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第八話・先代との違い


「アポステル……わたくしが見せた夢は、どうでした? 楽しかったですか? こうまで早く術を破られたのは流石に初めてです」

「夢? ああ、やっぱり夢だったんですね」


 アプロスは手にしかけた酒瓶を置き直すと、座していた長椅子から改めて腰を上げて数歩アルマの元へと歩み寄る。その顔には珍しく動揺が見て取れた。

 対するアルマは、蒼い双眸を何度か瞬かせた後に納得したように小さく頷いてみせる。えへへ、と困ったように笑って後頭部を掻く姿はショタ好き女神の目には大層可愛らしく映ったのだが、今はそんなことを言っていられる場合ではなかった。


「僕、よく分かりませんでした。お父さんとお母さんって言われても、会ったことないし……」

「で、でも、両親の温もりは感じたでしょう?」

「ぬくもり? うーん……」


 アポステルと言う存在は、幼くして親元から引き離される。

 そのため、アプロスが見せる幸せな夢の中で初めて親の愛を知り、その意志を試すのだ。結果、これまで多くのアポステルが初めての親の温もりに涙し、そのままでいたくなってしまうもの。

 だと言うのに、アルマはあっさりと目を覚ましてしまった。会ったことがないから分からない、というのはアプロスにもよく分かるが、彼は夢の中で甘えたくならなかったのだろうかと純粋な疑問が湧いた。


「よく分からないんです。今までラフィンと、ラフィンのお父さんやお母さんにしか優しくしてもらったことなかったから」

「――――!!」


 困ったように「うーん」と唸りながら呟くアルマに、アプロスはようやく理解した。

 アルマは親の温もりどころか、親のような温もりさえ知らないで育ったのだ。

 歴代のアポステルと言えば、ヴィクオンの神殿で蝶よ花よと大事にされ、たっぷりと愛情を注がれて育つものだが――アルマは違う。


 落ちこぼれと言われ続けて、ラフィンたち一家と出逢うまでは誰にも優しくしてもらえなかった身だ。その頃にはアルマの人格もある程度形成されており、別に親のような愛情がなくても支障はなくなっていたものと思われる。――寂しさは、常に付きまとっていただろうが。


「(この子は……親の愛や温もりどころか、それに近しいものさえ与えられなかったのですね……。だから、わたくしが見せた親の温もりも、アポステルには理解できなかった……)」


 アポステルとして、それは良いことである。心地好い温もりに触れても心が揺らぐことはないのだから。恐らくアルマは、これから先も甘い誘いを受けたところでけろりとしていることだろう。

 優しく穏やかで、まさに平和の使者――そう見えるアルマだが、本当のところは違うのだとアプロスは悟った。


「(平和を祈るアポステルが愛情を知らないだなんて……これは、わたくしたちの責任ですね……)」


 アプロスは打ちのめされたような気分になった。

 世界の平和のために意志の強い子を育てようとやってきたはずが、これでは一人の子供をただ犠牲にしているだけではないかと、そう思ったのだ。

 額の辺りを押さえて重苦しい溜息を洩らすアプロスを後目に、アルマは傍で倒れているラフィンに駆け寄ると、その傍らに屈んで彼の身をゆさゆさと揺さぶり始めた。ラフィンラフィンと、その名を呼んで。



 * * *



「ラフィン、一体どうしたって言うんだ? カネルちゃんの守護者(ガーディアン)になるんだって毎日張り切っとるお前が……」

「そうよ、鍛錬で頭でも打っちゃったのかしら……」


 ラフィンは、今もまだ両親とカネルを前に己の中に渦を巻く違和感と内心で格闘を続けていた。

 ガラハッドやクリスにどれだけ「お前はカネルちゃんのガーディアンになるんだ」と言われても、やはり納得できない。逆に、言われれば言われただけ違和感が強くなっていくばかり。

 目の前で悲しそうな顔をするカネル本人を見ても、ラフィンの胸にほんのりと罪悪感は浮かんだが――折れることはできなかった。


「ラフィン、わたしじゃ不満なの……? わたしのこと、嫌になっちゃったの……?」

「……」

「ひどいわ……昨日だってずっと一緒にいたし、あんなにわたしのこと大事にしてくれてたのに……」


 両手で顔を覆って泣き出してしまったカネルを見て、クリスはそっと彼女の傍に寄り添う。どれだけ言われてもラフィンの方に該当する記憶はない。

 ガラハッドとクリスの、無言で責め立てるような視線を受けてラフィンの胃はキリキリと痛む。


「ラフィンよ、見損なったぞ。今すぐカネルちゃんに謝れ、こんなに泣かせおって……!」

「父さんと母さんが妬いちゃうくらいいつもラブラブなのに、ケンカでもしたの? ちゃんと謝りなさい、女の子を泣かせるなんて最低よ。そんな子に育てた覚えはありませんからね」

「(なんだってこんなことに……本当に俺の頭がどうかしちまったのか?)」


 父も母も、カネルがこの場にいることが当たり前のように振舞っている。カネルだってそうだ。

 唯一おかしいとすれば――それは間違いなく、この場ではラフィンだけ。

 人間は多数の意見を前にすると、少数の意見が間違いなのではないかという錯覚に陥ることがしばしばある。ラフィンは今まさに、その錯覚に陥りつつあった。

 しかし、そんな時。ふと、どこからともなく聞き覚えのある声が聞こえた。それも、「ラフィンラフィン」と自分の名前を呼んでいる。


「あ……」


 その声が誰のものだったか、深く考えずともすんなりと頭に浮かんだ。それと同時に、目の前にいたカネルやガラハッド、クリスの姿がぐにゃりと歪む。そうして空気に溶けるようにして消えていった。

 次に辺りは暗闇に支配されたが、すぐに頭上からは白く柔らかい光が射し込んだ。まるで天から舞い降りる救いの光のように。

 徐々に大きく、そしてハッキリと聞こえてくる呼び声にラフィンはそっと笑うと、その声に応えるべく利き手を伸ばした。


「……ここだよ。俺の相棒はお前だけだもんな、アルマ」


 その呟きがアルマに届くことはなかったが、柔らかい光に包まれる感覚にラフィンは身を委ねるように静かに目を伏せた。



 * * *



「趣味悪いで、女神様あぁ!!」


 その後、程なくしてプリムとデュークも無事に夢の中から帰ってきた。デュークはホッと安堵したように胸を撫で下ろし、プリムはなにがあったのか聊か気まずそうな顔をしていたが。

 しっかりと頭が覚醒を果たす頃には、いつものように感情豊かにアプロスに文句など言ってみせる。相手が神であろうがお構いなしに。その文句を真正面から受けるアプロスは悪びれた様子もなく、クスクスと愉快そうに笑うばかりだったが。


「まったくだ、最悪な夢見ちまったぜ」

「ラフィン君が見たのはどんな夢だったのですか?」

「……言いたくねぇ」


 しかし、どうやらラフィンも今回ばかりはプリムに賛同しているらしい。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて呟く様は、心底ウンザリしているように見えた。

 デュークはその夢の内容が気になったのだが、当のラフィンはそっぽを向いて一言返してくるだけ。思い出したくもないのだろう。

 アルマは憤慨するプリムと優しく微笑むアプロスをちらりと見遣った後、困り顔で控えめに口を開いた。


「あ、あの、アプロス様。シェーンが、まだ……」

「あ? なんだよ、まだ寝てんのか?」

「う、うん。どれだけ呼んでも起きなくて……」

「おかしいですね、シェーン君は寝覚めはよかったはずですが……」

「日頃の疲労でも溜まっとるんちゃうか?」


 シェーンだけはプリムやデュークとは違い、どれだけ声を掛けても揺さぶっても目を覚ますことはなかったのだ。

 アルマは心配そうにその身を揺らし、傍まで寄ったラフィンとデュークは困ったように顔を見合わせる。プリムは顎の辺りに片手を添えて頻りに首を捻っていた。

 だが、ゆったりとした歩調で歩み寄ってきたアプロスはどこか痛ましそうな表情を浮かべながら、そっと小さく頭を左右に揺らす。


「いえ……この子は、家族に関することで心に深い傷を負っているようです。そのせいで、わたくしの術が深くかかり過ぎてしまったのでしょう。時間が経てば目を覚ますはずですよ」

「心に、深い傷……?」

「こいつ、今までそないなこと一言も言うてへんよな……」


 アプロスの思わぬ言葉に、プリムは複雑そうに眉根を寄せて依然として眠り続けるシェーンを見下ろす。普段の様子からは、心に傷を負っているなど想像もできなかった。

 彼が負う傷がどのような種類であるのかは分からないが、揶揄担当のプリムもそれ以上は流石になにも言えずにいる。


「(……メリッサのこと放っておけなかったのは、自分も心に傷を抱えてるから、なのかね……)」


 口にこそ出さなかったが、ラフィンは確かにそう思う。ラフィンにはなにかと容赦のない物言いばかりしてくるが、メリッサには特に優しく接していた。

 例え傷の種類は違えど、彼女に親近感のようなものを抱いていたのだろう。

 目を覚ましたらどんな顔をしようか――ラフィンを始め、仲間たちはそんなことを考えていた。



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