第十七話・ウサギさん!
「では、明日はイリニの神殿に向かうのですね」
「ああ、原因がわからねぇ以上は取り敢えず神さまに聞いてみようかと思ってさ」
「そうですね、それから解決策を考えましょうか」
「にしても、プリムもメイドさんになってたとはなぁ……」
宿に戻ったラフィンは、待っていた仲間と夕食を済ませ――あとは寝る支度を終えてゆっくりと休むだけ、という状態で談笑していた。といっても、話の内容は明日の予定のことだ。
宿に帰り着いたラフィンがまず驚いたのは、出る時は異変のなかったプリムまでもがメイドさんになっていたことである。彼女が着用するメイド服はアルマと同じタイプのものだが、色が異なる。
アルマはベージュ色のスカートだったが、プリムは淡いピンク色のスカートとコルセットを着用していた。それも、アルマのものと違いスカート丈が非常に短い。
太股を晒すほどの短い丈と、黒のニーハイソックス。それだけでなく、ガーターベルトまでついているせいか、普段よりも妙に色気があった。
夕食時はデュークが顔を赤くしており、ラフィンは彼も体調が悪いのだろうかと心配になったものである。
「――おい」
だが、部屋でそんな話をしていた時。
それまで余計な口を挟むことなく黙り込んでいたシェーンが、寝台の上にあぐらを掻き両腕を胸の前で組みながら地を這うような声で一言呼びかけてきた。
なんの用か、なにを言いたいのか――ラフィンは痛いほどに理解している。十中八九、アルマのことだ。
「予定を話すのはいいが、その状況にはツッコミを入れていいのか?」
「…………できれば放置してくれると有り難い」
現在、彼らがいる場所は宿の一室だ。あとはこれから寝るだけなのだから当然だが。
けれども、シェーンがツッコミを入れたいのは寝台に仰向けに寝転ぶラフィンの上に転がるアルマのことだ。アルマはにこにこと、それはそれはご機嫌な状態でラフィンの上にうつ伏せの形で身を横たえている。ごろごろ懐く猫のようだ。
ラフィンは最早、深く気にしないようにしていた。むしろ、そうでもしないと彼の精神が色々と危うい。
ちらりと壁の時計を見遣れば、現在の時刻は二十三時五十分。あと十分の辛抱である。
「ねぇねぇ」
「ん?」
「ちゅーしようよ!」
「……あとでな」
「んん、もう。ラフィンったら、いきなり脱げって言ったりするのに焦らすんだから」
ラフィンの返答を聞いてアルマは身を起こすと、両手を己の頬辺りに添えてくねくねと上体を揺らす。ほんのりと頬を朱に染めて身を捩らせる様は、跨っている場所もあってか精神的になんともよろしくない。せめて上から降りてくれるといいのだが、今のアルマには恐らくなにを言っても無駄だろう。
デュークは生温かい視線をよこしてくるが、アルマの――爆弾発言とも言える言葉にシェーンは眉を吊り上げた。
「ぬ、脱げだと!? き、貴様っ、アポステルになにか不埒な真似をしたんじゃないだろうな!」
「バカ言え! いきなりメイドさんになったから思わずツッコミを入れちまっただけだ!」
「えへへへ、ラフィンのためなら僕はいくらでも……」
「脱がんでいい! っていうか脱ぐな!!」
既に夜も遅い時間だというのに騒ぎ始める彼らを見て、デュークは困ったように眉尻を下げる。プリムは女性であるために、この場にはおらず隣の部屋だ。あまり騒ぐと彼女を起こしてしまうのでは、他の宿泊客に迷惑なのでは――彼の頭には様々な心配の念が浮かぶ。
しかし、デュークがそんなことを考えていた時。今まさにメイド服を脱ごうと手をかけたアルマが、ぴたりとその動きを止めた。それを見上げて、ラフィンは腹の底から深い安堵を洩らす。
「……戻ったか?」
なんだかんだと騒ぎ立てている間に、ようやく日付が変わったらしい。ラフィンの上に跨ったままアルマは真顔になると、服にかけていた手を静かに下ろして虚空を見つめる。その顔は常や先ほどの様子からは考えられないほどに無表情、いっそ悟りの境地だ。
暫しそうしていたものの、やがてアルマの目はちらりとラフィンへと向き、数拍の沈黙の末に両手で顔面を覆ってしまった。
「うっ……ううぅ……ご、ごめんねラフィン……」
「ああ、よしよし……」
両手で覆い隠されているために顔までは窺えないが、髪の隙間に見える耳までも真っ赤に染まっていることからとてつもない羞恥に襲われているのだろう。震える声で紡がれる謝罪にラフィンは眉尻を下げると、己の上に跨るアルマはそのままに静かに上体を起こし、その頭を撫でつけた。
日付が変わったことで元に戻ったアルマを見て、そこでようやくデュークやシェーンの口からも安堵が零れた。アルマがあのままの状態では旅など難しいし、所構わずベタベタとくっついているため非常に居たたまれないのだ。
「ぼ、ぼぼぼ僕、部屋に戻って寝るね」
「あ、ああ」
ちなみに、アルマはプリムと同室だ。
これまではラフィンが宿の部屋を取っていたが、今回はシェーンが取ったもの。彼にとってアルマは男ではなく、女に非常に近いのだろう。そのため、シェーンはプリムとアルマを同じ部屋にして今回の宿を取ったのだ。
アルマは早々にラフィンの上から降りると、足がもつれるのか何度も転びそうになりながらも大慌てで部屋の出入り口まで駆けていき、そのまま出て行ってしまった。
「……日付が変わると元に戻るのか」
「そのようですね……お疲れ様です、ラフィン君」
「ああ……悪かったな、こんな時間まで。……寝るか」
つい先ほどまで、アルマが醸し出していた好き好きオーラのせいで眠ろうにも眠れなかったのだろう。シェーンは既に眠そうだ。ラフィンはほんのりと罪悪感を覚えつつ、彼もまた布団に潜り込もうとはしたのだが――そんな時、閉ざされたばかりの部屋の扉がそっと開いた。
なんだろうと見てみれば、つい今し方出て行ったばかりのアルマがひょこりと顔だけを覗かせたのである。その顔はほんのり赤く、未だ羞恥は消えていない様子。
「ラ、ラフィン、ぷ、プププレゼントありがとう……デュークさんもシェーンも、お、おやすみ……」
「……」
それだけを言うと、こちらがなにか言葉を返すよりも先に気恥ずかしそうに――今度こそ扉を閉めて部屋をあとにしてしまった。どうやら、用事はそのお礼と挨拶だけだったらしい。
その場に残されたラフィンだけでなく、居合わせたデュークやシェーンも暫し扉を見つめたまま黙り込み、程なくして目を伏せる。
「(かわいい)」
「(かわいらしい……)」
「(なにあの生き物……)」
頭に乗る黒いリボンのせいで、今のアルマはまるでウサギさんだ。
恥ずかしそうに顔を覆い隠して俯けば、リボンの先は元気を失ったようにへにゃりと前に倒れるし、首を捻るとこてんと横に垂れる。気恥ずかしそうに赤い顔をしていたせいで、余計に可愛らしく感じられた。
誰も口には出さないが、各々内心でそんなことを考えながら静かに寝台へと潜り込んでいった。




