第五話・ピースの神殿と女神の試練
馬車のお陰で、これまでよりもずっと早く神殿に行き着いたラフィンたちは、出入り口付近に馬車を停めて神殿の中へと足を踏み入れた。
外観からしてそうだったが、このピースの神殿は神殿らしくない造りだ。全体が楕円形である。まるで大きな玉子のような形をしているのだ。
今までの神殿は奥に進む形式だったが、このピースの神殿は螺旋状に連なる階段を使って上へ上へと昇っていくことになるらしい。
「……妙だな」
「ええ、これまででしたら敵がいたはずですが……」
そうなのだ。
このピースの神殿には、対盗掘者用のガーゴイルの姿がまったく見えない。テリオスのパーチェの神殿や、アイドースのイリニの神殿ではあちこちをウロウロと徘徊していたというのに。
どこかに隠れているのだろうかと、シェーンとプリムは頻りに辺りを見回す。だが、怪しい影は視界に入らず、気配さえ感じられなかった。
『――そんなに警戒しなくてもよろしいですよ。ここには今、わたくしとあなた方以外にはなにもおりませんから。そのまま上っていらっしゃい』
そこへ、ふとひとつ女性の声が届いた。聞き覚えのあるその声は、この神殿の主であるショタ好き女神アプロスのものだ。
これがジジイ神であればラフィンも警戒はするのだが、これまでなにかと協力的だった彼女であれば話は少々異なる。油断させる作戦かもしれないと、念のための警戒はしつつ一歩、また一歩と階段を上っていく。
螺旋状に設置された階段を全て上りきる頃には、ラフィンを除く面々はボロボロだった。建物の九階ほどに相当する段数を上ってきたのだから当然なのだが。息も絶え絶えで、酸欠に陥りつつある。
一人けろりとするラフィンを、自分の膝に両手を添えて呼吸を整えながらプリムは恨めしそうに見上げた。
「お……おまえ、どんな体力しとんねん……!」
「まったくだ……貴様、一度健康診断でも受けた方が……いいぞ。どこかおかしいとしか……思えない……」
「なんだよ、俺だって息は上がってるっての」
「軽く運動しました、みたいな顔で言われても説得力ないわ!!」
プリムは辛うじて立っているが、シェーンは床に座り込み、アルマとデュークは特に苦しそうに呼吸しながら近くの壁や柱に凭れて項垂れていた。こちらの二人は喋るだけの余裕もないようだ。
ラフィンはそんな二人に歩み寄ると、大丈夫だろうかとその様子を窺う。すると、アルマは苦しそうにしながらも顔を上げて「大丈夫」と返してくるが、デュークの方は本格的に具合が悪そうだ。青白い顔をしてぐったりと目を伏せている。
「お、おい、デューク。生きてるか?」
「うう……は、吐きそうです、気分が悪い……なんでしょうか、この匂いは……」
「ああ、まぁ……うん。アレだろうな」
現在進行形でデュークを苦しめている匂いの正体は、既に理解している。
大きく息を吸うとくらりと軽い眩暈を起こしそうなこの匂いは、間違いなくアルコールだ。アルコールの匂いが最上階全体に充満しているのである。
そして、その出所と言えばひとつしかない。
「よく来ましたね、お疲れさまです」
最上階の最奥にある大きな玉座――と言うよりは、煌びやかな長椅子にゆったりと身を横たえたアプロスだ。今日も今日とてその足元には、数えるのも億劫になるほどの酒瓶が無造作に転がっている。彼女の周辺には足の踏み場がない。
ラフィンはやや呆れたような様子でそちらへ向き直った。
「……アプロス様、流石に飲み過ぎなんじゃ……」
「今日はまだ少ない方ですよ、アポステルが来ると思って少なめにしておいたのですが……あら?」
ラフィンから掛かる言葉にアプロスは緩慢な動作で身を起こすと、ようやく呼吸が落ち着いてきたと見えるシェーンに視線を合わせる。そうして片手を己の頬に添え、目を輝かせ始めた。
「まあ……っ、わたくし好みの可愛らしい少年……!」
「……え?」
「まぁた、悪い病気が始まった……」
どうやらシェーンのことを気に入ったようだ。そういえば、アプロスとシェーンがこんな風に会うのは今回が初めてである。当のシェーン本人は怪訝そうな面持ちで首を捻るばかりだが。
ラフィンは面倒なことになる前にと、小さく頭を左右に振って早々に先を促した。
「それより、アプロス様。試練とかは? 番人の姿が見えないみたいだけど……」
「番人? そのようなものは置いておりませんよ、わたくしが見るのは肉体的な強さではありませんので」
「え、えと……それってつまり、どういうことやろ……ウチら戦わんでええの?」
プリムは屈ませていた上体を正して愛用の得物を肩に担ぐ。久し振りに暴れられると思っていたのだが、肩透かしを喰らったような感覚だ。もっとも、依然としてクタクタに疲れているデュークにとってはその方がよかったのだろうが。
そこでようやく酒の瓶を傍らに置いたアプロスは長椅子から立ち上がると、空いた片手の平を上向けて宙へと差し出す。すると、彼女の手の平の上にはぼんやりと輝く白い光が出現した。
「わたくしが見るのは、あなた方のありのままの姿。どなたか一人でもわたくしの術を破れたら、その時点で試練は終了です。――さあ、行きますよ」
アプロスが告げた言葉を、ラフィンを始めデュークですらその意味を理解することはできなかったが。それでも、そんな疑問はすぐに意識と共に消えていった。




