第三話・癒しの音色
「え、僕の故郷?」
「ええやん、近くにあるんやったら行こうや!」
翌朝、宿の食堂で朝食のメニューを選んでいたラフィンたちは、ついでに今後の予定についての話を進めていた。
その最中、ラフィンの口から出た言葉にアルマは目を丸くさせ、隣に腰掛けていたプリムは我が事のように目をキラキラと輝かせた。
この西の都シャン・ド・フルールの近くにはアルマの故郷がある――ラフィンが口にしたのはそれだったのだが、当のアルマ本人よりもプリムの方が嬉しそうだ。
そんな彼らの様子を、余計な横槍を入れることなく見守るデュークもまた、穏やかな表情でうんうんと頷いている。彼の方にも反対の意思はなさそうだった。
けれども、当のアルマ本人は――思案気に視線をテーブルに下ろした後、ふるりと頭を左右に振る。それを見て真っ先に声を上げたのはラフィンよりもプリムの方だった。
「ええぇ!? な、なんでやアルマちゃん! 故郷やで、生まれ故郷!」
「や、やっぱり、親に会うのは怖いか?」
アルマは生まれてすぐに両親から引き離された身だ。親と言われてもどういうものなのか想像がつかない可能性が高い。
自分のことなどとっくに忘れていたら――そんな不安があるのかと、ラフィンは言葉に出さずともそう思った。
「そうじゃないんだ。でも、メリッサみたいな想いをするような人を増やさないために、今は故郷よりも神殿に行きたい」
しかし、そんな心配はなかったようだ。
しっかりとした口調で返る言葉にラフィンもプリムも目を丸くさせて、思わず互いに顔を見合わせる。今度は感心したように頷きながら、デュークは一度目を伏せた。
「……我が子がアポステルとしてしっかり使命を果たしているのだと知れば、ご両親も誇らしいでしょうしね」
「うん。それが終わったら行ってみたい、かなぁ……」
ほんのりと頬を赤く染めながら「へへ」と片手で後頭部を掻くアルマを見て、ラフィンはそれ以上はなにも言わなかった。無論プリムも。
メリッサのことは、確かにラフィンたちも衝撃を受けたし、未だ解決したとは言えない。問題が問題だけに、これからゆっくりと時間をかけて元気を取り戻していくしかないのだ。彼女の心の傷が完全に癒えるのは、いつになることか。
アルマは、そんな想いをする人を増やさないために、今は自分のことよりも使命を優先したいと言う。そんな彼に「故郷に行こう、家族に会いに行こう」などととやかく言えるはずがなかった。
「(ちょっとは自分のことを優先したっていいだろうに。けどまぁ……お前はそういう奴だもんな)」
アポステルとは言え、アルマも一人の人間なのだ。少しくらい自分のことを優先したって誰も怒りはしないだろう。少なくとも、ラフィンたちはそうだ。
そのことにラフィンは少しばかり不服を覚えたが、すぐにやめた。アルマはこういう男なのだ。もっと言うなら、そんな性格だからこそ彼の守護者になると決めたのだから。
アルマが言うのならば、そうしよう。そして神殿から戻ったら、今度こそ故郷のモスフロックス村に強引にでも連れて行こう。そう思った。
「じゃ、そうするか。デューク、この地方の神殿についての情報は?」
「はい。この都から北西に行ったところにピースの神殿があります。アプロス様が祀られていらっしゃるはずですよ」
アプロスと言うと、ジジイ神と並んで諸悪の根源に近い存在だ。彼女とジジイ神の魔力が、アルマを奇天烈な体質にしてしまったのだから。
しかし、逆に考えると――もしも彼女がショタ愛でジジイ神に対抗しなければ、アルマはジジイの駄々で単純に女の子にされていたことだろう。それにアプロスはジジイ神と異なり、ラフィンに対して敵対心を持っているわけではない。非常に協力的だ。
――もっとも、神とは本来そうあるべきなのだが。
「(あのショタ好き女神様か。そういや本届けてくれた礼ってちゃんと言ってなかった気がするな)」
神殿と言うことは、アプロスもまたテリオスやアイドースのように試練を出してくるはず。それがどのようなものかは当然ながら見当もつかないが、会ったらちゃんと礼を言おうとラフィンは思った。
あの本に記されている技のお陰で、闘技大会で無事に優勝できたのだから。
「それはそうと、シェーンのやつはどこ行ったん?」
「ええ、それが……朝起きたら、少し出てくる、という書き置きだけが残されておりまして」
「たく、先に注文してまうで」
先ほどから今後の予定について話し合っていたのだが、その中にシェーンの姿はない。デュークが言ったように、ラフィンとデュークが起床した時にはベッドはもぬけの殻で、代わりに書き置き一枚だけが置かれていたのである。
シェーンはこのメンバーの中で最年少だが、しっかりしている。どこかで問題を起こしたりはしていないだろうが、昨日着いたばかりで右も左もわからない場所。やはり多少の心配は募る。
しかし、そんな時。
ふと食堂内に耳に心地好い音色が届いてきたのである。
* * *
久方振りに自分の部屋で目を覚ましたメリッサは、ベッドの上で膝を抱えて座り込んでいた。
昨夜は扉越しに両親や兄が声を掛けてくれたが、それでも彼女の心が完全に開くことはなかった。むしろ、暖かく迎えられれば迎えられるだけ逆に苦しくなる。
可愛らしく飾られた、いかにも女の子と言わんばかりの自室にさえ理不尽な苛立ちが募る。
怖い、苦しい、悲しい。これまではそんな感情ばかりだった心に、今度は時間の経過と共に燃え盛るような怒りと憎悪が宿ってしまっていた。
だから、今は大好きな家族とも顔を合わせたくない。家族は純粋に自分を心配してくれていたのに、行き場のない感情をぶつけてしまいそうで――傷付けてしまいそうで、怖かった。
反抗すれば振り上げられた手、唯々諾々と従わなければ叩きつけられる足。
誘拐されてからというもの、ずっとそんな日々で。自分でも気付かぬうちに、人の顔色を窺って喋るようになった。純潔を失ってしばらくは、精神的なショックで声が出なくなったこともある。
そのため、メリッサが口にする言葉はいつもたどたどしいのだ。
「……?」
そんな時、ふと彼女の耳にもひとつの音色が聞こえてきた。
抱え込んだ膝に埋めていた顔を上げて、音の出所を探す。オルゴールとはまた違った、耳にとても心地好い音色だ。
窓辺に歩み寄り、外の光を避けるようにしっかりと閉ざしたカーテンを勢いよく開ける。
すると、透明な窓ガラス越し――そこには、一体どこから登ってきたのか、バルコニーの縁に腰掛けて座るシェーンがいたのだ。彼の手にあるハープこそが、この音色の出所だった。
メリッサは慌てて窓を開けると、身を乗り出すようにして顔を出す。朝陽を受けてハープを奏でる彼は、元々の整った顔立ちもあって非常に美しい。幻でも見ているのではないか、そう思ったのだ。
窓が開く音に反応して、シェーンは手を止めると集中するように伏せていた目を開けて彼女を見た。
「おはよう」
「お……おは、よう……」
至極当然のように朝の挨拶を交わしてから、手にするハープを見下ろす。随分と古いもののようだが、彼の手にあると自然と輝いて見えた。
なぜここにいるのか、なにをしているのか。聞きたいことはたくさんあるはずなのに、上手く言葉にならずにメリッサはただただ彼を見つめるしかできない。
「久し振りだが、身体は覚えているものだな」
「ハープ……弾ける、の……?」
「ああ、母に教えてもらったことがあってね。ハープの音色には癒しの効果があるから、覚えておけばきっといつか役に立つってさ。……嘘か本当かは知らないけど」
なんでもないことのようにサラリと告げられた言葉に、メリッサは唖然とした。
ほんのりと淡い想いを抱く相手が自分のためにしてくれていること。本来は嬉しいはずなのに、驚きばかりが先導して彼女の思考は完全に置いてけぼりだ。
そんなメリッサの心情を知ってか知らずか、シェーンは改めて彼女に視線を戻すと、緩慢な所作でハープを揺らしてみせた。
「きみは歌うことが好きなんだろう? 一人で歌うより少しは楽しいと思うが、どうかな」
「……」
明確な言葉にこそしないが、それは「一緒にやろう」というシェーンなりの誘いだ。それを頭が理解するなり、返事の代わりに彼女の双眸からは大粒の涙がボロボロと零れ始めた。唇をぎゅ、と引き結んで小さく震える様は、なにかを堪えているようにも見える。
その姿を見てシェーンは街並みへ視線を投じると、再び弦を優しく弾き音を奏でながら静かな声色で一言だけ言葉を掛けた。
「……泣きたい時は思い切り泣けばいい、我慢すればどんどん苦しくなるだけだ」
その言葉に、いよいよもって我慢など利かなくなった。
とめどなく溢れてくる涙をどれだけ拭っても、意味など成さない。拭ったそばから次々に出てくるのだ。
涙を拭うことを諦めたメリッサは、込み上げてくる感情を無理に抑え込むことも、抗うこともしないまま声を立てて泣いた。まるで幼子のように。
そんな彼女を横目にちらりと見て、シェーンは薄く苦笑いを滲ませる。ああ、戻ったらまたラフィンたちにからかわれる――そんなことを思って。




