第十五話・居場所
アルマの実家と家族は大丈夫だろうかと、最奥に向かったラフィンとアルマの視界に飛び込んできたのは、火の手が上がる家屋の傍で留まっている家族だった。
どうやら、病弱な母が煙を吸って動けなくなっているようだ。苦しそうに何度も咳き込みながら蹲り、子供二人はそんな母に縋りついて泣き叫んでいる。夫は今にも崩れ落ちてきそうな家屋と妻とを交互に見遣り、慌てふためいている。どうやら村の中だけでなく、こちらもパニックに陥っているようだ。
そして今まさに、火が回った木製の柱が炎を纏い崩れ落ちてきたのである。
それを見てアルマは思わず双眸を見開き息を呑んだが、ラフィンは咄嗟に飛び出した。
「こんのッ! ぐううぅ……ッ!!」
「ラ、ラフィン!? 手が!!」
飛び出したラフィンは、家族の元に倒れ込んできた柱を両手で押さえてしまったのだ。屋根を支えていた柱だ、そのサイズはラフィンの身の倍以上ある。炎を纏う柱を押さえればどうなることか――考えなくとも分かる。
じりじりと焼かれる皮膚にラフィンは表情を顰めながら、それでも首を捻ってアルマに視線を向ける。早く家族を連れて行けと、目で訴えているのだ。
アルマはラフィンのそんな姿を目の当たりにすると、慌てて家族の元へと駆け寄り避難を助けるべく母の身を助け起こした。
「は、早く、早く向こうに! 奥さんは僕が連れて行きますから、先に行ってください!」
「す、すみません……! ほらお前たち、早く! 母さんは大丈夫だから!」
アルマが依然として咳き込む妻を助けてくれると聞いて、夫は涙ぐみながら何度も頭を下げて立ち上がる。ぼろぼろと大粒の涙を零して母の傍を離れない幼子を強引に抱き上げてしまうと、覚束ない足取りで駆けていく。途中、幾度も振り返るのは純粋に自分の妻が心配なのだろう。
アルマはぎゅ、と下唇を噛み締めると青い顔をした妻の――己の母の身を支えながら慎重に立ち上がる。見るからに顔色が悪い、あまり無理はさせられなかった。
「ラフィン、もう大丈夫だから……手が……!」
「あちちちちッ! あぁ……あっちぃ……ったく、なんだってこんなことに……急ぐぞ、牧場の方も心配だ!」
「う、うん……」
アルマから声が掛かると、ラフィンは押さえていた柱に片足を添えて反対方向へと思い切り蹴った。すると、その大きな柱は昨日まで家族が笑顔で平和に暮らしていただろう家屋を直撃。炎に包まれていた家を完全に破壊してしまった。そしてそれらは、更に強く燃え上がっていく。
複雑な心境に陥りつつ、ラフィンは思い切り焼けただれた手の平に息を吹きかけながら踵を返し、アルマと共に来た道を戻り始めた。
だが、その時だった。
不意に大きな影が落ちたかと思いきや、村の中心部辺りから一際大きな悲鳴が聞こえてきたのだ。上空を見上げると、これまでに見たこともない漆黒のドラゴンが空を覆い尽くしていた。
人間と魔物は、もう随分と長いこと良好な関係を築いている。人間を襲う魔物などほとんどいないはず――それなのに、なぜその魔物が飛来するというのか。
「な、なにあれ……」
「……マズい、おじさん伏せろ!!」
ラフィンが声を上げた直後――上空のドラゴンの群れから、一斉に炎が吐き出され、村のあちらこちらへと叩きつけられた。背中にラフィンの声を受けた父は咄嗟にその場に倒れ込むことで、辛うじて直撃を免れたが、近くの家屋が爆ぜた木片を身に受けて表情を苦痛に歪ませる。
「あ、あなた!」
「パパぁ! しっかりしてぇ!!」
その腕に抱かれていた子供二人は、恐怖一色に染まりながら必死に父親へと呼びかけた。もしかしたらこのまま死んでしまうのではないか、そう思ったのだろう。
ラフィンとアルマは上空のドラゴンの注意がこちらに向いていないことを確認しながら、慌ててその傍らへと足を向けた。父も母も顔面蒼白だ、その様子からも「魔物が人間を襲う」という事態が通常ではありえないということを物語っている。
「(この地方でも、魔物が襲ってくるなんて普通じゃねーんだな……一体どうなってんだ……)」
「……ラフィン、この人たちをお願い」
「ああ、……って、え? なんだって?」
「あのドラゴンたち、村の中央の方を見てる。あそこになにかあるんだよ、デュークさんたちもいるはずだし、僕ちょっと行ってくる」
一度こそ頷きかけたラフィンだったが、サラリと告げられたその言葉は決して二つ返事で頷けるようなものではない。
だが、ラフィンが引き留めるよりも先にアルマはさっさと話を切り上げて村の中央へと駆け出していく。ラフィンは思わず反射的に彼の背中に呼び掛けた。
「あ、おい! お前が行くより俺が――アルマ!!」
しかし、ラフィンが声を上げてもアルマが止まることはない。轟々と燃える村の中、一目散に走って行ってしまった。すぐにでも後を追いたいが、アルマの家族をこのまま放ってもおけない。
どうしよう――困惑するラフィンの声に届いたのは、油断していると聞き逃してしまいそうなほどのか細い声だった。
「……アル、マ……?」
「……え?」
その声は、夫に寄り添うように座り込む妻の――アルマの実の母のものだった。
傍らでは父が、目に涙を浮かべながらジッとラフィンを見上げてくる。表情に仄かな期待を乗せて。
「アルマ……まさか、あの子が……?」
「あの子が、あの子が……俺たちの……」
「(あ……そうか、名前……)」
咄嗟にアルマの名前を呼んだことで、両親は気付いたようだ。その表情を見る限り、確信は持てていないようだが。
早く追いかけたいところではあるものの、ラフィンは僅かばかりの逡巡の末に夫婦の正面に片膝をついて屈んだ。目線を合わせるように。
「……アルマ・プレケース、俺の親友です。祈りの旅の途中で家族に会いに行こうって約束して、連れてきました。……優しくて、立派な奴です」
「あ……ああ……っ、まさか、そんな……」
ラフィンがそう告げると、子供二人は不思議そうに首を捻るばかりだったが、両親は別だ。
父親は涙ぐみながら静かに身を起こして片手で己の目元を覆い、母親は言葉が出ないのか両手で口元を押さえて何度も頷くばかり。双眸からは、堪え切れなかっただろう涙がとめどなく溢れ出ていた。
その様子からは、嫌悪などまったくもって見えてこない。そのような状況ではないにもかかわらず、ラフィンは安心したようにそっと一息洩らした。
「(……ほらな、俺が言った通りだろ。お前の居場所は、ちゃんとこの家族の中にあるんだよ、アルマ)」
アルマの両親は、初めての子供のことを決して忘れてなどいなかったのだ。もう二人も子供がいるからいらない、なんてこともない。それは言葉にされずとも、こうして涙を流す様から容易に理解できる。
すると、それまで言葉もなく泣いていた母が声を震わせながらも必死に言葉を紡いだ。
「ありがとう……ありがとうございます……私たちは大丈夫です、だから……あの子を、アルマを守ってあげてください……!」
「……わかりました。終わったら、アルマと二人で戻ってきます。それまでどこか安全……そうな場所に避難しててください」
安全な場所と言っても、村全体が火に包まれている上に上空には不気味なドラゴンの群れだ。絶対に安全な場所など、既にこの村には存在しない。
ラフィンはそれだけを告げると、静かに立ち上がって駆け出した。
安全な場所がないのなら、この状況を打破して作ればいい。そう考えて。




