第十一話・新しい技
「ど、どうなったんだ……!?」
試合を観戦していた観客たちは、固唾を呑んでリングを見つめる。
リング上には今もまだ凝縮された風の塊が飛散した残りがふわりふわりと舞い、彼らの視界を遮断していた。リング外にいた審判は辺りに渦巻く風に対し、片手を顔の前で振ることで払っていく。
アルマたちも瞬きさえ忘れたように、ジッとリングを見据えていた。柵を掴む手には自然と力が入り、手の平にじっとりと滲む汗が不快感を煽り、焦燥を誘う。
「ケケケケッ、俺は疾風のメルト様だ! カッコつけて余裕なんか見せるから悪いんだぜぇ!」
「あんのモヤシ野郎……ッ!」
メルトが声高らかに告げる言葉は確かに正論なのだが、プリムは隠すでもなく嫌悪を表情に乗せてメルトを睨みつけた。
リング正面の席で試合を観戦していたエリアは己の口元を両手で覆い、顔面蒼白になりながら言葉を失っている。選手控室で状況を見守っていたミスティオも同じだ。ラフィンは大丈夫なのか、どうなったのか――そればかりが気にかかる。
「クククッ、俺のカマイタチを喰らって無事なはずが――」
程なくして徐々に風が薄くなっていくと、メルトは傷を負っただろうラフィンにトドメを刺すべく再び身構えたが――漂っていた風が晴れた時、中途まで洩れた言葉は自然と喉の奥へと引っ込んでいく。
凝縮した風の塊を至近距離からぶち当てたのだ、風にその身を斬り裂かれて重傷を負っていてもおかしくはない。
だと言うのに、メルトの視界に映ったのは変わらずその場に佇むラフィンの姿だった。
「バ、バカな……お、俺の風の技を受けて立っていられるはずが……!?」
「ああ、いてーよ。けどまぁ、確かに油断した俺の落ち度だな」
メルトが思った通り、至近距離で直撃したのは流石に堪えたらしく、ラフィンの左側頭部――こめかみ部分からは鮮血が垂れ、頬を、そして顎を伝い雫となってぽたりぽたりとリングへ落ちていく。
頭部や肩、脇腹など様々な箇所に大小様々な傷を負いながら、それでもラフィンの顔には苦痛の類は滲んでいない。むしろ傷を負ったことで攻撃性が増しているようだ。まるで手負いの獣の如く。
ラフィンが負った傷は決して浅いものではない。
それを視認してメルトはすぐに口角を引き上げて笑うと、再び拳を固く握り締めてもう一撃――近い距離からカマイタチを繰り出した。このまま倒してしまおう、そう思ったのだろう。
「く、っははは! ならもっとプレゼントしてやるぜ!」
「ラフィンさん!」
エリアは思わず座っていた椅子から立ち上がったが、リングは再び風に覆われてよく見えなくなってしまった。今回は先ほどよりは薄いようだが、なにが起きているのかリングの外からは様子がわからない。観客たちも試合の様子がわからず、もどかしいらしい。
ちゃんと見せろ! と血気盛んな男たちは声を上げていた。
「へッ、へへ……! これだけ連発でぶち当てりゃ……!」
メルトは直線状に立っているだろうラフィンに向けて、立て続けにカマイタチを何発も繰り出した。一撃であれほどの傷を負わせることができたのなら、連続で攻撃を畳みかければ問題なく勝てる。そう思ったのだ。
けれども、次の瞬間――なぜかメルトは己の全身に身を裂かれるような激痛を感じた。
「ぐうぅッ!? な、なんだ……なにを、した……!?」
慌てて身体を見下ろしてみると技を放ったはずのメルトの両腕に、まるで鋭利な刃物で斬り裂かれたような傷がくっきりと刻まれていた。痛みもある、傷も確認できる。溢れ始める血も。どう考えても幻の類ではない。
正面を見ても、ラフィンの姿は風に邪魔されて窺えなかった。明らかに彼がなにかをしたのだろうとはわかったが――果たして、なにをしたと言うのか。
「テ、テメェ! 一体なにしやがった、卑怯だぞ!」
「ああ? 卑怯じゃねーだろ、俺はただ普通に持ち技を使っただけだ。気になるならそのお得意のカマイタチ、やめてみりゃいいんじゃねーの?」
「(や、やっぱり……こいつがなにかしやがったのか! しかも俺の技を喰らって普通に答えてきやがる!)」
メルトにとって癪に障る言葉ではあったが、ラフィンがなにを仕掛けてきたのかわからない以上、下手に攻撃を続けるのも分が悪い。またワケもわからない内に己の身が傷つくことだけは避けたかった。
しかし、攻撃の手を休めて風が晴れた先――メルトは思わず瞠目した。
メルトとラフィンの間に、一枚の透明なガラス板のようなものが出現していたからだ。
否――ただのガラスではない、その面にメルトの姿が映っていることからして、恐らくは鏡だろう。
「な……なんだ、それは……」
「鏡の牢獄、本来はお前を囲うように展開するはずなんだけどなぁ……今の俺じゃこのくらいが限界か」
「そ、そんなこと聞いてるんじゃねぇ!」
「わーってるよ。けど、親切丁寧に教えてやるほど俺は優しくねぇんだわ」
それだけを言うと、ラフィンは――突如としてメルトの視界から消えた。
疾風のメルト様と自負していたメルト以上の速度で素早く真横に回り込んだのだ。一拍遅れて気がついたメルトは繰り出された拳を両腕を顔前で交差させることで防いだが、一撃の重さが先ほどの比ではない。一発で骨をやられるような、それほどの威力があった。腕から伝わる痛みが電気のように全身を駆け巡り、脳天を直撃する。
それだけで、これまでラフィンが充分に手加減をして戦っていたのだということが理解できてしまった。
「ほら、どうしたよメルトさま。お顔に余裕がなくなってるぜ」
「こ、この野郎ッ!」
次々に叩き込まれる拳による突きを防ぎながら、メルトはラフィンからかかる挑発とも言える言葉に悔しそうに奥歯を噛み締める。そうしてカウンター気味にラフィンの顔面に拳を突き出したが――それは首を横に軽く倒すだけで避けられてしまった。
むしろ、カウンターを狙ったのはメルトであったはずなのに、その直後。こうやるんだとばかりに、ラフィンの拳がメルトの顔面のド真ん中を直撃した。
「がッ……!」
「休んでるヒマなんかねーぞ!」
「ぐわっ!?」
目の前に星が散るような錯覚を覚え、メルトは堪らず鼻先を押さえて数歩後退したが、ラフィンには既に容赦する気など毛ほどもない。身を落としてリングに片手を添え、片腕一本で己の身を支えながら足払いを叩き込むことでメルトの両足を勢いよく払った。
己の顔面にばかり気を取られていたメルトは満足に受け身を取ることも叶わず、背中から派手に倒れ込んだ。ラフィンはそんな彼の腰辺りを跨ぎ、勢いよく拳をメルトの顔面に振り下ろした。
「ひいぃッ!」
だが、直撃する前にぴたりと止めてしまうと、暫しそのままの状態で留まってから薄く表情に笑みを乗せる。――もっとも、目はかけらほども笑ってなどいないが。
「なにか言うことは?」
「ま……っ、まいり、まし、た……っ」
ダラダラと血を垂らしながら自分に乗り上げ、顔面に拳を突きつけてくる怒り狂った男。
メルトの目に、今のラフィンは死神のようにしか見えなかった。その迫力と明らかな力の差を痛感して、彼の顔からは徐々に血の気が引いていく。今度ばかりは油断を誘うための演技などではない。
それを確認して、ラフィンは静かにメルトの上から退いた。
審判は暫し目を見張っていたが、慌てて我に返ると高々と片手を振り上げて声を上げる。
「え、えっと……途中よくわからないことにはなっておりましたが、勝者ラフィン! 明日の決勝戦へ進出決定ですッ!」
審判がそう告げると、観客席からは怒涛の歓声が巻き起こった。盛り上がりさえすれば別にどちらが勝とうと関係ないような状態だったが、油断させて攻撃を仕掛けるメルトのやり方は観ていて気持ちのいいものではなかったのだろう。観客たちは挙ってラフィンの勝利を祝福していた。
そしてそれは、アルマたちも同じことだ。プリムはしっかりと握り拳を作り、逆手を己の二の腕に乗せてガッツポーズをひとつ。デュークは安心したように表情を綻ばせて胸を撫で下ろし、普段から犬猿の仲に近いと言うのにシェーンはどこか得意げな様子で腕を組み、うんうんと何度も頷いていた。とても嬉しそうだ。
それを横目に見遣り、プリムはすかさずシェーンに隣から顔を寄せる。
「随分嬉しそうやん、なぁ?」
「な、なんだ、なにが言いたい!」
「べっつにぃ、ラフィンが勝ったのが嬉しいんやろなぁ、って」
「そ、そんなんじゃない! 卑怯な手を使う奴が負けたのが嬉しかっただけだ!」
常の如く騒ぎ始めてしまったプリムとシェーンを「まあまあ」と宥めながら、それでもデュークはどこか微笑ましそうに二人を見遣る。アルマはそんな仲間内に表情を和らげてから、改めてリング上にいるラフィンに視線を戻した。
彼の身に刻まれた怪我の具合は心配だが、傷の他に気になることがひとつ。
ミラープリズン――今までに聞いた覚えのない技だ。
「(きっとあれが、ガラハッドおじさんがくれた本で覚えたやつなんだ。覚えた次の日に使えるなんて、ラフィンはやっぱりすごいや!)」
アルマは双眸をキラキラと輝かせて、ラフィンをジッと見つめる。アルマにとって、ラフィンはいつだってヒーローなのだ。
当のラフィンは頬を伝う血を片手で拭うと、覚束ない足取りで選手控室に戻っていくメルトの肩を後ろからがっしりと掴む。すると、メルトの口からは「ヒッ」と引きつったような声が洩れ、恐る恐るその顔が後方のラフィンを肩越しに振り返った。
「言い忘れてたけど、アルマにちょっかい出したら――このくらいじゃ済まさねぇからな」
それだけを告げると、メルトはぎこちなく何度も首を縦に振って頷いた。この男にケンカを吹っかけるのはマズい、そう判断したのだろう。依然として顔は蒼白い。
エリアとミスティオを見てみれば、二人とも満面の笑みで手を振っている。だが、勝利の余韻に浸る暇もなく、ラフィンはそのミスティオの試合が気になった。
彼の次の対戦相手であるフューラという男は、明らかに戦い慣れている。何事もなければいい――内心でそう思った。




