第十二話・置いていかないで
宿を取ったシェーンは、気晴らしに街中に足を踏み出すと奥の高台へと爪先を向かわせた。
辺りに溢れ返るメイドたちの姿に怪訝そうな表情こそ滲ませはするものの、この街の雰囲気は決して嫌いではない。むしろ気取った雰囲気がなく、彼にとっても好ましいものだった。
しかし、ピルツ村の村人たちを助けてくれなかったことを思えば、やはりシェーンの心情は複雑なものである。
「……考えてばかりいても、仕方ないか」
高台に辿り着く頃には、随分と気持ちも落ち着いていた。高台からモダンな街並みを見下ろし、緩やかな風が吹きつけてくると、彼の表情にもようやく年相応の笑みが浮かんだ。ホッとしたような、どこか幼さの残る笑顔だった。
キルシュバオは、オリーヴァほどではないが大きい街だ。出入り口には酒場や食糧品店、レストランなどの飲食店が並び、その道をまっすぐに進んでいくと武器屋や防具屋が冒険者を出迎える。
更に進んだ先には噴水広場があり、広場を囲むようにして宿やブティック、アクセサリーショップなど女性が好みそうな店が数多く建ち並んでいた。
住宅街は更にその奥や、大通りから枝分かれする道から行くことができる。
しかし、一番の目玉は街の最奥に位置する闘技場だろう。ヴィクオンのものよりは小さいが、定期的に闘技大会が開催されていた。シェーンも幼い頃、家族と共に大会を見にきたことがある。
「懐かしいな……」
当時のシェーンは、大きくなったらアポステルの役に立つのだと――そう思いながら、目をキラキラと輝かせて出場者を見ていたものだ。
そんな昔のことを思い返し、シェーンの表情はふと改めて弛んだのだが、ラフィンのことを思えば自然と歪む。
「僕がアポステルを守るはずだったのに……なんなんだ、あいつは……気に入らない……」
曽祖父がかつてのアポステルから託された祈りの剣。
この剣を使って役に立つつもりだったのだが、ラフィンの存在のせいで全てが狂ってしまったような気さえしている。とても気に入らない。
けれども、そんな彼の元へ――ふと聞き慣れない声が届いた。
「――あなた、アポステルがほしいの?」
「……え?」
不意に聞こえた声に、シェーンは反射的にそちらに視線を向けた。人の気配に気づけないほど考え事に没頭していたのかと、内心でそんな己に反省しながら。
目を向けた先、そこにいたのはバラ色の髪を持つ少女――カネルだった。しかし、シェーンは彼女と会ったことはない。不思議そうに、そしてどこか怪訝そうな様子で彼女を見返す。
「ふふ、警戒しないで。ちょっと聞こえちゃっただけよ」
「……キミは誰だ?」
「わたしのことは別にいいでしょ、それよりどうなの?」
「……」
どうなの――というのは、先の質問に関することだろう。アポステルがほしいのか否かを聞いているものだと思われる。
だが、警戒を解かないシェーンが頑なに閉口する様を見て、カネルは柔らかく微笑むと両手を己の腰裏辺りで組みながら、可愛らしく小首を傾げた。
「あなた、ラフィンが邪魔なんでしょう? わたしが協力してあげるわ」
「……どういう意味だ?」
「うふふっ、わたしはラフィンがほしいのよ。あなたはアルマがほしい、わたしはラフィンがほしい……お互いがほしいものを手に入れられるんだから、こんなにいい話はないでしょ?」
シェーンには、カネルの言いたいことがいまいちよくわからなかった。
彼女の口ぶりからして、ラフィンやアルマの知り合いなのだということは窺えたが、なぜこのような話を持ちかけてくるのか理解できなかったのだ。
そんなシェーンの心情を知ってか知らずか、カネルは依然として柔らかく笑んだまま一歩一歩、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「……ラフィンはね、本当はわたしの守護者になるはずだったのよ。だけど……アルマがわたしから奪ったの。だからわたしは、ラフィンを取り返したい……ねぇ、協力してくれるでしょう?」
カネルはシェーンの真正面まで足を進めると、今にも泣き出しそうな表情でそっと上体を前に倒し、下から彼の顔を覗き込んだ。
シェーンは暫しそんな彼女を無言のまま見下ろしていたが、やがて静かに目を伏せると共に小さく吐息を洩らした。
「……僕はなにをすればいい?」
程なくして、静かに返った言葉に対しカネルは嬉しそうに表情を綻ばせて笑った。
* * *
「せやけど、なんともなくてよかったなぁ、ラフィン」
アルマの診察が終わり、病室に通されて――小一時間ほど。ラフィンたちの表情には安堵が色濃く滲んでいた。
診察の結果は、ただの疲労だ。疲れが溜まりすぎて熱が出たのだろうという診断だった。
ベネノダケの一件もあり心配していたのだが、どうやら杞憂だったらしい。
「ああ、ここんとこあんまりゆっくり休めなかったからなぁ……ピルツ村では祈ってばかりいたし、村に着くまでも野宿続きで満足に寝れなかっただろうし……」
「そうですね、旅の疲れが出たのでしょう。私たちも少しゆっくりしましょうか」
「せやなぁ、メイドさんばっかの街でのんびりできるかは微妙やけど、野宿よりはマシやな」
なぜ街にメイドばかりが溢れているのか、その謎は未だに解けていない。だが、アルマがなんともないということで――彼らの意識や興味も、その謎にやや向きつつある。
しかし、やはり今は身体を休ませることが先か、程なくして立ち上がったプリムに倣いラフィンとデュークも座していた椅子から静かに腰を上げた。プリムは両手を上に挙げ、凝り固まった身をほぐすように一度大きく伸びをしてから深く息を吐き出す。
「んじゃ、シェーンも待っとるやろうし宿に行こか」
「……」
安心しきったような顔で病室を出ていくプリムとデュークを見てから、ラフィンは寝台で眠るアルマを見遣る。ただの疲労ということだが、念のためにと医者が病室をあてがってくれたお陰で、アルマは今晩この病室で休ませてもらうことになった。
つまり、ラフィンが宿に行けばアルマの傍を離れるということで。
旅を始めてから別々の部屋、場所で眠ったことなどない。彼の胸中には心配ばかりが浮かんだ。
けれども、自分がいては安眠の妨げになってしまうかもしれない。
そう考えると、この場にいるなどと駄々をこねることはできなかった。本音を言えば傍で看病をしていたい、アルマが目を覚ました時に寂しくないように。
しかし、アルマがゆっくり休めることがなによりも大切なことなのである。
「(……外で番犬みたいに見張る、ってワケにもいかないしなぁ……)」
幸いなことにアルマはただの疲労だったが、この病院には他にも入院患者がいる。外で見張っていて、もし患者とはち合わせたら軽くホラーだろう。無論、患者にとって。
番犬とはその名の通り、犬だから許されるのだ。
明かりの落ちた病院内、トイレに行こうと思ったら病室の前に座り込む人が――そんな状況に遭遇すれば、ラフィンとて間違いなく悲鳴を上げる。まったくもって無意味なことだが、それほどの自信がある。
それに、ラフィンが看病をして満足に休めなかったら逆にアルマが怒り出すかもしれない。
そこまで考えて、ラフィンはそっと溜息を洩らすと先に出ていった二人の後を追うべく一歩足を踏み出した――はずだったのだが。
「……?」
つ、と。非常に軽いものではあるものの、ふと引っ張られるような感覚を覚えて足を止める。
なんだろうと振り返ってみると、てっきり眠っていると思っていたアルマだった。アルマがラフィンの腰に巻く赤い上着を極々軽く引っ張っていたのだ。
「ア、ルマ……起きてたのか」
まだ熱が下がらないのか、目は軽く潤んでいて、顔は赤かった。なんとなく泣き出してしまいそうな、そんな様子。
そうなるとラフィンの中には次々に心配ばかりが芽生え始める。苦しいのか、どこか痛いのかと。
けれども、当のアルマから返ったのは実にシンプルな言葉だった。
「ラフィン……置いていかないで……」
注意していないと聞き逃してしまいそうな――そんな今にも消え入りそうな声でか細く紡がれた言葉に、ラフィンは胸を思い切り貫かれたような衝撃を覚えた。
それと同時に胸が高鳴って、顔面に不自然なほどに熱が募る。心音があまりにうるさくて、自分で自分の胸をぶん殴りたくなった。
デュークはいつまで経っても出てこないラフィンにどうしたのかと病室を覗き込んだが、ラフィンの上着を掴むアルマの手を見れば彼の顔には自然と笑みが浮かぶ。それはそれは、とても微笑ましそうな笑みが。
ラフィンはちらりと視線のみでそちらを見遣ったが、にこやかに微笑んで静かに扉を閉める様を確認すると内心で感謝しつつ、小さく安堵を洩らした。
「(……流石はデューク、紳士だな。あれがプリムだったらどれだけの揶揄が飛んできたか……)」
もしプリムだったのなら、ニヤニヤとした腹立たしいほどの笑みと共にマシンガンの如く揶揄を飛ばしてきただろう。それはもう、思わずぶん殴ってしまいたくなるほどに。
デュークでよかったと、心からそう思いながらラフィンは改めて寝台の傍らにある椅子に腰を落ち着かせた。上着を掴んだままのアルマの手をやんわりと離させ、その手を布団の中に戻す。
すると、アルマの顔がわずかばかり不服そうに歪む。と言っても、可愛らしいふくれっ面なのだが。
「ちゃんとここにいるから、ゆっくり休め。……疲れが出たんだよ、ヴィクオンを出てもうちょいで二ヵ月になるもんな」
「……ごめんね」
「ったく、だから風邪引くって言っただろ。次から風呂上がりはしっかり髪拭けよ」
「ラフィンに拭いてもらうから、大丈夫」
熱のせいか、はたまた寝ぼけているのか。
今のアルマは、なんとなく通常よりも幼い印象を与えてくる。でれ、と弛んだ顔はラフィンの呆れを誘ったが、お咎めはその口からは返らなかった。
代わりにその頭をやんわりと撫でつけるばかり。アルマにとことんまで甘いのは、ラフィンのどうしようもない弱点でもある。
「……ったく、わかったよ。自分で拭かせたら、拭くのに必死になりすぎてひっくり返りそうだし」
「ふふ……ラフィンって、本当に僕には優しいよね」
「べ、別にいいだろ」
「うん……好き」
まさか了承が返るとは思わなかったらしく、ラフィンからの返答にアルマは弛んだ顔のまま小さく笑い声を洩らすと、そのまま静かに目を伏せた。熱があるせいか、髪を撫でるラフィンの――アルマよりは冷たい手が時折頬や額に触れて、気持ち好いのだろう。
対して、ラフィンは最後に付け足された一言に思わず動きを止めた。
「(……すき……)」
そのシンプルな二文字を頭の中で反芻すること、数分。
そのまま寝入ってしまったのか――アルマからすやすやと寝息が聞こえ始めた頃に、ラフィンは逆手で己の顔面を覆って項垂れた。
顔面どころか耳まで熱い。
「(――いやいやいやいや……! 他意はないだろ、落ち着けよ! 今までにも好きとか大好きとかしょっちゅう言われてきたんだし、今回だって深い意味があるわけないんだって! アホか、思春期に突入したてのガキか俺は!)」
自分で自分にツッコミを入れながら、ラフィンは頭を抱える。
頭ではわかっているのに、口元が自分の意思に反して弛むことが猛烈に腹立たしい。そっと指の隙間からアルマの様子を窺って、暫し黙り込む。
「(……っていうか、今のアルマは男じゃねーか。ついにそっちの世界か、そっちの扉開けちまうのか。そんなことになったらホモ神とハンさんしか喜ばねぇだろ、恐ろしい)」
ラフィンの頭には、テリオスとハンニバルが輝くような眩しい笑みを浮かべながら、手ぐすねを引いて待っている様が浮かんだ。恐ろしい、とても恐ろしい。冗談ではない。
その光景を頭を左右に振ることで追い出してしまうと、眠るアルマに改めて目を向ける。
「……けど、かーわいいんだよなぁ、こいつ……」
男にしては、可愛らしい顔立ちをしている。それがアルマだ。
はあ、と深い溜息を吐き出してラフィンは改めて項垂れた。




