廻転Ⅱ
原因はいったい何だった?
そう考えることに果たして意味はあるのか―
何の変哲も無い、穏やかな朝の目覚め。今、この時点から今日起こる全ての出来事を、俺はもう知っている。始めはその得体の知れない現象にひどく狼狽したものだが、今となっては半ば達観したような心持ちだ。
しかし『諦め』がこの現状を打破する事は無いと俺は確信している。
何度繰り返そうと、必ず『今日』を終わらせてみせる。
俺はゆっくりとベッドから起き上がり部屋を出た。
「おはようございます。勇者さん」
(…ここで俺は、廊下で宿屋の若女将とばったり会う)
歳の頃でいえば俺と同じくらいだろうか。
「ああ、おはよう」
「勇者さんはいつもぴったり6時にお目覚めですね」
両手で覆うようにカゴを抱えて、彼女はクスっと笑ってみせる。
「もう身体に染みついてるんだなきっと」
俺も苦笑いで返す。
(…これもいつもの会話)
その日(と言っても同じ今日だが)によっていろいろとこちらの返答を変えてみたが、多少言葉尻が変化するだけで、繰り返す『今日』に影響を与える程のものではなかった
「朝ごはん、出来てますからご自由にどうぞ。あ、それと昨晩は暑かったですから、シーツ替えておきますね」
すれ違い際、白木蓮のほのかな香りが漂う。
(……?)
(はて、いつもはこんな香りがしただろうか?)
華やかで上品な、そしてどこか懐かしい香り。
俺はしばらく彼女の背中を見送ってから階下へと向かった。
宿屋『カモメ亭』は王都カルテアの端の端、居住区『セレス十三番街』に店を構えている。大通りからはだいぶ離れているためか、それとも時節的なものなのか、部屋を借りているのは俺一人だ。
それでも、決して豪奢ではなく、こじんまりとしていて家庭的な雰囲気が俺は気に入っていた。
キシキシと軋む木製の階段を降り切った頃、下腹部にドンッと衝撃を受けた。目線を下げると、ボサボサ頭の少年がめいっぱい顔を上げてこちらを凝視している。
(そう、ここでこの少年とぶつかる)
少年はいつもこの時間、一階のエントランスで騒いでいる。少し間を置いて「ごめんなさい」と少年は深々と頭を下げた。俺は「朝から元気だな」という意味合いを込めて少年の頭を左手でグシャグシャとしてやる。少年はニッコリと白い歯を見せると、また駆け足で走っていった。
ふと気付くと少年は手になにやら赤い小箱のようなものを持っている。
「ウーウーウーウー」
奇天烈な声を上げて、その箱を床に擦り付けている。
(あんな物、持っていたか?)
きっと『前回』見落としていただけだろう。些末な変化など大河に投げ入れる小石のように、繰り返す『今日』にとって刹那に消える波紋に過ぎない。
白木蓮も、あの赤い小箱も。
水場で顔を洗ってからダイニングに入ると、色とりどりに盛り付けられたサラダを中心に、あたたかい湯気をまとわせたスープと香ばしい匂いのするパンが並べられている。
何度も『今日を繰り返し、何度も同じ朝食を食べているが、相変わらず腹は減るし、相変わらずここの飯は美味い。
グーグー鳴る腹を咳払いで誤魔化しながら、俺は席へ着いた。
「おはよう、勇者さん。今日も良い天気ね」
いつもと変わらず、向かい側に座る老婦人が俺に声を掛けてくれる。彼女は新聞を片手にもう片方の手で丸眼鏡をクイっと上げながら優しく微笑んだ。
その品のある仕草はけして上辺だけでなく「カモメ亭」にはそぐわぬお召しものも相まって、どこかの貴族の大奥様ではないかと俺は密かに考えている。
「おはよう、ご婦人。今日も顔を見れて嬉しいよ」
こちらも微笑みを返しながら、老婦人が広げた新聞記事の日付にチラリと目をやる。淡い期待などとうに失せ、この確認作業も半ば事務的な行為となっていた。
(…相変わらず今日は『今日』だ)
「私も嬉しいわ、あなたと朝食をご一緒出来て」
前回と一言一句変わらない老婦人の世間話と共に淡々と朝食を消化していく。
気付けば時刻は6時半を回っていた。俺は食器をカウンターへと戻し、老婦人に一声掛けてダイニングを後にする。
『今日』俺はこの王都を統べる、公王カトレアに謁見する事になっている。謁見の時間は9時、十三番街から王城までは約一時間半。これから部屋に戻り、身支度を整え、宿を出るのが7時15分。時間的な余裕は充分ある。
俺は『今日』を繰り返していると確信した時から、なるべく自分の行動に規則性を持たせるよう努めていた。そうする事で見えてくる変化が、『今日』を終わらせるためのカギなのでは?と考えていたのだ。しかしながらその『変化』も先程の赤い小箱のような些細なものばかりなのだが…
(やはり、何か大きな“きっかけ”がなければいけないのだろうか)
階段を上り、俺は再び自室へと戻る。
シーツは既に、真っ白なシワ一つないものに取り替えられていた。
俺は、今日も『今日』を繰り返している。
俺は、このシーツと共に目覚める『明日』を迎える事が出来るのだろうか?