第二話・明日はデート!
「でも、ヘクス。神さまを殺して大丈夫なの? いきなり世界が壊れたりはしないかしら」
屋敷の地下へと続く薄暗い階段を降りていきながら、カネルは傍らを歩く男に疑問をぶつけた。
五大神はこの世の全てを守る存在だ、その神を殺せば世界が崩壊するのではないか――そう思ったのである。アルマを殺してラフィンを手に入れても、世界が壊れて自分も死んでしまったら意味がないのだから。
けれども、ヘクスはにこにこと笑ったまま至極当然のことのように頭を左右に振った。
「大丈夫だよ、カネル。そのためにシンメトリア様をこの地下に閉じ込めておいたのだからね」
「どういうこと?」
「シンメトリア様の持つ魔力を全て奪い取り、ボクのものにするんだ。そうすればあの方の代わりに、ボクがこの世界を支える力を手にすることになる。つまり――」
「ヘクスが新しい神さまになるのね?」
身振り手振りを交えて饒舌に語るヘクスはどこか誇らしげだ、神が持つ力を自分のものにできることが大層嬉しいのだろう。そんな彼の言葉を全て聞くよりも先に、カネルはその先を言い当てた。
すると、ヘクスは浮かべる笑みを深いものに変えて何度も頷いてみせる。
「そうそう、君は賢いね。ボクが新しい神になって、この世界を変えていくんだ。今みたいに平和ボケした世界じゃつまらないし、息苦しいからね。だから、君がアポステルを始末しても問題にはならないんだよ。ボクが作る世界ではこれまでご法度だった色々なことを可にするつもりだから」
アルマを始末しても問題にならない――その言葉を聞いて、カネルの目には嬉しそうな光が宿った。
マリスという強大な力を持ったパートナーを据え、これから神になる男が傍にいる。現在の己の状況を理解し、期待に胸を膨らませて。
程なくして行き着いた地下の大扉の前で両者足を止めると、表情には堪え切れない嬉々を浮かべてどちらともなく顔を見合わせた。そして目の前に立ち塞がる両開きの扉を、ゆっくりと押し開いていく。
「やあやあ、シンメトリア様。ご気分はいかがですか? ここに閉じ込めて随分経ったから――」
にこにこと、依然として上機嫌そうに笑いながら口を開いたヘクスの言葉は、最後まで紡がれることなく中途で途切れた。
開かれた扉の先――そこには、目的としていたシンメトリアの姿がなかったからだ。特殊な拘束具と鎖を幾重にも重ねて、しっかりと捕まえておいたはずなのに。
ヘクスは思わず双眸を見開くと、大慌てで部屋の中央まで駆け出した。だが、何度見てもそこには彼の姿はない。
「そ、そんなバカな!? あれはボクが長年研究してきて、ようやく完成した最高の拘束具だぞ!? そう簡単に逃げられるはずが……!」
「ど、どういうこと? 逃げたっていうの?」
ヘクスは蒼くなりながら、無造作に床に放り出されていた枷を拾い上げた。それは、装着した対象が持つ力を強制的に吸引する効果を持たせた特殊な拘束具だ。ヘクスはこの拘束具を使って、シンメトリアから力を奪い取る予定だったのだが――そのシンメトリアの姿がどこにも見えない。
拘束具自体にも、魔力を宿している気配は微塵も見受けられなかった。つまり、彼の魔力を僅かにも奪い取れなかったということになる。
カネルはふらりとそちらに数歩足を進め、思わず軽く辺りを見回した。だが、誰の姿も見えない。
しかし、彼女の傍に付き従うように浮遊するマリスだけは違った。深くかぶったフードの下、刃物のように鋭い視線でヘクスのすぐ真上を睨みつけたのだ。
すると、今まさにマリスが睨んだ空間がゆっくりと裂け、一人の男が姿を現した。その男こそが、五大神の長――シンメトリアだ。
ヘクスは慌てて彼を見上げてその場に尻餅をつくと、大仰に後退る。
「ひ……ッ!?」
「貴様らの目的を探るために敢えて捕まったフリをしていたというのに、随分と調子づいたものだな。今の俺は糖分が足りなくて機嫌が悪い、容赦などできんぞ」
その言葉を聞いて、ヘクスは手にした拘束具の鎖を慌ててシンメトリアへ向けて投げつけた。なんとか身柄を拘束しなければ殺される、そう思って。
鎖は確かに勢いよくシンメトリアの胴体に両腕を巻き込んで絡みついた。それを見てヘクスの顔には僅かに笑みが浮かんだが、それも一瞬のこと。彼の身に巻きついた鎖は次の瞬間――粉微塵に砕け飛んだ。所詮は人の手で生み出した拘束具、彼の身から放出される膨大な魔力が貯蔵量を一瞬で超えてしまったのである。
ヘクスは顔面蒼白になりながらシンメトリアを見上げ、彼の注意がヘクスに向いているのを見たカネルは――恐怖に顔を引きつらせ、踵を返して我先にと逃げ出した。遠ざかる足音でそれに気づくと、ヘクスは出入り口を振り返って慌てて手を伸ばす。
「カ、カネル!? どこへ行くんだ、ボクを助けろッ!!」
叫ぶようにそう声を張り上げたが、カネルが再び地下に戻ってくることはなかった。彼女はヘクスを餌に、そのまま逃げてしまったのだ。
彼女に付き従うマリスさえいれば、もしかしたら現状を打破できるかもしれない――そう思ったのだが、その希望は一瞬のうちに消えてしまった。マリスもカネルについてさっさと出て行ってしまったのだから。
ヘクスは恐る恐る、殊更ゆっくりとシンメトリアを振り返り、喉奥を引きつらせた。
「……五大神を、なめるな……!」
己の見下ろすシンメトリアの顔は、明らかな怒りに満ちていた。背中には鳥のような漆黒の翼が生え、肉眼で捉えられるほど魔力が色濃く全身から放出されている。
ヘクスの口からは、断末魔の声さえ上がることはなかった。
* * *
「アルマちゃん、どないしたん?」
宿の一室で談笑していたプリムは、不意に窓の方へ視線を投げたアルマを見て不思議そうに小首を捻った。アルマはと言えば、こちらもとても不思議そうな顔をして目をまん丸くさせている。
ふと反射的にそちらを見てしまったが、特になにかしら変わったものが視界に映り込むことはない。ただ夜の闇が広がり、街の灯りがちらほらと窺えるだけだ。
「(……? なんだろう、なにか爆発したような……気のせいかなぁ)」
街の様子は穏やかだ、騒ぎが起きている気配は微塵も感じられない。気のせいだろうと結論付けたところで、ふと気になるのは――いつも窓からやって来ては帰って行った神々のこと。最近はあまり顔を見せなくなった。神出鬼没だったジジイ神も近頃はまったくその姿を見ていない。
「(そういえば、シンさまは見つかったのかなぁ……)」
思い出せば思い出すだけ、色々と心配が浮かんでは消えていく。溜息を吐きたくなった頃にようやくプリムに向き直ると、アルマはそこで小さく頭を左右に振った。
「ううん、なんでもない。ごめんね」
「……そう? それより、明日はラフィンとデートするんやろ、女の子で行くん?」
「う……」
直球でぶつけられる質問に、アルマは思わず顔を赤らめて俯いた。気恥ずかしさをやり過ごすように布団を両腕で抱き締めて、柔らかい布地に顔面を押しつける。ふわふわとした感触が僅かばかり羞恥を吸い込んでくれるような気はしたが、それだけでは足りない。
プリムはそんなアルマの様子をニヤニヤと笑いながら見つめた後、寝台の脇に置いた己の荷物カバンを漁り始めた。
「女の子で行くならおめかしせんとな、ウチの服貸そうか?」
「い、いいよ。だってプリムの服ってどれもこれも大胆なのばっかりなんだもん……」
「だからええんやん! 男っちゅーのはなぁ、自分のために頑張っておめかししてくれる子に弱いねんで! そこにちょこっと色気をプラスすりゃコロっと……ってママが言うてたわ」
なにやら力説はしているものの、悲しいかな彼女も恋愛経験はゼロなのだ。語尾に付け足された呟きに、アルマは微笑ましさを感じてそっと笑った。
明日は、約束した通りラフィンとデート――もとい出掛ける日だ。すっかり彼に友情以上の好意を抱いてしまったせいで、先ほどから胸が高鳴ってばかりだった。少し前まではいつもしていたことなのに、今は必要以上に意識してしまってどうしようもない。
時刻は既に夜の二十三時を回っているが、今日はあまり眠れそうになかった。




