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第六話・家族


 プリムは、自分を呼ぶ声に反応して静かに目を開けた。

 いつの間に眠っていたのか、草原に横たえていた身を起こして辺りを見回すと、すぐ傍には何より大切にしてきた姿がひとつ。ねえねえ、と遊んでもらいたそうな顔でプリムの身を揺らしてくる。


「ねえ、お姉ちゃん。昼寝ばっかりしてないで遊んでよぉ」

「え……えっ!? ル、ルネ!? なんで、ここに……?」

「お姉ちゃん、なに言ってるの? なんか変だよ?」


 それは、他でもない彼女の弟のルネだった。

 病気だったのが嘘なのではないかと思うくらいに血色がよく、非常に元気だ。嘗ては外で遊ぶなどできなかったのに、どうやら遊びたいらしい。

 プリムは弾かれたように立ち上がると、大慌てで改めて周囲を見回す。


「って、ここどこなん!? なんで、こんな場所に……!?」


 自分はなぜこの場にいるのか。辺りを見回してみても、彼女の視界に映るのは右も左も青々とした草原ばかり。遠くに見える街並みには覚えがある、あれは恐らくプリムの故郷であるアーブルの街だ。

 しかし、そこでプリムは思わず片手で己の頭を押さえてやや表情を引き攣らせた。


「……待って。ウチ、どこに……おったんやっけ……?」


 いつ寝たのか、どうしてここにいるのか――そこまで考えた時、プリムは違和感を覚えたのだ。

 意識がなくなる前、自分がどこでなにをしていたのかまったく覚えていないし、思い出せなかったからである。

 自分は確か、ここではないどこかで、誰かと一緒にいたはずだ。しかし、それがどこで、誰だったのかまでは思い出せない。

 ぼんやりと、まるで頭に深い霧でもかかってしまったかのようだ。


「お姉ちゃん、夢見てたの?」

「(……夢?)」


 不思議そうに見上げてくるルネの言葉に、プリムは頭に添えていた手を静かに離して弟を見下ろす。

 誰かと一緒にいて、とても楽しく充実した時間を過ごしていたような気がする。もしかして、あれはただの夢だったのだろうか。彼女の中にはそんな想いがじわりじわりと浮かんできた。

 そうであってほしくない、そう思うのに。


「……夢、やったんやろか……」

「そうでしょ? どんな楽しい夢だったの? 聞かせてよ、お姉ちゃん!」


 なにかとても長い夢を見ていたのかもしれない。

 ねえねえ、と話を強請る弟に手を引かれると、プリムはなんとなくそう思った。違和感こそ未だ払拭はできなかったものの、やや離れたところで手を振る父と母の姿を見れば、そんな違和感も徐々に薄れていく。

 両親がいて、弟がいる。この場所こそ、自分にとって当たり前の日常(・・・・・・・)なのだから。



 * * *



「あなたがお寝坊だなんて、珍しいわねデューク。また本を読んでいたの?」

「ほらほらぁ、早く起きて。そろそろ訓練の時間だよ」


 デュークは、柔らかな寝台の上で目を覚ました。彼の意識を浮上させたふたつの声は、傍らに佇む姉エリシャと兄のハンニバルだ。エリシャもハンニバルも、デュークの記憶にあるものよりもずっと優しい、柔らかい表情をしている。まるで慈しむような。

 デュークは暫しふたりをぼんやりと見上げた後、脳が一気に覚醒を果たした頃に横たえていた身を勢いよく起こした。


「……!? こ、ここは……オリーヴァの、屋敷……?」

「当たり前でしょう、なにを言っているの? あなたはまだ見習いの騎士なのだから、他の地方になんて行けないんですからね。早く見習いを卒業するためにも、しっかり鍛錬するわよ」

「見習いの騎士……? 鍛錬……? 一体なにを言って……」

「あはは、どうしたんだよデューク。お前にしては珍しく寝ぼけてるじゃないか。しっかり者のお前のそんな姿も新鮮でいいけどね」


 耳慣れない単語にデュークが怪訝そうな面持ちでエリシャを見遣ると、彼女の隣に立つハンニバルが愉快そうに声を立てて笑う。

 デュークは確かに騎士の名門ライツェント家の生まれだが、彼自身は騎士ではない。祈り手だ。

 だと言うのに、エリシャもハンニバルも一体なにを言っているのだろう。デュークはその時点で軽く混乱していたのだが、彼を本格的に混乱の渦に叩き落したのは新たな来訪者だ。


「あら、デューク。具合でも悪いの? 日々の疲れが出たのかしらね、大丈夫?」

「そうかもしれないなぁ、近頃は気合を入れて鍛えてしまったから」

「あなたのせいですよ、デュークが本格的に身体を壊したらタダじゃ済みませんからね」


 軽口を叩き合いながら扉を開けて部屋に入ってきたのは、母のシェリアンヌと亡くなったはずの父だった。刃物のような鋭い双眸ではなく、慈愛に満ちたシェリアンヌの優しい風貌と向けられる言葉にデュークが戸惑わないはずがない。

 今まで、母である彼女にそんな優しい目を向けられたこともないし、心配するような言葉だってもらったことは覚えはなかったのだから。


「(これは、一体なぜ……わからない、私はなにをしていたのだったか……)」


 おかしい、確かな違和感がある。

 そうは思うのに、家族から向けられる穏やかでどこまでも優しい表情を見ていると、ぬるま湯に浸かっているような気になってくる。居心地がよくて抜け出したくなくなってくるのだ。

 違和感は確かに存在するのに、その違和感の正体を突き止めるよりも「ほら」と差し出される姉の手に心が揺れる。


 これは夢だと思う思考と、逆にこれまでが夢だったのかもしれないと思う気持ちが湧き上がってきて、デュークは目を伏せた。

 大好きな父がいて、優しい家族が暖かく迎えてくれる。

 目の前に広がるこの光景を夢なのだと否定する声に、耳を背けた。



 * * *



「…………あ?」


 ラフィンが目を覚ましたのは、東の都ヴィクオンにある自宅だった。自室の寝台に仰向けの形で寝転がっている状態だ。ぱちりと目を開けて、少し。

 徐に身を起こして、室内を見回しながら片手で後頭部を掻く。どこをどう見ても、ヴィクオンにある自分の部屋だ。ラフィンはその自室を見て、確かに「懐かしい」と感じた。


「(……なんで俺、ヴィクオンにいるんだ? 夢でも見てんのか?)」


 疲労が溜まりすぎている時には夢の中で夢から覚める、という話は聞いたことがあるが、いつ眠ったのかさえ彼にはわからない。

 自分は確か、仲間と共に旅をしていたはずだ。今はまだその旅の途中で、まだまだヴィクオンに戻る予定ではなかったはず――――


「……あ、れ……? 誰と……なんの旅、してたんだっけ……」


 誰かとなにかとても大切な旅をしていたはずなのだが、ラフィンにはどうしても思い出せなかった。旅の目的も、誰と共にいたのかも。

 寝台の上で頭を抱えていたラフィンを思考回路の迷路から救ってくれたのは、階下へ続く階段から顔を覗かせた母クリスだった。


「あらあら、どうしたのラフィン。珍しく頭なんて抱えちゃって」

「あ、母さん……」

「ほら、早くご飯にしましょ。下でお父さんも待ってるわよ」


 にこにこと優しく笑う母の姿を見ると、ラフィンの胸中にはじんわりと暖かい感情が湧いてくる。早く降りてきなさいね、と一声掛けて踵を返す母の背中に、ラフィンは慌てて声を掛けた。


「あ、あの、母さん」

「あら、なぁに?」

「えっと、俺……なんで寝てたんだっけ……」

「やだ、どうしたの? 疲れたからちょっと昼寝するって、さっき自分で言ってたじゃない。お父さんったら容赦ないから、訓練で疲れたのね」


 クスクス、と愉快そうに笑うクリスを見て、ラフィンは改めて片手で己の後頭部を搔き乱す。母に当たり前のようにそう言われると、そういえばそうだったかもしれないと思ってくる。――記憶にはまったく存在しないのだが。


「さあさあ、ご飯にしましょ。冷めちゃうわよ」

「あ、ああ、うん。すぐ行くよ」


 違和感は確かに存在するし、なんとなく納得はできなかったが、ラフィンはそこで一旦思考を止めると寝台を降りて母の元へと駆け寄った。



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