世界Ⅰ
射すような陽光に目を細めながら、彼女はカゴの中のシーツを取り出し、サッと物干し竿に掛けた。
こうして、汚れ一つないシーツを洗い直すのも何度目になるだろうか―
季節は梅雨を過ぎ、本格的な夏を迎えようとしている。
窓越しに少年と老婦人の姿が見える。
勝手口からダイニングに戻ると、それに気づいた少年が彼女の腰に飛びついてきた。
「ばあちゃんに絵本読んでもらった!」
「そう、良かったわね」
彼女は寝癖跡のついた少年の頭を優しくなでる。
老婦人が掛けていた眼鏡をテーブルに置き、彼女に問いかける。
「今日も病院へ行くの?」
「…うん、着替え持ってかなくちゃ」
「…美咲、あなた、また少し痩せたんじゃない?ちゃんと食べてるの?」
「私は…大丈夫」
とは言いつつも、極端に食が細くなっているのは事実だ。
しかし、長い間病院のベッドに横たわり、日に日に痩せていく彼の体を見る度に、自分だけが健康的な生活を送る事が申し訳なくなってくるのだ。
「あなたまで倒れてしまったら、元も子もないんだからね」
「うん…そうだね」
老婦人は度々訪れてきてくれては、少年の世話をしてくれている。
もし少年と二人きりだけだったら、今頃本当に彼女は倒れていたかもしれない。
「今日は恵人も一緒に連れて行くから、母さんも少し休んでいいよ」
そう伝えて、彼女は二階へと上がった。
彼の部屋に入り、シーツを新しいものに取り替える。
仕事柄帰りの遅かった彼は、8畳程の書斎を自分の寝床にしていた。
……二人を起こすと悪いし
そう控えめに言った彼の少し寂しそうな笑顔を思い出す。
部屋は当時、仕事道具やら書類やらが山のように積まれていたが、今となっては書類や書籍も本棚に整然と並べられている。
「帰ってきたら、怒られるかしら…」
それらは息を潜めて、不在となった主の帰りを待っている。
コト…
気づくと、彼女の傍らに少年がちょこんと佇んでいた。
普段はあまり入る事のない書斎を、つぶらな瞳でキョロキョロと見回している。
「どうしたの?」
「ばあちゃんが、出かける前にお着替えしなさいって」
「そう」
彼女は少年の手を引いて、寝室へと向かった。
少年はまだ遊びたりないのか、もう一方の手で大事にオモチャを抱え込んでいる。
クローゼットから少年の服を一通り揃え、ベッドに置く。
「もう一人で着替えられるわよね?」
聞いているのか聞いていないのか、少年はぴょんとベッドに飛び乗り「ウーウーウーウー」と消防車のミニカーを転がしはじめる。
少年の誕生日に彼がプレゼントした、一番の宝物だ。
遊びすぎて、所々表面の塗装が剥げている。
「……」
彼女は軽く身支度を整え、鏡台の前に座った。
薄く化粧を施し、引き出しからマグノリアの香水を取り出す。
……これは私の推察だけど―
先日の、三木医師との会話を思い返す。
(思い出してくれるかしら…)
それを少しだけ手に取り、首元にあてる。
彼が好きだと言ってくれた、白木蓮の香り。
「…ママ?」
気づくと、少年が不思議そうに彼女を見つめている、着替えはきちんと済んでいるようだ。両手には相変わらずミニカーが握りしめられている。
「それも、持っていく?」
「いいの?」
彼女が頷くと、少年の表情はパァっと明るくなった。
じゃあ、これも!と言って、少年はポケットをガサゴソと探り始めた。
「…あ」
(さっき、書斎から持ち出したのね)
それは、大切な贈り物
以前、父の日に彼へ贈った
彼女と少年の、『パパ』への大切な贈り物。