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第四話・完璧な存在


 目の前に片膝をついて屈み、優しく微笑みながら片手を差し出してくる大層な美形を前に、アルマは口を半開きにさせて暫しその風貌に見入っていた。

 白い肌に、やや明るめの青髪。優しく細められた青緑の双眸、そっと微笑む口元――どれを取っても非常に美しい。背中辺りで緩く纏められた長い髪がふわりと風に揺れると、花のような香りさえ漂う。顔立ちから推定するに、二十代前半か後半ほどの年齢だろう。


「失礼。お嬢さん、大丈夫ですか?」

「え……あ、は、はい」

「私としたことが、よく前を見ていなかったようで……どこかお怪我や、痛いところはございませんか?」

「だ、大丈夫です。僕の方こそすみません」


 アルマは数拍の間を要した末にようやく我に返ると、差し出される手を取って慌てて立ち上がった。持っていたソフトクリームは転倒した際にぶちまけてしまって、無残に地面に落ちている。それを見下ろすと、アルマの眉は思わずしょんぼりと下がった。


「おい、アルマ。大丈夫か?」

「あ、ラフィン。うん、僕は大丈夫だけど……」


 そこへ、慌てたようにラフィンが駆けつけてきた。アルマはそこで安心したように表情を和らげて彼に向き直ると、傍らの大層美麗な人物へと一瞥を向ける。どう紹介すればいいかわからないのだ。

 だが、当の本人は驚いたように軽く目を丸くさせると片手を己の顎辺りに添えて、ラフィンとアルマの二人を何度か交互に見つめてきた。


「……アルマ? もしや、あなたはアポステル様では?」

「……アルマのこと知ってんのか?」

「ええ、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私はフェリオ・インザニール、シャン・ド・フルール騎士団に所属している者です。アポステル様が事件に巻き込まれたという報告を受け、罪人を引き取りに参りました」


 フェリオと名乗った騎士の言葉に、ラフィンとアルマは互いに顔を見合わせた。

 どうやらこの騎士こそ、エリシャやハンニバルの知り合いであるシャン・ド・フルール騎士団の副団長のようだ。


 * * *


「ようやく来たのかフェリオ、随分と遅かったじゃないか」


 フェリオとその部下を連れて宿に戻ると、食堂で談笑していたと思われるエリシャが真っ先に反応して席を立った。そんな姉に倣い正面に腰かけていたハンニバルも、カップをテーブルに置いてから静かに立ち上がり、ぺこりと一礼。

 その様子を見ていたプリムやシェーンは余計な口を挟むことはせずに見守った。


「色々と手続きと、都でも少しばかり騒ぎがあってな。それで遅くなってしまった。久しいなエリシャ、相変わらず君の美しさは素晴らしい」

「……」


 エリシャとフェリオのやり取りを聞いて、ラフィンは怪訝そうな様子で眉を顰める。よくもそんな歯が浮きそうなセリフが呼吸をするように出てくるものだと、そう言いたげに。

 ちらりと視線だけで隣を見てみると、どこか必死にソフトクリームを舐めるアルマがいる。フェリオとぶつかった際にアルマが買ったソフトは地面に落ちて台無しになってしまったが、そのフェリオが罪悪感を覚えて弁償してくれたのだ。


 アルマはどういう気持ちでフェリオを見ていたのか。

 ラフィンは、そればかりがどうしても気になっていた。今はソフトクリームに夢中だが、先ほど確かにぼんやりとした様子でフェリオを見つめていたのだから。その光景を思い返すと、ラフィンの胸には深い霧がかかってしまったかのようにモヤモヤとしたものが広がった。


 そこで、改めて視線をフェリオに戻す。その横顔はどこまでも整っていて、非常に美しい。

 スラリと伸びた長身、どこまでも柔らかな物腰、紳士的な優しい微笑み。まさに絵に描いたような騎士様や王子様といった雰囲気だ。その上に礼儀も正しく、嫌味な部分もないのだから難癖をつけることもできない。

 これで嫌な奴であれば、まだ多少は気が楽なのかもしれないが。


「そういえば、フェリオ。そこの少女はシャン・ド・フルールから誘拐されてきたそうだ」

「ふむ、そうだったのか。では、我々が都まで送り届けようか。ご両親も心配なさっているだろう」


 そんな中、エリシャとフェリオの会話はメリッサのことに向いた。現在、彼女もプリムたちに混ざってのんびりとした時間を過ごしていたようだが、彼らの視線と意識が自分に向くや否や、びくりと小さく肩を跳ねさせて隣にいたシェーンの後ろに隠れてしまう。怯えたような様子は見られないが、その様を見ると彼女を騎士団に任せるのは少しばかり心配になる。

 シェーンは暫しメリッサを肩越しに見遣っていたものの、やがて片手で己の横髪を搔き乱すと幾分申し訳なさそうな様子でフェリオやエリシャに向き直った。


「……すまない、彼女は少しばかり人見知りでな」

「気にすることはないさ、恐ろしい想いをしただろう。人が怖くなってしまうのも無理はない」

「え、えっと……領主のおっちゃんは騎士団に任せるとして、メリッサちゃんはどうしよか?」


 本来であればフェリオたち騎士団に連れて行ってもらえば安心なのだろう。だが、騎士団は領主やフューラたち一味を連行する身だ。彼らに誘拐されて囚われていたのだから、当事者たちと行動を共にするなど冗談ではないはずだ。できることなら二度と関わりたくない、そう思っていてもおかしくはなかった。

 プリムはフェリオとメリッサを何度か交互に眺めてから、極力怖がらせないよう気をつけながらメリッサに声をかける。どこへ行ったのか、デュークの姿は見えない。そうなると本来彼がやるはずの配慮や気遣いはプリムの役目だ。

 けれども、ぎゅ、と唇を噛み締めて黙り込む彼女から言葉が返ることはなかった。


 エリシャは困ったように己の後頭部を掻いて隣のハンニバルを見遣るが、こればかりは彼でもお手上げだ。男に乱暴された身なのだから、彼が介入すれば余計に嫌がられてしまうことだろう。

 しかし、フェリオは穏やかに微笑んだまま小さく頭を左右に振った。


「今すぐにどうするか決めることはないよ、我々も罪人に会って詳しい内容を把握する時間が必要だ。明日か……明後日までに決めてくれれば、それで大丈夫だ。共に行かないからと責め立てる気ももちろんない、あまり気を張らずに考えてくれ」

「あ……そ、そうです、か」


 穏やかな口調で向けられた言葉に、さしものプリムも目をまん丸くさせて機械人形のようにぎこちなく頷くしかできなかった。

 騎士というのはなにかとプライドが高い者が多い。境遇が境遇とは言え、今のメリッサのように答えもせずに隠れる様子を見て怒り出す騎士がいてもおかしくはないのだ。だというのに、フェリオは気を悪くしたような素振りも見せずにそう言ってのけたのだから、プリムにとっても意外だったのである。


「ではエリシャ、ハンニバル。案内を頼むよ」

「ああ、わかった。行こうか」

「アポステル様、また後ほどご挨拶に伺います。その際には、もしよろしければ事件の時のことをお教え頂けたら、と……」

「は、はい。もちろんです」


 そう告げると、先に出て行くエリシャとハンニバルの後に続いてフェリオもまた、宿を後にした。その所作には一切の無駄がなく、プリムやシェーンは半ば唖然とした様子で彼らが出て行った扉を見つめている。ちらりとラフィンが改めて隣を見ると、アルマも同じだった。

 だが、すぐにラフィンの視線に気づくとにこりと笑う。


「フェリオさんって、すごく綺麗な人だね」

「……そうだな」


 確かに――フェリオは、非常に美しい風貌の持ち主だ。

 美しく整った顔立ちに、優雅で柔らかな物腰、落ち着いた気性、幾分高めの耳に心地好い声。副団長ということは地位も高く、周りからの信頼も厚いことだろう。歯が浮くようなセリフこそ好き嫌いは分かれるものだが、美貌を持つ男に言われて気分を害する女性は――恐らく、そうそういない。

 そこまで考えると、ラフィンの表情は自然と歪んだ。


「(……完璧な男じゃねーか。アルマだってアポステルなんだから、本来はああいういかにも騎士ですって感じの奴を守護者(ガーディアン)につけるべき、なんだろうけど……)」


 アルマが自分以外の誰かをガーディアンとして傍に置く。少し考えるだけで胃が痛くなった。

 余計な考えを追い出すように頭を横に振るラフィンを見て、アルマはどこまでも不思議そうな顔でそんな親友を見つめていた。



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