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第十六話・浄化の歌*


「うわあぁッ! お、お嬢ちゃん、無理だよ! もう帰ろう!」

「で、でも……みんな、ここに……それに、お花……」

「目の前の光景が見えねぇのか!? この状況で花の配達を待ってる客なんかいねーよ!!」


 モスフロックス村の傍で馬車を降りたメリッサと御者台の男は、炎に包まれる村を見つめていた。男は早々に都に帰ろうと訴えかけるが、メリッサの方はそうではない。

 あの後――ラフィンたちが発った後、花の配達依頼が入ったためメリッサがこうして花を届けにやってきたのだが、不運なことにこの現場に鉢合わせてしまったのだ。

 メリッサは「ラフィンたちとまた少しでも一緒にいられるかもしれない」という淡い期待を抱いていたのだが。



「(みんな……みんな、は……?)」



 ラフィンたちはどうしただろうか、大丈夫だろうか。それを考えると、メリッサの顔からは血の気が引いていく。

 村は炎に包まれ、上空には数え切れないほどのドラゴンの群れ。この状況では、流石のラフィンたちも――メリッサは花が入った箱をぎゅ、と胸に抱いてふらりふらりと村の中へと足を向ける。それを見て男は慌てて声を掛けたが、彼女の足が止まることはない。

 みんなを探さないと。彼女の中にあるのは、あまりにも無謀なその考えだけだった。


 けれども、そんな時。彼女はひとつ、あることが気にかかった。



「(苦しそう……?)」



 メリッサの目には、上空のドラゴンたちが苦しんでいるように見えたのだ。

 苦しい、苦しい、助けて――と、まるで苦痛からの解放を求めて咆哮を上げ、炎を吐いているようだった。

 もしかしたら、ドラゴンたちは苦しいから助けてほしくて人間のところに来たのではないか。メリッサはそう考えたが、すぐに彼女の視線は己の足元に落ちる。


 そうだとしても、自分にできることなんてない。


 ぐっと口唇を噛み締めて表情を顰めるメリッサのすぐ傍で咆哮が聞こえたのは、その直後のことだった。弾かれたように顔を上げた先では、一匹のドラゴンが今まさにメリッサに照準を合わせ、燃え盛る炎を吐き出してきたのだ。



「あ……!」



 視界いっぱいを埋め尽くす真っ赤な炎が迫っても、メリッサは身動き一つできなかった。死を覚悟するだけの暇さえなかったのだ。

 しかし、その炎がメリッサの身を包むことはなかった。その前に、炎が真ん中から綺麗に一刀両断されてしまったのである。左右に割れた炎は再び中心に集うことはなくメリッサの両脇をすり抜けて、程なくして消えてしまった。



「危ない危ない……お嬢ちゃん、大丈夫かい?」

「ッ……? お、おじさん……誰……?」



 メリッサをドラゴンの炎から守ったのは、彼女の前に立ち塞がる一人の男だ。

 手入れしていないのか、はたまたこの騒動で乱れたのかは定かではないが、ボサボサの短い黒髪の男。歳は恐らく四十(しじゅう)ほどだろう。髪は乱れていてもヒゲにはこだわりがあるのか、鼻下のヒゲは綺麗に整っていた。



「通りすがりのただのおじさんさ、ここは危ないから村人と一緒に逃げなさい」



 見たところ、男は旅人というわけでもないようだ。その身を包むのは旅装束ではなく、ごく普通の衣服である。辺りを逃げ惑う村人たちとほとんど変わらない軽装。手に持つ剣だけは立派で、黒光りしていたが。

 その出で立ちからは恐怖など微塵も感じられない。見た目は村人と変わらないのに、手にある剣と纏うその雰囲気だけが異質な男だった。


 上空のドラゴンは再び炎を吐き出そうと咆哮を上げたが、メリッサの目は見逃さなかった。

 ドラゴンの真っ赤な瞳から、同じ色をした血の涙が流れているのを。



「(やっぱり、苦しいんだ……どうしたらいいんだろう、してあげられることなんて……)」



 メリッサは思わず両手で持つ箱をぎゅ、と改めて抱き締めたが、そこで気付いた。

 誘拐される前、いつも自分は花の元気がない時に何をしていたか。

 僅かばかりの逡巡の末、メリッサは静かにその場で目を伏せると一度大きく息を吸う。自称通りすがりのおじさんは、彼女のその様子を目の当たりにしてギョッと双眸を見開いた。逃げろと言っているのに、なぜ死を覚悟したかのように目を閉じるのかと。


 けれども、その刹那――メリッサの口からは大層美しい歌声が放たれたのである。

 その歌声はドラゴンの動きを停止させ、荒れ狂っていた気性も瞬く間に落ち着き始めた。迸る炎はドラゴンの喉の奥へと消えていき、全身を覆う黒い鱗は穢れが払われたように緑へと変色し始める。恐らく、元々は緑の鱗を持つ生き物なのだろう。

 どういう原理か定かではないが、マリスに操られたことでその身が黒一色に染まってしまったのだ。

 男はその不可思議な光景に、瞬きも忘れたように見入っていた。



 * * *



「なに、どうしたっていうの!?」



 その一方で、デュークと対峙するカネルは、空を埋め尽くすドラゴンの色が次々に黒から緑へ変わっていく様を見て、目を丸くさせていた。

 つい今し方まで村に火を吐き出していたと言うのに、すっかり大人しくなってしまったのである。ドラゴン同士で互いに顔を見合わせて長い首を捻っているものもいる。

 カネルは不可解そうだが、マリスの方は別だ。文字通りつまらなさそうに目を細めて、吐き捨てるように呟いた。



「……ふぅん、正気に戻っちゃったんだ。つまんないの……」

「マリス、どういうことなの? あなたの力で操ってたのに……」

「誰かが……ジャマしたの。でも別にどうでもいい、ジャマするやつは全部……うふふ、消すだけだから……」

「そう……そうね、そうだわ。村なんてわたしの祈りで燃やしてやればいいんだし」



 マリスとカネルが交わす言葉を聞きながら、デュークは冷静に現在の状況を纏めていく。祝詞を捧げる暇もなくマリスに次々に攻撃を叩き込まれて、彼の身は既にボロボロだった。

 どういうわけかは分からないが、ドラゴンたちは正気を取り戻して村への攻撃をやめてくれた。これならば、もう結界を展開する必要もない。


 ――つまり、全力で戦えるということだ。



「(っつつ……派手にやってくれたものだ、これは……骨の一本や二本じゃ済まないな……)」



 崩壊した岩壁に背中を預けて凭れていたデュークは、痛みで震える身を叱咤しながら座り込んでいた地面から立ち上がる。

 動いた拍子に痛むのは、一箇所や二箇所ではない。全身の至るところに激痛が走る。骨が何本折れていることか。

 デュークが立ち上がったことにいち早く気付いたカネルは、そんな彼に対して目を細めながら嘲笑をひとつ。



「まだやる気なの? ドラゴンなんかいなくたって、アンタみたいなザコはマリスがちゃっちゃと片付けられるんですからね」

「私にマリスを倒すことはできなくても……あなた程度なら……」

「アンタ……ッ! どこまでわたしを愚弄する気!? アッタマきた……マリス、邪魔をしないで。わたしが直接始末してやるわ!」



 また馬鹿にされたと思ったのか、デュークの言葉にカネルはその顔を怒りに染めると、手にしていた剣を固く握り締めて怒声を張り上げた。

 マリスは手にしていた鎌を下ろすと、言われた通り邪魔にならぬようにと数歩脇によける。こうして見ると、マリスはカネルに対してとても素直で従順だ。まるで母の言葉を聞く娘のような。

 カネルはデュークを早々に始末してやろうと、天へ祝詞を捧げ始める。これまでにも自分を侮辱した相手だ、祈りを使って片付けなければ気が済まないのだろう。



「……相変わらず、頭に血が上りやすい方ですね。それさえなければまだ勝ち目はあったでしょうに……」

「はッ、なによ負け惜しみ? 今のアンタになにができるっての? 自分の才能に自惚れながら――死んじゃええぇ!!」



 カネルが大きく両手を振り上げると、デュークの身を包むように足元から幾つもの火柱が立ち上る。その怒りに連動しているのか、これまで彼女が放ってきた祈りの中で特に強いものだ。

 けれども、デュークはまったく焦ることをしない。相手がマリスであれば打つ手はなくとも、同じ祈り手同士であれば――デュークがそうそう劣ることはない。それが例え重い傷を負っていても、だ。


 カネルが放った火柱が徐々に大きくなりデュークの身を飲み込もうとした時、その幾つもの火柱は中から勢いよく噴き出した冷気によって完全に勢いを失ってしまった。もちろん、その冷気の犯人は他でもないデュークだ。

 自分の祈りが今回もまた呆気なく負ける様を見て、カネルは信じられないとばかりに瞠目しつつも表情には依然として不快の色を滲ませる。



「まだそんな力が残って――きゃあぁッ!? な、なに!? なんなのよおぉ……!」



 しかし、今回はそれだけでは済まなかった。

 カネルの祈りを飲み込んだ冷気は、次にデュークの身を中心に周囲へ広がりを見せる。デュークがひとつ祝詞を紡げば、カネルやマリスの身に凍てつく冷気が容赦なく襲い掛かった。両者の間には数メートルほどの距離があるにも拘わらず、その冷気は容赦なくカネルとマリスの全身を凍らせていく。

 凍ってたまるかとカネルは必死に腕を動かすが、それは何の意味も成さなかった。見る見るうちに身体が氷に包まれていくことに純粋な恐怖を覚えたカネルは、文字通り顔面蒼白になり喉奥から悲痛な声をひり出す。



「い、いや……ッ! やめて……死んじゃう……!」

「大勢の人をこんな目に遭わせておきながら、よくもそんなことを……凍りつけ! 絶対零度(アブソリュート・ゼロ)!」



挿絵(By みてみん)



 震える声で解放を求めるカネルに対し、デュークは固く奥歯を噛み締めると込み上げる激情のまま吼えた。すると、彼の身を中心に周囲には更に強力な冷気が噴き上がり、それら全てが意思を持つかのように一斉にカネルに襲い掛かる。

 真っ白な冷気に包まれたカネルからは甲高い悲鳴が上がったが――それは、彼女を仕留めるには至らなかった。


 殺される。

 そう思ったカネルだったが、デュークから放たれた氷の祈りが彼女の身に届く前に、彼とカネルとの間にマリスが割って入ったからだ。

 マリスが盾になってくれたお陰で、カネルは氷漬けになることだけは避けられた。しかし、自分を庇ったことで代わりに頑強な氷に包まれたマリスの姿を目の当たりにして、カネルの双眸は大きく見開かれる。



「な……なんで、どうして……マリス……!?」

「(庇ったのか……? あの骸骨が、彼女を……?)」



 冷気が徐々に薄れていくと、デュークの目にもその光景が飛び込んできた。

 彼が初めてマリスを目にしたのは、オリーヴァの街での祭りの最中。当時、マリスは皮膚や髪の類さえ持たない骸骨だった。そのマリスが肉体を持ったことにも驚きだが、まるで人間のようにカネルを庇った姿に、デュークは少なからず戸惑いを覚える。



「デューク! 大丈夫か!?」

「デュークさん!」



 そこへ、牧場の方からはプリムの、村の奥に通じる道からはアルマの声が聞こえてきた。

 幸いなことに、頑強な氷に閉じ込めたマリスはそれ以上動く気配がない。それを確認して、デュークは糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。まだカネルが残っていることは気がかりだが、前衛を担うプリムとシェーンがいれば問題はないだろう。

 デュークが負った傷とて決して軽くはない。もう立っているのも限界だったのだ。


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