第二十話・おねがいハンさん
一足先にキルシュバオの街に帰り着いたラフィンは、共に戻ったシェーンやハンニバル、彼の部下数人を連れてエリアの両親が営む病院へと足を運んだ。突然駆け込んできた彼らにエリアの父は狼狽していたが、自警団の者たちが領主に言われてやって来たわけではないのだと理解するや否や、すぐにアルマの様子を診てくれた。
幸い、骨に異常はないようだ。打撲による内出血はあるが、安静にしていれば数日で元気になるだろうとのこと。その話を聞いて、ようやくラフィンは胸を撫で下ろした。
「よかったね、ラフィン君」
「ああ……あんたたちのお陰だよ、俺たちだけじゃ探し出せなかった気がする……」
「お礼は熱烈なハグでいいよ」
「それとこれとは話が別だ」
「あぁん、つれない」
現在は病室に腰を落ち着かせている。腫れを抑えるためとはいえ、アルマの頬に貼られた湿布がなんとも痛々しい。
そんな中でも軽口を叩いてくるハンニバルを一度は殴りたくなったが、彼なりの気遣いなのだろう。ラフィンが「自分の責任だ」と必要以上に落ち込んでしまわないための。
そこへ、隣の病室にいたシェーンが顔を覗かせた。
「アルマの様子はどうだ?」
「ああ、大丈夫そうだ。落ち着いてるよ。……あの子は?」
「彼女はメリッサというらしい、囚われている時にアルマと仲良くなったと聞いた。……怪我は小さい擦り傷程度のものなんだが……」
アルマが洞窟にいると教えてくれた少女は、ひどく怯えているように見えた。それでも、シェーンの傍を離れたがらなかったため共に街に連れ帰ったのだが――歯切れの悪い彼に対し、ラフィンの表情は自然と歪む。考えられることはそう多くない。
人身売買の商品として捕らえられていたのだから、ある程度予想できたことではある。しかし、実際に年端もいかぬ少女が毒牙にかかったのだと思えば、決して気持ちのいいものではなかった。
「……? ……あれ……」
「――! アルマ、気がついたか?」
その時、それまで眠っていたアルマがか細く声を洩らした。
ラフィンは弾かれたようにそちらを見遣り、大慌てで寝台の傍へと駆け寄って様子を窺う。アルマは暫しゆっくりと瞬いていたが、焦点が合い始めた頃に視線をラフィンに向けると、いつものようにふにゃりとだらしなく表情を和らげて笑った。
「……ラフィン」
「どっか痛いとことかないか? 大丈夫か?」
ラフィンのその言葉で、これまでのことをようやく思い出したのだろう。アルマは次の瞬間に大きく目を見開くと、慌てて寝台から飛び起きた。
しかし、それと共にその口からは呻くような声が洩れ、思わずアルマは腹の辺りを押さえて背中を丸める。ラフィンはそんな彼の背中を摩り、ハンニバルやシェーンは心配そうに駆け寄る。
「お、おい、まだ寝てろ!」
「あ、あの子たちは……子供たち、は……?」
「みんな大丈夫だ、今頃エリシャさんが保護してこっちに向かってるさ」
メリッサはシェーンにくっついたまま離れなかったために先に連れてきたが、捕まっていた人数は非常に多い。そのため、残りの子供たちはエリシャ率いる騎士団が保護して街まで連れて来てくれるはずだ。
その返答を聞いて、アルマは身からはそっと力が抜けていく。それを手の平越しに感じて、ラフィンの口からはひとつ安堵が零れ落ちた。
だが、この場にハンニバルがいることに気づくと再び顔を上げて身を乗り出し、両手で彼の腕を掴む。それには流石のハンニバルも驚いたように目を丸くさせて僅かに身を引いた。
「ハ、ハンさん! お願いがあります!」
「は、はい? なんでしょうか?」
「騎士団の、騎士団の力を貸してください!」
その剣幕と告げられた言葉に、ハンニバルは不思議そうに首を捻った。
* * *
「じゃあ、この闘技大会は子供たちを誘拐するためにあの領主が裏で……?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。では、そのマタルトローパのボスというのは……あのフューラとかいうゲスな男だということか?」
「代理選手としてボスが出る~ってことは、そうだろうな」
アルマから話を聞いたラフィンとシェーンは、隠すでもなく表情に嫌悪を滲ませていた。
しかし、そう考えるとやはり色々と納得できる部分は多い。なぜ領主がエリアを無理矢理に奪わなかったのか、気にならなかったわけではないのだ。
エリアを堂々と手に入れて、裏では金さえも我がものとする。そのやり方に反吐が出そうだと思った。
その領主とフューラを騎士団に捕まえてほしい、アルマの願いはそれだ。騎士団であれば罪人を捕まえて裁くことができるのだから。
「……ですが、ハンニバル様……このキルシュバオはオリーヴァの管轄ではありません。我々が好きにする権利は……」
「難しいのか?」
「そうだねぇ、騎士っていうのは融通の利かないお堅い職業だから」
「あんたが言うと説得力ねーよ」
ハンニバルの傍に控えていた部下二人はそれまで黙って話を聞いていたが、困ったように眉尻を下げて彼に声をかけた。
それほど広くはない病室だ、声量を抑えたところで話し声は筒抜けである。ラフィンとシェーンは複雑な面持ちで彼らを見遣ったが、シェーンが向けた言葉に対する返答にラフィンは思わずツッコミを入れた。
ハンニバルは、どうにも自由人の印象がある。鎧さえ身に着けていなければ騎士と言われても信じないかもしれない。
「あぁん、ラフィン君ってばひどいんだからぁ。……そうだなぁ……じゃあアレだ、早馬を出してくれ」
「ど、どこへ? 団長に報せるのですか?」
「あはは、違う違う。母上にお報せしても、管轄外の問題を持ってくるな! って、怒られるだけだよ」
不思議そうに目を白黒させる部下を横目に見遣り、ハンニバルは片手の人差し指を立てると己の口唇前に添え、おどけるように片目を伏せてウインクなどしてみせた。
「――シャン・ド・フルールの騎士団へ。キルシュバオはあの騎士団の管轄だ、あそこの副団長は全騎士団の中で一番恐ろしいお人だからね。きっとキツ~いお灸を据えてくれるさ」
「は、はい! 了解です!」
「ライツェントって言えばわかるよ、よろしく」
ハンニバルの言葉に敬礼を返し、部下二人は慌てたように病室を飛び出して行く。どうやら彼らが領主を裁けない代わりに、別の騎士団に協力を要請してくれたようだ。
「……だが、証言だけでなんとかなるのか?」
「まずはマタルトローパの連中を捕まえる。子供たちの誘拐は事実だし……それに、アポステル様に怪我をさせて命まで脅かしたんだ、それだけで重罪だよ。領主と繋がりがあったのかどうかはマタルトローパとそのボスを問い詰めれば、まぁ……簡単に吐くだろうさ。領主だけ助かるなんて、彼らにしてみれば冗談じゃないだろうからね」
淡々と語られる言葉に、ラフィンは何度か納得したように頷いた。
普段はふざけた面ばかりが見え隠れする男だが、頭の回転は非常に速い。確かに彼の言うようにやれば、恐らくフューラとその一味は領主との繋がりを簡単に吐くだろう。これまでの様子から、領主を庇い立てするような雰囲気は微塵も感じられない。
そこまで考えると、ラフィンは壁にかかる時計を見上げて静かに腰を上げた。
「さて、俺はそろそろ行かないと」
「ラ、ラフィン、試合なんて出なくていいんだよ。騎士団が着けば……」
「早馬って言っても、シャン・ド・フルールまでは結構な距離があるし、今日明日の話にはならないだろ。それまでの間に逃げられたら困るからな、叩きのめしてそのまま捕まえる。あとは倉庫にでも閉じ込めておくさ」
アルマは慌ててラフィンに声をかけたのだが、決勝を放棄する気など彼には毛頭ない。先ほどから内側で怒りが渦を巻いて、今にも口から飛び出てしまいそうだ。抑えられない憤りが行き場を求めて彷徨っている、そんな状態なのである。
ラフィンはアルマに向き直ると、片手を己の膝に添えて軽く上体を屈めた。逆手はアルマの頭に添えて、いつものように撫でながら改めて言葉を向ける。
「人助けだけじゃなくて、悪党を倒すのもヒーローの役目だろ?」
そう告げると、アルマは目をまん丸くさせたが――やがて、その目と表情をキラキラと輝かせた。
それ以上は口喧しく止めることはせず、代わりにラフィンの手を両手で包み込むと祈るように目を伏せる。
「……でも、無理はしたらダメだよ。怪我しないでね」
「わかってるって。シェーン、ハンさん、試合が終わるまでアルマのこと頼んだ」
「もちろん。気をつけてね、ラフィン君。あのおっさん、油断ならない相手のはずだから」
「頼まれるまでもない」
ラフィンの言葉に返るハンニバルとシェーンの反応は対照的だ。
ハンニバルは純粋な心配を匂わせるが、シェーンは清々しいほどに普段と違いがない。けれども、そのいつも通りのつれない返答が逆にラフィンの心を落ち着かせてくれる。
最後にポンポンとアルマの頭を撫でてから、ラフィンは決勝戦へ臨むべく病室を後にした。




