第一話・「きひひ」と笑う男にマトモな奴はいない
キルシュバオのメイドさん事件から二日。
すっかり戦闘の疲れも取れたラフィンはその日、昼頃からアルマと二人で街の方に遊びに出ていた。
このキルシュバオは比較的大きな街で、色々な物が揃う。食糧や道具を色々と買っておこうという話になったのだ。
アルマはラフィンの隣に並んで、嬉しそうに表情を笑みに破顔させながらあちらこちらに目を向けている。そんな親友を横目に、ラフィンもまた表情を和らげた。
「もう身体は大丈夫か?」
「うん、ただの疲れだったみたい。ごめんね」
「いいって、ダラダラしてきたけどもう二ヵ月過ぎたんだし、疲れもどっと出てくる頃だろ」
「でも、ラフィンはピンピンしてるよ」
「そりゃ、俺は鍛えてるからな」
むう、とアルマは軽く頬を膨らませて片手をラフィンの二の腕辺りに触れさせた。手の平に感じるのは確かに固い筋肉だ。アルマのものとはまったく異なる。
ラフィンは昔から、父のガラハッドにそれはそれは様々な訓練を受けてきたものだ。それは訓練と呼ぶよりは半ば虐待にも近かったのだが。
大きな岩の下敷きにされたまま数時間耐えろだの、片道三時間ほどはかかる山を走って三往復しろだの、挙げ句の果てにはガラハッドが張った防御壁を破壊できるまで夕食は抜き。
物心ついた頃からそのような訓練ばかりを繰り返してきたせいで、ラフィンの身は非常に頑丈になった。攻撃、防御はもちろんのこと――特に体力など常人の何倍あることか。
アルマはそれを間近で見守ってきたし、わかっているつもりなのだが――こうも違いを見せつけられると男としては結構ショックでもある。
「あ、ラフィンさん、アルマさん」
そこへ、ふと明るいながらも落ち着いた声がかかった。
振り返ってみると、そこに立っていたのはエリアだ。穏やかに微笑みながら片手を振る彼女は、こうして見ていると本当に大層な美人だと思う。
長いまつ毛にほんのりと色づいた頬、決して濃いメイクはしていないというのに元々の整いすぎた顔立ちのせいか、美人であることは遠目にも一目でわかる。
「エリアさん、こんにちは」
「お二人でお買い物ですか?」
「ああ、ちょっと旅支度を整えようと思ってさ」
「アルマさんはアポステル様なんですよね、そうとも知らずにあのような依頼を……申し訳ありませんでした」
小走りに駆け寄ってきた彼女は、近くで見てもやはり美人だ。水色の双眸は澄んだ青空のようで、明るいオレンジ色の髪は快晴の空を照らす眩い太陽を彷彿とさせる。
身体の前で両手を揃え、深く頭を下げる様にも無駄は一切なく文字通りの淑女であった。
「いいっていいって、アルマも被害者だったんだし」
「うん、それに人助けも僕たちの役目だもんね!」
「そうそう、報酬まで出るんだしさ」
「……ありがとうございます」
ラフィンとアルマの言葉に顔を上げたエリアは、どこか照れたようにはにかんだ。ああ可愛いな、と。アルマは言葉には出さずとも確かにそう思った。
* * *
「へえぇ、じゃあエリアさんは最近この街に帰ってきたばかりなのか。で、あの病院が実家、と」
「はい、北の都で医療学校に通ってたんです。ちゃんと資格を取って、両親の手伝いをするために帰ってきました。だから街があんな状態になってて驚きましたよ」
「メイドさんばっかだったからな……」
ちょうどお昼時ということもあり、ラフィンとアルマ、そこにエリアを加えた形で昼食を摂ることになった。オープンテラスのあるカフェに三人で入り、白い丸テーブルを囲って小一時間。
話題はエリアのことについてだ。
このキルシュバオの街から随分と北に行ったところに、シャン・ド・フルールという街がある。
世界の東側の都がヴィクオンであるなら、西側の都はそのシャン・ド・フルールの街だ。詳しい情報はラフィンの手元にないものの、名前だけならば彼にも聞いた覚えがある。それほど有名な都なのだ。
エリアはアルマがお世話になった病院の娘であり、医師を務める父の手伝いをするために看護士の資格を取り、この度めでたく故郷であるキルシュバオに帰ってきたとのこと。
戻ってきた故郷に突然メイドさんが大量に溢れていて、さぞ驚いたことだろう。そう考えれば彼女が依頼を出してきたのは頷ける。
「……で、あのミスティオさんとも再会したってわけか」
「も、もう、ラフィンさんまで!」
「ラフィン、最近プリムにちょっと似てきたよ」
「やめろよ勘弁しろよ」
ミスティオの話を出すと、やはりエリアの顔にはほんのりと朱が乗る。照れくさそうに、それでいて嬉しそうに笑う様は見ていて微笑ましい姿だった。
あまりエリアをいじめるなと言いたいのか、アルマは今日もブドウジュースをストローですすりながら横目にラフィンを見遣る。
「でも、結構イイ仲なんだろ?」
「え、ええ……彼とは幼馴染で、昔からいつも一緒だったんです。私が都に行ってた間にもいつも手紙でやり取りしていて……」
ミスティオのことを語る彼女の顔は、本当に幸せそうだった。
惚気を聞かされているというのに、ラフィンもアルマもまったく嫌な気分にならない。要らぬ横槍を入れることもなく、彼女の話の腰を折らずに聞き入っていた。
* * *
広い屋敷の一室に、荒い息がひとつ。
部屋の中央に設置された木製の椅子には恰幅のいい一人の貴族らしき男が座っている。眼鏡のレンズ越しに見える双眸は血走っていて、口元からは一筋のよだれ。はあはあ、と荒い息は興奮している証拠だった。
男の手には数枚の絵が握られている。紙面に描かれた人物は長い髪をした綺麗な女性だ。
そんな男の傍らに佇む燕尾服を着た男は、主人からの命令を待つかのように目を伏せている。見た目からして執事だろう。
「では、旦那様。そのように?」
「ああ、すぐにでも準備を始めろ。そして近隣の街や村にも報せを出すのだ」
「久方振りの闘技大会ですか、賞品が賞品ですから他の街からも人が集まりそうですな」
「ひひひ……キルシュバオの闘技大会は有名だからな。参加者が増えれば増えるだけ金や商品も集まる上に、今回は――」
そこまで言いかけて、男は口角を引き上げて笑うと紙面に自分の唇を押しつけ、絵の中の女性に口付けを落とす。紙にべっとりとよだれがついても、特に気にしたような様子は見受けられなかった。
「きひひ……ああエリア、君はもうボクのものだ。早く君を抱き締めたいよ……」
男は恍惚とした表情で呟くと、絵の中の女性を――エリアを見つめてだらしなく笑った。口からはよだれが垂れ落ち、真っ赤な絨毯を湿らせていくが、男は特に気にも留めなかった。




