第二十一話・プレゼント*
カネルは、目を焼きそうなほどの眩い閃光を前に、その表情を忌々しそうに歪めていた。
一体何が起きたというのか。アルマが額からサークレットを引きちぎったのだけは見えたが、その後はこの眩い光が視界を妨害してまったく状況が理解できない。マリスが嫌がっているのか、虫が這うように全身がぞわぞわと粟立った。
だが、状況が分からないのはラフィンとて同じことだ。カネルよりも近くにいたはずなのに、目の前で放出される白の光が強すぎて満足に直視すらできずにいる。
そしてアルマは――その場に四つん這いになり、必死に耐えていた。
「(力が……強すぎて、制御……できない……ッ!)」
つい今し方引きちぎったサークレットは、未だ祈りの力をコントロールできずにいるアルマの力を封じ込め、安定させておくためのものだ。そのサークレットを引きちぎってしまったということは――力がダダ洩れ状態になるということに他ならない。
アルマは歯を食いしばると、地面に強く爪を立てる。
「(けど、ここで流されたら……みんな、守れない……頑張るんだ、僕にはそれしかできないんだから……!)」
祈りの力のコントロール方法は、デュークに教えてもらった。
まだ完全ではないが、全神経を集中させれば多少なりとも自在に使うことはできるはず。もっとも、ラフィンがダウンしてしまっている以上、祝詞を捧げる隙をどうするかが問題だが。
覚束ない足取りで立ち上がると、白い閃光を纏ったまま口唇を噛み締める。そろそろカネルも痺れを切らして動いてくる頃だろう、座り込んでいては恰好の的だ。
しかし、そんな時だった。
どこからともなく、耳に心地好い美しい歌声がアルマの鼓膜を刺激したのである。
「(……歌? この声……)」
その歌声は、どこまでも美しく透き通るようなものだった。目を閉じて聴き入っていたくなるような。
それと同時に、なんとなくその声に応援されているような気がして、アルマは拳を握り締めてカネルをまっすぐに見据える。
更に不可思議なことに、アルマの意志とは関係なく、放出されている力が徐々に落ち着き始めた。勢いを失ったわけではない、その膨大な力がアルマに従うように全身に馴染んだのだ。それと共に白の光が落ち着いたことで、カネルの視界も利くようになったのだろう。先ほどまでは余裕に満ちた笑みを浮かべていたというのに、今は――いつもの如く憎悪に満ちた眼差しでアルマを睨み返してくる。
「(……よく分からないけど、やれる)」
「アルマのくせに……調子に乗るんじゃないわよ! アンタだけは楽には殺さないわ、徹底的に甚振って嬲り殺してやる!!」
「――アルマ!!」
カネルは両手の五指から長い爪を出現させると、手加減などする気もなく猛然と駆け出した。ラフィンは咄嗟に声を上げて立ち上がろうとしたのだが、腹部に負った傷がそれを阻む。腹から背中にまで達する傷だ、少し動いただけでも激痛が走る。
それでもやらなければ、と歯を食いしばって立ち上がった。
しかし、カネルが振った腕と爪がアルマに直撃することはなかった。
「きゃあッ!?」
何かに阻まれたように、カネルの身が軽く吹き飛んだからだ。
ぱちくりと目を丸くさせたラフィンの視界に映り込んだのは、アルマの身を守るように展開されるまん丸い小型の魔法円。ふよふよと宙に浮かぶそれらはいずれも金色の輝きに包まれていて、カネルは目を細めた。
一体化したマリスがその光を嫌がっているのがよく分かる。油断すると吐いてしまいそうな不快感を腹の辺りに覚えた。
「はッ、小心者のアンタにはピッタリじゃない? その変な光にもラフィンにも、守ってもらわなきゃな~んにもできないのね!」
「……」
その言葉をどう思ったのか、はたまた気にも留めていないのか――どちらか定かではないが、アルマが静かに眉を寄せて目を細めると、彼の周囲に浮遊する六つの魔法円は一斉にカネルに向かって飛翔した。弾丸のように疾走するそれらは、アルマが嘗て必死に練習したチャクラムのように飛び、カネルの身を四方八方から斬り裂く。
「こんのぉッ! 馬鹿にするんじゃないわよ!」
無論、カネルとてただやられているわけではない。あらゆる方向から飛翔する魔法円を破壊してやろうと腕を振るったのだが、これまた先ほどと同じように弾かれてしまった。バチッ、と火花でも散ったかのような音を立てて。
堪らず後方へと大きく跳んだカネルは、己の身に付いた大小様々な傷を見下ろして歯を食いしばる。
「これが……アポステルの力だって言うの? マリスと一体化したのに、治らない……」
アルマがゆるりと手を上げると、六つの魔法円はそれ以上カネルを追尾することはせず、彼の身を囲うように戻っていく。まるで従者か何かのようだ。
ラフィンの攻撃であれば即座に完治したというのに、アルマに負わされた傷はいつまで経っても癒えることはなかった。それがまた余計に彼女の激情を刺激していく。
「ラフィンだってもう怖い存在じゃないのに……アルマに、アルマなんかに……っ!」
「……やっぱり君はラフィンのこと、アクセサリーか何かと勘違いしてるんだね。本当に好きだって言うなら、あんなふうに傷なんかつけられるもんか」
「なに、綺麗事? やめてよね、虫唾が走るわ。人には色々な愛情表現があるのよ? わたしの愛情表現があれってワケ。おバカのアルマには分からないかしら」
「僕はそれを純粋な愛情だなんて思わないし、ラフィンを傷つけるやつは許さない。だから君には渡さない、僕がもらう」
ハッキリとそれだけを告げると、アルマの感情の昂りに呼応するかのように蒼の双眸が淡く光り輝く。それと同時に、アルマの身からは再び光が放出され始めたが、今度は目を刺激するほどのものではない。
プリムは得物を支えに身を起こしていたが、痛みも忘れたようにその様子に見入っていた。しかし、ややあってから我に返るなりシェーンの方を見遣る。これならアルマとシェーンが力を合わせることでカネルを退けられるのではないかと思ったのだ。
だが、シェーンを見た彼女の目はすぐに丸くなった。
彼が持つ祈りの剣がアルマの力に応えるかの如く、同色の光を溢れさせていたからだ。
「これは……一体……アプロス様?」
「……説明をしていては長くなります、今はあの者を倒すことを最優先にしてください」
「まぁ、そらそうやな……シェーン、まずはあいつ倒して、それからゆっくり話聞こうや」
「……そうだな」
祈りの剣に何が起こったのか、シェーンもプリムも当然ながらまったく理解できない。だが、アプロスの言うことは間違っていない。
今はカネルと、そのカネルと一体化したマリスを撃退することが最優先なのだから。
一方で、ラフィンはつい今し方のアルマの言葉に困惑していた。
カネルの言葉の数々にラフィンは人知れず腹を立てていたのだが、アルマは確かに「僕がもらう」と言ったはずだ。どういう意味なんだと、そんな状況ではないはずなのに気になって仕方がなかった。今にも地面に頭を擦りつけて叫び出しそうだ。
だが、半ばパニックに陥るラフィンを現実に引き戻したのは――予想だにしない声だった。
「何をやっとるんじゃ、ラフィン。頭でも打ったんか? んん?」
「あ? ――って、ジジイ! なんでこんなとこにいるんだよ!」
それは、アルマをあのような体質にしたジジイ神ことエントノスだった。いつやってきたのか、頭を抱えるラフィンの隣に佇み、やや胡散臭そうな表情で彼を見ている。
ジジイ神の出現に目敏く気付いたアプロスは、片手に持つ錫杖で乱暴に地面を叩きながら声を上げた。
「ジジイ! どこへ行っていたのです!? 今頃ノコノコとやってくるなんて呑気な! どうせまた幼女でも見つけてストーキングしていたのでしょう!」
「貴様でもあるまいし、そのようなことするはずがなかろう! ワシはアルマちゃん一筋じゃ! そのアルマちゃんに……むふふ、ワシの宝物をプレゼントしようかとな……」
そうだ。アプロスは傷を負ったシンメトリアの代わりに、ジジイ神と共に地上に降りてきたのだ。
だと言うのに、当のジジイはラフィンたちの元へ向かう最中に忽然と姿を消してしまっていたのである。
怒り冷めやらぬといった様子のアプロスを後目に、ジジイ神はほんのりと頬を染めながらいそいそと懐からひとつの石を取り出した。その石は色がなく、完全に無色透明。だが、淡い輝きを纏っている。
「……宝物って、それか?」
「そうじゃ、ほれ。早う受け取らんか」
「あ? だってそれ、アルマにやるんじゃ……」
「はああぁ~無知じゃのう、これだから野蛮人は困るんじゃあぁ~」
「な、んだとテメ……ッてて……!」
ジジイ神は確かにアルマにプレゼントと言っていたのだ。だと言うのに、そのプレゼントをラフィンに受け取れと言う。ラフィンにはまったく理解ができない。
いつものように声を上げようとしたのだが、腹部の傷がそれを許してはくれなかった。こうしている間にも、アルマはカネルと交戦している。周囲に展開する魔法円のお陰で直撃の心配はなさそうだが、いつあの力が尽きてしまうかはわからない。遊んでいる暇はないのだ。
傷の痛みに苦悶を洩らすラフィンを見て、ジジイ神は声を立てて笑った。
「わはははは! それだけの元気があれば大丈夫そうじゃのう。ほれ、さっさとこれを使え。この石は祈りの剣にも使われておる輝光石、武器に装着して使うんじゃ。この石ならばマリスにダメージを与えることができる」
「きこうせき? ……武器につけろって言われても、俺には武器なんかねぇぞ」
「…………」
ラフィンは、アルマが怖がるかもしれないからと昔から武器の類を扱わない。短剣程度なら多少は使えるが、基本は身ひとつで戦うのだ。腕を守るために手甲を填めてはいるが、武器らしい武器は使っていないのである。
今更ながらその事実に気付いたジジイ神は、失望しきったような萎れた表情を見せたかと思いきや、眉を吊り上げて輝光石をラフィンの口へ突っ込んだ。
「もがっ! げええぇッ! げほっ、げほっ……! こんのジジイ、何しやがる!」
「飲んだか? うむ、飲んだな? よし、ではゆけラフィン! マリスを倒すのじゃ!」
「聞けよ人の話! 飲んでも大丈夫なやつなのかよ!」
「武器を持たぬお前が悪いんじゃあぁ!!」
口に突っ込まれた石を半ば反射的に飲み込んでしまったラフィンは、喉を押さえて何度か咳き込んだが、どうにも出てきそうにない。食道を圧迫されるような不快感も、胃に落ちる頃にはなくなった。
状況に不似合いなほどに騒ぎ立てるラフィンとジジイ神を見遣り、アプロスは双眸を半眼に細める。完全に呆れ果てたような表情で。だが、すぐに思考を切り替えると、コホンとひとつ咳払いをしてからシェーンへ目を向けた。
「とにかく……シェーン、ラフィンと協力してマリスを撃退するのです。ジジイにしては珍しく気を利かせてマリスに効果的なものを持ってきてくれましたから、今ならラフィンでも打撃を与えられるはずです。あなたは彼の援護を」
「わ、わかりました……プリム、大丈夫だとは思うが君はデュークの身の安全を――おい、いつまでじゃれてるんだ、さっさとやるぞ!」
アプロスの言葉にシェーンは一度小さく頷き、次にその注意と視線は最後方で未だ意識を飛ばしているデュークへと向いた。彼の場所まで被害が及ぶとは思わないが念のためプリムに頼むと、依然として騒ぐラフィンへ声をかける。放っておけばいつまで続くか分かったものではない。
すると、ラフィンは一旦深い溜息を吐き出して思考を切り替え、身体ごとマリスへ――カネルへ向き直った。文句なら後でいくらでもぶつけられる。今は脅威を消すのが先だ。
「ふむ、しかし手立てはあるのか? お前程度じゃマリスに遊ばれるのがオチになりそうじゃのう」
「言ってろ、攻撃さえ通用するなら方法はある。……ちょうど、都合よく血も出てるしな」
憎まれ口ばかり叩くが、ジジイ神なりに一応は心配しているのだろう。胸の前で腕を組みながら横目でラフィンを見遣り、そんな言葉を向けてくる。
だが、攻撃が通じるのならラフィンとて今のまま戦うつもりはない。それに、このままでは痛覚が刺激されてあまりにも鬱陶しい。
そこまで考えると、ラフィンは利き手の指先を宙に滑らせる。そうして描かれた印は――獣の本能。キルシュバオの闘技大会決勝戦でフューラ相手に使った技だった。




