第六話・だいすきなひと
午前十一時ピッタリに始まった予選は、正午には終わった。
予選は一種のバトルロイヤルの形で行われ、五十人超えの出場選手たちに好きに争わせた結果――最後まで立っていた八人が本戦出場権を手にしたのだ。
キルシュバオの闘技大会はヴィクオンと同じく、殺しはご法度。ゆえに勝ち負けの判定は相手が気絶するか立てなくなるか、もしくは降参するかのいずれかに絞られる。
優勝候補とされる強者も多かったが、全員が入り乱れての戦い。巻き添えを喰らって番狂わせが起こった部分も多かったらしい。観客席からは歓声と共にブーイングが巻き起こることも度々あった。
そんな中、予選を終えたラフィンは闘技場近くの平原にへたり込むミスティオを心配していた。
「おいおい、大丈夫か?」
「は、はい。俺は大丈夫です……」
大丈夫だと口では言うが、ミスティオの頬にはくっきりと真新しい手型の痕。それは予選の中でついたものではない、つい先ほどエリアに喰らった一撃だ。
ラフィンだけでなく、このミスティオもめでたく本戦出場権をなんとか手にしたのだが――エリアはそれが気に入らなかったらしい。「あなたが残ってどうするのよ!」と彼女にしては珍しく怒声を張り上げて、彼の頬に渾身の一撃を叩き込んだというわけだ。
現在は街の方に駆けて行ってしまった彼女を、アルマが宥めに行っている。
ラフィンはつい先刻の出来事を思い返すと、小さく溜息を吐き出して彼の隣に腰を落ち着かせた。慰めるようにミスティオの背を摩ってやると、その身からは自然と力が抜けていく。
「まぁ、心配してるんだろ。本戦ともなると腕に覚えのある奴らが多いだろうからな。誰だって自分の好きな奴が傷つくのは嫌だろうし」
「え、ええ……でも、ラフィンさんは本当にすごいですよね。大乱闘だったのに息も乱してなかったし……」
「ああ、まぁ……俺はスパルタなオヤジに鍛えられてるから……」
今のラフィンがあるのは、幼い頃から徹底的なスパルタ教育をしてきたガラハッドのお陰だ。母クリスは物心つく前からそのような教育をしてきたガラハッドを叱りつけることも多かったのだが、ラフィンは逆に感謝している。
決して褒められた育て方ではないにしても、そのお陰で問題なく戦えるのだから。
エリアは、ミスティオのことが純粋に心配なのだ。だから彼が本戦に進むことを怒る。自分のせいで大好きな彼が怪我でもしたら――そう考えると、心配でどうしようもないのだろう。
しかし、ミスティオは決して素人の動きではない。それなりに経験がある者の戦い方だった。
「アンタ、人が好さそうな顔してるけど結構ヤンチャしてたのか? 完璧な素人には見えなかったぞ」
「い、いや、そんなことは……その……」
「ん?」
ラフィンはそこで純粋な疑問をぶつけたのだが、ミスティオはやや返答に困ったように顔を赤らめたかと思いきや、そのまま視線を下げてしまう。どうにも気恥ずかしそうだ。
そのような反応をされるとむしろ気になって仕方がないのだが。
ラフィンが暫し彼の様子を見守っていると、観念したのかミスティオの口からはひとつ深く長い溜息が零れ落ちた。
「……俺は昔から彼女一筋だったから、その……ちょっとでも強くなって守ってあげたかったんです。だから武術を習ってた時期がありました、あなたには向いてないってエリアに言われちゃいましたけど……」
返る言葉にラフィンの目は一度丸くなった。なんと純粋なことだろうかと、そう思ったのだ。
彼女の当時の気持ちこそ定かではないが、ミスティオは小さい頃からエリアのことが好きで、彼女のためになにかをしたいと思ってきたのだろう。
その想いが実を結び、仲睦まじく付き合っていけるはずがこの騒動。負けるわけにはいかないと、ラフィンは言葉には出さずとも改めてそう思った。
「(しっかし、まぁ……なにやってんだよ、あいつら)」
そこでラフィンが気になったのは、自分とミスティオの後方だ。彼らの背中側には一本の大木があるのだが、その近くの茂みに人の気配が三つほど感じられる。
十中八九、プリムとデューク、シェーンだろう。
「あのニイちゃん、純粋やなぁ……あんだけ想われとったらエリアさんもきっと幸せになれるわ……」
「そうですね、なんとも微笑ましい限りです。あのお二人なら暖かい家庭を築けるでしょう」
「うむ、だからこそあの領主は許し難い」
各々、そんなことを言う彼らはラフィンの想像と寸分違わず仲間三人だ。茂みに隠れて身を屈めているせいか、不審者感が拭えない。むしろ「不審人物です」と看板をぶら下げているかのような状態だ。
話を聞かれているなどと思っていないだろうミスティオの前に今出て行けば、羞恥で卒倒しかねない。そのため、こうして身を潜めてラフィンとミスティオを見守っていた。
* * *
その一方で街に飛び出したエリアを追ったアルマは、噴水広場で彼女と二人で話し込んでいた。
普段から人が集まるこの広場には、現在は闘技大会中ということもあってか様々な出店が建ち並んでいる。簡素な休憩所として設けられた丸テーブルの席に腰を下ろし、キンキンに冷えたジュースを喉に通す。
エリアの赤い目元がなんとも痛々しい、それは彼女がつい今し方まで泣いていた証拠だ。
「……ごめんなさい、アルマさん。取り乱してしまって……」
「あ、いえ。落ち着きましたか?」
「はい、お陰さまで……」
暫しどちらも余計な言葉を発することなく無言のままでいたが、やがてエリアが顔を上げてひとつ謝罪を口にした。するとアルマは慌てて頭を左右に振る。
別に謝られるようなことはされていない、誰だって自分の想い人が危険なことをするのは嫌なはず。アルマだってそうだ。
「……ミストには戦いなんて向いてないんです。優しい人だから……」
「……」
「アルマさんがちょっとだけ羨ましいです、ラフィンさんみたいな人だったらお強いから……こんな心配はないでしょう?」
「え?」
彼女の気が済むまで話を聞こうと思っていたアルマだったが、思わぬ問いに対して彼の口から洩れたものはなんとも間の抜けた声だった。
しかし、困ったように眉尻を下げるとアルマは改めて小さく頭を横に振る。
「確かにラフィンは強いけど、でも……無茶ばかりするから、いつだって心配はあります」
「そう……なんですか?」
祈りの旅に出てから二ヵ月と少し、その間にも色々なことがあった。
アルマが大切にしているロケットペンダントを探して池の中にダイブしたり、ジジイ神と殴り合いのケンカをしたり、ライツェント家の在り方に腹を立てて単身で乗り込んだり、お祭りではマリスとの戦いで本当に無茶をしたものだ。それ以外にもたくさんのことがあった。
それらを思い返すと、アルマの胸にはやはり心配ばかりが宿る。
ラフィンの強さをアルマはよく知っているが、強いから心配が要らないというわけではないのだ。
「ラフィンってああ見えて優しくてお人好しだから、ついつい色々なことに首だけじゃなく全身突っ込んで無茶ばっかりするんですよ。だから心配が尽きません」
「そうなんですね……」
「ミスティオさんって、結構ラフィンに似てると思いますよ」
アルマの言葉に、今度はエリアが疑問符を浮かべる番だった。
ラフィンとミスティオが似ているとは、どういう意味なのだろうかと。
「ミスティオさんは普段はとても優しい人なんだと思います、でもどうしても領主さまにエリアさんを渡したくないから無茶するんじゃないでしょうか」
「……」
ラフィンはアルマを男に戻したいから、ジジイ神に突撃していた。いくら強いとされる彼でも、神に直接戦いを挑むなど無謀なこと。それでも、アルマのためにラフィンはそうしてきたのだ。
ミスティオはエリアを領主に渡したくない、だからこそ向いていなくとも戦うことを選んだのだと思われる。それが、どれだけ無謀な選択であったとしても。
アルマのその言葉に、エリアは目をまん丸くさせて言葉を失った。
だが、それほど間を置かずに彼女の顔が真っ赤に染まるのを見ると――多分、ミスティオの気持ちは伝わってくれたものと思われる。気恥ずかしそうに、それでいてどこか嬉しそうな様子だ。無論、心配は未だに尽きないだろうが。
「……アルマさんって、ラフィンさんとはお付き合いしてるんですか?」
「えっ……!? い、いや、僕ほら、元々は男、です、か……ら……!」
アルマはそんな彼女の様子を微笑ましそうに眺めていたのだが、次に彼女の口から出た言葉には椅子ごとひっくり返りそうになった。アルマは現在進行形でラフィンに善からぬ感情を抱いている、現在は少年の姿だが少女の時は特に。
その反応と、ゆでだこのように真っ赤になってしまったアルマの様子を見て、今度はエリアが微笑ましそうに笑った。
「でも、好意はおありでしょう?」
「う……うぅ、それは……はい……」
ラフィンが好きなんだな、と。そう自覚したのはつい最近だ。
アルマは元々男なのだから、当然その気持ちをラフィン本人に伝える気はない。今の関係が壊れるのはなにより嫌だし、恐ろしい。好きだなんて言われても、ラフィンが困るだけだろう。
けれども、エリアは優しく微笑みながら片手の己の胸の辺りに添えた。
「性別って、そんなに大切なんでしょうか?」
「……え?」
「男は女を、女は男を好きにならなきゃいけないなんて誰が決めたんでしょう? むしろ性別に縛られないくらい好きになれる人に出逢えたことって……とても幸せなことなんじゃないかって、私はそう思うんです」
ジジイ神のワガママでこのような体質になってしまったが、こうならなければ恐らくラフィンに対して色恋の感情を抱いたりはしなかっただろう。心まで少女のような変化を遂げているからこそ気づけたことも、今までたくさんあったはずだ。
アルマは、それを嫌だと思ったことは一度もない。戸惑うことは多かったものの、嫌悪感は――思い返してみると驚くほどになかった。
「(性別に縛られないくらい、好きになれる人……)」
今となっては、少年の時だろうが少女の時だろうが、どちらであってもラフィンのことを好きだと思う。人様にはあまり言えない意味で。
自分は男で、ラフィンも男。それでも好き。
決して言葉にすることはできないが、それほど深く想える相手に出逢えたことは確かに幸せなことなのかもしれない。同時に、叶わない想いを抱え続ける苦しみもセットになってついてくるが。
いっそのこと、本当に女の子になってしまえたら楽なのかもしれない。そう思って、すぐに頭から追い出す。それはラフィンの「アルマを男に戻す」という気持ちを否定することになる。
それでもなんとなく――本当になんとなく、エリアの言葉で心が少し楽になったような。そんな気がした。




