廻転Ⅲ
俺が宿泊している宿屋の一室はもともとは納戸だった場所らしく、その気になれば2,3人は寝泊りできるぐらいの広さはあるものの、今では武具やら雑多品やらががベッドを中心に乱雑に並べられている。
物の価値を計るとき、機能性と合理性を第一に考える自分にとって、かつて送られた某国の功一級勲章と、既に錆び付いて穴の開いた肩当てが一緒に床に転がっているのは別段おかしな事ではない。
俺はいつもの旅の軽装に身を包み、使い慣れた刀剣を背に担ぐ。
心なしか剣が重く感じる。黒鉄の胸当ても脇の辺りがいくらか緩い。
繰り返す『今日』の中で、はじめて気づいた違和感は自分自身の『身体』の事だった。
はじめの頃―、それはこの繰り返しの世界にようやく気づき始めた頃だったろうか、俺は恐怖と無気力感で毛布にくるまりガタガタと震えていた。そうして何度目かの『今日』をやり過ごしたある時、気付いたのだ。
髪が伸びている―
それは衝撃と共に、膝を着くような絶望感さえ俺に与えた。俺は、俺の精神と肉体は、完全にこの『世界』から隔離されている。
繰り返しているのは『世界』だけだった―
このまま漠然と『今日』を消化していくだけでは、いずれこの世界に呑まれ、ただただこの身が朽ちるを待つだけだろう。
(それにしても、急に剣が重く感じるなんてあるだろうか?)
微かな違和感を抱えたまま一通り身支度を整えた俺は、枕元に置かれた真鍮製の懐中時計を手に取った。
ハンターケースの上蓋を親指の爪ではじく。
コチコチと小気味良い音を立てながら、秒針が時を刻んでいる。まるで命の鼓動を感じ取るように左手にすっぽり収めると、不思議と心が和らいでいくのがわかる。
数多の敵を薙ぎ払った剣よりも、幾多の攻撃を防いだ盾よりも、手に馴染んだこの感触。
時刻は7時13分を回っている。予定通りだ。俺は懐中時計を懐へしまい、階下へと向かう。
2階の廊下からエントランスを見下ろす。先ほどの少年がいない。階段を下り、ぐるっと空間を見渡す。
気づくと、ダイニングに少年の姿が見えた。老婦人の膝にちょこんと乗り、どうやら絵本を読んでもらっているようだ。声を掛けようかとも思ったが、邪魔しては悪かろう。
せめて若女将だけにでも…と思い、視線をさらに大きく泳がせるがその姿は見当たらない。おそらく裏庭で洗濯物でも干しているのだろう。
俺は誰にも何も言わず、「カモメ亭」を出た。