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第十八話・マリスに有効なもの*


 自分に向かってくるラフィンたちを見据えて、マリスは口角を引き上げると大層愉快そうに笑う。鎌を両手でグッと握り締めると、彼女が真っ先に標的としたのは――やはり先陣を切るラフィンだった。



「きゃはははッ! マタ、遊んでくれるんだァ……!」

「遊んでんじゃねぇんだよ!!」



 一気に間合いを詰めてくるラフィンを前に、マリスは怯むことも怯えて見せることもない。ただただ嬉しそうに笑うばかりで、それは彼が利き手の拳を叩き込んできても変わらなかった。

 地を蹴り、舞うようにふわりと上空に跳び上がったマリスは、そのまま宙でひと回転。いとも容易くラフィンの攻撃を避け、無防備になった彼の背中に鎌の刃を叩きつけるべく照準を合わせながらニィ、と口角を更に引き上げる。

 しかし、マリスがその手を振るうよりも先に動いたのは――ラフィンだった。片足を軸に素早く身を翻すと共に、つい今し方叩き込んだ利き手を今度は凪ぐように払う。


 マリスは鎌、ラフィンは素手。

 態勢は明らかに刃物であるマリスの方が有利だったのだが。



「プリム!」

「わかっとる!!」



 ラフィンに遅れること僅か。彼に続く形で飛び出してきていたプリムが、マリスの背後から襲い掛かる。上空ではいくらマリスとてそれほど自由には動き回れない。

 前からはラフィンが、後ろからはプリムが上空のマリス目掛けて攻撃を叩き込んだ。

 手甲を填めたラフィンの腕はマリスの顔面を、プリムが渾身の力を込めて叩き下ろした棍がマリスの後頭部を強打。当のマリスからは、カエルが潰れたような声がひとつだけ零れた。



「むぎゃッ」



 そのままべしゃり、と重力に倣い地面に落ちたが、すぐにのそのそと起き上がる。そのマリスの顔は――やはり笑顔のままだった。

 そんな様子を目の当たりにして、プリムの表情は不愉快そうに歪む。



「こいつ、相変わらずどうしようもないやんけ……」

「……いいんだよ、俺たちじゃこいつは倒せねぇ。アルマが祝詞を捧げる時間さえ稼げりゃ、それでいい」

「はあぁ……毎回アルマちゃん頼みってのも情けない気ィするけど、しゃーないな」

「(……まったくだよ)」



 マリスには痛覚がないのか、アルマが扱う祈りでしかダメージを与えることができないのが現状である。ラフィンやプリムがどれほど攻撃を叩き込もうとも、マリスはいつもケロリとしているのだから。つい先ほどまで氷漬けになっていたというのに、それさえもマリスにとってはなんてことない(・・・・・・・)ものなのだ。

 愚痴のように洩らされたプリムの言葉に、ラフィンは苦虫を嚙み潰したような表情を滲ませる。



「(……結局、村と住人を守ってくれたのはデュークだし、マリスはアルマじゃなきゃどうしようもねぇ……何が守護者(ガーディアン)だよ、っとに、情けねぇ……)」



 言葉に出すことはなかったが、ラフィンは内心でそう思う。

 本来ならばガーディアンである自分がやらなければならないことを、全てデュークに押し付けてしまった。その結果、彼は重い傷を負い、戦線離脱を余儀なくされたのだ。

 情けない――心底そう思った。無論、己のことを。




挿絵(By みてみん)




 それと同時に、目の前でケタケタと声を上げて無垢な子供のように笑うマリスが何よりも腹立たしかった。

 アルマは既に祝詞を捧げているが、もうしばらく時間は掛かる。けれども、あと数分程度もあれば充分なはずだ。

 腹立たしさを腹の中に飼い慣らしながら、ラフィンは真っ直ぐにマリスを睨み据えてひとつ疑問を投げ掛けた。



「お前、なんでこんなことするんだよ。それに、なんでカネルの言うこと聞いてんだ?」

「カ、ネル……オイシ、い、ゴハン……いっぱぁい……食べさせて、クレる……」

「ごはんんん?」

「……あれだろ、以前アイドース様の部下の……リリスさんが言ってたやつ。こいつは人の悪意を食って成長するんだって」



 ボソボソと普段よりも声量を落として言葉を交わすラフィンとプリムの声を聞いて、その場に座り込んでいたカネルは怪訝そうな表情を滲ませた。

 彼女は知らないのだ。マリスが成長するそもそもの原因を。

 カネルは神殺しを目論んでいたへクスから「君の愛情でマリスが育つ」と嘘の情報を与えられていたのだから。



「悪意を……食べる……?」

「なんや、知らんかったんか?」

「そんなの知らない、わたしは……わたしの愛情でマリスが成長するんだって言われたわ。だから……」



 その事情を知らずにいたのなら、とプリムの中にはほんのりと憐みに近い感情が浮かんだ。

 だが、それも束の間のこと――顔を俯かせたカネルが次のその顔を上げた時、そこにはマリスと似通う狂気染みた笑みが浮かんでいた。



「――でも、すごくいいことを聞いたわ。じゃあ、わたしがもっともっとアルマを殺したいって悪意を持てば、マリスは今以上に強くなれるのね?」

「んな……ッ!」

「いいわ、簡単なことよ。ついでにラフィンたちのことももっと憎んであげる。さあ、マリス! ラフィン以外は殺しても構わないわ、好きなように暴れていいのよ!」



 思わぬ言葉に対し、プリムは一瞬何を言われたのか理解が遅れた。

 カネルはもうどうしようもない女だと先ほど思ったのだが、まだ見損なえる余白があったらしい。心からの嫌悪を感じながら、プリムは改めて得物を両手で握り込んで身構える。

 それと同時に、マリスが高笑いを上げながら飛び掛かってきた。まるでカネルに従う従順な家来か何かのようだ。



「きゃはッ、きゃはははっ!!」



 甲高い声で笑うマリスの声は、まるで超音波だ。彼女を中心に、周囲には軽い衝撃が走る。

 耳から入り脳に直接訴えてくるようなその音に、ラフィンもプリムも表情を顰めた。まるで船に揺られた後のように平衡感覚が鈍り始める。視界が僅かにぼやけ、飛び掛かってくるマリスの姿が二重にも三重にも重なって見えた。



「やらせるかッ!!」



 マリスの振るう鎌が彼女に触れる直前――間一髪、後方からシェーンが放ったカマイタチが両者の間を疾走。マリスの前腹部を微かに抉った。その隙に、プリムは忌々しそうに舌を打ちながら後方へと跳び退る。

 今回は直撃を免れたものの、マリスのあの笑い声は非常に厄介だ。聞くだけで眩暈を起こし、視界までもを奪ってくる。



「大丈夫か?」

「あ、ああ、なんとかな……せやけど、あの笑い声……」

「……あれを、どうするかだな。喉潰したってあんま意味なさそ――――……ん?」



 シェーンのお陰で辛うじて回避できたプリムの元へ、ラフィンが片耳を押さえながら駆け寄ってくる。その表情が歪んでいるところを見ると、彼も今の笑い声でプリムと同じような不快感を覚えたのだろう。

 痛覚さえないような相手の喉を潰したところで、効果があるのか否か。時間稼ぎさえできれば充分なのだが、あの声を聞いたらそれさえ危うい。

 どうするかと眉根を寄せながらマリスに視線を向けると――そこで、ラフィンは一度怪訝そうな表情を滲ませた。



「どうしたん?」

「いや……おい、シェーン!」



 目を向けた先――そこには当然ながらマリスがいるのだが、つい先ほどまでとは様子が違ったのである。

 シェーンのカマイタチに抉られた前腹部を片手の平で摩り、獰猛な野獣のように牙を剥き出しに唸っていたのだ。白目だった部分は黒に染まり、血を思わせる紅の双眸が煌々と輝く。

 相変わらず血の一滴も流れてはいなかったが、ラフィンは咄嗟に中衛を担うシェーンを振り返った。

 だが、そこは冷静且つ聡いシェーンのこと。ラフィンが行き着いた可能性にはいち早く気付いていたらしい。己の手にある愛剣を見下ろして、複雑な表情を浮かべていた。



「祈りの剣なら、マリスにダメージを与えられる……? これは、嘗てのアポステル様が祈りを捧げた剣だから、なのか……?」



 ラフィンとプリムの渾身の一撃でも堪えなかったマリスが、シェーンのカマイタチ一発が掠っただけでこの反応だ。ケロリともしていない、その顔には明らかな憎悪と憤怒が宿っている。

 ラフィンとシェーンは、同じ答えに行き着いた。祈りの剣であれば、マリスに痛みも傷も与えられるのだと。その理屈までは分からなかったが、答えはすぐに頭上から与えられた。



「――いいえ、正確にはそれだけではありません。その祈りの剣は、マリスと同等の(・・・・・・・)存在から成るもの(・・・・・・・・)だからです」

「……!? あれは……」

「えっ、ア、アプロス様!? なんでここに……!?」



 それは、上空から聞こえてきたアプロスの声だった。

 つい先ほどまでドラゴンが無数に飛び交っていた空には、ショタ好き女神アプロスが君臨していたのである。その表情はこれまで見たものとは全く異なり非常に険しく、明らかな敵意を孕んでいた。

 それは無論、ラフィンたちに向けられたものではなく、マリスへ向けられる敵意だったが。



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