「どう戦えってんだよ、あんなの……あの黒いドラゴンたちは仲間じゃないのか?」

「無差別に襲ってくるっちゅーことやろか、あれもマリスと関係のあるやつ……なんやろな」



 絶望を前にパニックに陥っただろう住民たちが半狂乱になりながら、巨大な黒竜へ向けて祈りと酷似した力をぶち当てるが、それらは傷にさえならず跳ね返されてしまうだけ。



「うわあああぁッ! 消えろ、消えろよおおぉ!!」

「どこか行ってよ、この怪物っ! 私まだ死にたくないいぃッ!」

「バケモノ、バケモノぉ! 都から立ち去れええぇ!!」



 それでも、他にできることがないからか、民は攻撃をやめなかった。リフレはヴァイスの怪我の具合を窺った後に、彼と共に同じく空を見上げる。どうすべきか、当然ながら彼女の頭にも解決策はない。

 ラフィンは、どこか高い屋根の上に登ってみようかと無駄なことを考え始めたが、その時――不意に傍らにいたアルマがいつものように危なっかしい足取りでドラゴンの方へと駆け寄っていくのを視界の隅に捉えると、咄嗟に手を伸ばした。



「――!? お、おい、アルマ!」

「アルマちゃん! どうする気やねん!」



 ラフィンは慌ててその後を追いかけるが、アルマが止まる気配はない。

 プリムの言うように一体どうする気なのかと焦りばかりがラフィンの胸中を支配していく。

 そうして、ドラゴンのほぼ真下近くでようやく止まったアルマは、上がった息を整えながらジッとドラゴンを見つめた。その顔には――緊張感など欠片も感じられない。

 そうして一言、確認するかのように呟いた。



「…………シンメトリアさま……?」

「えっ、シンさま……って、こ、このバカデカいドラゴンが!?」

「な……なんですって!?」



 そっと紡がれた言葉に驚いたのは、ラフィンたちもリフレも同じだった。

 すると、巨大なドラゴンは数拍の間を要した末に黄金色の双眸を伏せ、巨体を眩い閃光で包む。次の瞬間、都を覆い尽くさんばかりの巨体は見る見るうちに小さくなっていき――不愛想な男の姿へと変化を遂げた。

 アルマが口にした通り、五大神の長であるシンメトリアだ。

 ラフィンたちは思わずぽかんと口を開けて絶句し、ヴァイスとリフレは怪我も忘れて大慌てでその場に跪く。



「シ、シンさま……アンタ……えっ、あのドラゴンほんとにアンタだったのか? なんで……いや、他の群れは手下とかじゃないんだよな?」

「神殿にいたら黒い群れが都に飛んでいくのが見えた。一応は……都を守りに来たつもりだ。……怯えさせるだけになってしまったようだが」



 そう返事を返してよこすシンメトリアの視線は、ラフィンとアルマの肩越し――後方で先ほどまで半狂乱になっていた住民たちへと向けられた。ほんの一瞬ばかり悲し気な色を宿すだけで、その視線はすぐにアルマに戻されたが。



「……なぜ、俺だとわかった。他の者たちの反応が普通なのだぞ」

「えっ、でも、他のドラゴンを倒してくれましたし、できるだけ都の人たちや建物に被害が出ないように動いておられました。あれだけ大きいんだから都を壊す気なら回りくどいことしないで踏み荒らした方が早いし……下に降りてきて、直接見た時の雰囲気がなんだかシンさまに似てるなぁって」

「お前そんな細かく見てたの!?」

「だ、だって、あまりにも大きくて他のドラゴンが目に入らなかったんだ」



 目の前で常と変わらないやり取りをするラフィンとアルマに、シンメトリアは半ば呆けたように彼らを見つめるが、程なくしてそっと目を伏せる。その胸中に去来する様々な想いは彼にしかわからないが、ラフィンもアルマも、普段よりも柔らかな雰囲気を纏う神を前にして互いに顔を見合わせた。

 なんとなく――本当になんとなくだが、ホッとしているように感じられたのだ。


 ラフィンにもアルマにも、シンメトリアの事情はわからない。彼がなぜ、あのような巨大なドラゴンの姿を取れるのかも。

 だが、先ほどまでの緊張感から解放された反動か、徐々に都全体に安堵の空気が広がっていった。



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