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第三話・黒に包まれる都


 辺りに響き渡る悲鳴を聞きながら、マリスはクスクスと楽しそうに笑う。

 目の前には、その顔を恐怖と驚愕に染めて腰を抜かす少女の姿――サンディだ。その傍らには、首ではなく口から真一文字に頭部を切断されたミシェラだったもの(・・・・)が転がっている。どくどくと溢れ出る血が噴水広場の地面を鮮血に染め上げた。

 サンディは瞬きすら忘れたようにマリスを見上げて、大粒の涙をボロボロと零している。と、彼女はマリスの肩越しに見覚えのある姿を見つけた。



「……!? カ、カネル……!? なんでここに……追放されたんじゃ……」

「サンディ……あんた、腹の中ではそんなこと思ってたのね、ミシェラと一緒になってさ……最低、ほんと最低よ」



 カネルはサンディを見据えたままそう呟くと、かぶっていたフードを外して一歩一歩そちらに歩み寄っていく。心は衝撃から未だに立ち直れていないが、文句を言ってやらねば気が済まなかった。

 ミシェラは既に物言わぬ屍と化している。この状況でなおも噛みついてくるようなことはしないだろう、命が惜しくて調子のいいことを言うはず――そうしたら、トドメを刺してやる。

 そう思ったのだが、カネルのその考えは甘かった。



「……最低はどっちよ! あの頃のラフィンの態度が全てを物語ってたじゃない、カネルのやってたことの方がずっと最低だって!」



 サンディは恐怖に慄くどころか、怒りを前面に押し出して噛みついてきたのだ。それは死を前にして、言いたいことを全て言ってやろうと思ったのか、はたまた突然の惨劇に頭が状況を理解できていないのかは――定かではなかったが。

 カネルは一度こそ怪訝そうに瞠目したが、数拍後には不快を露わにしてマリスの隣へと大股で歩み寄った。



「中にはカネルと一緒になっていじめを楽しんでるやつもいたけど、あたしもミシェラも限界だったのよ! そのアルマが、今はすごく頑張ってるんだってね! たまに都にやってくる商人たちが話してるのを聞いたことがあるわ、アルマは立派にアポステル様をやってるって!」

「……!」

「よかったねカネル、これで心置きなくラフィンのこと諦められるじゃん。カネルより遥かに立派なアポステル様が相手じゃ勝ち目なんかないもんね!」



 次々に放たれる悪意に満ちたサンディの言葉に対し、カネルは下唇を噛み締めると脇に下ろした手を指先が白くなるほどに固く握り締める。悲鳴を上げながら逃げ惑う住民たちなど、今のカネルの視界には入らない。目の前で腰を抜かすサンディが憎くて憎くて、どうしようもなかった。


 ――殺してやる。自分はもう、後戻りなんてできない領域に踏み込んでいるし、後戻りなどできてもする気なんかない。

 

そう思ったカネルは、腰に据えていた鞘から細身の剣を引き抜き、切っ先をサンディに向けて一度振り上げた。対するサンディの口からは上下の歯同士がぶつかるガチガチという音が微かに洩れる。恐怖で歯の根が合わないらしい。それでも、彼女の顔は青ざめていても表情だけは――強気だった。


 言いたいことは言ってやった、とでも言わんばかりに。恐らく虚勢だろうが。

 彼女の生意気ばかりを宣う口に剣の切っ先を突き刺してやろう――カネルが剣を振り下ろそうとした、その時だった。



「……カネル……? あなた、何をやってるの……!?」



 不意に真横から聞こえてきた覚えのある声に、カネルの意識と視線は自然とそちらを向く。

 すると、彼女の双眸は逃げ惑う住人達の先に――中年の夫婦の姿を捉えた。それは宿屋を営む夫婦で、カネルの両親だ。

 母親は愛娘の追放にショックを受けたのか、はたまた苦労を重ねてきたのか、随分とやせ細っていた。父親のフィリップもまた、突き出していたビールっ腹が鳴りを潜めている。カネルが最後に見た時の姿よりも、随分と窶れていた。



「……ママ、パパ……?」

「カ、カネル、いい子だから……その手を、下ろしなさい、下ろすんだ……」

「そ……そうよ、そんなものを振り回しちゃ、いけないわ……ね? パパの言うこと、聞いてね……?」



 言葉こそ穏やかなものだったが、両親の恐怖に引き攣った顔を見てカネルは腸が煮えくり返る思いだった。いつも優しい眼差しを向けてくれた父と母が、今や恐ろしいものを見るような目で、表情で見返してくるのだから。

 恐怖で所々、声が裏がっているほどだ。それがまた、殊更に彼女の神経を逆撫でしていく。

 カネルが両親に向き直って剣を下ろすと、サンディは賺さず尻で後退しようと思ったのだが――その刹那、カネルは両親と向き合った状態のまま手元さえ見ずに剣を振るう。その刃はサンディの首を抉った。



「かは……ッ!? あ、あ……ぁ……」

「きゃあああああぁッ!!」

「ひいぃッ! や、やめてくれええぇ!!」



 動脈が切れたのか、サンディの首から噴き出す鮮血を見て、両親は今にも失神してしまいそうな表情で心からの悲鳴と叫びを上げた。母は両手で己の頬と口元を覆いながら涙を流し、父は固く目を伏せて顔を背ける。

 両親のそんな様を見て、カネルは眉根を寄せると共に面白くなさそうに双眸を細めた。



「……パパとママまで、わたしをそんな目で見るの? 子供のことを何もかも受け入れるのが()の務めなんじゃないの? パパとママだけは、いつだってわたしの味方でいてくれると思ってた……」

「ひ……ひ、ぃ……それは……」

「親の役目を放棄する親なんて――そんなものいらない!」



 完全に顔面蒼白になってその場に座り込んでしまう両親を前に、カネルはそう声を荒げると共に地面を蹴って飛び出した。利き手で固く剣の柄を握り込んで、照準をまずは母親へと向ける。父フィリップは咄嗟に妻を庇おうと彼女の身を両腕でしっかりと抱き込んで、顔を伏せた。

 そんな行動のひとつひとつさえ、カネルにとっては腹立たしい。


 しかし、彼女が両親に突き立てようとした剣は――間に割り込んだ重厚な盾に阻まれて、中ほどからぼっきりと折れてしまった。

 折れて勢いよく宙を舞った刃は――割って入った男の手によって叩き払われる。

 その様を見て、それまで静観していたマリスはぴくりと眉を顰めた。



「実の親を手にかけようとは、なんたる親不孝――しかし、親を都合のいい人形のようにしか思っとらん子供に言ったところで、まったく響かんだろうがな!」

「くうぅッ!!」



 突如妨害が入ったことに対し、カネルは驚いたように双眸を見開いたのだが、状況を理解するよりも先に目の前に現れた大きな盾に真正面から殴り飛ばされ、その口からは苦悶が洩れる。

 フィリップは恐怖に震えながら、カネルと自分たちとの間に割って入った男の背中を見上げた。



「ガ、ガラハッドさん! あんた……!」

「奥さんを連れて早く避難しろ、自警団の詰所を一時避難場所に指定してある。みんな集まっとるはずだ」

「サ、サンディちゃん……サンディちゃんが……」

「……」



 割って入った男――それは、ラフィンの父ガラハッドだった。ガラハッドは肩越しに夫婦を振り返ると、必要な情報だけを手短に告げて、二人を早々にこの場所から離させようと思ったのだが、妻の言葉に彼の視線は一旦正面へと戻る。

 カネルの肩越し、憩いの場として親しまれていた噴水広場の固い地面に少女が横たわっている。既に虫の息なのか、ぴくぴくと僅かに身を痙攣させて。地面にはおびただしいまでの血の海が広がりを見せていた。その様を確認するなり、ガラハッドは込み上げてくる自責を腹の底に叩き落とし、改めて夫婦に視線のみを向けた。



「……お前さんたちだけでも、早く避難しなさい。二人も守りながらでは戦えん」

「逃げるの? このわたしから?」

「お前さんからじゃない、危険から逃がすだけだ」



 折れて使いものにならなくなった剣を地面に投げつけて、カネルが声を上げるが、対するガラハッドは動揺する素振りも見せず彼女を見返す。

 夫婦は暫し躊躇していたものの、やがて覚束ない足取りで立ち上がると噴水広場から離れていった。途中何度も名残惜しそうに振り返りながら。カネルがどれだけの罪を犯そうと、夫婦にとってはやはり大切な一人娘なのだ。完全に見限ることができずにいる。しかし、自分たちがガラハッドの足手纏いになることが分かっているからか、立ち止まることだけはしなかった。



 * * *



 一方で、怪我人の確認と避難を任されたクリスは、自宅を飛び出してあちらこちらを駆けずり回っていた。怪我人を一人、また一人と見つけては避難所へと誘導していく。怪我で歩けない者には肩を貸して同じ道を往復することもあった。

 だが、怪我人と言っても転んで怪我をしただけだ。命に関わるような傷を負ったものは、彼女が見てきた中には一人もいない。



「ク、クリスさん……ねぇ、あれ……なに……?」



 よかった。

 そう思ってクリスが安堵の息を洩らしたのも束の間、近くにいた一人の女性が恐る恐るといった様子で呟いた声に反応して視線を上げると、そこには空。先ほどまで快晴だった青空が、巨大な黒い何かに覆い尽くされようとしていた。

 瞬く間に空に広がりを見せていく()に目を凝らしてみると、それは大量の生き物のようだった。トカゲに酷似した姿に巨大な翼が生えるその姿形は――――



「(……ドラゴン……? ヴィクオン周辺には生息していないはずなのに、どうして……それもあんなに大量に……)」



 このヴィクオンの周辺には、特に気性が穏やかな魔物しか生息していない。クリスとて、それくらいの情報は知っている。なのにあのドラゴンの群れはどこからやってきたと言うのか。

 それは無論、マリスが呼び寄せたものなのだが――クリスがそれを知っているはずもない。

 空を覆い尽くした黒いドラゴンの群れは、次の瞬間ヴィクオンに向けて急降下を始めた。



「いけない! 襲ってくる気だわ!」

「そ、そんな……!? どうしてドラゴンが!?」

「俺たち、一体どこに逃げればいいんだ!?」



 その様を見て、住民たちは一斉にパニック状態に陥った。上空からは絶えずドラゴンの群れが舞い降り、翼や尾で家屋を破壊し始めている。その更に高い位置からは別のドラゴンが火を噴き、燃え盛る紅蓮の炎が都全体に向けて放たれ始めた。

 都を――そこに住まう人間たちを焼き殺そうというのだ。

 クリスはパニックを起こす住民たちに向けて慌てて声を掛けようとしたのだが、それは近場にいた一人の女性の叫びによって阻まれた。



「きゃああぁ! クリスさん、後ろっ!!」

「――!」



 その悲鳴に近い言葉にクリスが咄嗟に後方を振り返ると、身の丈四メートルほどはあろうかというほどの大きなドラゴンが差し迫っていた。

 クリスが身構えるのと、ドラゴンが大口を開けるのはほぼ同時。


 ――刹那、ヴィクオンの空に赤い鮮血が舞った。



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