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第十九話・マリスとマーラ


「シェーンの剣がマリスと同等の存在から成るって……どういうことなん?」

「祈りの剣には、マーラというマリスの()が封じられているのです。今でこそ普通に扱える剣になりましたが、以前は災厄を呼ぶ魔剣として恐れられていたのですよ」



 マリスから注意と視線は外さぬまま、プリムは頭に浮かんだ疑問を真っ先にアプロスへとぶつけた。油断ならぬ戦闘中に聞いたところで頭に入るのは半分以下だろうが、疑問を持ったままモヤモヤし続けるよりはマシだと思ったのだ。

 アプロスは羽のようにふわりと地上に降り立つと、背中側に立つシェーンを肩越しに見遣る。



「……あなたのご両親は、その剣を守るために賊に殺されたのですね」

「――!!」

それ(・・)は祈りの剣として生まれ変わりましたが、魔剣であった頃から変わらず邪な感情を持つ者を自然と呼び寄せてしまうのです」




挿絵(By みてみん)




 アプロスの言葉を聞いて驚いたのは――シェーンはもちろんのことだが、ラフィンやプリムも例外ではない。

 それと同時に、なぜシェーンがアプロスの試練の後、あれほどまでに深く寝入ってしまったのかが何となく分かった気がした。彼には、既に両親がいないのだ。過去のその経験が癒えない傷を心に刻んでしまっている。

 だが、シェーンは眉根を寄せると共に下唇を固く噛み締める。同時に愛用の剣を握り込み、アプロスの肩越し――マリスを鋭く睨みつけた。



「僕も、この剣に魅了されているのですか? 父と母を殺した賊のように……」

「あなたの中には、その剣を託した母への愛が感じられます。そういった愛情はマリスとマーラを退けるのに最も必要なもの……親への愛情を忘れない限り、あなたはその剣に魅了されたりはしないでしょう。自信を持つのです」



 アプロスが言い終わるのと、マリスが動くのはほぼ同時だった。

 これまでの笑みはどこへやら、その顔を狂気に染めてマリスが飛び出してくる。頭を前方向に倒して猛進してくる様はまるで猛獣のようだ。

 ラフィンとプリムはほぼ同時に身構えたが、マリスの視線はそのいずれにも向かない。中衛に降り立ったアプロスと、その後ろに立つシェーンを見据えながら光の如き速さで前衛二人の間を疾走していく。

 シェーンは固く剣を握り直し、逆手を開いてマリスへと向けた。照準を定めるように双眸を細め、切っ先を前へ向けながら剣を大きく後ろへ引く。



「あぶろずッ! ごろず、ゴロず、ゴロジデ、ヤるううぅッ!!」

「アプロス様! シェーン!」



 狂気一色に染まるマリスが一気に間合いを詰めても、アプロスはその表情をひとつも変えることはなかった。

 アプロスの後方に控えるシェーンは後ろに引いた剣の切っ先を、マリス目掛けて躊躇なく突き出す。すると、祈りの剣からは渦を巻く風の塊が放出され、レーザー砲のようにマリスの身に叩きつけられた。

 その衝撃に吹き飛ぶマリスを冷たい双眸を以て睨み据えるアプロスは、左手に携える金色の錫杖をゆうるりと持ち上げたかと思いきや、即座に柄の底で地面をコン、とひと叩き。

 すると、彼女の身を中心に純白の光がドーム状を形成し村全体へと広がりを見せた。

 その場に居合わせたラフィンたちは思わず衝撃に備えたが、光に衝突しても何ひとつ衝撃を受けることはない。まるでそよ風のように心地好い空気に包まれただけだった。


 しかし、マリスの方はそうはいかなかったらしい。



「――ぐ、が……ッ、ギィ、イアああぁッ!!」

「マリス、あなたがこれまでに喰らってきた悪意を浄化します。そうすれば、少なくともその姿と力を保つことは困難でしょう」

「マリスッ! そんな……卑怯よ! そんなの!!」

「なんとでも言いなさい、マリスは決して許せぬことをしでかしてしまったのですから――容赦はしませんよ」

「……っ!」



 アプロスの言葉通り、蓄えられた悪意が浄化されているのか、マリスの身から黒い霧がゆったりと噴き出ては空気に溶けて消えていく。それと共に、マリスの口からは苦しそうな声が絶えず漏れ続けた。鎌を支えに辛うじて身を支えながら、それでも紅の双眸は憎悪を孕んでアプロスを睨み据えているが。

 カネルは依然として地面に座り込んだまま、咄嗟に声を上げた。しかし、当のアプロスは気にも留めず、そんな彼女にひとつ一瞥をくれるだけ。女神には不似合いなほどの怒りを宿すその瞳を目の当たりにして、カネルは喉を引き攣らせて黙り込むしかなかった。



「ア、アプロス様ってあんな怖かったっけ……?」

「い、いや……何があったか知らねーけど、余程アタマにきてんだろ……」



 マリスはシンメトリアが封印したはずだが、こうして再び現れたということは、封印が解かれてしまったということ。神の居住区に置いておいた酒でも台無しにされたのだろうと、ラフィンもプリムも深くは考えないようにした。

 その一方で、マリスは覚束ない足取りで何とか立ち上がり、黒衣や足を引きずりながら――それでもアプロスの元へと歩を進めていく。

 アプロスは――依然として氷のように冷たい瞳でそんなマリスを見下ろし、静かに口を開く。それは言葉と言うよりは単純に呟きに近かった。



「……数千年前、お前がこの世に現れた時……どれほど世が混沌に満ちたことか……」

「ギイいぃっ! がああぁッ!!」

「あのような惨劇、再び起こさせるわけにはいきません――アポステル、今ですよ!!」



 アプロスがそう声を上げると、最後方で祝詞を捧げていたアルマはそっと両手を天へと掲げた。

 それが合図となり、吼え立てるマリスの全身を包み込むようにして白い魔法陣が展開。頭や顔、身体、腕――至るところに貼りつくそれらをマリスは狼狽しながら見下ろす。

 すると、魔法陣がより一層強く光り輝き、マリスの衣服を――肌を、そして骨を溶かし始めたのだ。愛用していた鎌は刃部分がボロボロと崩れていき、地面に落ちると共に粉々に砕けて消えていく。平和を願うファヴールの祈りが、悪意に満ちたマリスの存在を認めず排除しようというのだ。




「――マリスッ! だめ、だめよ! やらせないわ!!」



 その光景を見守っていたカネルが、負傷した腹部を片手で押さえながらマリスの傍まで駆け寄った。そうして崩れゆくマリスの身に両腕を回して、しっかりとしがみつく。



「マリス、マリス……いい子ね、あなたは本当にいい子だわ。こいつらをぶっ飛ばしたら、もっとたくさんおいしいご飯をあげる……だから、お願いよ、消えないで……!」

「――あの女、まだ……ッ!」

「プリム、待て!」



 そんなカネルを見て、プリムは眉を吊り上げると得物を握り締めて駆け出そうとしたのだが、隣にいたラフィンが彼女の肩を掴んでそれを制す。

 アプロスの力のお陰で弱体化したマリスが、アルマのファヴールの祈りで完全に消滅する――ラフィンはそう思っていたのだが、カネルがしがみついて涙ながらに懇願したことで、状況は変わった。

 こうしている今もマリスの身体はボロボロと崩れ落ちていく。頭髪や皮膚は剥がれ落ちて骨が剥き出しになり、確実に消滅に向かっているはずなのだが――ざわざわと胸の中を掻き回されるような嫌な予感を覚える。全身が粟立ち、吐き気にも似た嫌な感覚に襲われた。



「これは……どういうこと……!?」

「どうしたのです?」

「マリスの力は確かに弱まっています、ですが……あの少女の力が――いいえ、あの少女にマリスの力が集束していくのです……!」



 アプロスは怪訝そうな表情を滲ませながら一歩後退して身構え、シェーンはそんな彼女と入れ替わる形で前へ出る。

 カネルは目の前で崩壊していくマリスを前に一度は蒼褪めたのだが、すぐに己の身体や手の平を見つめて大きな目を丸くさせた。そうしてその両手を己の耳に添えて、表情に嬉々を乗せ始める。



「マリス……? あは、あはは……そう、わたしに戦う力をくれるのね……? わかったわ、一緒に戦いましょう。わたしの身体は普通の人間だもの、これならファヴールの祈りで肉体を消滅させるなんてできないわよね。嬉しいわ、マリス……これでわたしも……あなたのように戦える――!!」」



 恐らく、カネルの頭の中にはマリスの声が響いているのだろう。ラフィンたちには一切聞こえてはこなかったが。

 カネルは座り込んだ地面からふらりふらりと立ち上がると、一度両手で己の身を抱き締めてから静かに顔を上げる。

 ざわりと背筋を冷たいものが駆け上がる感覚に、ラフィンとアプロスはほぼ同時に動いた。アプロスは錫杖を、ラフィンは利き手の指先を宙に滑らせて防御壁を展開。二重に張り巡らされた結界はより強固で、破るにはかなりの時間と労力を要する。


 ――はずなのだが。

 次の瞬間、ラフィンたちは身を焼かれるような熱と共に目の前から殴り飛ばされるような衝撃を受けて、大きく吹き飛ばされた。


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