第十三話・癒しの光
「おい、ミスト! しっかりしろ!」
「先生ッ! 助けてくれよぉ!!」
キルシュバオの街の男たちによって医務室に運び込まれたミスティオは、一目でわかるほどの重傷だった。
首には生命を繋ぐために必要な動脈や静脈が通っており、それが切断されてしまえば命を落とす可能性は非常に高い。
エリアの両親は必死に止血をしているが――助けてくれと言われても、医者は神ではない。できることとできないことがある。それがわかっているからこそ、夫婦共になにも言葉を返せなかった。
無言の意味を悟ったのか、数拍の後に男たちの口からは堪え切れない嗚咽が洩れ始める。辛うじてまだ命はあるようだが、虫の息と称すに相応しい。
最愛の人のそんな様を見て、エリアはボロボロと涙を零しながら彼が寝かされる寝台に顔を伏せる。指先が白くなるほどにシーツを固く握り締め、声を殺して泣いていた。
「――ミスティオ!!」
そこへ、扉を蹴破る勢いでラフィンたちが血相を変えて医務室に飛び込んできた。息が上がっているところを見れば、観客席から一目散に駆けてきたのだろう。
アルマは足がもつれて転びそうになりながらも寝台の傍らに駆け寄ると、ミスティオの怪我の具合を見て一度下唇を噛み締める。彼の身に刻まれた傷は、思っていたよりもずっとひどい。だが、今ならまだ間に合うはずだ。
「ラフィンさん……ミストが、ミストが……っ!」
「……アルマ、いけそうか?」
「た、たぶん大丈夫だと思う……下がってて、やってみるよ」
真っ青になりながら大粒の涙を流すエリアの姿は、とても痛々しい。ラフィンはどう言葉をかけていいかもわからず、複雑に表情を顰めた末に傍らに立つ親友へ一瞥を向けた。
彼を――ミスティオを救えるのは、アルマだけだ。ラフィンはエリアの手を掴んでそっとその場から立たせると、むせび泣く男たちと共に後方へと下がらせる。アルマの集中の邪魔をするわけにはいかない。
アルマは胸の前で両手を合わせ、静かに目を伏せる。緊張から、冷や汗が頬を伝った。
だが、程なくしてアルマの全身を柔らかな光が包み込み始め、その輝きは医務室全体を覆っていく。それと同時にポン、という音と共にアルマの身は煙に包まれる。不可思議な光景に男たちは涙も止まったのか、今度は動揺したような声を洩らして辺りを見回し始めた。
「な、なんだ……?」
「この光は……どうしたんだ……?」
プリムたちも、その光景を見て余計な言葉を発することはせずに部屋の隅に寄った。彼らの表情には、やはり心配そうな色が滲んでいる。
これまで実際に奇跡とも呼べるアルマの力は目にしてきたが、今回は状態が状態だ。それでもピルツ村の状態よりは救いがあるのかもしれないが。
アルマの身から溢れ出す光は、寝台に仰向けに寝かされたミスティオの全身を瞬く間に包み込み、至るところに刻まれた傷をゆっくりとだが、確実に癒し始めた。
それを見て、男たちだけでなくエリアの両親までもが目をまん丸くさせて感嘆を洩らす。驚いて、期待して、でも信じられないというような様子で。
ミスティオの身に刻まれた大小様々な傷が全て綺麗に癒された頃に光が止むと、エリアは恐る恐ると言った様子で寝台に歩み寄った。
まだミスティオの顔色は悪いままだが――先ほどまで浅かった呼吸は、今はもう完全に落ち着いている。表情にも苦痛は見受けられなかった。
それを見て、エリアの目からはまた涙が零れ始める。ただ、今回は悲しみではなく嬉しさのせいだ。
「ミスト……? アルマさん、なにを……?」
「……少なくなった血までは戻せないので……しばらくは安静に。喉も大丈夫だとは思うんですが、それはおじさんにお任せします……」
アルマは病や傷を癒すことはできるが、医者ではない。後のことは医学の知識を有した医者に任せるのが一番いいと思ったのだろう。
ラフィンは見るからに顔色の悪い親友の身を慌てて支えると、大丈夫かと表情を顰める。アルマの顔は蒼く、支える手を離したら倒れてしまいそうなほどだ。それを見て、プリムは咄嗟に声をかけた。
「ラフィン、先に宿戻ってアルマちゃん休ませてあげや」
「ええ、ここは私たちで見ていますので。それにラフィン君も少し身体を休めませんと……」
すると、デュークが気を利かせてその後を続けてくれた。
ミスティオと比べればなんてことのないレベルだったが、ラフィンも一応は血を流した身だ。明日のためにも身体を休めておくに越したことはない。
そんなやり取りを聞いて、近くにいた男たちは不意にラフィンの肩をがっしりと掴んできた。
「あんた、決勝に出るんだよな? 頼むよ、あの男をぶっ倒してくれ!」
それは、ラフィンたちが滞在している宿の店主だった。肩を掴むその手は、怒りでぶるぶると震えている。ミスティオはこの街の住民に随分と可愛がられているようだった、息子かなにかと同じ存在なのだろう。
その彼をあのように傷つけた男が許せない――気持ちはよくわかった。
「ラフィンさん……あの、今からでも大会を中止にはできないのでしょうか? 闘技大会は誰もが楽しめるものだったんです、それを根底から覆してしまった今なら……」
しかし、それまで眠るミスティオを安心したように見つめていたエリアが彼らを振り返り、心配そうな面持ちでそう告げた。
確かに、先ほどの大会の光景を誰もが楽しめていたとは思えない。むしろ悲鳴を上げたり、顔を引きつらせていた者の方が遥かに多かったはずだ。
だが、ラフィンが答えるよりも先にデュークが小さく頭を左右に振る。
「伝統ある大会のルールを私欲のために勝手に作り変えてしまうような領主様です。中止を申し出れば不戦勝と見做し、そのまま強引にでもエリアさんとの婚礼にこぎ着けるかもしれません。そうなってしまっては、ミスティオさんがこうまでなさった意味が……」
「……だな、勝手に人様を優勝賞品になんかする奴だ。こっちの話なんか聞いちゃくれないだろうよ。あのフューラってオッサンもタヌキ領主も、明日揃ってケツでも叩いて反省させてやるさ」
「お前、男の尻を触りたいのか」
「誰もそんなこと言ってねーだろ!!」
エリアは恐らくラフィンのことを心配しているのだ。
もし彼もミスティオのような目に遭ったら、と。しかし、もし大会の中止を申し出ればデュークの言う通り、あの領主はきっと己に都合のいいように事を進めるに違いない。
シェーンはすかさず一言毒を吐き、それに対してラフィンがツッコミを入れたが――そんな二人のやり取りに、それまで張り詰めていた空気が和らいだ気がした。
シェーンに好きに使われているようで複雑な気持ちになりながら、それでもラフィンは己の横髪を掻くとアルマの身を支えながら医務室の出入り口に足を向ける。
「まあまあ、なんとかなるさ。だからエリアさんは余計な心配しないで、ちゃんと心の準備しとけよ」
「……えっ?」
「ミスティオの奴が元気になったら、そろそろ両親を安心させてやれよ」
扉を押し開いて肩越しに彼女を振り返ると、ラフィンは去り際にそんな言葉を残して出て行った。
数拍の間エリアはぽかんとしていたが、程なくしてその意味を理解し、顔を真っ赤に染め上げる。落ち着いたらさっさとミスティオと結婚しろ――そう言っているのだ。
ラフィンさんッ!! と扉越しにエリアの声が聞こえてくると、ラフィンは愉快そうに笑った。多少ではあるが、やっと彼女にも元気が戻ってきたようだ。続いて男たちの笑い声も聞こえてきた。
「アルマ、大丈夫なのか?」
「う、うん……ミスティオさんの怪我が思ってたよりもひどくて……それで、ちょっと驚いただけだから、大丈夫……」
医務室を後にしたラフィンは、アルマの調子に合わせてゆっくりとした足取りで歩くようにした。
アルマの顔色は依然として優れない。どうやら、ミスティオの怪我の具合が影響していたようだ。
オリーヴァの街でマリスの襲撃を受けた際にも仲間がひどい怪我を負ったが、あの時はなにかと必死だったこともあり、そこまで気にならなかったのだろう。
だが、今回は違う。実際に今にも死にそうなほどの重傷と多量の血を目の当たりにして、気分が悪くなってしまったようだ。
それに、アルマには払拭できない心配がひとつ。
「(……明日はラフィンが、あんなに怖いおじさんと戦うんだ……)」
もしもラフィンがミスティオのように重い怪我をして、最悪の場合殺されてしまったら――そう考えると、どんどん気分は悪くなっていくばかり。
ぎゅうぅ、とラフィンの服の裾を掴むと、当のラフィンは不思議そうな顔をしていた。




