第十二話・怖いもの
あれから、ラフィンは何度となくアルマに事情を聞いてみたが、彼はだんまりを決め込んだ。
折角会える家族となぜ会わないでいいのか、ラフィンにはまったく分からない。旅に出る前にも「旅の途中で故郷にも行こう」と言ったが、その時は嫌だと言わなかった。それどころか、このモスフロックス村に着いた時に緊張こそしていたが、決して嫌そうな顔はしていなかったのだ。
一体、なぜアルマは途中で気が変わってしまったのだろう。ラフィンは完全にお手上げ状態だった。
こうして宿に部屋を取って寛いでいても、まったくもって気分が晴れない。ベッドに寝転がってちらりとアルマの様子を窺ってみても、彼はラフィンに背を向けてベッドに腰掛けたまま窓の外をぼんやりと眺めているだけ。
ちなみに、現在の時刻は既に夜だ。一部屋二人までの宿であったため、デュークとシェーンは別に部屋を取っている。もちろん―—唯一の女性であるプリムも。
「(プリムはプリムで元気ねーし、シェーンも試練以来なんか気まずそうだし……その上、アルマまでこれって……ああ、どうすっかなぁ……)」
しかし、デュークは別に普段と変わらない。それだけが救いだ。
変なところで抜けているが、この際彼に相談でもしてみようか。ラフィンがそう思った時だった。
それまで頑として口を開こうとしなかったアルマが、依然として窓の方を見つめたままではあるものの静かに重い口を開いたのである。
「……ねぇ、ラフィン」
「ん?」
「……僕、怖いんだ」
鼓膜を打つその言葉に、ラフィンは横たえていた身を起こすとベッドの上へと胡坐を掻いて座り直す。ようやく話す気になってくれたアルマの話の腰を折らぬように、余計な口を挟むことはせずに大人しく続きを待つ。
「……すごく、幸せそうだった。あの家族の中に……僕が入り込んでいい場所なんて、あるのかな……」
話すと言うよりはまるで独り言のように紡がれるその言葉を聞いて、ラフィンはそこでやっと理解できた。
アルマは別に家族に会いたくないわけではないのだ。それどころか、会いたいのだろう。
だが、両親には既に二人も子供がいる。自分のことなど綺麗さっぱり忘れていて、それなのにその両親の前に現れてもしも拒絶などされたら―—恐らく、そんなことを考えて怖がっているのだ。
確かに、アルマの両親も子供たちもとても幸せそうに笑っていた。その不安が的中する可能性がゼロとは言えない。
「……そんなの、行ってみないと分からないだろ」
「ラフィンには分からないよ、ラフィンはずっとお父さんやお母さんと一緒だったんだから」
「……」
「もし、お前なんか知らないって……自分たちの子供じゃないなんて言われたらどうしようなんて、ラフィンは考えたことないじゃないか! そんなラフィンに、今の僕の気持ちなんか……分かるわけないよ……」
今にも泣き出しそうに震えていた声が徐々に勢いを孕み、最後には怒声となって上がった。それも束の間のこと、すぐにその勢いは失われてしまったが。
依然として背中を向けたまま顔を俯けるアルマの背中をジッと見つめて、ラフィンはゆうるりと片手を持ち上げると己の首裏を掻きながら視線を横に流す。
「……結局、ただ逃げてるだけじゃねーか」
「――!」
「俺にそんな風に言うだけの度胸があるなら、お前が怖い怖いって思ってるモンにだって真正面からぶつかれるだろ」
ラフィンがぽつりと洩らした呟きに対し、アルマは弾かれたように彼を振り返ったが、その顔は涙に濡れてひどいものだった。
いつもならば、そんなアルマに言葉を畳みかけるようなことはしない。けれども、これだけはどうしても譲れないことでもある。
アルマがそうしたいなら仕方ない、と彼の意思を尊重するのは簡単だが、それでは結局逃げる手助けをするだけになってしまう。
アルマはぐっと下唇を噛み締めて、まるで睨むようにラフィンを見返す。
いつものほほんとしているアルマにこんな風にハッキリと感情をぶつけられるのは、長い付き合いの中でこれが初めてだった。それだけアルマ自身も混乱しているのだろう。
「……誰だって、一歩踏み出すのは怖いモンだ。それが大事なものなら余計にな。けど、なにも一人で行けなんて言ってないだろ。そんなに怖いならもっと頼れってんだ」
「……」
「まぁ、もしお前が考えてることが的中でもしようものならウチに来るってのも手だな。親父も母さんもお前のこと自分の子供みたいに言い張ってるし」
もちろん、後半は冗談だが。
それでも、その冗談はほんの僅かにでもアルマの気持ちを落ち着かせることはできたようだ。それまで固く握り締めていた拳を開き、アルマは再び顔を俯かせるとか細い声で改めてひとつ呟く。
「……ラフィンは、なんで僕の考えが当たらないと思うの?」
「ああ? だってお前の親だろ」
「……?」
「お前みたいに呆れ果てるレベルのお人好しが産まれるくらいだから、その親だってお人好しなんだろと思ってる」
「……」
至極単純な回答に対しアルマがどう思ったか定かではないが、それ以上はうじうじと文句を連ねることはなかった。
代わりに片手で目元を擦り涙を拭う様を暫し眺めてから、ラフィンは再度一声掛ける。
「……だから、また明日行ってみようぜ。そんなに怖いなら手でも繋いでやるから」
「……うん。……ありがとう、ラフィン……」
泣き腫らして真っ赤になった目元は傍目には随分と痛々しいものの、そこでようやくアルマはいつものように笑った。
* * *
ラフィンとアルマがそんな話をしている頃、デュークは先に就寝したシェーンを起こさぬようにそっと部屋を後にした。田舎の村ということもあってか、夜遅くまで一階の食堂で酒を楽しむ客もいない。既に明かりは落ち、シンと静まり返っている。
暗がりの中を抜けて宿を出たデュークは、軽く辺りを見回しながら村の中へと数歩足を進ませた。
「(……あ、いた)」
デュークがこうして外に出てきた理由や目的はひとつ。
そろそろ自分も寝ようかと思った時、ふと部屋の窓から外を見た際のこと。夜の闇の中でも映える赤毛を外に見つけたからだ。すっかり見慣れたそれは、間違いなくプリムのもの。
ここ最近の彼女の様子にデュークが気付かないはずもない。更に時間帯が夜ということもあり、彼女を心配してこうして追いかけてきたのだ。
プリムは、宿を出て少し歩いた場所にある木の下にいた。特に何をするでもなく根元に座り込んで、立てた両膝に顔を埋めている。やはり、いつもの彼女らしい元気な部分は見受けられなかった。
「……プリムさん」
「!!」
どうしたものかとデュークは暫し考え込んでいたが、ただ佇んでいても仕方がない。
やや暫くの逡巡の末に声を掛けると、プリムは埋めていた顔を上げて慌てたように彼に向き直った。
「す、すみません。驚かせる気はなかったんですが……」
「あ、ああ、いや。ええねん。なんかあったん?」
「いえ……プリムさんが外に出ていくのが見えたので……」
こうして追いかけてくれば、どうしたのかと問われるのは必至だ。珍しくそこまで考えていなかったデュークは、嘘を並べ立てることはせずにありのままを返答として告げる。
すると、プリムは驚いたように目を丸くさせた後にほんのりを顔に朱を募らせた。もっとも、夜の闇の中でそれがデュークの目に留まることはなかったが。
あれだこれだと余計な世間話も必要ないだろうと判断したらしく、デュークは僅かな空白を挟んだ末に極力穏やかな口調で言葉を続ける。
「……最近、お元気がないように見えます。何かあったのですか?」
「……」
その問い掛けに対し、プリムは静かに彼から視線を外して真正面に向き直ると閉口して黙り込む。
踏み込まれたくないことだろうかと、一度こそデュークはそう思ったのだが、暫しの間を置いてから改めてプリムが口を開いた。
「……なんか、なぁ……アプロスさまの試練が終わってから、寝るのが怖いねん」
「……怖い、ですか?」
「今って、これ現実なんやろか」
はは、と乾いた笑いを零して再び顔を伏せてしまう彼女を見て、デュークはそっと眉を顰める。
彼自身もアプロスの試練の際に夢を見た一人だ。デュークの場合はあまりにも現実と―—過去とかけ離れ過ぎていたせいで夢と現実の区別がつかなくなるなんてことはなかったが、彼女は違うのだろう。
「……ウチな、これでもみんなのことメチャクチャ気に入ってんねんで。意地っ張りなシェーンも、危なっかしくて目ぇ離せんアルマちゃんも、憎たらしいことばっか言うてくるラフィンも」
「はい」
「せやから余計に怖くなんねん。ほんまにこれは現実なんやろか、もしかしたらそうやなくて、次に目が覚めたらウチは今まで通り故郷の街におって、みんなとこうして旅してんのは全部夢やったってオチなんちゃうかって」
ぽつりぽつりと今にも消え入りそうなか細い声で呟く様からは、普段の快活さなど欠片も見受けられない。それどころか、いつもよりひと回りもふた回りもその身が小さく見えた。
プリムが顔を伏せているのをいいことに、デュークは傍まで歩み寄るとその場に片膝をついて屈む。そうして、彼女の頭にそっと片手を乗せて幼子でも慰めるように撫で付けた。
すると、プリムは驚いたように目をまん丸くさせて再度顔を上げる。
「……大丈夫です、夢じゃありませんよ」
「……せやな、頭では分かってんねん」
その行動と言葉にプリムの表情は泣きそうに歪んだ。
彼女の言葉通り、頭ではこれが現実なのだと理解はしているのだろう。しかし、完全に信じきれていないのだ。片手で目元を擦りながら自嘲気味に笑うプリムに対し、デュークは一度静かに目を伏せると今度は両手を伸ばして、そっと彼女の身を己の胸の辺りへと優しく抱き寄せた。
それには元気がなくとも流石に驚いたらしく、デュークの耳には彼女が思わず息を呑む微かな音が届く。
片手でポンポンとプリムの背中を撫で叩き、改めて静かに言葉を掛けた。
「全部ちゃんと現実です、夢だなんて言ったらラフィンくん辺りが怒り出しますよ」
頭上から降る穏やかなデュークの声と言葉に、プリムは目を丸くさせたまま瞬きも忘れて絶句していた。じわりじわりと顔面に熱が集まり始めた頃、ようやく現在の状況を理解したらしく一度こそ羞恥から彼の身を突き飛ばそうと胸元に手を添えかけたのだが―—ふと聞こえる心音にその気もすぐに削がれてしまった。
規則正しいものより少しばかり速いが、傍で聞こえる心音と触れる温もりに徐々に気持ちも落ち着き始めたようだ。
――別の意味で落ち着かない部分もあるようだが。
「……せやな。あいつのことやから、思い切り怒り出しそうやな」
「ええ。でも、心配してるんですよ。ラフィンくんは変なところで素直じゃありませんからね」
デュークが笑みを交えて返答すると、プリムの肩からは自然と力が抜けていく。胸にずっと留まっていた閊えがやっと取れた、そんな様子だ。それと共に、これまで抑えてきた涙が堰を切ったように溢れ出す。悲しいのか恐ろしいのか、それとも嬉しいのか。それはプリム本人にも分からなかったが。
突き飛ばしかけたデュークの腕を今度はしっかりと掴み、堪えることなく涙を流し始める。デュークは彼女のその姿を静かに見守り、涙が止まるまでゆったりと背中を撫でていた。




